Switch 13

1

「お決まりになられましたか?」
 そう言ったのは宝田(たからだ)という老年の男性。
「あ、待って下さい」
「待てって」
 透耶と鬼柳が同時にそう言った。
 ここは東京。
 現在、家を見学中である。
 沖縄から東京へ戻った空港へ、出迎えをしてくれたのが、鬼柳家の執事で、現在東京の鬼柳家の家々の管理を任されている宝田だった。
 まあ、その管理自体はあくまで口実で、実は鬼柳の事を気にしている鬼柳の父親から送り込まれた監視役らしい。
 鬼柳の方はそれが解っているのだが、無下にも出来ないでいる。
 さすがに産まれた時から鬼柳を面倒見てきた宝田を邪険には出来ない鬼柳である。
 その宝田は、今回、家探しと手伝う事になっていた。
 鬼柳がそういうのに詳しいのは宝田くらいしか思い付かなかったのもある。
 透耶の方は、財産管理人である西尾が同行してきていた。
 西尾は、まだ若い男性であるが、父親譲りの頑固さで、管理は徹底している。もちろん、家を買えば国に申請をしなければらないので、何を買ったのかをチェックしにきているのだ。


「透耶、やっぱ、こっちでいいと思うぞ。さっきのは防音付けなきゃならないから工事に時間がかかるし」
 鬼柳はそう言ってくるが透耶は納得しない。
「でもさ、こっちじゃ地下が暗くないよ。暗室、どうするのさ」
 そう言って部屋の中を見回っている。
「普通の家に暗室なんてもんはないんだぞ。それに最近の家は地下も明るいんだって言ってただろ? だから、こっちのバスルームはいらないから、十分暗室は作れる」
 鬼柳は透耶が覗いていたバスルームを指さしてそう言い切った。透耶はそれが信じられないという顔をして振り返る。
「そんな安易なものでいいの?」
 どうも透耶は本格的な暗室のイメージがあるらしくそれが頭の中にあって、納得できないらしい。
「あのな。俺の家の暗室は洗面所だったぞ。普通はそういうもんだ。バスルームなら、バスタブはずしゃスペースも出来る」
 鬼柳はピアノを弾く部屋が重要で、透耶は鬼柳のカメラの為の暗室が必要だと思っている。
 そういう訳で、何処へ回っても双方が双方の事で譲らないから話が進まない。
 不動産屋は、億物件を即決で買ってくれる上客を逃してなるものかと必死に説明を繰り返す。
 ピアノなら防音がしっかりしているし、防音の工事などは時間はかかるが、暗室ならそれ様に3日で工事させるなど、サービス満点でアピールしてくる。
 それならいいやと透耶が納得したのは、内装工事やらの見積もりを出して、鬼柳が十分過ぎる設備だと言ってからだった。
 不動産売買の契約をして、その家は透耶達のものになった。


「さて、家具の買い物もしなきゃな」
 鬼柳がそう言ったので、何軒も輸入家具屋を回った。
 こういう事には透耶は疎かったので、ダイニングテーブルやソファなど、キッチン周りは鬼柳任せ。
 確かにいい物を選ぶのだから、透耶が反対する理由もない。
 鬼柳は家中の物を全て新しく買い揃えるつもりらしく、意欲的に動き回って説明を聞きまくる。
 売る側も上客であるから、熱心なものである。
「透耶様は何か御希望はありませんか?」
 そう聞いてきたのは宝田。
 透耶は苦笑して答えた。
「俺は特にないです。こういうのは疎いんですよねえ。よく解らないですし。それに恭があんなに嬉しそうに選んでますから、いいの選んでくれるって解ってます」
 そう答えた透耶を宝田は驚いた顔をして見た。
 鬼柳はいつもの無愛想な顔で品物を選んでいる。それを見て楽しそうな顔をしていると言えるのは、鬼柳を良く知っている人物しかいない。
「あれで解りますか……なるほど」 
 それだけで宝田は納得してしまった。
 透耶は自分の物に対して執着はあまりない。仕事をしている時に必要な物にはこだわりはあるが、生活面 にはまったくない。鬼柳の方は、透耶と一緒だという思いがあるのだろう、いつになく真剣で、こだわって品を選んでいる。
 家の家具をあらかた選んで、日用品までに及ぶ。
 タオル類に、洗剤類、身の回り品は膨大な量になる。全てを配達扱いにした。これだけ揃えるにはデパートの上から下まで案内付きでの買い物だ。
 三日かけて全部を揃えた。足りない物は買い足していくとしても、鬼柳の徹底した買い物リストで、殆ど漏れはないはずだ。


「凄いねえ。一から揃えると、こんなにかかるんだあ」
 買い物リストを見ていた透耶が感想を洩らした。
 場所はコーヒー専門店。
 透耶が呑気に感想を洩らしている前では、宝田と西尾が双方が払う金額を計算して分担を決めている。
 鬼柳が全額出すといっても透耶が聞く訳もなく、結局、透耶が先にクレジットで払って、総額を出して、半分を鬼柳から貰うという話し合いになっていた。
