だが、それに納得出来なかったのが、透耶である。
普通に女装するなら妥協はしただろうが、撮ったモノがネットとはいえ、世間に配信されると知って、抵抗しているのだ。
冗談じゃないというところだろう。
なかなか収拾がつかない状況になって、とうとう鬼柳が仕方ないと、透耶と光琉の間に入って、透耶を宥める事になってしまった。
『Toya. from now on. you are not Japanese.(透耶、今から透耶は外国人だ)』
鬼柳がいきなり妙な事を言い出したので、透耶は困惑する。
『I’m sorry? What on earth are you talking about?(はあ? 何をいきなり…)』
透耶は唖然として聞き返したが、しっかり英語になってしまっている。
条件反射である。
鬼柳はニコリとして話を続ける。
『Listen. What I am saying is. you become a girl from overseas.(つまり、榎木津透耶じゃなくて、外国人の女として出ればいいんだ)』
鬼柳はそう言って一人で頷いている。
いい案だとでも思っているようだ。
は?
まったくもってさっぱりなんですけど……?
当然透耶にその意味が解るはずもない。
突拍子もない事を言う鬼柳ではあるが、これは更に透耶にも解らない。
少し眉を顰めて鬼柳に聞く。
『Then. what happens?(俺が外国人になって、何がどうなるわけ?)』
女装するのと外国人になるのに何か符合点でもあるのだろうか?
『The contract with Mitsuru prohibits to present our names.Also. it says that all the negatives and pictures belong to me and to be handed to me. after the needed work.Even if we try hard this way. it is still possible that you may be brought to light.That’s why we make up another person. This another person is going to be totally bogus.(光琉との条件の中で、俺の名前と透耶の名前を出すのは絶対にするなと言ってある。ネガ等写 真についても、必要な作業が終わったら、全部俺所有にして渡せとも言った。それでも透耶の事がバレる可能性もあるから、別 人物を作る事にする。まったく架空の人物って訳だ)』
嬉々として言う鬼柳に透耶はストップをかけた。
待て、それって、まさか……。
透耶は恐る恐る鬼柳に聞いた。
『Are you saying that I will be “this another person” and disguise in a dress? (それって、今から俺に女の役をやれって事?)』
まさかと思って聞いた透耶だが、鬼柳はニコリをする。
『Clever boy.(そういう事)』
鬼柳は、光琉からワンピースを取り上げると、さっさと別のロケバスの中に透耶を連れ込む。
「恭ってば!」
透耶がまだ納得出来なくて抵抗しながらそう言うと、鬼柳が素早く透耶の口に人差し指を当てる。
『In English. I said.(英語喋れって言っただろ)』
真剣に言われて透耶は頷くしかない。
こうなると鬼柳は止まらない。
透耶は、やっと諦めがついて、はあっと溜息を吐いた。
これは俺が諦めるしかないよな……。
『Got it.But look at me.It won’t take any minute to guess who I am.More than that. I don’t go well with your style. Just somewhat different.(…解った。でも、俺がこのままだったら絶対バレるってば。それに、イメージじゃない)』
やるとなったらきっちりとやりたくなるのが透耶の性格。自分が書いた作品というだけあってこだわりはある。
何よりイメージを崩してしまう事だけはしたくない。
それは鬼柳にも伝わって、透耶がイメージしているようなのを思い浮かべる。
『Well. let me think….(んー。そうだなあ)』
鬼柳はクルリとロケバスの中を見回して、ニヤリとしてあるモノを取り出してきた。
鬼柳が持ってきたのは、ロングヘアーの鬘。
一瞬、固まってしまう透耶。
やっぱりヅラか……。
だよな、それしかないよな……。
できれば、CGとかで編集してくれないかな……。
なんなら、顔にモザイクでも……。
意味不明な事を考え込んでしまう透耶。
『And this one. Here you are.(じゃ、これも)』
それを差し出されて、透耶は深く溜息を吐いてしまった。
鬼柳も自分の女装を見たくて甲斐甲斐しくやっているのだろうか?と思ってしまう。
『Kyo. do you want to see me in a dress?(恭は、俺の女装が見たいわけ?)』
透耶がワンピースを見てそう言うと、鬼柳が視線を上げた。
『You in a dress? Well. once maybe.You told me to show once. but you haven’t yet.(ん? まあ、一度は見たいかな。見た事ないし。それに透耶、一回見せてくれるって言った)』
鬼柳は簡単に答えた。
まるで、行った事がない観光地にでも行ってみようかというような軽い口調だった。
確かに生返事ではあったが、そんな約束したような気がして、透耶はもう完全に諦める事にした。
鬼柳が渋々、光琉の条件を呑んだのも、もとはといえば透耶がきちんと光琉に真実を話さなかったせいでもある。
それに鬼柳を巻き込んでしまったのは自分。
鬼柳が人物を撮るのが嫌だというのに、それをさせてしまうのも全部自分のせいなのだ。
『Just for once. OK? (一度だけだよ?)』
透耶がそう言うと、鬼柳は透耶の考えを読み取ったように少し笑って言った。
『Don’t think too much. Just for once for me too.(あんまり考えるなよ。俺も一度だけだからな)』
そして安心させるように額にキスをする。
……もう、何で考えてる事、解ったんだろう?
