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「え? 明日帰る?」
透耶は食べかけの魚を戻して綾乃を見た。
綾乃は美味しそうにご飯を頬張りながら頷いた。
「うん。あたし、今学校休んでるのよ。本当は、親戚の葬式に帰ってきたんだけど、学校の先生がついでだから休んでくればいいって言ってくれて。でも明日東京に帰らないといけなくて。母から昨日電話があって、明日の便を取ったからって」
綾乃がそう説明すると、透耶は少し寂しそうな顔をした。
「そうだよね。学校あるし、仕方ないよね」
「先生のお陰で、ピアノの仕上がりは最高だから、あたし自信を持って帰れる。先生ありがとう」
綾乃は最初に見た時の険しい顔や悩んでいて切羽詰まった顔は、何処にもなかった。スッキリして、輝くばかりの笑顔で微笑んでいる。
それを見ていると透耶は何も言えない。
「俺は何もしてないよ。全部綾乃ちゃんの力だよ」
謙遜でも何でもない。自分の音を確立したのは綾乃の力である。透耶はそう思っていた。
綾乃は、透耶のお陰で自分の音を取り戻せたと思って感謝しても、透耶自身は何もやってないと答える事は分かっていた。それ以上追求する事はせず。
「そう言うと思ったけど。そうだ。先生、昨日練習中に寝ちゃったけど、あれってどういう事?」
綾乃がそう聞くと、透耶がグッとご飯を喉に詰らせた。
「あ、あれは……。その……。聴いてたら気持ちよくなっちゃって、それでつい寝ちゃったんだ。ごめんね、練習中に」
透耶がそう言ったものだから、鬼柳も綾乃も驚いて顔を見合わせた。
「それって、クラシック嫌いな奴がよくやるってやつじゃないか?」
「うーん、そういう人は元からクラシック聴かないけどねえ。でも本当に寝る人いるんだあ」
などと言われて透耶は小さくなってしまう。
もちろん、鬼柳も綾乃も本気で苛めているわけではなく、面白いからやっているだけである。
二人には解っている。透耶が眠れる程、綾乃のピアノは心地が良い音だったということ。そこまで、綾乃の音は完成したという事。
「ひーん、悪かったって。何でもするから」
透耶が頭を抱えてそう言うと、綾乃が何か閃いた、という顔をした。
「じゃあ、先生と鬼柳さんであたしをエスコート観光ってのはどう?」
綾乃の突拍子もないお願いごとに、透耶と鬼柳は目を丸くした。
結局、綾乃の要求通りにエスコート観光が始まった。
いきなり行く場所を言われて、綾乃が提案したのは、ビオスの丘だった。
自家用車・レンタカーでのアクセス。那覇空港より (沖縄自動車道経由)60分。沖縄自動車道石川インターより15分琉球村より15分。
海洋博記念公園より (沖縄自動車道経由)70分。ホテルムーンビーチ10分。
ルネッサンスリゾートより10分。
バスでのアクセス。 那覇空港・那覇バスターミナル・名護バスターミナルより。琉球バス・沖縄バスの「名護西線(20番)」又は、「空港リゾート線(120番)」で「仲泊」下車。(那覇バスターミナルから仲泊間の所要約70分)「仲泊」からはタクシー。(ビオスの丘まで約7分)
※「仲泊」から「石川-読谷線(48番)」に乗り換えビオスの丘に一番近いバス停の「第二団地前」で下車すると、ビオスの丘まで約3キロの上り坂を歩き。高速バス「石川インター」下車、石川インターからはタクシーを利用。
営業 9:00-18:00(入園は17:00まで)
沖縄に古来より伝わる風水を中心に構成されいるビオスの丘は沖縄の植物園。
「え? 何でここかって? 本当は中学の研修とかで、ここに来る予定だったの。でもお祖父様がピアノをやるなら東京にいい先生がいるって言って勝手に転校決めちゃってた。それも春休み中によ。行ったはいいけど、忙しすぎて、地元の友達と電話する間もなくて」
綾乃はここへ来た目的をそう話した。
透耶にも解る事だ。
そうやって思い出の人達と切れて行く。遊んでいる暇があるならピアノを弾け。そういう世界を見てきた透耶には、綾乃が今何を思っているのかは解っている。
会いたいのに、誰にも会えない。
