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「恭、今から出かけるんだけど」
透耶がご飯を食べながら言った。
ご飯をかき込んでいた鬼柳はふっと顔を上げた。
「何処へ」
真剣な瞳で見ている。
何故、一瞬でマジになるんだ……。
過剰反応らしい対応をされて、透耶はやっぱり黙って行けば良かったかと思ってしまう。
しかし、正直に話さないとたぶん部屋から出してくれなくなるだろう。
「出版社。打ち合わせだけど、手塚さんが社を離れられなくて、俺が出向いた方が早いから」
これは本当の事だ。
「解った、俺も行く」
鬼柳はそれで解決だとばかりに話を終わらせようとした。
ほら、だからあまり言いたくなかったんだ……
透耶は何とか一人で行こうと試みるのだが。
「電車で行くからいいよ」
「駄目だ。一緒に行く。車出す」
「一緒に来たって、面白くもないよ」
「いい」
全部否定ですかあ……。
いつでも、何処でも一緒というわけにはいかないだろうに、鬼柳は未だに解ってはくれない。
というか……。
俺に選択権はないって事ですかあ?
などと、透耶は悩んでしまう。
それから、結局鬼柳が同行する事で出かける事が出来るようになった。
案の定、鬼柳を置いて行こうとすると、鬼柳は部屋に閉じ込めると言い切ったからだ。
「そういえば……。恭、仕事はどうするの?」
透耶がいきなりそう切り出した。
ここへ来てからもう二週間経っている。周りも落ち着いてきたのに、鬼柳は未だに仕事の事などを話そうとはしていなかった。
「あ? ああ……それか……」
鬼柳は、今の今まですっかり忘れてたと言わんばかりの反応だ。
「まさか、仕事しないつもり?」
目一杯疑わしいという眼差しで透耶が見ると、鬼柳は少し困った顔をしている。
……しないつもりなんだ。
「お金はあるだろうから、仕事しなくてもいいかもしれないけど、そのまま俺にずっとくっついているつもりなの?」
怒っている言い方ではなかったが声に力が入ってしまう。
鬼柳は少し言いにくそうに言い訳をする。
「……しかし、家の事もあるし」
「それは宝田さんの仕事だよ。食事とかなら、俺だって自分の分くらい作れるし、通 いのメイドさんでも雇えば、雑用は任せられる」
透耶がそう言ったとたん、逃げ腰だった鬼柳が居直った。じろりと睨まれ、低い声で言った。
「メイドだと?」
これが禁句なのは解っていたが、それでもこの広い家を綺麗に維持していくには、業者の掃除だけでは毎日とはいかない。全て鬼柳や宝田にやらせる訳にもいかず、とはいえ透耶も仕事に入ると手伝う事も出来ない。
「何に過剰反応してるのか解らないけど、居た方がいいのは解るでしょ」
透耶はそう説得するが、鬼柳は素っ気無く言い放った。
「いらない」
鬼柳は完全に否定する。
透耶は溜息を吐いて、お箸を置いた。
「頭から否定してどうすんの。じゃあ、メイドが駄目な理由を聞いてもいいの?」
透耶がそう言うと、鬼柳も箸を置いた。
しかし、視線だけは透耶から外さない。透耶も睨み返していた。どれだけ睨み合っていたのか解らないが、鬼柳の方が先に折れた。
「とにかく、暫く出かける仕事はしない。そう簡単に見つかるものでもないんだ。今は、写 真の整理をしてるから、それが終わったら探す」
鬼柳が首を掻きながら、そう言った。
そう言われて、透耶はそれもそうかと頷いた。
職として、やはりカメラを続けて欲しいから、報道でなくても鬼柳が納得しなければ、仕事にはならないだろう。
「まあ、そうだけど。ちゃんと考えててよ。じゃなきゃ、俺もう知らないから」
透耶は言って、お箸を取ってご飯を再度食べ始めた。
鬼柳は既に食べ終わっていたらしく、お茶を入れ直しにキッチンへ行こうとしたが立ち止まって振り返った。
「知らないって?」
一体何を言っているという不思議顔だ。透耶は上目遣いに鬼柳を見て言った。
「家出してやる」
透耶の突拍子もない言葉に鬼柳の開いた口が塞がらない。
何でそうなるんだ……?