 鬼柳が先に払うと絶対に受け取らなくなるからだ。しかし、透耶も受け取らない可能性があるので、ここは二人が口出しをせずに、双方の管理人に任せる事で落ち着いた。
「ん、まあ、これくらいの出費はあるだろうとは思ったが意外に多いもんだな」
 鬼柳も思わずそう言ってしまった。
 だが、歯ブラシやお箸などは、持っているから要らないと透耶が言っても「お揃いにしたい」という鬼柳に押し切られた。
 まったく、恋愛初心者によくある光景だ。
 荷物引き受けや工事などの管理は、何故か宝田が全部引き受けてしまった。今や、二人の家の執事である。
「透耶さあ。指輪とかする?」
 不意にそんな事を言われて透耶が鬼柳を見ると、鬼柳が透耶の手を取って指を触り始める。とはいえ、これもいつも鬼柳がやる事なので透耶は気にしない。
「しないなあ。何か違和感あるし、ピアノ弾くのには邪魔だしねえ。外したらすぐ無くすし。恭はするの?」
「いや。カメラするのに邪魔だからな。無駄に当たって傷が付く。殴るのにはいいらしいがな」
「それは言うねえ。で、いきなり何な訳?」
 透耶はキョトンとして、鬼柳を見る。
 一体何が言いたいんだろう?という感じだ。
「ん。ここに印を送ろうかと思ったんだけど……」
 鬼柳は言って、左手薬指にキスをする。
「でも、邪魔なら駄目だな」
 一瞬何を言ってるのかと透耶は思ったが、それが何を意味するのか気が付いて顔を赤らめた。
「……え、え?」
 狼狽する透耶の前の席で、宝田と西尾が微笑みながら見つめている。
 西尾は、沖縄から帰ってきた透耶が連れてきた鬼柳に驚き、更にカミングアウトまでされて二日ばかり真剣に悩んだ。
 
 透耶の祖父に「後を頼む」と言われて、透耶が解らない財産管理やらやってきたのだが、まさか、あの透耶が………と、信じられないでいた。
 だが、鬼柳といる時に透耶は、今までの透耶とは幾分も違い、前から感じていた悲愴感がまったくなくなっているの事に気がついた。幸せそうにしている姿を見ると、ここで偏見だけで突き放してしまってはいけないと、思い直し、現在に至る訳だ。
 鬼柳が透耶に向けるストレートなまでの愛情表現に、西尾も今では笑ってしまう程。
 だが、所構わずラブラブモードに突入するのも、どうだろうとは思っている。
 目の前で、真剣にエンゲージリングの話をしている訳だから。
 鬼柳は尚も真剣で、印を送ろうと思った事を話す。
「普通、恋人にはそういう物を送るものだけど、透耶はそういうの欲しがらないし、定番だけど、ペアリングにしようと思ったんだ。でも邪魔なら仕方ないなあ。ネックレスにしても落とすとアレだし、無くすとショックだしなあ。何か外れないので、邪魔にならない何かがいいけど、思い付かない」
 あくまで外れないがポイントである。
 どうやら真剣にその事で悩んでいたらしい口調だったので、透耶は慌ててしまった。
「いい、いいって。そういうのはいいの。別に形にしなくても俺、十分だから」
 あまりに鬼柳らしい考え方であって、正直透耶は嬉しいが、そういうのが欲しいわけではない。形でないものが手に入ったのだから、本当にそれで十分だった。
 しかし、ここで聞き逃さなかったのが西尾だった。
「じゃあ、ラブブレスにすれば宜しいのでは?」
 などと提案してしまったから鬼柳が食い付かない訳がない。
「ラブブレス?」
 真剣な視線に、西尾は慌ててそれを説明した。
「ええ、ブレスレットなんですが、手首に嵌めて螺子で固定するんですよ。螺子を外さないと外れませんし、専用のドライバーでないと取り外しが出来ないんです。だから無くすって事もありませんよ」
 そういう説明をされると、鬼柳がいきなり立ち上がった。
「よし、透耶、買いに行くぞ」
 そう言って透耶は引っ張られて立たされる。
 今からすぐにという行動に透耶は慌てる。
「いいってばー。そういうのはー。ねえ、聞いてる?」
 透耶がこう言っても、鬼柳の足は止まらない。
 何で、こういう時は人の話を聞かないのかなあ……。
 抗議したところで、到底聞き入れては貰えない。
 透耶は引き摺られながら、もうこれは諦めるしかないと覚悟を決めた。
 その後ろを苦笑した宝田と西尾がついてくる。



 結局有名ブランド宝石店で、一番高くて一番いい品を鬼柳が選んだ。
 そういう品はその場で名前などを入れてくれるらしく、お互いの名前を彫り込むように注文をした。
 透耶は一人、店の端の方に逃げていた。
 男同士でこういうのは、やはり恥ずかしい。
 明らかにそうであるのは、誰が接客しても解る事だろう。
 しかも金額が金額だ。あれで水につけたり、泡とかにつけて大丈夫なのかと疑ってしまう。
 透耶がそんな事を考えていると、宝石店の奥から出てきた男性が透耶に目に止めた。
 じっと見つめる視線に気が付いた透耶が顔を上げると、男性は凄く驚いた顔をしていた。
 ……何だ?