「だから、ここにはあたしが好きな人達と来たかった。先生も鬼柳さんも大好きだから」
綾乃がそう言って微笑むと、透耶も微笑んで綾乃を抱き締めた。
「せ、先生!?」
こういうスキンシップは透耶には珍しい事だ。
綾乃は抱き締められて狼狽した。
「俺も綾乃ちゃん、大好きだよ」
透耶の言葉に綾乃は驚いた。
もちろん、愛の告白なんかじゃない事は解っている。だけど面と向かってこういう事を言われたのは初めてだった。
「……嬉しい……」
綾乃は泣きそうになっていた。
自分が好きだと思っている相手から同等の言葉が返って来る。それは最上の言葉だからだ。
だが、それを神聖に見ている事が出来ないのが鬼柳だった。
「ずるいぞ、てめーら」
低い声で言って、二人を抱き締める。
「ひゃあー!」
透耶と綾乃は完全に楽しんでいる。
「透耶、ずるいー。俺はー? 俺はー?」
「はいはい。鬼柳さんも大好きだよ」
ケラケラ笑いながら透耶が答えると、鬼柳は驚いたような顔を一瞬して、特上の笑顔を見せた。
「透耶ー。俺も大好きー」
鬼柳は言って、透耶の額にキスをする。
それを見ていた綾乃が言った。
「ずるいー。鬼柳さん、あたしはー?」
ジョークで言ったつもりだったが、鬼柳は何の躊躇いもなく綾乃の額にキスをした。
「……うそ?」
「綾乃にはservice」
鬼柳はニヤッと笑って、透耶に抱きついている。
透耶は少し困ったようにしていたが、仕方がないという風にされるがままになっている。
さっきの透耶の言葉を異様に喜んでいる鬼柳が、何だか変だなあと綾乃は思っていた。
もしかして、好きって言われた事ないって事?
とにかく観光である。
キス以上の事をしようとしたエロ魔人を透耶が殴り付けて、さっそく観光を開始した。
もちろん、観光と言えば、あの企画が動いている事は当然の事である。
必殺、透耶沖縄観光記録写真。
綾乃が爆笑したのはいうまでもない。
ビオスの丘は、人の感情を表現する5つの庭。で構成されている。
遊御庭(あしびうなー)→遊び で感情を表現。揚御庭(あぎうなー) →楽器 で感情を表現。 踊御庭(うどぅいうな ー)→踊り で感情を表現。謡御庭(うたいうなー) →謡 で感情を表現。思御庭(うむいうなー)→思い を表す。
園を構成する5つの庭には、その場所の持つイメージから人の感情を表現する名称がつけられ、 ビオスの丘は1年をとおして涸れる事のない森からの水に守られて、メダカをはじめとする様々な水棲小動物や水鳥たちが育まれている。
大龍池(うふたちぐむい)上空から見たその形から懐けられ、ビオスの丘の風水を現すシンボル的な存在でもある。 東西方向に長さ約500m、深さは深い所で約5mの人口湖。 湖水鑑賞舟が運行し、湖畔の森や湖の生態系について船長がガイドをしてくれる。
天染池(てぃんずみぐむい) 天を映し出す池という意味。
毎年、5月中頃から9月にかけて水面覆うように蓮が茂る。薄桃色や純白のものなど様々な種類の可憐な蓮の花が咲く情景は「天上界」を連想する。7月の第1日曜日天染池(てぃんずみぐむい)畔で、琉球舞踊や蓮にちなんだ食べ物などが振舞われる風流で素朴な小宴が開かれる。「蓮の宴(はすのうたげ)」。
残念ながら、今の時期には見られないモノだ。
花染池(はなずみぐむい)水面に木々や花々を映し出す温かい女性的なイメージを込めて名付けられてる。入園するとまず目に入ってくる情景で、熱帯スイレンの鮮やかな色調が美しい。
ビオスの丘を思いっきり楽しむなら、ビオスの丘スタンプラリー。
園内に散らばった7つのクイズを探せ!入園口で受け付け用紙をもらい園内各所にある7つのクイズに正解すると、素敵なプレゼントがもらえる。スタンプ台にクイズがある。
問題を解くのは綾乃で、場所を見つけるのは透耶で、そこまで迅速に案内するのは鬼柳だった。
全問やり終えて貰ったプレゼント。それはやってみた人のお楽しみだ。
きじむなー迷路もあるのでやってみる。
「ここまで単純なもんにどうしてそこまで迷うんだ?」
そう言ったのは鬼柳。
「鬼柳さんが異常なコンパス持ってるんだ!」
散々迷って、鬼柳に救出された透耶と綾乃が鬼柳を指差して怒鳴る。