「……透耶。何だその脅しは……」
仕事をしない事を透耶が気にしているのは解るが、鬼柳が就職しないと透耶が家出するのかが解らない。
透耶はそんな鬼柳を放っておいて、勝手に話を進める。
「仕事をしない夫を持った妻が、生活に絶えかねて家出しちゃうんだ」
「……透耶?」
まったくさっぱり訳が解らなくなる鬼柳。
透耶なりに何かを表して意味がある事を言っていると思うが、それを理解する能力は鬼柳にはない。というか通 常の人にもないかもしれない。
鬼柳がじっと考え込んでいると、透耶がご飯を食べ終わって「ごちそうさま」と手を合わせた。そして、食べ終わった食器を集めてキッチンへ運ぶ。
簡単に油を洗い流して、食器洗浄機へ入れてセットする。
それが終わると、透耶は洗浄機の前に座って呟くように言った。
「家に縛り付けて、監視みたいになってて、行動も家の中以外は自由じゃなくて、俺って何なんだろう? そんなに信用されてないのかあ? そりゃ過労とかしちゃったし、仕方ないとは思うけど、今までだって一人でやってきた訳だし、少しは信用されたいよなあ」
別に今の環境に嫌気がさしてる訳でもない。鬼柳を批難している訳でもない。
ただ、透耶は、自分が行動する事を信用して欲しかっただけ。
行動を制限されている事には慣れている。昔からそうだったから。好き勝手やらせても貰っている環境でもある。
だけど好きな人にくらい、少しは信用して欲しい。
ずっと鬼柳が側にいて守ってくれるのは嬉しい。でもそれに慣れてしまったら。少しでも離れる事が怖くなったら。
それが地獄に落ちる程の喪失感があったとしたら。
空いた穴を埋めるのは難しい。
透耶はそれを恐れている。
だから、今まで通りとはいかなくても、せめて一人で行動する事に慣れなければならないと思っていた。
座り込んでいる透耶の側に鬼柳が立っていた。
「……信用してない訳じゃない。俺が安心出来ないだけなんだ」
鬼柳はそう言って座り込んだ。
「?」
透耶が驚いて振り返ると、そのまま抱きつかれた。
何?と透耶は驚いたが、鬼柳は透耶の肩に顔を埋めて、身体を包む腕の力が強くなる。
こういう鬼柳を見るのは二度目だ。
「何故か、透耶が側にいないと、今までが夢だったんじゃないかって考える。朝起きて、透耶が隣にいなかったらって、いつも考える。俺は透耶みたいに割り切れないらしい」
静かな声で鬼柳は本音を語る。
だから鬼柳は、朝は先に起きて、夜は後に寝るのだ。
自分でも、両想いという状況は初めての事だ。いつ透耶が黙っていなくなるかもしれない、そういう不安に襲われる。もちろん、透耶がそうした事をするはずはないと理解しているのだが、やはり不安というのは打ち消せず大きくなってしまう。
「……恭」
時々、鬼柳は不安がっている。たぶん、何より大切な物を失ってしまうかもしれない不安。今までにそういう大切なモノがなかったので、どう対処していいのかさえ解らない。
透耶は鬼柳を抱き締め返した。
何よりこの人が弱音を吐く所は自分の所しかない。言葉はいらない。ただ抱き締めるだけで、透耶が納得した事は伝わる。
「御免。でももう少しだけ、俺が自信つくまで、一番近くにいさせて」
鬼柳は言って暫く透耶から離れなかった。
透耶は頷く事しか出来なかった。
午後になって透耶と鬼柳は出版社に出掛けた。
周りは出版業界が立ち並ぶ場所で、大型書店も数点ある。
鬼柳は、こういう場所に来た事がなかったらしく、少し驚いたように言った。
「こんなに本屋ばっかりあって商売になるのか?」
「あははは、ここは問屋みたいなもんだよ。全国各地に書店を持ってるから、出版社に近い方が何かに便利なんだ」
「ふうん」
意味はたぶん解ってない……。
透耶はまあいいかと、出版社に入った。
書籍編集部があるのは、4階。エレベーターへ乗ると、一緒に乗った人達の視線が突き刺さる。
「?」
何だ?
透耶が振り返ると、目を反らされた。
まあ、光琉と間違えられている訳ではなさそうだ。
さすがに街に出る時は、顔を見られないように帽子を深く被っている。光琉が外へ出る時はサングラスしかしない事は有名で、帽子はあまり被らない。
気付かれても、シラを切り通すのには慣れている。
4階に付くまでに何人か降りて、乗ってくる人にジロジロと見られた。
透耶は鬼柳の迫力ある姿に見とれていると思った。
じっと鬼柳を見ていると、鬼柳が視線に気が付いた。
何故かニコリと笑われて、透耶も思わず笑い返してしまった。
……何か違うんだけど。
透耶がそう思っているとちょうど4階に到着して、鬼柳が透耶の背中を押した。
「透耶、降りるぞ」
「あ、うん」
透耶は慌ててエレベーターを降りる。
すると一緒に降りて来た45歳くらいの男性が。
「榎木津……透耶、君?」
と呼び掛けてきた。
「え、はい」
名前を呼ばれて透耶は返事をして振り返った。
ラフな服装で、どうもフラリと散歩でもしてきたかのような風貌の中年の男性。
どう見ても、透耶には覚えがない。
「誰?」
透耶が聞こうとした時、鬼柳の方が先に男性に聞いた。
「いや、これは失礼。初対面でしたな。私、中蝉寺と申します」
中蝉寺と名乗った男性。
透耶はすぐに思い当たる人に該当した。
「中蝉寺一紀(なかせんじ かずのり)先生!」
透耶は大きな声で叫んでいた。
中蝉寺はにこりと笑った。
「そうです」
「うわああ!! お会いしたかったです! 推薦文ありがとうございます!」
透耶は満面の笑みで、中蝉寺の手を取った。
初対面にしてはやり過ぎ行為ではあるが、当の透耶はまったくそれすら考え付かなかった。
「新刊出たらいつも買ってます! あああ、お会い出来るなら本持ってくるんだったー。サイン欲しいのにー」
中蝉寺は呆気に取られていた。
透耶は本気でサインを欲しがっている。しかもその辺の紙とかノートにでなく、マニアらしく本に欲しいと言っている。
ただの純粋なファンでしかない。
中蝉寺の中の透耶のイメージがガラリと崩れ落ちた。
顔はあの榎木津光琉と双子だから似ているとしても、もっと落ち着いたインテリ風な少年だと思っていたのだ。片方が派手なら、もう片方は落ち着いている、そう双子のイメージがあるのだが、これはどうも違うらしい。
中蝉寺が呆気に取られているのに気が付いた鬼柳が透耶の暴走を止めた。
「透耶、落ち着け。驚いてるぞ」
鬼柳にそう言われて、透耶ははっと我に返る。
「え? あ、すみません!」
透耶は握っていた中蝉寺の手をパッと離した。
「ひゃー」
透耶は急に恥ずかしくなって、鬼柳に縋り付いてしまう。
「恥ずかしいー」
恥ずかしがって隠れる透耶を鬼柳は笑って見て言った。
「可愛い」
「可愛いとか言うな」
透耶が睨み付けると、鬼柳はニヤリとする。
『You turn me on.(じゃあ、欲情する)』