 透耶が不思議そうな顔で男性を見ていると、男性の方が近付いてきた。
「……朱琉(あける)? いや斗織(とおる)だろう?」
 男性はそう言って透耶の腕を掴んできた。
 ……え? 何でその名前が……。
 透耶は男性の腕を振払うのを忘れて一瞬呆然としてしまう。
「斗織だろう? 私を覚えているかい?」
 男性は必死になって透耶にそう言った。
 掴まれた腕に力がこもり、その痛みで透耶は我に返った。
「あの……俺、違いますけど」
 透耶は意外な所で意外な名前を聞いて内心驚いていたが、何とか人違いだという事を伝えられた。
 さすがにこの声で俺という単語が出ると、透耶が男と解ったらしく、男性は慌てて透耶の腕を離した。
「あ、御免。男の子だったのか……。申し訳ありません。あまりに知人の女の子に似ていたものですから」
 男は物凄く残念そうな顔をしていた。
「いえ……」
 透耶はそれを聞いて、少し納得してしまった。
 少し顔を見知っている程度の人間なら、その人物と透耶を間違えるのは珍しくない。
 だが、最近、光琉に間違えられるより、その従姉に間違えられる機会が増えているような気がする透耶である。
 ……なんか、ヤバイ展開かもしれない。
 そんな事を思って、鬼柳の元へ戻ろうとした時。
「あれ? 氷室斗織(ひむろ とおる)そっくりな子ですね」
 男性を追い掛けてきたらしい、店員が、男性と透耶が一緒にいるのを見てそう言った。
 氷室斗織という確実な名前が出て、透耶はこの店に入ったのは間違いだったと気が付いた。
 ……非常にヤバイんですけど……。
 焦る透耶を後目に、二人は盛り上がってしまっている。
「だよな、そうだろ? 俺、間違えたよ」
 男性は女子店員にそう言った。
「そりゃ似てるけど、氷室斗織はロングヘアーでしょ。それにこういう所には出入りしないし、まず、あのボディーガードが一緒にいないじゃない。あたし、そっちで覚えてますから」
 女子店員が断言して言ったら、男性も納得した。
 透耶も内心、そうだよ、と思ってしまった。
 ……誰かが俺と斗織の関係に気が付く前に、早くここを出たい。
 そこへ鬼柳が騒ぎに気が付いてやってきた。
「透耶? どうした?」
 透耶の顔に困った表情を読み取って、鬼柳が気にしている。
「ん、人違い」
 透耶はそう言って鬼柳を引っ張って男性の側を離れた。
 これ以上、関わりあうのは不味いので逃げようとしたのだが、そう簡単に逃げられなかった。
「あの、君。何処かでモデルとかやってるんじゃない?」
 離れた透耶にそう言って再度男性が近付いてきて透耶の腕を掴もうとした。
 それを見た鬼柳が、素早く男性の腕を捻り上げる。
「うわあ! いたたたあ!」
 鬼柳は、その手で今すぐ骨まで砕きそうな程の力を込めて男性の腕を掴んでいた。
「恭、駄目!」
 男性が悲鳴を上げるのと同時に透耶がそれを止めた。
 鬼柳は少しだけ力を弛めて、ちらりと透耶を見た。完全な無表情。
 ……無茶苦茶怒ってる。
 とにかく、この場を丸く納めたかった透耶は、鬼柳の瞳を覗き込んで言った。
「恭、駄目だよ。騒ぎにしたくない。お願い、その人を離して」
 透耶が静かな声で言うと、鬼柳は無表情のままで男性を突き離した。
 まるで、物でも投げるような感じだった。 
 男性は派手に床に転がってしまう。
 その乱暴なやり方に、透耶はギョっとしてしまう。
 これが発端で、外で待っていた宝田と西尾が慌てて店に入ってきた。
「どうなされました?」
「一体何が?」
 二人が慌てた様子で鬼柳を見るが、鬼柳は完全に怒っており、その言葉を聞いてなかった。
「あ、大丈夫です。いえ、あの人は大丈夫じゃないですけど……」
 これをどう説明していいのか解らなかった透耶は、しどろもどろとしてしまう。
「あの野郎が、難癖つけて透耶に触ろうとしたからだ」