『OK. Toya. let me dress you up. Let’s do it.(さてと、透耶。着替えさせてやる~着替えような~)』
透耶に服を着せるのが好きな鬼柳は嬉しそうにワンピースを広げて言った。
それを前にして透耶は素直に頷いた。
『…..All right.(……うん)』
透耶があっさりと頷いたので、鬼柳は驚いてしまう。
いつもなら、自分で出来ると言って怒鳴るのにだ。
『Why. you are so obedient.(あれ? いやに素直だな)』
反応がおかしいなあと鬼柳が不思議な顔をしていると、透耶は言った。
『’Coz ……I don’t know how to wear it. (だって…着方が解らないから)』
透耶がそう答えると、鬼柳はニコリと微笑む。
『Trust me. I can handle that.(大丈夫だ、俺に任せろ)』
……なんで、恭がワンピースの着せ方を知ってんだ?
とは踏み込んで聞けない透耶。
嬉々として鬼柳は透耶の服を脱がしてワンピースを着せる。
色は淡いブルーで、丈は透耶に合わせているのだろう、踝まであるロングなものだ。
それが終わると、鬘を付けて出来上がり。
『There left a makeup.We have specialists here.So. let’s leave it to them.(後は化粧だな。あれは専門がいるから任せよう)』
鬼柳は言って透耶を抱き上げる。子供をだっこするような感じで、透耶は慌てて鬼柳の首に手を回す。
透耶が与えられたのは、ワンピースだけで、靴がなかったからだ。
……てか、何で化粧まで出来るんだ?
とは、ワンピースの着せ方以上に聞けない透耶である。
鬼柳が透耶を抱き上げて出てくると、周りはしーんと静まり返った。
最初にロケバスの周りにいたスタッフが言葉を失ってポカーンと口を開けて透耶を見ている。
鬼柳が透耶を連れて行く先々でそういう現象が起こっていた。
『Kyo……(…恭)』
透耶が不安そうに、鬼柳に聞く。
『Eh? (ん?)』
『Seems like everyone is stunned.I knew it. I knew it would look ugly.(なんか、皆固まってるんだけど。俺、やっぱり似合ってないんだよね)』
透耶がそんな感想を言ったものだから、鬼柳は笑ってしまう。
『No one feels so….except you.(そんな事を思ってるのは透耶だけだよ)』
透耶は似合ってないから皆がおかしな顔しているのだと思い込んでいる。
鬼柳が大丈夫だと言っても、やっぱり表情が固まっている人達を見ると透耶は不安でしかたない。
『Kyo. don’t I look ridiculous ?(ねえ、本当におかしくない?)』
『Not at all.(全然)』
さすがに、似合い過ぎてて、と言ったら怒られそうだから黙っていようと鬼柳は思っていた。
鬼柳が透耶を光琉が化粧して準備しているところへ連れて行くと、光琉までもがポカンとして透耶を見ている。
まさにあんぐりである。
「こっちも準備させてくれ」
鬼柳は言って透耶をそこへ降ろした。
ちょうど光琉も裸足だという設定なので、そこにはシートが引かれている。
透耶はそこへ降ろされても、まだ不安で鬼柳に聞いた。
『Kyo. Mitsuru is also stunned…(…ねえ、光琉も固まってるんだけど…)』
『He’ll be OK. Let him do his work.(大丈夫だって。綺麗にやってもらえ)』
鬼柳は透耶の頬にキスをして、自分の担当する場所に行ってしまう。
綺麗にしてもらえと言われても、ヘアメイクさんさえ固まっているのだ。どうすればいいんだよと言いたい透耶。
不安になった透耶に、最初に話し掛けてきたのは、やっぱり光琉だった。
「びっくりした。斗織がきたのかと思ったよ」
光琉はそう言って、深く息を吐いた。
