「うん、まあ、あれは俺が原因なんだけど。俺、こういう仕事してるだろ? だから周りに人がいっぱいいるわけよ。で、色んな奴がいるだろ。その中にショタが趣味なのがいてよ、やたらと俺にまとわりついてたんだ」
「そいつが何かしたのか」
底冷えするような声で鬼柳が言った。
こえーよ!マジで!
まだ、事件の事話してないのによー。
こいつ、本当に透耶の事好きなんだな……。
透耶の事に異常に反応する鬼柳の姿を見て、自分以上に過剰反応する男が妙に頼もしい存在と思えてしまうのは、鬼柳があまりにストレートで、嘘を付かないという所にあるのかもしれない。
光琉は、まあまあと鬼柳を宥めてから話を進めた。
「俺に怒らないでくれ……。その日、透耶は熱を出してたんだ。風邪薬飲んで寝てた、そこへショタ野郎が、家まで押し掛けてきた。ちょうど柚梨(ゆり)さん、母さんね、買い物に出てた隙に家に入ってきたらしい。前の日に、俺がそいつにショタが趣味なんだろう、変態って言って罵ったから、そいつ、仕事干されたんだよ。その仕返しに、俺をどうにかしてやれって思ったらしい。で、そいつ、寝てる透耶と俺を間違えて、透耶に手を出した。もちろん、未遂だよ。ちょうど、透耶の服を脱がせて身体を触っている所で、彼方(かなた)さんが帰ってきて、取り押さえたんだ」
今思い出しても鳥肌と怒りがある内容だ。
小さな子供を40を過ぎた男が犯そうとしているのだから。
「………殺す」
鬼柳がうなり声を上げて言った。
光琉も頷いてしまう。
二人の怒る所は同じなのだ。
「うん、俺も思った。けど、そいつ、社会的に抹殺されたも同然だからね。ただ、透耶はその時の事を覚えてない。なのに、身体が覚えているんだ。両親が抱き締めると狂ったように暴れるし、俺でも同じ。最後には奇声を上げて気絶する始末。もうお手上げさ。薬だって吐き出すし、粉末を水とかジュースに溶かして、騙して飲ませるしかないんだ。たぶん、薬を飲んだ後にそういう事があったのを無意識にでも覚えてるからだと思う。抱き締めるのも同じ理由だろうって」
光琉の話を聞いて、鬼柳は少し考えた。
確か、光琉が透耶のアルバムの中で映らなくなっていったのは、小学校高学年からで、中学校は映ってなかった。
つまり、光琉は光琉なりにこの事件の事を考えてたのだろう。
「だから、透耶の側から離れたのか?」
鬼柳がそう言うと、光琉はニコリと笑った。
その笑い方は、透耶の話が鬼柳に通じた時に出る笑顔と同じだった。
鬼柳は、透耶と光琉を見間違えないとは言い切ったが、こういう些細な仕種や表情がこれほど似ているのには少し驚いていた。
「あ、解る? 理由はそれ。俺が目立つと透耶も同じように目立つ。だけど仕事を辞めたら透耶が怪しむし、お祖父様の期待を押し付けたのに、今更辞めますなんて言えないよ。だから、側にいない方がいいと思ったんだ」
光琉は少し寂しそうに言った。
その表情は、透耶がピアノを辞めた事件の事を話す前の、寂しそうな表情とよく似ていた。
「……それで、透耶は触れるのには慣れなかったのか?」
「ううん、そうでもないよ。あれだけ拒絶してたのにさ、斗織とか葵さんとかなら触れるんだ。ひでーと思わないか?」
「その基準は何なんだ?」
斗織、葵、その名前は玲泉門院関係でよく出てくる名前だ。
どういう共通点があるんだろう?