鬼柳はわざと英語で話し掛ける。
『Don’t …Don’t be stupid. Where do you think we are now!(ば、馬鹿な事言わないの! もうここ何処だと思ってんだよ)』
『Who cares. We are talking in English.(何処だっていいじゃないか。わざわざ言語まで変えてるのになあ)』
透耶も自分で英語を喋っているつもりはなかったのだが、鬼柳につられる癖が出来たのか、日常会話の殆どが英語に変わってしまうようになっていた。
「それはそうと、そっちの奴、放って置いていい訳?」
いきなり日本語に戻した鬼柳の言葉に透耶も我に返る。
後ろでは、中蝉寺が一人取り残されていた。
「すみません!」
透耶は鬼柳から離れて慌てて頭を下げた。
「いやいや、構わないんだが……」
中蝉寺は苦笑してしまう。
「あ、榎木津君! そこで何やってんだい。遅いから心配したよ」
通路の向こうから、担当編集者の手塚がやってきた。
「手塚さん」
「あれ、中蝉寺さんじゃないですか?」
手塚が透耶と話している中蝉寺に気が付いた。中蝉寺も驚かそうと思っていたらしく、にこりと笑って挨拶をした。
「やあ、手塚さん。昨日電話で聞いたんできましたよ」
「もう対面しちゃったんですかあ。こりゃうっかりだ。榎木津君がファンだって言うから、じっくり対談でもやって貰おうかと考えてたんですけど」
そこまで雑誌の話が出ていたらしい。
「そうみたいだね。熱烈歓迎されてしまったよ」
中蝉寺が苦笑して透耶を見た。
透耶はすっかり照れてしまって小さくなっている。
ここで、中蝉寺と手塚が鬼柳の存在を初めて気にして聞いた。
「榎木津君。このやたらといい男の人は誰なんだい?」
「何だ……。行方不明の間、鬼柳さんのお世話になってたのか」
「はあ、まあ」
透耶は何だか説明しずらく、鬼柳に偶然、具合が悪くなった所を助けて貰って、意気投合して、取材ついでに旅行をしていたと話した。
居場所が言えなかったのは、透耶がまったく知らない場所に鬼柳が連れて行ってくれていたからだと言った。
手塚がその説明をまったく疑ってはいなかった。
その鬼柳は、編集部にある来客用のソファで洋書を読んでいる。
透耶の仕事に、鬼柳が口を出した事は、ただの一度もなかった。寧ろ、透耶が好きでやっている事なので、喜んで見守っている感じだ。
「彼は、仕事はいいのかい?」
透耶にサインをする為に、手塚の席について来てくれた中蝉寺が気にしてそう聞いた。
「あ、今休暇中なんです。それで車で送ってくれたんです」
……まさか付いてくると言い張ってついて来たとは言えない。
すると中蝉寺が、言った。
「ふーん、なるほど。ちょっと彼と話してきてもいいかな?」
「え?」
「打ち合わせするんでしょ? 私が聞いても仕方ないしね」
中蝉寺はそう言うと、透耶の返事も聞かずに鬼柳の元へと歩いて行った。
透耶が呆然としていると、手塚が笑って言った。
「気を利かせてくれてるんだよ。鬼柳さんも話し相手がいた方が退屈しないだろうってね」
「はあ、そうですか……」
透耶は、ふと思った。
鬼柳は別に話し相手がいなくても、まったく平気だと思う。
寧ろ、邪険にしないかが心配だ。
「じゃ、連載のプロット見せて貰ったけど、これ、面白そうだよ。雑誌の編集者もOK出してくれたから、このまま進めてくれるかな?」
手塚が仕事の話をしだしたので、透耶もそちらに集中した。
「連載開始は来月からで、一冊の本に纏められるくらいにやってくれるといいんだけど」
「はい、それは出来ます。毎回何枚くらいに納めればいいですか? 俺、長篇しかやった事なくて」
「そうだねえ。原稿用紙で100枚くらいで、一年やってもらえると、雑誌の都合上いいらしい」
「解りました。100枚ですね……合計で千二百枚」
透耶は頷いて、それをメモする。
頭の中では、既にページ割が出来上がっているだろう。
すると手塚がクスリと笑った。
「え? 何ですか?」
透耶が顔を上げて手塚を見ると、手塚が言った。
「いや、榎木津君って、全然怖じ気付かないなあっと思って」
「はあ?」
そんな事を言われて、透耶には何の事だか解らないという顔をした。
「ほら、新人で、いきなり連載でしょ。普通の人は、少しはどうしようとか迷うんだよ。最近は、長編志向の人が多くて、出来上がるのが遅いもんなんだ。なのに、全然平気そうに打ち合わせするし、連載の他にも新作やるって、凄いなあと」
「……変ですか?」
自分の感覚がおかしいとは思うが、こういう事まで違うのかと、透耶は思ってしまった。
「いやいや、こっちは大歓迎だよ。こっちの希望通りにやってくれるから、心配しなくてもいいってのはね」
「でも、もう心配かけてしまったから……」
透耶が行方不明で、生きてはいても居場所さえ明かせず、あれだけ光琉が大騒ぎしていたのだから、相当迷惑をかけているはずだ。
「あれはあれで、編集長が喜んでたしねえ。いい宣伝効果も得られた訳で。知ってる? 榎木津君のデビュー作、学生の間でかなり話題になって売れてるんだよ。注文殺到で、書店に本が回らないから、増版しても追い付かないんだ」
手塚が誇らし気に語るのだが、透耶には実感が沸かない。
思わず生返事をしてしまう。
「はあ……そうですか」
そんな透耶の返事に手塚が笑ってしまう。
「まったく、そういうのに興味ないねえ。勿体無い」
「勿体無い?」
……何が勿体無いんだ?
「だって、榎木津君、せっかく有名な弟がいるのに宣伝に使おうとか、顔がいいから写 真入りにして顔を売ろうとか、全然考えてないでしょ?」
うーわー言われるとは思ったけど。
あまりにストレートな手塚の言葉に、透耶は苦笑してしまう。
「俺、そういうの苦手なんです。写真は嫌いだし、光琉を使ってなんて、そんなの嫌です。光琉の実力を利用するのは違うし、結局、それにつられて買った人は、本を読んでないって事ですよね? そういうのは本が可哀相です。俺は面 白い本は何回も読み直すし、自分のもそうだと嬉しいです」
「純粋だねえ。そういう読者ばかりだと、作家も嬉しいだろうねえ。本が可哀相かあ、いいねえ、今は読んだらすぐ古本屋に売っちゃう人が多いから。本を大事に置くってのは余程の本好きだけだよね」
「偉そうな事言っちゃった。すみません」
透耶は言って謝り頭を下げる。
「はははは、いいんだよ。そうか、写真は嫌いだったんだ。やっぱり、弟と同じ顔だから?」
「いえ。そうではないです。ただ、昔、ちょっと嫌な事があって、それで家族以外には撮られるのが苦手になってて。改まって撮られるのは余計に駄 目なんです」
透耶は頭を掻きながら、詳しく説明出来ないでいた。
そういえば、どうして鬼柳に写真を撮られても嫌だと感じなかったんだろう?