光琉は透耶とは違い、斗織が苦手だったから余計に驚いただけだったのだ。
『Do I look like her that much?(そんなに似てる?)』
透耶は英語のままで話し掛けたがニュアンスで光琉には伝わる。
「……似てる。恐ろしいくらいに似てる。鏡見てみろよ」
言われて透耶は鏡を見る。そして固まる。
「ほらな。自分でも思うだろ?」
慣れてきた光琉は笑っているが、透耶は冷や汗タラタラである。
……ヤバイ。
カツラ付けただけでこんなに似るなんて…。
『……This may be crucial in a certain sense.(…………これは、違う意味でヤバイかも)』
鏡に向かって呟いてしまう。
自分だとはバレなくても、斗織だと勘違いされて斗織に迷惑がかかるからだ。
「まあ、成るようにしかならないって、諦めな」
光琉は言って、放心しているメイクを我に返して幾つか指示を出した。
透耶はメイクされている間、ずっと「綺麗」だとか言われ続けてたのだが、どうしても意味が解らない。
……なんで女装している男が綺麗なんだよ。
と悩んでいても仕方がない。
ここのスタッフの大半は、透耶が男だという事を知らないどころか気が付かなかったのである。
化粧が済んだ頃にまた鬼柳が戻ってきた。
『Wow. you look beautiful.(お、綺麗にやってもらったな)』
鬼柳は言って、また透耶を抱き上げる。
透耶も慣れたように鬼柳の首に手を回す。
『Feels really bad.Do women put this thing on every day? Can’t believe they don’t mind.(…すっごい、気持ち悪い。こんなのを女の人は顔に毎日塗ってるの? よく平気だよね…)』
化粧した顔に触ると光琉に注意されていたので触れないが、まるでお面でもしているのを外したいというジェスチャーで透耶は言った。
『Well. that’s another part of the women’s marvels.(まあな。それも女の凄い所なんだろうな)』
鬼柳は苦笑している。
『This lasts only for a day. doesn’t it?(これって、今日一日で終わるよね?)』
透耶はハッとしたようにそう言った。
もう一回これをやれと言われたら、死んだって御免だ、と思ったからだ。
『I can finish this off today.I assure you.So. you keep up too. Toya(大丈夫だ、終わらせる。だから透耶も頑張れよ)』
鬼柳はニコリとして言ったので透耶も笑って言った。
『Same to you.(恭も頑張って)』
そう言って見つめ合っていると。
「こらー、そこイチャイチャしてないで、早く来る!」
光琉がスタッフ達と打ち合わせしながら手を振っている。
透耶と鬼柳は顔を見合わせて、クスリと笑って光琉達の元へ急いだ。
撮影に入る前に軽く内容に関して説明をし合う。透耶は自分の作品だから、そのイメージがあるし、光琉にもイメージがある。原作を読んだ鬼柳は、脚本された小説も読んでイメージをしている。
その違いを言い合って、一番いい形で納めていく。
大抵は重なったイメージで、少々違う所を修正してから撮影に入る。
鬼柳は大抵の事は自分で出来るのだが、やはりやり方が違うので、逐一確認しながらやっている。
それも普段の表情とは違う、真剣な仕事をする顔。
透耶はそういう鬼柳を見るのは初めてだったので、新鮮な気分だった。
「あの人真剣だなあ」
光琉がそう呟いた。
もっと軽くやるか、適当にやってしまうかと思っていた。それが真剣で、仕事である以上はきっちりとやるタイプだったのには驚いていた。
『Mmm? 「いつも写真撮る時は真剣だよ」Ah. I should have said that in English.(ん? 「いつも写真撮る時は真剣だよ」と、日本語駄目だったんだ)』