「さあ? 未だに解らない。あんたと斗織と葵さんに共通点は見えないしな。で、それから自分からなら人に触れるようにはなったけど、こっちからのスキンシップは出来ない。特に透耶と同じ歳以上の人だと駄 目だな。子供とかなら向こうから抱きついたりしてきても大丈夫みたいだけど」
光琉は言って水を飲んだ。
鬼柳は、何本目かの煙草に火を付けた。
「ああ、だから今日、あんなことになったのか」
道理で、感動の再会にはならなかった訳だ。
鬼柳は納得してしまう。
透耶の話では、光琉の異常なまでのブラコンぶりが発揮されているように見えるが、実際はそうではない。透耶が知らない原因があるからこそ、光琉は細心の注意を払って、透耶を気遣っているのだ。
光琉は笑って、両手を広げて掌を見つめながら呟いた。
「解った? 本当は抱き締めたかったんだけど」
それは出来ないから、と寂しそうに言う光琉に鬼柳は言った。
「やってみればいい」
鬼柳が唐突にそう言ったので、光琉は驚いた顔になり鬼柳を見た。
「え?」
「抱き締めてやったらいい。透耶はもう大丈夫だ。人に触られても暴れたりしない」
鬼柳がハッキリと言った。
「本当か?」
光琉は信じられない事を言われた気がした。
今まで10年も叶わなかった事が、いきなり叶ってしまうのだ。何度も確認してしまう。
「ああ、結構人に触られてたが、暴れた様子はなかったぞ」
最初の一週間は鬼柳しか触れなかった。誘拐されて帰ってきてから色んな他人と関わった。それでも透耶はそんな素振りはしなかった。一度として。
それは、透耶が鬼柳に触れられる事で、他人に触れられる事はそれほど嫌な事ではないと、誰かを抱き締めるのは、その人が好きな証拠だと理解したからとは、誰も気が付いてなかった。
「……嘘。いや、本当なら、あんたに感謝しなきゃならないな」
光琉はまだ信じられない顔をしていたが、それが本当なら、この憎いはずの男に感謝しなければならない。
唯一、透耶が自分に触れる事を許した他人に。
光琉はそこまで考えて、透耶がどれほど鬼柳を信頼しているのか試したくなった。
「そうだ。透耶はアレを話した?」
「ああ、呪いか」
鬼柳は何でもない事のように即答で言い返す。
アレと言って、呪いという言葉が出てくるということは、透耶がきちんと話をし、鬼柳がそれを受け入れて、それでも透耶と一緒にいる事を選んだ事になる。
やっぱりこいつ何でも知ってる。
光琉は更に質問を続けた。
「話してるんだ。なーんだ。それじゃ手首の怪我の事もピアノの事も全部か」
「変な歌もな」
ニヤリとして言われたので、光琉は苦笑してしまう。
「やっぱり、あいつ歌いやがったんだ。たくっ、それじゃ俺が何言っても駄 目じゃんか」
反対する理由がない。
全部知っても受け入れて、更にまだ守ろうとしている。
そういう奴、他にいやしない。
出来れば、透耶全てを受け入れてくれる人が現れないだろうかと、光琉は思っていた。それが今目の前にいて、それは透耶が選んだ人なのである。
それを認めないといって反対する権利は光琉にはない。
「じゃあさぁ」
「ん?」
「あいつさ、家の事とかも話すだろう?」
「まあ、聞けば話してくれるけど。大体は透耶から話して聞かせてくれる。状況に寄りけりだから、俺もまだ知らない話はあるだろうな」
「あんた聞き上手なんだ。話したくなる雰囲気を作るのが上手いんだ」
光琉がそう誉めると、鬼柳はスッと視線を逸らした。
その行動に光琉は首を傾げた。
この男にしては、珍しい反応だ。自信満々で、犯罪な事までやってのけても平然と話す奴が、こうして黙り込む。
光琉がジッと見ていると、鬼柳は溜息を吐いて呟いた。
「そうでもない。一度失敗したからな」
それを思い出したから、鬼柳の表情が暗くなる。
光琉はその様子で、鬼柳が何をやったのかすぐに理解した。
「ん? 何だ? もしかして、あんたもハマったんじゃ……」
「ハマる?」