 鬼柳が低い声でそう言うと、宝田はこの状況に納得してしまう。
「なるほど、それは仕方ありません。あれくらいで済んだのが不思議なくらいです」
 などと宝田が言い切るものだから、西尾が更にギョッとしてしまう。
 透耶は軽く首を傾げていた。
 ……今さらりと、凄い事を言ったような気がするんだけど……。
 慌てたさっき一緒にいた女性店員が駆け寄って男性を支えられて上半身を起こした。
 男性は掴まれていた腕の痛みが治まらないのか、そこを押さえたままで、立ち上がる事が出来なくなっていた。
 西尾はこの状況で、鬼柳がここまで怒りを露にするとはと唖然としてしまう。
 男性が立ち上がれない程の痛みを与えた理由が、ただ透耶に触れようとしたというだけなのだから。それに納得する宝田も相当なものである。


 幸い店には透耶達しかいなかったので必要以上には騒ぎになりそうはなかった。
 すぐに店の店員達が飛び出してきて、騒ぎを起こした男性に謝罪をさせ、透耶達に頭を下げてきた。
 その後、店の奥にある接客室に二人は通された。
「この度は、本当に申し訳ありません」
 店の店長が必死になって頭を下げている。
「この店は、客にちょっかい出すような店員をカウンターで客対応させてるのか」
 無表情なままで店を批難する鬼柳。
 しかし、透耶はそれを遮った。
「違うよ。あの人は店員じゃない。デザイナーだよ」
「は?」
 鬼柳が不思議そうに透耶を見た。
「あの、そう名乗りましたか?」
 店長も透耶がいきなりそう言い出したので驚いている。
「いえ、今思い出しました。工藤正幹、ファッションリングデザイナー。30歳でパリコレクションで最優秀賞獲得、32歳でハリウッド映画で、デザインした指輪が好評で、アメリカでも一流と認められる。
 世界で活躍するが、日本での師匠が死亡後、彼女が所有していたコレクションを相続し、現在世界数十店鋪で年数度のAKERUコレクションを公表してる。ここは、彼のオリジナルとAKERUコレクションを同時に唯一扱う店鋪。元々は、彼が彼女を慕って弟子入りした店。で、あってますか?」
 思い出すように淡々と言った後、少し不安そうに聞く透耶。
 店員は驚いた顔で透耶を見ている。
「ええ、あってます……よく御存じで」
「透耶、よく知ってるな」
 感心したように言われて透耶は喋り過ぎたと遅すぎる後悔をした。
 説明するには、ここまで詳しく話す必要はなかったからだ。
「いえ、ちょっと何かで見ただけです。あの、もう謝罪とかはいいです」
 透耶は慌てて話を打ち切った。
「恭、俺、早く帰りたい」
 隣に座る鬼柳の腕を握り締めて透耶は言った。
 これ以上、ここにいると余計な事を喋りそうだから、とにかく早くここを出たかった。
 妙に焦っている透耶を鬼柳は不思議そうに見ていた。
「申し訳ありません、すぐにお買い上げの品物を御用意させて頂きます」
 店員はそう言って下がって行った。
 間を置かずに、商品を持った店員が現われ、商品をさっそく填めてもらい、説明を受けて店を後にした。
 謝罪を繰り返す男性を透耶は、とくかくもういいからと言って謝罪の半分も聞いてなかった。
 それは透耶には珍しい行動だったので、鬼柳は気になって、店をかなり離れた所で尋ねた。
「あの男に何か嫌な事でも言われたのか?」
 物凄く不機嫌な低い声で言われて、透耶は我に返った。
「え? あ、ううん、そうじゃない。迂闊だった。何で入る前に思い出さなかったんだろう」
 透耶はそう言って真剣に唸っている。
「何を?」
 さっぱり解らないと不満顔をしている鬼柳に、透耶は丁寧に説明をした。
「んー、あの店。俺の伯母さんの持ち物だった所。伯母さんの弟子がさっきの男の人で、伯母さんの信者な訳。あの人がデザインするのは全部伯母さんに似合うものが限定で、まあ、それが受けているのは確かだけど。ただね、俺がそういう所に顔を出すと、斗織に怒られるんだ」