そうした疑問が浮かんでしまった。
「そうか、トラウマなんだあ……。じゃあ、写真は駄目だね。嫌がっているのを無理矢理なんて、僕の趣味じゃないし、写 真嫌いな人も多いからね。そういう取材は全部断わっていくね。実は今、榎木津君の取材問い合わせが多くてね。殆ど、弟さんがらみなんだけど、双子だって事、バレてるから」
そりゃそうだろうねー。なんたってワイドショーネタにはもってこいでしょうし……。
「ああ、そっか。調べればすぐ解りますよね。それはいいんですけど、取材は何も喋る事がないので困ります。作品についてなんて本以外じゃ語れないし、日常なんて恥ずかしくって尚更喋れないです」
「はははは、本当に秘密主義って感じだねえ」
あはははは、秘密主義ではないんですが、さすがに恭が絡んでいる生活について喋れないでしょう?
「うん、解った。そっちは任せて。じゃ、これは預かっておいていいね」
手塚は、透耶から預かった新作が保存されているMOを大事そうにしまった。面 白い事に本当に無くすと困るから、部にある金庫にしまっている。
「金庫なんかにしまうんですね」
「僕達は、これを発売する事で給料を貰っているからね。作家様、作品様な訳」
「へえ、そうかあ。じゃあ俺も手塚さんに稼いで貰えるように頑張ります」
「それは期待してます」
それから少し打ち合わせをした所で、中蝉寺が戻ってきた。
「彼は寡黙な人だねえ。もしかしてあまり日本語が解らないのかなあ? ほら榎木津君とは英語だったし」
中蝉寺がそう透耶に言った。
「え? いえ、日本語解りますよ。難しい単語は解らない事もありますけど、通 常会話ならまったく問題ないですけど?」
透耶はキョトンとして言った。
「そうなの? それじゃ無視されたのか……」
中蝉寺は驚きながら、頭をポリポリと掻いた。
「あ、すみません。その、あまり人と話すのは好きじゃないらしくて……」
まさか、興味がないから話さなかったとは言えない。
透耶となら、何処で覚えたのか知らないが、卑猥な言葉まで口にする鬼柳である。
「へえ、榎木津君、英語喋れるんだ」
手塚が感心したように言った。
「あ、いえ、少しです。まだ習ってる途中で……日常会話を英語にしてもらって練習中です」
透耶は少ししか出来ないとハッキリ言ったのだが、どうも透耶の感覚と手塚の感覚は違うらしい反応が返ってきた。
「へえ、じゃあ相当出来るって事じゃないか」
手塚にそう言われて、透耶は少し首を傾げた。
「はあ、そうですか? うーん、発音が難しいんですよね。言いたい事は伝わるんですけど、学生の時に習ったのは英国のでしょ、微妙に違うらしくて」
「あれだけ喋れて、まだ喋れないって?」
唯一英会話を聞いている中蝉寺が不思議そうに聞いた。
透耶は頷く。
「ええ。あんまり早口だと聞き取れないですし」
なんたって、恭のは無茶苦茶早口だし。
恭と宝田さんの会話なんて、まったく解らないしねえ。
「そんなに昔から喋れた訳?」
「いえ、4月からです。まったく喋れなかったんで、知り合いに特訓してもらって……今は、恭……鬼柳さんに教えて貰ってます……あの?」
透耶がそう答えると、手塚と中蝉寺が固まっている。
何か変な事でも言ったかな?
やっと口を開いたのは、手塚の方だった。
「普通、まったく出来ない状態から日常会話が出来るようになるまで、一年以上かかるもんなんだよ……」
透耶はキョトンとして言った。
「え? そうなんですか? でも、鬼柳さんが日本語覚えたのって2ヶ月くらいって……」
透耶は驚きながらも、鬼柳がそう言っていたと言ったのだが。
「それも異常だよ……」
そう中蝉寺に呆れながら言われた。
「え? ええ?」
透耶は異常だと言われて、本当に驚いて目を見開いてしまう。
そうなんだ……。
透耶は、鬼柳が日本語を覚えたのが、近くに住んでいた日本人カメラマンに教えて貰ってからで、2ヶ月くらいで日常会話が困らないくらいには覚えられたと言っていたので、英語もそれくらいでマスターするものだと思っていたのだ。
確かに、覚えが早いとヘンリーには誉められたが、それはお世辞だと本気で思っていた。
「なんだ……慌てなくても良かったんだ……」
透耶はほっとしたように微笑んだ。
「え?」
「だって、2ヶ月以内にマスターしないといけないって思ってたから」
透耶が大変だよなあと頭を掻いていると、手塚と中蝉寺が声を揃えて言った。
「英語を2ヶ月で完全マスターするつもりだったの!?」
物凄く驚いた顔で聞き返された。
「はい」
と頷くと、手塚が説得するように言う。
「どう考えても、それは無謀だよ……? ゆっくりでいいんじゃないのかあ」
「ですよね? よかった!」
透耶は自分が劣っているから中々覚えられないのだと思い込んでいた。
しかし、まったくそうではないと解ったので、ホッとして微笑んだ。
1ヶ月で、日常会話が少しでも可能になるほど、透耶は英語を覚えていた。はっきり言って異常であるが、透耶には喋れるが文字は読めないという、鬼柳と同じ現象が起こっている。
透耶は元々、集中すると何事も覚えるのは早い方で、しかも今はちゃんとした目的があるだけに脅威の記憶力で覚えていっていた。
「……榎木津君って、凄いんだね」
中蝉寺がそんな感想を漏らして、手塚がそれに賛同し頷いた。
透耶と手塚の話も終わって、中蝉寺が担当編集者に頼み込んで、自分の本の見本ストックを探してもらっている間、透耶は鬼柳のところへ行っていた。
それを手塚と中蝉寺が見て呟いた。