「うーん、それは俺の言い方なんだけどさ。相手に溺れるって事で、それしか見えなくなるんだけど、ある日、ピンってどっか切れるんだ。感情でも何でもいいんだけど、人間としての一部がイカれる、タガは外れると言った方がいいのかな? だから、あんたの場合は、透耶しか見えなくなって、こいつがモノにならなきゃこの手で殺してしまおうと思ってしまう事を、俺はハマるって言っている」
光琉の説明は、まさにそれだった。
鬼柳の症状と同じだ。
「……なるほど。解る。俺もそう思った。そういう事はよくあるのか?」
鬼柳がそう聞くと、光琉は即答した。
「よくある。とはいっても、これは玲泉門院(れいせんもんいん)関係なんだけどな。この家系で多いのは事故死だけど、殺される事も多いのは知ってる?」
「3代前までなら聞いた」
「うん、それくらいまでなら、事故死だな。その前までは、結構恋愛沙汰で殺される事も多かったんだ。時代が時代だから、異様な執着を持つ奴が多かったんだろうけど、独占したくなるんだ。こいつを誰にも渡さない、他に取られるくらいなら殺してしまおうってね。うちが親族が少ないのは、その辺にも原因があるんだよ」
苦笑するように光琉はそれを話した。
透耶からは、そんな話はされなかったので、鬼柳は聞き入ってしまう。どうやら、玲泉門院関係でも、透耶が知る話と、光琉が知る話は色々と別 にあるらしい。
こうなると、唯一玲泉門院の名を語る、葵(あおい)という人物に会わなければならないと思った。
「この話は透耶は知らない。あんただから話すけど。実際、斗織も葵さんも、命を狙われる事は多い。その原因が、誰かを好きになったり気にかけたりしている時が多い。透耶があんたを思ってれば、それだけ周りが放っておかないって事。それに透耶みたいなのはタチが悪い。あれは、異常に人を引き付ける力があるから、はっきり言って俺よりヤバイよ。今の透耶は特にそうだ」
光琉の説明で、鬼柳は険しい顔をした。
ハッキリいって、まだ何かあるのか玲泉門院!という所であろう。
今までの騒ぎも全部透耶が被害者になっている。それが全部玲泉門院の血のせいだとは言えないが、それでもこう言われると妙に納得してしまうのも事実だ。
「……まったく、面倒臭い呪いだな」
鬼柳は舌打ちをして言った。
「それが全てを与えられた者への宿命って所かな? でさ、あんたよく透耶を殺さなかったね」
感心したように言われたが、鬼柳はバツが悪そうに言った。
「出来なかったんだ。そのかわり、滅茶苦茶怒られたし、泣かれた。あんな事は二度と御免だ。だから、透耶の話はちゃんと解るまで聞く事にしている」
鬼柳の台詞の中で光琉は口をあんぐり開けて、鬼柳を指差した。
「怒って、泣いた!? 透耶が!? うわ!あんたよく捨てられなかったねえ!!」
本当に、そう思っている口調だった。
「……何だそれは」
「あいつ怒ると怖いよー。だって笑顔だぜ? 笑って怒ってて言葉が刺さるんだぜ? あいつ怒ってる時、最高に優しい顔して怒るんだぜ!! 油断したら、ザックリ人の心臓掴むような言葉吐くし! いつまでも覚えているし! それで嫌いになったら完全無視するんだぜ! そいつがもう自分の世界には存在してないってみたいによ!」
鬼柳は、確かに怒った時の透耶は怖かったよなぁと思ってしまう。
だが、それ以上に綺麗だと思ってしまい、跪いてでも何をしてでも、自分という存在を否定しないで欲しいと、真剣に思ったものだ。
鬼柳がそう思っている前で光琉はまだ信じられないと、鬼柳を指差して叫んでいる。
「しかも泣かせた!? 俺、あいつが泣いたのなんか小学生時代しか知らないよ」
透耶は昔は泣き虫だった。事あるごとに泣いていたのだが、ある日いきなり泣かなくなった。それから両親が死んでも、何があっても透耶は泣かなくなった。でも怒る事はする。ただしそれは光琉に対してだけの事だった。
「そうか? まあ、最初は泣きそうな顔はしてたけど、なかなか泣かなかったなあ。最近はよく泣くけど」
まさか最近も泣かせたとは言えない。