「斗織? 玲泉門院(れいせんもんいん)の親戚? 怒られる?」
 全てにおいて、?マークの鬼柳。解ったのは、あの男の正体だけである。
 ……あー、これじゃ要約しすぎだった。
 透耶は、少し整理して鬼柳に説明した。
「AKERUコレクションの朱琉は、玲泉門院朱琉の事で、その娘が、氷室斗織。でさ、俺の顔って、光琉にも似てるけど、それより斗織の方に似てるんだ。斗織は朱琉さんにそっくり瓜二つ。そうなると」
 こう説明されて鬼柳は理解した。
「はあ、勘違いされて、せっかく治まっていた信者魂に火が付くって事か」
 鬼柳に言いたい事が伝わっていたので、透耶は微笑んで頷いた。
「そういう事。朱琉さんが亡くなった頃に、斗織を見たあの人が、しつこくモデルになってくれって言ってきたんだって。イメージ通 りに作ったからそのイメージモデルね。まあ、斗織の家、氷室家はそういうのに厳しいから断わり切ったらしい。だから、俺みたいなのがヒョッコリ顔出したりしたらマズイ。せっかく沈下した信者魂に火を付けてしまう。だから近寄るなって言われてたのになあ」
 さて次に会ったら苦情が出るのは明らかだ。そう思って透耶が何と言い訳しようかと悩んでいると、鬼柳が思い出したようにツッコんだ。
「ちょっと待て。玲泉門院の血は同形の顔が出る程、そんなに強いのか?」
 光琉=透耶=斗織=朱琉。どう考えてもおかしな構図だ。
 結局、玲泉門院の血を持つ人間は皆同じ顔という結果しか出ない。
「強いねえ。こういう顔ばっかり。男性女性じゃ微妙に違うらしいけど、見る人からすれば同形ってすぐ解る。母さんと朱琉さんは従姉妹なのに双子って程似てたし。お祖母様達も同じ様な顔してた。葵さんと馨さんはそっくりだし。完全に玲泉門院って解る。あ、夏のお盆に皆揃うから一回見てみる?」
 鬼柳がそういうのに興味があるんだろうか?と思いながらも透耶はそう言って笑う。
「盆はいいが。何故そんなに同形の顔になる? ちゃんと他の遺伝子入ってるのか?」
 鬼柳がそういうので、透耶は笑ってしまう。
 ……そうだよな、おかしいよな~。
 そう思いながらも、透耶が言えるのは一言しかない。
「うーん、葵さん曰く。それが玲泉門院なんだって」
 透耶が意味の解らない結論を出した。
 玲泉門院葵、唯一玲泉門院の名を持つ最後の一人だ。そして、朱琉の弟。
「はあ?」
 当然鬼柳には解らない。
 透耶はうーんと唸って言った。
「何かよく解らないけど、この顔だから玲泉門院なんだって言うんだよ。特徴なのかなあ?」
 他者の遺伝子を無視した一族。産まれる子供は一目で解るように、同じ顔をして産まれ育つ。あり得ない不思議。
 鬼柳は、これも呪いの一つなのかと思った。意味があるんだろう。だから、納得するしかない。
 それの意味を知るのは、葵という伯父のみだろうから。
「興味があるなら、葵さんに直接聞いてみればいいよ。ただねえ、確信つくとはぐらかされるから、本当の事が聞けるとは限らないけど」
 我が叔父ながら、油断ならないと透耶は言う。
「東京にいるのか?」
「ううん、京都。北嵯峨に玲泉門院の屋敷があるから、そこに住んでる。そうそう、葵さんが玲泉門院の研究してたんだ。大学の卒論にしたいとか言って調べてたらしいよ」
「そうだな。機会があったら聞いてみよう」
 鬼柳はそう言って話を切り上げた。
 どうも玲泉門院についてはまだ謎が多い。
 いずれ、全てを聞き出さないといけない。
 本心では、そんな家の事など知らなくてもいいだろうとは思うが、その全てが透耶に関わりがある事であるなら、鬼柳はその全てを知りたくて仕方がなかった。
 知りたいというより、知っておかないと何か大変な事になりそうな気がしてならなかった。


「西尾、近くの駅で停めてくれ」
 ホテルへの帰り道で、鬼柳がいきなりそう言った。
「は? あの」