「まあ、あれだけ可愛けりゃ、人間不信さんも話でもしてみたくなるのかねえ?」
中蝉寺がそう言った。
「中蝉寺さん、また人間監察してましたね?」
手塚は仕方がないですねえと苦笑した。
中蝉寺は人間を監察するのが趣味みたいなものだ。作品を書く上での作業だったのだが、最近では珍しい人を見かけると、どうしてもどういう人物なのかと監察してしまうのだ。
「ははは、まあ、珍しい人種だったんで、どういう人なのか気になったのもあるんだ。でもね、見事に無視さ」
中蝉寺は笑っている。
「人間不信?」
手塚が不思議そうに聞き返す。
「そう。何があったのか知りたかったな。あそこまで露骨に無視されるとねえ。さっき会った時なんか、はなっから私なんか見てない訳。こう、榎木津君にしか視野がないっていうのかな? 視線が榎木津君しか追ってないんだよ」
妙な説明であるが、見方は間違ってなかった。
手塚が首を傾げて尋ねた。
「はあ、それって、鬼柳さんが榎木津君に惚れてるって感じですか?」
「そういう視線。榎木津君は慣れてるみたいだけど。ほら、あんなに朗らかに笑えるだろう?」
そう言って見た先では、透耶が鬼柳が読んでいた洋書を取り上げて、難しい顔で真剣に文字を追っているのを、鬼柳が優しい顔をして、見つめている所である。
さっきまでの無表情からは考えられない顔をしている。
「ははあ、あれは女性もイチコロですねえ」
「でしょ。なのに、榎木津君が側にいないと駄目みたいだねえ。いっぱい話し掛けたんだけど、一言で終わり」
「一言?」
「うるさい」
「ええ?」
中蝉寺は笑いながら言った。
「うるさいって言われた。視線を上げたのは、私がソファに座った時と、喋った時だけ。見事な無視だよ。あれは寄られなれてるね」
「寄られ?」
意味が解らず、手塚が聞き返した。
「うん、言い寄る人が多いって事。そういうのをあしらうのにも慣れてる。でも解らないなあ。何で榎木津君なんだろう?」
中蝉寺がそれだけが解らないと首を捻る。そういう中蝉寺の言葉が解らず手塚はキョトンとする。
「は?」
「解らない? 彼、バイだよ」
「え!? そうなんですか!?」
手塚がびっくりして小声で叫んだ。
「うん、間違いない。だからいくら榎木津君を助けたからって、ここまで付き合う程、彼は優しくないはず。けれどああやって笑ってさ、大事にしてる」
そう言って見ている先には、笑っている鬼柳の顔。
透耶は難しい顔をして本と格闘している。時々顔を上げては、本を指差して何を尋ねている。鬼柳は笑顔で教えている。透耶が笑い掛けると、更に優しい笑顔になる。
「榎木津君もそうなのですか?」
手塚が尋ねたが、中蝉寺は首を横に振った。
「いや、彼はノーマル。だから不思議なんだ。榎木津君も彼を気に入っているらしいけど。どうも私は、榎木津君の方が解らないなあ。あんな難しい子、初めて見たよ」
中蝉寺は意外な感想を洩らした。手塚がキョトンとする。
「難しい?」
「内部が見えない。皆顔とか素直そうとか、そう見るでしょ? でもそうじゃない。複雑すぎて見えないんだ。難しい。前に会った子にそっくりなんだ。顔とか、内部がねえ。びっくりだよ。世の中にこんな人が二人もいるとはねえ」
中蝉寺は、透耶に関してはそう見ていた。
最初顔を見た時は、あまりにあの少女に似ていたので驚いた。だが、別人であるのは確かで、名前で榎木津透耶であると解った。
それでも、喜んでいる透耶の笑顔が、あの少女とは明らかに違うと感じた。それなのに、見える内部は同じ闇を持っている。顔に内部、ここまでの一致が中蝉寺には不思議でならなかった。
しかし、その闇に触れる事は出来ない。飲まれたら最期であるという危機感があり、中蝉寺は透耶には触れられない。
「僕の方は、榎木津君の方が解りやすくて、鬼柳さんの方が解らないですけど……」
手塚が首を捻ってそう言った。
「それが普通だよ。僕の目から見たら、榎木津君の方が難しくて、彼の方が表情で多くを語っているから解りやすいんだ」
中蝉寺はそう言った。
そこへ雑誌編集者が現れた。
「手塚さーん、榎木津透耶が来てるんですって? 呼んで下さいよー」
派手な服を着ている、28歳の女性が手塚を肘で小突きながら、甘えた喋り方でそう言った。
「あ、坂下さん」
「もう、あたしがファンだって忘れてるんじゃあ?」
「ごめん、坂下さん、出掛けてたでしょ?」
「はいー出てましたー。受付で聞いたんですよー。で、何処ですか?」
坂下は必至で透耶を探す。
「ああ、あそこのソファに」
手塚が言って、指を差すと、坂下がワクワクした顔でそっちを眺めた。
「え? どっちですか? あ、光琉と双子だから、細い方ですねえー。あれ? でもあんまり似てませんよ?」
坂下が首を傾げて、そんな感想を言った。手塚は驚いたが、自分が間違ってなかったと確信した。
「やっぱり、坂下さんも思う?」
「って、手塚さんがそっくりだって言ったんじゃないですかー」
坂下が突っ込んで言った。
手塚は笑って言い訳をする。
「言ったんだけどさ。最初会った時は似てたのに、今会ったら似てるという印象が抜けてしまって」
「何だい、それは?」
中蝉寺が不思議そうに尋ねた。
「うーん、何だろう? イメージが変わったって感じ。前は確かに可愛いんだけど、もっと冷たいって言ったら悪いかな? そういう固いのがあったんだけど。今は無いって言える」
それを聞いて、中蝉寺は意味が解った。
「へえー、それは面白いねえ。たった二ヶ月くらいで? じゃあ行方不明の間に心境の変化でもあったんじゃないかな?」