「あんたの前なら泣けるんだ……なんだ、結局そういう事か。ああもういいや。勝手にやってくれ」
光琉は手を振って、呆れ顔で言った。
抱き締めても平気で、鬼柳の前では平気で泣ける。そんな人物が現れるとは思わなかったが、実際に目の前にいる。
透耶が選んだ、最初で最後の愛しい人。
それを光琉に反対する権利はなかった。
光琉が願ったのは、透耶が幸せになる事、それだけだったのだから。
呆れ果てた顔をしている光琉を鬼柳はジッと見て言った。
「お前は、約束の一人じゃないのか?」
鬼柳が言った言葉が解らなかった光琉は、キョトンとして見返した。
「何の?」
「呪いの」
その言葉だけで、光琉は鬼柳が何を言いたいのか理解した。
「ああ、それは俺じゃない。んー、話の中には何度も名前出てきてるけど、それが誰なのかを教えるのは簡単。だけど、直接会った方が面 白いぜ。どうせ、向こうも会いたいとは思ってるだろうし、必然的に会う事になるよ」
光琉がそう言った所へ、ドアが開いて嘉納がやってきた。
「光琉、モデルの子がどうも事故に巻き込まれたらしくて、こっちへこれなくなったそうだ。今日は、先にモデルを使わない所をやるから、着替えて」
「解りましたー」
鬼柳はそれを聞いて、立ち上がった。
嘉納の横を通って、部屋を出て行く。
嘉納は、鬼柳をジッと見送って、呟いた。
「いやー、凄い迫力だなあ。光琉、よく二人っきりで話してたな」
「話し方を間違えなきゃ、割に話しやすいぜ」
光琉は何でもないという風に言って、着替えを始めた。
内心、あんな危ないのをよく制御してるなあ、透耶……である。
鬼柳が撮影室に戻ると、透耶はさっきの椅子に座って、いつの間にか設置されたテーブルに凭れて顔を伏せていた。
隣に座ると、透耶は瞑っていた目を開いた。
「どうだった?」
「全部話してきた。光琉の話し方、透耶に似てる」
鬼柳はそう言って笑っている。
「そう……だね」
鬼柳の様子を見ていれば、話し合いは結構上手くいったのは、一目瞭然だ。
ただ鬼柳の事だ。
透耶のように誤魔化して嘘を言ったりはしないで、何をしたのかを全部話してしまっただろうと透耶は思った。
「ごめんね」
透耶がそう言ったので、鬼柳はキョトンとしている。
「何で謝るんだ?」
本当に意味が解らないという顔だ。
「……うん、全部に」
透耶は言って目を瞑った。
透耶が何で謝っているのか、鬼柳には解っていた。
自分で真実を話す勇気がなかった事を、透耶は後悔している。
男を好きなったという事だけでも、光琉からすれば怒るポイントなのだろう。透耶はそこだけ認めて貰えれば、自分に起こった事は話す必要ないと考えていたらしい。
透耶らしいといえば透耶らしいのだが、光琉のブラコンは度が凄いという事を忘れているのか気が付いてなかったのが誤算だろう。
……いかんなあ。また減り込んでる。
鬼柳は頭を掻いてから、思い付いたように透耶に言った。
「なあ、あれ見てきてもいいか?」
鬼柳が指を差しているので、透耶は身体を起こしてそっちを見た。
「ポラロイド? いいんじゃないかな?」
透耶は言って立ち上がった。鬼柳も後ろを付いてくる。
ちょうど、光琉を試しに撮ったポラロイドがあるテーブルに、女性達が溜っていたので透耶が話し掛けた。
「すみません、これ、見てもいいですか?」
透耶の話し掛けに、話をしていた女性達が一斉に透耶と鬼柳に視線を向けた。
「あ、光琉のお兄さんだ。どうぞ」
さっきの騒ぎを見ていたので、透耶が光琉の兄である事は、ここでは知られているらしい。
「ありがとうございます。恭、見てもいいって」
透耶がそう言うと、鬼柳は少しだけ女性達に頭を下げてから写真を手に撮って見始めた。
「双子って言ってたけど、なんか雰囲気が違うね」
女性は透耶をジッと見つめてそう言った。
「え?」
透耶は自分に話題が向いていたいので、驚いて女性達を見下ろした。
「言い方悪くてごめんねだけど。何か、色っぽいのよ……」
「はあ……」
その色っぽいってのは何な訳?