側には誰もいないので別に構わないが、鬼柳に言われた事を守ってしまう。
多少は英語の解る光琉は、透耶がこれほどまでに喋れているのにはもう驚きしかない。
成績はよくても、それは喋ったり日常会話をしたりするのとは違い、ただのテストの為の暗記でしかなかったからだ。単語やらを暗記しているからと言って、たった二ヶ月でここまで喋れる人はいないだろう。
「いつから英語やってたわけ?」
『Mmm. since April.(んー。4月から)』
「あいつの為?」
光琉は冷やかしで言ったのだが、透耶は素直に頷く。
『That’s right.(うん)』
それが凄く幸せそうだったので、光琉も呆れてしまう。
「あ~あ~、幸せそうにしやがって」
『I am.(幸せだよ)』
透耶は最高に優しい笑顔で頷く。
そういう顔をさせるのは、全て鬼柳のお陰だ。
光琉でさえ、こんな透耶は見た事はない。
「それならいいんだけどよ」
『Thank you for saying so.(ありがとう)』
またニコリと笑うので、光琉は自分の兄ながらも、こいつヤバイなあと思ってしまった。
自分は兄弟だと認識があるから大丈夫だが、これが他人だったらまず落ちないヤツはない。
たった二ヶ月会わなかっただけで、自分の兄は、まさに玲泉門院の特徴である、誰でも魅了するという、無くてもいい魅力が全面 に出てしまっているのである。
前は、存在感があるくせに、空気のように存在を消す事も出来ていたのだが、今はそれがなく、存在感だけが圧倒的に出ている。
そういう透耶にしてしまったのは、鬼柳の愛情からなのだろうが。
そう光琉は思って。
……あいつも苦労してるだろうなぁ。
などと考えてしまった。
ただボーっとしているだけの透耶だが、それは端から見れば堪らない魅力になってしまう。
鬼柳の方を見ている透耶は、本当に綺麗だった。
ふと、鬼柳と視線が合うと、透耶はニコリと微笑む。
カメラで撮られているという意識など何処にもない。
「ふーん、そうやって誘ってるんだな」
光琉がそう言ったので、透耶は光琉の方を振り返った。
『Mitsuru?(光琉?)』
何の事を言っているのだろうと、不思議顔の透耶。
……無自覚ときてやがる。
この笑顔に逆らえる奴など、数える程しかいないだろう。光琉の場合は意識して笑顔を振りまいているからまだいい。しかし、透耶は無自覚で誰にでも同じように笑顔を振りまく。
だから惑わされる人間も多いはず。
だが、それは鬼柳が側にいる事で、多少は押さえられているという感じだ。
……まあ、番犬みたいなものか?
「お前さ、自覚ないわけ? もう色気フェロモン振りまくり過ぎ」
光琉が呆れてそう言うと、透耶は尚も不思議顔。
『Pardon?(は?)』
……意味解らないんだけど?
……色気フェロモン振りまくるって、恭の方とかじゃないの?
うーんと透耶は考え込んでしまう。
「自覚ゼロと……。あいつ苦労するよなぁ」
透耶に寄ってくる、もしくは好意を持ってしまう相手を吟味しなければならないのが鬼柳の役目なわけだ。
しかし、光琉は気が付いていた。
鬼柳が側にいるからこそ、透耶は今の状態になっている。それは双方にとって危険な事であり、これからも何か不吉な事が起こる可能性が高くなってしまう事。
それを透耶が気が付いて無い訳がない。
あえて忠告はしまいとは思ったが、一度言っておく必要がありそうだと光琉は思った。
早く、出来るだけ早く、離れてしまうべきであると。
「てめーら、黙ってやれ!」
喋っていた二人に鬼柳が怒鳴った。
透耶と光琉はビクッとして背筋を伸ばして返事をしてしまう。
「はいー!」
『Aye. aye. sir !(はい!)』
とにかく、今日中に終わらせると言った鬼柳の言葉は嘘ではなくて、本気でやっている為、無茶苦茶厳しいし容赦がない。
透耶がピアノの音にこだわるくらいに、鬼柳にも撮るものにはこだわるらしい。これだけのこだわりがあるのに、撮った後には一気に興味を失う。
変である。