「それは僕も思いました。でもいい感じですよ」
「へえ、あれがいい感じねえ。ある意味物騒だけどね」
中蝉寺は、あれがいい感じな訳ないと言い切りたかった。はっきりいって怖い。何が怖いって、透耶の内部のモノが怖いに決まっている。
「ちょっと待って。ゆっくり」
「んー、これ普段使わない専門用語」
「そうなの?」
「うん、検死の時とか。静脈とか動脈とかの場所」
「それは使わないねえ」
当り前だ。日常会話で、肺静脈とか上椀動脈とか使っているやつがいたらお目にかかりたい。
二人が読んでいるのは、推理小説。検死官シリーズの最新刊でもちろん原盤のまま。
そうしていると手塚が透耶を呼んだ。
呼ばれて行くと、雑誌編集者の坂下を紹介された。
鬼柳は、また本に視線を落として読み始めたのだが、また中蝉寺がそこへやってきた。
「少し話をしたいんだけど」
「……」
「もし私が榎木津君にサインあげないって言ったらどうする?」
「……」
「残念がるだろうねえ」
「で、何だ」
鬼柳はやっと答えたが、視線は上げてない。あくまでも話したくないという態度である。
中蝉寺は、こういう作戦は取りたくなかったが、もし鬼柳が透耶の事をちゃんと思っているなら、これには答えるだろうという自信があった。
そして鬼柳はちゃんと答えている。
さっそく中蝉寺は鬼柳に質問した。ストレートに。
「君、バイだろ?」
「ああ」
「その、榎木津君の事が好きなんだよね?」
「ああ」
「それで彼は、側にいる事を望んでるんだ?」
「ああ」
「でも、何で君のような人種が、ノーマルである榎木津君を選んだんだい?」
「俺みたいな? 何だそれ」
まったく感情がない声が問うてきた。
「君は、来るもの拒まずでしょ。それで何故、ノーマルである人を選んだのかって事。榎木津君はそういうのは疎いでしょ」
そう説明すると、鬼柳の答えが返ってきた。
「別に選り好みした訳じゃない。俺が抱きたいと思ったのは、透耶一人だからだ」
100人が同じ質問をしたら100回同じ答えを返すだろう。
ただ言い方が違う。誰でも抱けるが、自分から求めたのは一人しかいないという事だ。
「ああいう顔が好みなわけ?」
「別に。透耶が透耶であれば、どんな姿でも俺は透耶だけにしか惹かれない」
こういう風に言い切れるのは、外見だけで惚れた訳ではないという事だ。綺麗なだけで惚れるなら、いくらでも違う奴に惚れたはずだ。透耶より綺麗な人だっている。
それでも透耶でなければならなかった理由。
そんなものはない。後でなら幾らでも理由付けられる。
顔が好き、身体が好き、声が、考え方が、笑っている時、泣いている時、考え込んでいる時、抱き合っている時。
全部だと言える。あの存在自体が好きなのだ。
しかし、最初の理由など解らない。直感でこれだと思った。二度とないだろうな感覚。
それしか思わなかったのだから。
「ベタ惚れだ」
中蝉寺は少し驚いていた。
「当り前だ。一生賭けてるんだ」
命を賭けているといってもおかしくない。
本当にそうだからだ。
透耶も一生を賭けて、命も賭けてくれている。
「へえ。でも、榎木津君の立場とか考えた事はないわけ?」
「だから黙ってただろ」
鬼柳は面倒臭そうに答えた。
それだけで中蝉寺には通じた。
「え? じゃあ、無視ってのはそういう意味だったんだ」
中蝉寺が意外な言葉で驚いた。無視にはちゃんと意味があった。
一緒については来るが、必要最低限は喋らないという方法を取っていたのだ。
「お前みたいなのは、人の事を根掘り葉掘り聞きたがる」
「まあねえ。だから避けたのかあ。なるほど」
人が寄ってくるという事は、それだけ人を見る目があるという事でもある。そいつがどういう人間なのか、見極める事もできる。ただ鬼柳の場合、直感で感じるだけであるが。
「人を監察している。そういう目で眺めたら、勘がいい奴には悟られて嫌われるぞ」
その言い方では普通に忠告しているようではあるが、中蝉寺には、透耶をそんな目で見るな、と言われた気がした。
透耶が中蝉寺に憧れているから、そういう人物から透耶の期待を裏切るような態度をして欲しくないという思いが鬼柳にはあった。
「忠告ありがとう。じゃ、私は帰るから、これを榎木津君に渡しておいてくれないか」
中蝉寺は言って、テーブルに自分の本を置いた。
それでも鬼柳は視線を上げなかったが、代わり言った。
「……ありがとうございます」
いやに律儀に鬼柳が言ったので中蝉寺が驚いて足を止めると、鬼柳が視線を上げて言った。
「透耶の代わりだ」
「ははは。じゃあ」
中蝉寺はそれ以上、この二人には関わるまいと思った。
何故って、巻き込まれたら最後。
そういう風にしか見えない。
テーブルに置かれていた本を渡されて、透耶はキョトンとしていた。
「え? 中蝉寺先生、帰っちゃったの? ちゃんとお礼言いたかったのになあ」
中にあったサインを確認して、透耶は残念そうに呟いた。
「礼、言っといた」
「あ、言ってくれたんだ。ありがとう」
透耶が嬉しそうに微笑む。それを見た鬼柳が思わず呟いた。
「やっぱり喋って正解か……」
「ん? 何?」
キョトンとしている透耶の頭を鬼柳は撫でた。
そして鬼柳は笑って言った。
「何でもない」
出版社を出て、車に乗ると鬼柳が言った。
「真直ぐ帰るか? それともどっか寄る?」
そう言われて透耶はふと考えた。
「このまま帰るのも勿体無いね」
透耶はそう言った。
今から帰っても仕事をするだけで、やる事はない。折角出てきたのだから何処かへ行きたい気があるが、何処へ行っていいのかは解らない。