さっきから、妙にそう言われる透耶には、自覚はない。
「ねえ、君は光琉みたいに芸能人とかやらないの?」
やればいいのにとは進めない所が、さすが光琉関係のスタッフという感じだろう。
「いえ、俺は苦手なんで……」
透耶が苦笑して、やんわりと断わろうとしたが、女性達は透耶を放っては置かなかった。
椅子から立ち上がって、4人全員で透耶をペタペタと触り始める。
「あらら、咲ちゃーん、この子、光琉みたいに肌が綺麗よー」
「うわ! これ、波崎さんが燃えるわよ」
「きゃー、髪も柔らかいー」
「ねえねえ、目が綺麗よー。こっちは光琉と違うー」
その触り方が、どうも商品を扱うやり方だったので、透耶は殆ど抵抗出来ずに玩具にされていた。
「なあ、これ使っていい?」
散々触られている透耶を少し庇いながら、鬼柳が側に置かれているポラロイドカメラを指差して女性に聞いた。
いきなり話し掛けられて、女性達はポカンとしてしまう。
そりゃ、190センチもある男が上から鋭い視線で言ってきたら固まるだろう。
一人が意外に早く我に返って言った。
「え、ええ。これなら大丈夫。あたしが使ってる奴だから」
いくつかあるカメラの中から、女性がポラロイドと取り、鬼柳に渡した。
「ありがとう」
鬼柳はカメラを受け取ると、女性がうっとりするような微笑を浮かべて礼を言った。
「あ、いえ。あの、何に使うんですか?」
ポラロイドをいきなり使いたくなる理由が解らず、女性は尋ねた。
「ん? あそこも借りていい?」
鬼柳はさっきまで光琉が使っていた撮影場所を指差して言った。
「え、ええ、今は使ってないからいいですけど……」
女性は、鬼柳が何をやりたいのかがさっぱり解らない。
「そうか。透耶、あそこに立って」
使用許可が出て、鬼柳はニコリと微笑む。
「は?」
いきなりあそこに立てと言われて、透耶はキョトンとしてしまう。
「何? 撮影するの?」
「うん。駄目?」
「いや、駄目じゃないけど……」
「じゃあ、立って」
鬼柳は撮影場所を指差してニコリとして言う。
何か、問答無用って感じなんだけど……。
透耶はそう思ってハッとした。
もしかして、こういうのに興味を示したんじゃないか。という事である。
鬼柳がこういう仕事に、しかもカメラに興味を示した事は、透耶にとっても嬉しい事である。
「うん、解った。立てばいいんだね」
透耶は鬼柳について撮影場所へ向かった。
当然、これを見逃すはずがないのが女性達。
「咲ちゃん、照明やって!」
「らじゃ! 美佐さんカメラ補助!」
「オッケー」
女性達も二人の後を追って撮影場所へ向かう。
「あの、これ靴脱いだ方がいいですよね?」
透耶は撮影場所を見つめて、どうもこれは土足はマズイだろうと思ったのだ。
光琉が使っていた時は裸足だったからだ。
「うん、そうね」
女性が頷いたので、透耶は靴を脱いで上がる。
咲は、鬼柳がカメラを構えているのを見て、照明がこれでいいのかという指示を受けていた。
透耶は取り合えず立って、鬼柳の方を見つめていた。
フッと目が合うと、鬼柳がいつも以上に真剣な顔をしているのに気が付いた。
あの沖縄で空の写真を撮っていた時のような眼差し。
鬼柳は本気だ。
透耶は瞬時にそう感じた。
「透耶、こっち見て笑え」
鬼柳がいきなりそう言った。
周りにいた女性は、いきなりそれは無理だと思ったのだが、次の瞬間、透耶がニコリと笑ったのである。
物凄く優しい笑顔。
「うわ。凄い」
見ているだけになった照明の咲と、残りの二人は驚いて声を漏らした。
「ねえ、あの子素人よね?」
「う、うん。そう思うんだけど……」
「だったら、あれなによ。撮られ慣れてるじゃない」
そう言った先では、鬼柳の指示に従って色んな表情をする透耶がいた。
鬼柳が真剣であるのは解っていた透耶だが、途中から会話が英語になっているのに気が付かない程だった。
変な撮影が始まって、食事を取りにいっていた人達が戻ってきたが、その人達も何も言わずにそれを見つめていた。
その中に光琉もいた。
内心、ちょっと待てよ、である。
「透耶……写真嫌いなのに……」
透耶が光琉と同じ道に進まなかったのは、ピアノの事もあったが、何より写 真に撮られる事が嫌いだったのが一番強い。
家族とか、光琉が撮る分には嫌がりはしないのだが、その他の写真はすごく嫌がった。
まるで、自分が写っているモノが残るのを嫌がるかのようだった。
それが平気で写真を撮ってもらっている。
鬼柳は真剣だが、透耶はリラックスしている。
たぶん、これが初めてではないと光琉はすぐに解った。行方不明の間、透耶はずっと鬼柳に写 真を撮ってもらっていたからこそ、こういう所でも簡単に撮らせるのだ。
いわば、慣れ。
何だ、結局、そいつならいいんだ。
光琉はそんな感想しか浮かばなかった。
「でも、透耶はいつから外国人になったんだ?」
英会話をしている二人を見て、光琉は呟いた。
『Is this what you want to do?(こういうのをやりたいの?)』
透耶は鬼柳に聞いた。
少し期待をした言い方だったかもしれないが、鬼柳は何でもないとばかりに答えている。
『It’s a bit interesting but I’m not gonna do it for living.(ちょっと興味はあるが、仕事にしようとは思わないな)』
鬼柳はファインダーから覗いたままで、シャッターを切るのを忘れない。
『 Because?(何故?)』
……仕事にしないのに撮ってみてるのかな?