 ホテルへ戻るはずが、鬼柳がそんな事を言い出したので皆驚いた。
「どうしたの?」
 透耶がそう聞くと鬼柳は少し笑って言った。
「透耶、ちょっと付き合ってくれ」
 鬼柳はそう言って黙った。
 宝田には意味は解っていたらしく、西尾に車を停める様に指示を出した。

 駅で車を降りて、西尾と宝田は先にホテルに帰して、鬼柳は電車に乗るらしく駅へ入って行き、切符を買っている。
 透耶は不思議そうな顔で、切符を受け取って改札を抜けた。
 久しぶりの電車だ。
 もうラッシュは過ぎているが、人は多い。
 人混みを避けて、鬼柳は透耶を座席に座らせると、自分はその前に立って吊り革を掴んでいる。
 透耶の隣の座席は空いているのに、鬼柳は座ろうとしない。
 透耶が勧めても、「いい」と言って立ったままだった。
 何だか様子が違う鬼柳に、透耶は首を傾げながらも、黙って従っていた。
 もう一回電車を乗り継いで、鬼柳が降りるというので透耶もそれに続いた。

 駅を出ると、そこは商店街やらがある下町の雰囲気がある場所だった。鬼柳は歩きながら煙草を吸い始めた。
 透耶は鬼柳が何か言おうとしているのだとはっきりと解った。何をという部分は解らない。ただ、何かを言いたいと思っている事は確かだった。
 透耶は隣を歩きながら道を見ていた。
 鬼柳の歩き慣れた歩調に、ここは鬼柳のテリトリーなんだと思った。
 鬼柳はあまり自分の事は話したがらない。苦手なのは解るが、それだけではない事くらい透耶にも解る。
 途中で、行き過ぎ様とした車が停まった。
 鬼柳が振り返って、車の相手に手を振っている。
 車の相手が降りて、手を振り返している。
 出てきたのは、25歳くらいの女性。
 知り合いらしい、と透耶は判断した。
「最近、見なかったじゃない、どうしたの?」
 女性がそう言ったのだが、鬼柳はそれを無視していた。
 その態度は、いつもの事らしいく、女性は苦笑している。
「仕事じゃないんだ。ふーん、で、戻ってきた訳じゃなさそうね」
 女性が笑って言う。
「車、運転してやるから、乗せていってくれ」
 鬼柳がそう言うと、女性は簡単に頷いた。 
「いいわよ」
 女性はすぐに後部座席に乗り込んだ。
 透耶は鬼柳に勧められて、助手席に座るように言われたが、何故か女性に引っ張られて後部座席に乗せられた。
 鬼柳が無理に助手席に乗せようとはしなかったので、透耶はそのまま後部座席に座っていた。
 車が動き出すと、それを待っていたかのように女性が喋り始めた。
「随分可愛い子に手を出してるわねえ」
 女性は透耶をじーっと見つめると、そういう事を言い出した。
「鏡花(きょうか)、悪戯するな」
 鬼柳の口調は、さほど怒ってない口調だったので、透耶は、この二人はどういう関係なんだろうと首を傾げた。
「いけずー。初めてじゃない? こういう風に連れ回すなんて。本気になった?」
「ああ」
 鬼柳が運転しながら即答したので、鏡花は驚いた顔をした。
 冗談で言った言葉に頷かれて、かなり驚いているようだった。
「いやあー。どうすんのお。ミチルちゃんとか、直樹君とか、その他のあんたのファンがキレるわよー」
 鏡花は、わざと大袈裟に言ってみるが、顔が笑っている。
 透耶はそれを見て思った。
 ……なんか、凄く嬉しそうだなあ。
 鬼柳が本気になったという言葉が嬉しいらしい鏡花の様子に、この女性は透耶が出会う前の鬼柳の事をよく知っている人物だと認識した。
「知ったこっちゃない」
 素っ気無い一言で返す鬼柳。
 そういう話を聞きながら、透耶はふといつもの様に思い出して言った。
「あの、榎木津透耶です。初めまして」
 言って頭を下げると、鏡花は一瞬キョトンとしてから、ニコリと微笑んだ。
「あたしは藤生(ふじう)鏡花よ。これでも人妻。鬼柳ー、これ頂戴」
 これ呼ばわりされた透耶は、鏡花に抱きつかれた。
 何だあ?