「じゃ、デートするかあ」
鬼柳がニヤリとしてそう言った。透耶は驚いてしまう。
「え? デート?」
鬼柳からそういう言葉が出て来るとは思わなかった。
「いや?」
「ううん。そういえば、そういう感じではなかったね」
よくよく考えたら、二人っきりで出掛けたのは、東京へ戻ってきてからの鬼柳の部屋へ行った時だけである。
「だったら千葉のに行こうぜ」
「千葉のって、あれ? 何で?」
メジャー過ぎるスポットである。
鬼柳の思考から、出てきそうにない言葉でもある。
「だって、綾乃があそこはデートスポットだからって言ってたから」
なんじゃそりゃ……。
一体、綾乃ちゃんと何の相談電話しているんだ。
千葉の某有名ランドまで行くと、ちょうど夕方5時くらいに入る事が出来た。
入り口附近では、ネズミ君がパレード前に最終お目見えをして、女の子達に囲まれて写 真を撮られている。
それを不思議そうに見ていた鬼柳が呟いた。
「ああいうのがいいっていうのが俺には解らん」
まあ、鬼柳なら言うだろうと思っていた透耶は苦笑してしまう。
「あはは、俺は結構好きだけど」
透耶がそう言うと、鬼柳が信じられないという顔をして、透耶を見て、ネズミ君を指差した。
「だって、あれの中身にどんな奴が入っているか、解らないんだぜ。それを可愛いとか思うか?」
「まあ、それはそうなんだけど……」
中身とか言うなよ……。
鬼柳に子供が出来たら、あれが被りモノだとか言って子供の夢を壊しそうだ……。
「なんで、あのアヒルは走り回っているんだ?」
「ああ、あれはああいうキャラで……」
アヒル君は、元気よく走り回り、写真を一緒に撮る為に追いかけていた女の子が途中で力つきている。
そうまでして撮られたくないのか……。
「あれの中身は、長距離ランナーじゃねえのか?」
「さあ、それはどうだろう?」
そこまで知らないが、採用はきっとそういう基準だとは思う。
「ある意味、面白いな」
「まあねえ。恭くらいだよ、ここでそういう事言うのは」
透耶は苦笑してしまう。
「何か乗るか?」
「まず、定番でジェットコースター」
透耶が言って、鬼柳が入り口で貰った案内パスポートで場所を確認して向かった。
ここにあるジェットコースターには取り合えず乗った。
「あー面白かったー」
透耶がそう感想を言うと、鬼柳は別の感想を言った。
「砂漠でジープに乗ってる時の感覚だな」
「え? あんなになるの?」
「揺れ方な……」
意外な感想だった。
そういえば、鬼柳は基本的に仕事の話をする事はない。ただ同じ様な感覚とかを経験した時に思い出したように呟くだけだ。
透耶はそれでも構わなかった。
自然に話してくれる方が嬉しかった。
パレードが始まって、様々な電飾のものを眺めていた。
ここでは鬼柳と透耶が寄り添っていても、暗くて男同士だとは気が付かれない。
珍しく透耶の方から鬼柳の腕に腕を絡ませて寄り掛かってきた。
外でこういう事をしたがらない方である透耶だが、今は誰も自分達を見ていない。安心していられた。
「うーん……」
透耶がぬいぐるみの前で唸った。
「透耶、欲しいのか?」
「あ、うん、ちょっと気に入ったんだけど……」
そう言って透耶は言葉を濁す。
「だけど?」
鬼柳が聞き返すと。
「この歳でこれもどうかと……」
透耶がそんな事を言い出したので、鬼柳は苦笑してしまう。
「どれだ?」
「犬……」
透耶から何か欲しいと言われた事がないから、鬼柳は一番大きなサイズの犬のぬ いぐるみを掴んで持ってレジに向かった。
「タグ切って、そのままで」
190センチの男がこんなものを持っていると、ハッキリ言って笑える。
客にジロジロと見られていたが鬼柳は気にしない。
「ほら」
透耶はまだ犬のぬいぐるみの前で唸っていたが、差し出された大きな犬のぬ いぐるみにキョトンとする。
「え? 何?」
「買った」
「ええ?」
ポイッと放られて透耶はそれを受け取った。
そんな事をされて、透耶は驚いていたが、すぐに笑顔になる。
「……ありがとう」
こういうモノを買ってもらうのは、生まれて初めてだった。
ぎゅっと抱き締めて微笑む。
鬼柳はそれを見て慌てて自分の口を手で塞いだ。
……可愛すぎる。
だらしなく顔が崩れそうなのを精一杯我慢しているのだった。
こんなやりとりを見ていた客が納得したのは言うまでもない。
他にもクッキーやらを透耶が買いたいと言ったので、そこへも寄る。
「どれも似たり寄ったりだな」
作り方さえ解れば作れるとでも思っているのだろう口ぶりだ。
「そう? ここのは美味しいんだよ」
「ふーん」
鬼柳はいくつか選んで、透耶も選んだ。
「纏めて買うぞ」
透耶が持っているのを受け取ろうとしたが、透耶は首を振る。
「ううん、こっちはいいよ。これは宝田さんとヘンリーさんへだから」
「そうか?」
「うん」
お世話になっているから、やっぱりお土産は必要だと思ったのだ。
車までの帰り道は、手を繋いで歩いた。
そういえば、こういうのも初めてである。
「手を繋いで歩くの、初めてだよね」
透耶が笑って言うので、鬼柳もはっと気がついた。
「あ? そうか……初めてだな」
そう言って鬼柳が溜息を吐いた。
「いかんな。こういう事やってなかったんだ……」
「ん?」
鬼柳が呟くように言ったので、透耶は見上げてしまう。
いやに真剣な顔をしている。
「普通に付き合うってのが、よく解らないんだ」
そんな事を言うものだから透耶は笑ってしまう。
「ははー。今まで普通じゃなかったんだ」