ビオスの丘 湖水鑑賞舟。湖畔の植物やランの花、小動物などを船長がガイドする、25分間のジャングルクルーズ。
所要時間は25分間。
大龍池(うふたちぐむい)人口湖 【全長】 約500m 【水 深】 最深部約5m(綾舟場付近 約2m)
湖水鑑賞舟はおよそ1kmの航路を25分かけて運行している。 大龍池(うふたちぐむい)は、上空から見ると龍の形に見えることから名付けられたらしい。
「ダイナミックな亜熱帯のジャングルを船上から楽しもう。ねえ……」
そうした説明に鬼柳が呟いた。
透耶が横を向いて鬼柳を見た。
「本物はもっと圧倒的?」
「ああ、恐ろしいくらいにな。このまま呑まれてしまうんじゃないかって思った」
鬼柳の言葉に透耶は微笑んだ。
鬼柳は報道カメラをしていた時代の話は無意識に避けている風な感じがある。もちろん透耶が聞けば答えるだろうが、それはしたくないと透耶は思っていた。
だから、自然と鬼柳が話してくれるのを待っていた。
一言でもいい。
透耶にはそれは嬉しい事だった。
「こんなに綺麗に整備された所じゃないし、一歩中に入れば、自分で自分の命を守らないといけない。そんな場所だ。死ぬ 奴も沢山いる」
そう言った鬼柳の横顔は、凄く寂しそうだった。
この人は。……人が死ぬ。それも簡単に死んでしまう事をよく知っている。そしてそれがとても辛く悲しい事を。
誰かの死が鬼柳を未だに捕らえている。
透耶が未だに友人の死に捕われているように。
鬼柳は透耶の事を、一つ一つ丁寧に解きほぐしていくのに、透耶は鬼柳の何にも役には立てないと思っていた。
それは悔しく、寂しい事だった。
沖縄県内最大規模の洋ラン専門店
ガーデンセンター。同じ敷地内にある国内最大規模の洋ラン生産温室に直結したショップ。ギフト用から園芸・愛好家用まで、沖縄一番の品揃え。ガーデンセンターにドリンクやアイ
スクリームを用意した休憩所やお土産物コーナーもある。
おもろ茶屋で、散策の後、広いガーデンを眺めながらのティータイム。
アイスクリームを透耶と綾乃が食べている間に、鬼柳は洋ランの撮影をしていた。
「綾乃ちゃん」
座って食べていた透耶が、視線を下に向けたままで綾乃を呼んだ。
「何、先生」
さっきから透耶が何か考えるようにしているのは、綾乃にも解っていた。
少し気を利かせて鬼柳と透耶を二人っきりにした後から、透耶は楽しそうにしているが、ふと何かを考えている風だった。
何か聞きたい事がある。
そういう風な感じだったので、綾乃は静かに透耶の言葉を待った。
透耶は話そうか、やっぱり止めようか、少し悩んだが、他の誰にも相談は出来ないとでも思ったのか、ポツリと話し出した。
「最近一緒にいるようになって、でもその人には誰にも言いたくない過去があって……。聞けば答えてくれるけど、それを聞かなきゃ答えられないのが悔しいとか、寂しいとか思う?」
そんな言葉が出てきて、綾乃はピンッときた。
「ははあ、なるほど。先生は、聞かなくても自然に話してくれるのを待ってるんだ。けど、待ってられないくらいに気になるわけか」
「うん」
「難しいなあ。その内容にもよるだろうけど。でもさ、先生にはそれを聞いて全て受け入れられる準備はあるの?」
綾乃の返してきた言葉に透耶は少し驚いて顔を上げた。
「え? それは…」
まさか、そう返ってくるとは思わなかったからだ。
いい淀んだ透耶の言葉を待たずに綾乃は続けて話をする。
「人ってのはね、話したくても、これを話したら、人が去ってしまうかもしれないという恐怖があるの。その内容が深ければ深いだけ。その内容を話して聞かせる相手が、自分にとって大切であり過ぎると、不安になるの。それが自分にとってただの秘密でなく、罪であるなら、簡単には話せないし、恐怖だわ」
「あ……うん、そうだね」
綾乃に言われて透耶は納得した。
そう自分もそうだ。
これを話したら、鬼柳は去ってしまうかもしれないと思った。だけど、それと反対にこの人は最後まで聞いてくれるとも思った。
そう自分は信じたのだ。
話しても大丈夫だと信じた。
けれど、鬼柳は信じてない?