鬼柳がいきなりこういう所で写真を撮ろうとした意味が透耶には解らない。
『’Coz I’m not gonna be able to do it by myself.(だって、一人じゃ出来なさそうだし)』
『Yes. you can. with proper instruments. There are some who have a home studio.(出来るよ。機材さえ揃えれば、自宅撮影所を持ってる人もいるし)』
『 Is that so? (そうなのか?)』
『Yeah.Mitsuru told me that. Sometimes there are many people around like this. and sometimes there aren’t. with only two people. a model and a photographer. Do you wanna have a try?(うん。光琉が言ってた。こういう風に人が沢山いる所もあるけど、カメラマンと二人っきりなんてのもあるよって。恭もこういうのやってみる?)』
透耶はもう一度同じ質問をした。
だが返ってくる答えは同じだった。
『I don’t think so..(いや、やらない)』
『Why not?(何で?)』
思わず食い下がってしまう透耶。
『 I’d love to take photos of you. Otherwise. I don’t wanna take any except for news. (透耶が映ってない写真なんて、報道以外じゃ撮りたくない)』
鬼柳はいつもと変わらない答えを返してくる。
風景を撮るプロにならないのかと聞いた時も、やはり鬼柳は同じ言葉を言った。
『Well… I always wonder if it is fun to take pictures of ME.(ふーん。いつも思うけど、俺なんかとって楽しいの?)』
透耶もいつも聞いてしまう質問をした。
『Yeah.It’s fun whatsoever.(うん、無茶苦茶楽しい)』
鬼柳は初めてファインダーから目を離して透耶を見ると微笑んで答えていた。
『You must be the only one who says so.(変なの)』
透耶はそう言って苦笑してしまう。
いつもと変わらない会話である。
ちょうどポラロイドのストックが無くなった所で撮影は終わった。
「何枚撮った?」
撮り終わった写真の数を見て、補助をしてくれた女性に鬼柳が問う。
「全部で60枚です」
「じゃあ、後で精算してくれる?」
カメラを返しながら鬼柳が言うと、女性が何を言っているのか解らないという顔をした。
「は?」
「フィルム代。写真持って帰るから」
「え? あの、これ欲しいんですけど」
女性は、その中の一枚を差し出して、欲しいと訴えたのだが、鬼柳はにこりと微笑んで言い切った。
「あげない」
鬼柳は言うと、他の女性が持ってきた封筒にその写真を無造作に入れていく。
「鬼柳さん、俺にはくれない?」
光琉が並べられた写真の一枚を取って言う。
鬼柳が透耶を見ると、透耶は仕方がないという顔をしていたので、鬼柳は渋々という風に言った。
「……どうしてもと言うなら仕方がない」
光琉は笑って、その中の気に入った写真を数枚取ってから鬼柳に尋ねた。
「じゃあさあ、透耶と一緒の写真は撮ってくれる?」
どうもこの男は、透耶以外には興味がないという風なので、ただ写真を撮ってくれと言ってもやってくれないだろうという判断からだった。
もちろん、鬼柳がカメラに精通しているのは、見ているだけで解っていた。
光琉の頼みに鬼柳は少し考えてから答えた。
「まあ、撮らない事はないが……」
透耶が写っていて、それで透耶が楽しそうにしているなら、という条件がつくのは当たり前だ。
そういう鬼柳の反応とは余所に、透耶が不思議そうに光琉を見た。
「光琉?」
光琉は何かを考え込んでいるようで、写真を見つめたまま。暫くそうしていると、ニヤリとして透耶を見た。