「触るなと言ってる」
 唸るような低い声が返ってきて、鏡花はやっと鬼柳が本気で透耶の事を好きなのだと認識した。
「ありゃ、マジなんだ。へえ、この子落とすのに何ヶ月もかけたわけだ。天性のタテ男がねえ。最高でも、1時間以内にノンケも落とす男がねえ。あんたのお陰でどれだけのノンケがネコになった事か」
 しみじみと鬼柳が今までしてきた事を話す鏡花に、鬼柳は冷たく言い放つ。
「つまらん事吹き込むな」
「あ、話してないんだー。うわあ、マジなんだあー」
 鏡花はわざとらしく驚いている。
 透耶はキョトンとして鏡花を見る。
「しっかし、綺麗な顔してるねえ、これが好みだったんだ」
 鏡花は透耶の頬を両手で包んで、じっと透耶の顔を眺める。
 何だか、逆らえない状況に透耶は大人しくされるがままであった。
「別に、透耶が透耶だから惚れただけだ」
 やはり素っ気無い言い方ではあるが、透耶には嬉しい言葉でもあった。
 ……そういえば、いつもこう言ってるよねえ。
 まったく最初から変わらない鬼柳の言葉に、透耶は微笑んでしまう。
 それを見ていた鏡花は、本当にあの鬼柳が、この少年を手に入れる為に苦労していたんだと解った。
「遊んでる男が一途になると怖いねえ。テクニックあるだけに。ねえ、どうだった?」
 鏡花はまるで幼い子供をあやすような口調で透耶に聞いてくる。
「へ? あの……」
 透耶が言葉を口にしようとすると、鬼柳がすぐにそれを止めた。
「透耶、答えなくていい。鏡花も余計な事を言うな」
 鬼柳の言葉に透耶は首を振って言った。
「いや、そうじゃなくて。ねえ恭、ネコって何?」
 透耶は真剣に鬼柳に聞いていた。
 ネコが猫の意味でない事は話の内容で解るが、それがどんな意味なのかはさっぱり解らない透耶。
 一瞬、車内が沈黙して、鏡花が笑い出した。
 透耶には、何故鏡花が笑っているのかさっぱり解らない。首を傾げて、バックミラーに映る鬼柳を見つめる。
「……後で説明する」
 鬼柳が辛うじて言葉を吐いた。
 そうしていると車が停まった。
「透耶、降りるぞ」
 透耶は頷いて車を降りた。

 そこは、古い小さめのビルが立ち並ぶ通りで、周りはまだ灯りが点っている場所も多い。人通 りもポツポツで、商店街の一角という感じだ。
 鬼柳と鏡花は少し話して、鏡花は透耶に手を振ると、車に乗って走り去った。
「友達?」
 どういう関係なのか、結局聞けなかったと、透耶が言うと、鬼柳はそれを説明してくれた。
「まあ、そういう風にくくった事はないなあ。クラブで会って、話してたら結構気が合ってからの付き合いだ。日本にきてからだから、もう5年だな」
 鬼柳が思い出しながらそういうと、透耶はこういう話は本当に珍しいと思った。
 そういえば、鬼柳の日本での友達に会うのは、これは初めての事だ。
 そんなことを考えながら透耶は生返事をしていた。
「そうなんだ」
 透耶がそう言ったのを聞いて、鬼柳ははっとして慌てて言った。
「あ、あいつとは寝てないぞ。あれでも旦那一筋だから」
 凄く慌てた言葉に透耶は不思議な顔をする。
「そんな事、聞いてないけど……」
 キョトンとして透耶が見上げたので、鬼柳は拍子抜けした。
 過去鬼柳がどれだけの人間と寝たのか。
 透耶がそういう事をまったく気にしてないのには、鬼柳も驚いていた。割り切っているのか、事実を受け入れているのか。
 来る者拒まずなのは知っているだろうが、鬼柳はそれを詳しく話してはいなかった。
 はぐらかすつもりはないのだが、進んで話す必要もない。
 それに透耶は一度として、深く聞こうとはしない。
 それどころか、その事柄について、透耶から尋ねられた事は一度としてなかったのだ。
 そういう事柄よりも気になる事があるような感じで、透耶はキョロキョロと周りを見渡している。
「透耶、こっちだ」
 鬼柳は言って古いビルに入った。透耶は慌てて後を追った。


 5階建ての古いビルには、エレベーターなんてものはなく、階段を上がって行くだけの古いビル。
 鬼柳はそこを慣れたように階段を登って行く。
 透耶は一階上がるごとに周りを見ていたが、ここは事務所が入ったビルらしく、小さな事務所がいくつも入っている。明かりが消えているから当然誰にも会わなかった。
 4階まで登った時、鬼柳が一つの事務所をノックした。
 返事を待たずに鬼柳は中へ入って、透耶にも入れと促す。
 入った事務所の中は本の山に段ボールの山。
 何の事務所なのかは、入り口には書いてなかったので解らない。
 入ってすぐの部屋はそういう感じで、透耶が呆然としていると、鬼柳は別 の部屋を覗き込んで言った。
「おやっさん、鍵」
「んああ? 鬼柳じゃねえか。お前んとこ、毎晩小僧が来てるぞ」
 鬼柳より低い声が答えて、のそっと部屋から出てきた。
 ジーパンに上は何も着ていない、40くらいの男。頭をボリボリと掻きながら、部屋にいる透耶に目を向けると驚いた顔をして鬼柳を振り返る。
「おいおい、こいつぁー俺の幻かあ?」
 本当に驚いた声だった。
 おやっさんは言った後、透耶をじっと見つめている。
「幻見る程飲んだのか?」
「いや、今日は飲んでねえから言ってんだ」
 妙に真剣な言い方に、透耶は首を傾げる。
 ……何が幻なんだろう? 何か見えるのかなあ?