鬼柳が今まで出会った人とどういう付き合いをしていたのかは、あまり解らない。普通 じゃないという言い方で、そりゃ大人な付き合いをしていたという事なのだが。
「まあ、その場限りが後腐れなくて良かったんだ。昼間に出掛けたり、こういう所へ来たり、手繋いだり……した事がない」
これは意外だった。
つまり、その場限り、セックスをするだけで、後の付き合いはまったくなかったという事である。
そういえば、鬼柳は家に誰かを入れた事がないと言っていたから、外でやっていただけで、しかもセックスだけ。精神的に付き合うという事をしてこなかったという事だ。
「した事なかったんだあ」
「うん。透耶は?」
そう聞かれて透耶はうーんと考えた。
「ないよ。俺もこういうのよく解らない。普通は、付き合ってくれとか告白して、学校帰りとか会社帰りにデートしたりするみたい」
透耶がそう語ると鬼柳は唸ってしまう。
「んー。順番がまったく逆になったな」
最初に犯して、それから告白だ。
それも意思疎通なしに始まった関係である。
今は透耶も受け入れてくれているが、最初は違った。ただ鬼柳が暴走しただけ。
「いいんじゃないの。俺はそれで納得してるし」
透耶はクスクス笑っている。
内心は、あそこまで鬼柳が暴走しなければ、今の関係にはなれなかったはずと思っている。普通 に始まっていたら、透耶は全てを拒否して逃げていただろう。
透耶の周りにいなかった人種であり、鬼柳の押しが強い所が透耶の常識を覆してしまったのだ。ある意味、すごい事だ。
「そうなのか?」
少し意外そうな顔で鬼柳に見られて、透耶は苦笑してしまう。笑って見上げて言った。
「あのね……じゃなきゃ一緒にいないってば」
言ったとたん、鬼柳に抱き締められた。
「透耶……可愛い!」
抱き締めて顔中にキスをする鬼柳。
「ん、もう……何やって……」
透耶は文句を言いながらも苦笑してしまう。
耳元に口を近付けて、鬼柳が囁く。
「したい」
突拍子もなく言う鬼柳。
「いきなり何言ってるんだよ」
透耶は慌てて鬼柳の身体から抜け出そうとするが、鬼柳は離してくれない。
更にほざく鬼柳。
「車で」
「アホか!」
絶対馬鹿だ……。
結局、車に乗ったとたん、キス攻めに合う透耶。
「ん……駄目だってば!」
シートを倒されて、上から押さえ付けられれば絶対に動く事が出来ない。
首筋に唇が這い、服のボタンはとっくに外されている。身体を鬼柳の手が這い回り、透耶の身体も熱くなっていく。
しかし、透耶がぬいぐるみをいつまでも離さないので、鬼柳がそれを取り上げた。
「ほら、こんなもん、いつまでも抱いてないで、俺にしろ」
ぬいぐるみを後部座席に投げる。
透耶の手が名残惜しそうに宙を舞う。
「んん……恭が買ってくれた、んじゃんか」
「透耶が欲しいって言ったの、初めてだっただろ?」
鬼柳は透耶の手を取って、指を舐めていく。
「そ、だっけ?」
「そう……。本当に透耶は何にも欲しがらないからなあ」
鬼柳は特に不満がある訳ではないが、透耶が欲しがるモノなら何でもあげるつもりはあった。なのに、透耶は些細なモノすら欲しがらない。執着がない。
透耶は薄らと目を開けて、鬼柳を見上げて笑う。
「別に……恭だけでいいよ」
「んー、そっか。最初に欲しがったの、俺の事だったっけ?」
透耶が面と向かって、アレが欲しいと言ったのは、鬼柳だけだった。
「解ってるんじゃん……」
透耶は照れて目を伏せる。
それを見た鬼柳は、ニコリと微笑んでしまう。
「……可愛いな、透耶」
だが、手が下半身に伸びている。さっさとベルトを外して、ズボンも脱がしている。
「もう、車じゃ嫌だって!」
さすがに車で最後までやるつもりはない透耶は、一生懸命鬼柳の手を止めようとしているが、既に脱がされている。
「結構、燃えるぞ」
両足を抱え上げられて、透耶は暴れて止めさせようとする。
「アホか! ちょ! ちょっと待って! 嘘、マジ!?」
「うん、マジ」
耳元で囁いて、手が透耶自信を掴んでくる。
「嫌だって! うわ! 何処触って!? 放せって!」
……ってしっかり阻まれてるし!
「もう入れたい」
鬼柳が耳を舐めて、そう言って透耶自信を軽く扱く。
「駄目! や! あ……!」
透耶が顎を反らせた所へ鬼柳の唇が這ってくる。
「んん……!」
透耶は声を殺して堪える。
この、エロ魔人が!
普通、車でやるか!?
「……恭……やめ……ろって……」
「何で?」
透耶が否定の声を上げたので、鬼柳の動作が止まった。
透耶はやっと目を開いて鬼柳を睨み付けた。
「……絶対嫌だ!」
透耶は言って、鬼柳を押し退ける。鬼柳はじっと透耶を見つめて聞く。
「嫌?」
「嫌だ」
「俺が? 場所が?」
「敢えて言うなら、場所だ」
「あえて?」
「嫌だって言ってるのに、やろうとする恭も嫌だ」
透耶がハッキリと言い切ると、鬼柳は少し考えて、溜息を洩らした。
「……解った」
物凄く物わかりがいい鬼柳は、透耶の上から退いて、運転席に戻った。
透耶は脱がされた服を戻して、シートも戻す。
しかし助手席に乗っているのが嫌だったので、後部座席に移った。鬼柳はじっと、そんな透耶を見ていたが、何も言わなかった。
「……帰りに、ヘンリーさんの所に寄って欲しい。お土産渡したいんだ」
透耶は言って、ぬいぐるみを抱き締めて寝転がった。
鬼柳は無言で車を発進させた。
透耶は、俺が悪い訳じゃない、そう思ったが、何故鬼柳が無口なのかが解らなかった。
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