「いいこと思い付いた。透耶、明後日もう一回来いよ」
いきなりそう言われて、透耶はキョトンとしてしまう。
「え? 何で?」
「あのなー。俺はまだ怒ってる訳で、お仕置きもしてねえんだよ。解るか? ああ?」
凄みのある声で言われて、透耶は頷いてしまう。
「……はあ、解りました」
こう答えるしか道はない。
「よし。次来たら、そいつとの事、チャラにしてやる」
光琉は笑ってそう言った。
「光琉?」
どういう流れでこうなるのかが解らなくて透耶は困惑してしまう。
「そういう事にしておいてやるよ。だから……」
光琉は言って、少し泣きそうな顔になって、透耶に抱きついた。
「? 光琉、どうしたの?」
光琉の思いも寄らない行動に驚いた透耶は、何があったんだとろうと首を傾げてしまう。
光琉は、10年振りに透耶を抱き締めた。
鬼柳が言った通りに透耶は光琉を拒否しなかった。
それどころか、抱き締め返してくれる。
「どうした、じゃねえ。もう、こんな心配、かけるなよ。どれだけ、心配したと思ってやがる。俺は、あの人達みたいに、割り切って考えられないんだ……」
光琉の切羽詰まった声に、透耶はどう答えていいのか解らなかった。
この弟が、自分が行方不明の間、どれだけ心配していたのかを考えると、ちゃんと言わなければならなかったのだが、それに答える言葉がなかった。
ただ、当たり前の言葉が出てきてしまう。
「光琉……ごめんね」
「……謝って済むと思うなよ」
「うん、ごめん」
もう一度透耶が謝ると、光琉が透耶の身体を離した。
「……たくっ。そういうところがムカつく。いいか、明後日、絶対来いよ」
本当にムカつくと吐きすてる様に光琉は言った。透耶はただ頷いた。
「うん」
光琉との再会が終わった帰り道。
嘉納に送って貰った駅で鬼柳が少し難しい顔をしていた。
鬼柳には珍しいくらいの無口だったので、透耶が鬼柳の顔を覗き込んで聞いた。
「どうしたの?」
「ん、いや、ちょっとな」
鬼柳は少し苦笑するようにそう言うが、透耶には意味が解らない。
「?」
キョトンとしている透耶を見て、鬼柳は溜息を吐いた。
どうもこれは光琉にハメられたな……。
明後日の事。
光琉があれだけで透耶を許すはずはないと、妙に深く考えてしまうのだ。何をやろうとしているのかは解らないが、光琉は何かを企んでいるはずだ。
透耶の小説を勝手に使う辺りからすると、もう既に何があっても透耶と鬼柳には断わる権限すらないはずだ。
そんな事を鬼柳が考えてると。
「恭。あの、ありがとう」
透耶がそう言った。
「ん?」
鬼柳が思考を切って透耶を見ると、透耶は視線を前に向けたままで、鬼柳の袖を少し引っ張って言った。
「光琉にちゃんと話してくれたでしょ? 俺、誤摩化してしか話せなかったから」
光琉に対して、嘘しか言えなかった透耶は、後悔していた。
そんな透耶の心を悟って、鬼柳が透耶が掴む手をポンっと叩いた。
「気にするな。礼を言われる事じゃない。透耶が嘘しか言えないような事を俺がしたってことだしな。誤魔化しなのは仕方ない」
鬼柳は笑って言った。
まさか、強姦されて監禁されて、拉致されて、それでも好きになりました、なので付き合ってます、と言い、それを光琉が認めたら奇跡に近い。
それに、あの光琉を誤魔化せるとは思えない。
透耶からその事実を聞いたとしたら、光琉は即座に二人を引き離そうと考えただろう。
ある意味、鬼柳から真実を話した方が、光琉には通じたはずだ。
鬼柳はそんな事を考えて、次に透耶が誰かにこの状況を素直に話さなくてはならない場合は、自分が全部話しをつけようと思った。
「でもさ、透耶。明後日覚悟しといた方がいいと思うぞ」
鬼柳がそんな事を言ったので、透耶は何の事だと顔を上げて鬼柳を見上げた。
「え?」
「あー、俺も覚悟しとくか……」
鬼柳は謎の言葉を呟いて、透耶と手を繋ぐとさっさと歩いて行く。
引きずられながら、透耶は一体何の事?と、何度も聞き返したのが、鬼柳は答えてくれなかった。
「え? え? 何?」
一人困惑する透耶である。
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