 思わず自分の後ろを振り返ってしまう透耶。
「ああ、いいからそいつに構うな。鍵返してくれ」
 鬼柳が催促すると、おやっさんはやっとそれに答えた。
「鍵なら、そこらへんに転がってる」
 おやっさんが指差したのは、本が崩れた場所。
 それも、10冊なんてものじゃない。
 50冊くらいの本の山なのだ。
「ああ? てめー、預かったもん適当に置くなよ」
 鬼柳はブツブツ言いながら、崩れた本を取っては投げる。
「本の上が一番安全だから置いてたら、さっき崩れたんだ。あんまり乱暴に放るな」
 おやっさんがそう言うが鬼柳は無視している。透耶もこれは手伝った方がいいと思い、しゃがんで鬼柳が投げた本を並べて行く。
「透耶、汚れるから触らない方がいい」
「恭こそ、本は投げるもんじゃないよ」
「いいんだよ、どうせろくな本じゃない」
「駄目だよ。これは恭の本じゃない。それに適当に置いてある本に見えるけど、ちゃんと分類分けされてるし、見分けられるように積んであるんだから」
 透耶がそう言うと、鬼柳の手が止まっておやっさんを見上げた。
「そう、なのか?」
 物凄く不思議そうに聞いてきたので、おやっさんは笑ってしまう。
「そりゃお前には解らんだろう。大抵の奴には解らんもんだが、こりゃ、こいつの方が特殊なんだな。お前、本好きだろう?」
 透耶が本を好きなのは、扱い方を見ればおやっさんにも解る。だから嬉しくなって微笑んでしまったのだ。
「ええ、好きです。あ、どうも榎木津透耶です。こんばんは」
 透耶は座ったままで頭を下げて挨拶をした。
 どんな状況でも自己紹介を忘れない透耶である。
 おやっさんはポカンと透耶を見ていたが、すぐに笑顔になった。
「俺は、各務平治(かがみ へいじ)だ。このボロビルの管理人だ。皆、おやっさんと呼ぶ」
 おやっさんも自己紹介をした。
「平治さん、オールマイティーなんですねえ」
 皆がおやっさんと呼ぶと言って、おやっさんと呼べという意味を込めていたのだが、透耶には通 用しなかった。
「んああ?」
 おやっさんは眉を顰めて透耶を見た。
 透耶は少し部屋を見回してから話し出した。
「雑学程度にしては、専門書がかなりあります。ジャンルも多方面において。この部屋にあるのは、もう読み終わった本なんでしょう?まだなのは、手元に置くタイプに見えました。終わったのは段ボールに入れて入らないのはビニールに入ってるから、本は大切にしてる。崩れたのは、最近読み終わったので、今段ボールもビニールもないから積み上げられてるだけで、分類分けされてるから、かなりの本好きなんだと思いました」
 透耶はそう言いながら、取り上げた本を見て。
「あ、これ絶版になったやつだ。古本屋にもないんですよねえ」などと呟いている。
 鬼柳も驚いていたが、おやっさんも驚いていた。
 未だかつて、この部屋をそういう分析で見た人間はいない。無駄に本を集めているだけだと皆思っている。しかも分類分けだったり、本を大事にしているとは誰も言わないのだ。
 驚いている二人を余所に、透耶はニコニコしながら時々本に手を止めて、「あ、これ好きなんだよなあ」などと呟いている。
「おい、鬼柳。先にあの小僧をどうにかしてこい。鍵はそれからだ」
 おやっさんがそう言ったので、鬼柳は立ち上がった。
 その小僧が邪魔で仕方がないという感じの言い方だ。
「ああ、解った」
 鬼柳が立ち上がった所で、おやっさんは付け足した。
「透耶は置いて行け。あいつに顔覚えさせるとろくな事にならん」
 おやっさんが透耶を名前で呼んだ事で、鬼柳は少し驚いてしまう。
 おやっさんは、自分が気に入った相手の名前しか覚えないからだ。
「……おやっさん?」
「いいからとっとと行ってこい」
 おやっさんに追い出されて、鬼柳は溜息を吐いた。
 しかし、おやっさんには珍しい気の使い方には感謝していた。
 普段なら、いやそういう状況は一度としてなかったが、あのおやっさんなら、鬼柳がもめていようが何しようが、面 白がって口出しはしても、こういう風な気遣いはしないからだ。


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