だから、話さない?
そういう自分もまだ肝心な事を話してない。それは怖くて言えない。話すと約束したのに。
「先生さあ。鬼柳さんにちゃんと言葉で伝えてる?」
綾乃も下を向いたままで言った。
「え? 何を?」
「今日、先生、あたしの事、大好きって言ってくれたじゃない。そしたら、その時の鬼柳さんの顔、寂しそうだったのよ。言わなくたって解るくらいに、先生に言われた事ないんだって解った。先生はその後、ついでみたいに大好きって言った時、鬼柳さん信じられないって顔してた。嬉しそうだったけど。きっと先生が思っている以上に、鬼柳さんは先生の事思ってる。……言わなくても先生解ってると思うけど」
別に綾乃は批難めいた事を言っているのではなく、どうしてそうなっているのかが気になっているだけの言い方だった。
透耶は、視線をまた下に落とした。
「……うん、解ってる。解ってるんだ。鬼柳さんはストレートだから、嘘は言わないから。でも、そうして向けられる事が怖いって事ない?」
「鬼柳さんは、まあ、ストレートだけどさ。たぶん、誰も好きになった事ないんじゃないの? 来る者は拒まず、去る者は追わずって感じだけど。先生に対してはさ、こう掴み所がないってのかなあ? やることやってるのに、肝心な所は怖くて触れない感じ。だから、自分がこう思ってるって伝えたいだけじゃないの? 先生はどうしてそれを怖いって思うの? 答えてあげようとは思わないの?」
「……解らない。いや、解ってる。答えなきゃと思ってるけど……」
透耶が本当に真剣に考えているのを見て、綾乃は何をそんなに悩んでいるのか解らなかった。
少し考えてから、答えてくれそうな質問をした。
「……んと。先生、それは男同士だからとか?」
透耶は首を横に振った。
「他に誰か思ってる人がいるとか?」
また首を横に振った。
「じゃあ、何が引っ掛かってるの?」
どれも違うと言われて綾乃は確信を突いた質問をした。
透耶は伏せていた目を閉じてそれに答えた。
「俺は人を好きになるのが怖いんだ」
透耶のその言葉に、綾乃は納得したように言った。
「ははあー、なるほどねえ。でもさ、先生。人は誰でも人を好きになるのは怖いんだよ」
「え?」
また綾乃の意外な言葉に透耶は顔を上げた。
綾乃は前を向いたままで、話を続けた。
「だって、付き合ってさ、まだ好きなのに嫌われたらどうしようとか、表面 だけ見て好きとか言われているんじゃないか?とか、いろんな事が解ってくると捨てられるんじゃないかとか。そういう事は色々考えるよ。でもさ、それで逃げたら人を好きになった自分が可哀相だと思わない?」
「自分が可哀相?」
「うん、折角人を好きになってるのに、それを完全に否定しちゃうわけでしょ? それじゃいくら誰かを好きになったとしても、そこで完結しちゃってる。可哀相以外に何があるの?」
綾乃はそう言い放った。
そう、誰かを好きになる、それ自体否定している。
相手が誰にせよ、それ自体を否定して終わっている。
だったら、何故、こうして俺は悩んでる?
男だからとか、そんな事は考えた事はなかった。立場とか、そういうのは考えた。でもそれは鬼柳の言葉で否定された。
そんなのは関係ない、透耶が好きなだけだ、の一言で。
人を好きにならないと決めつけていた。あの事を思い出したくないから逃げてる。なのに、この思いは止められない。
「一生誰も好きにならないつもり? 鬼柳さん以上に先生の事大切に思ってくれる人なんて絶対現れないわ。一生に一度、最初で最後の愛している人にしてもいいじゃない。それくらい思ったっていいじゃない。鬼柳さんはそれくらいとっくに覚悟してると思うけど」
綾乃はそう言って、ふと鬼柳が近付いてくるのを見付けた。
まだ透耶は気が付いてない。
咄嗟に綾乃は鬼柳に来るなとジェスチャーで報せた。鬼柳は奇妙な顔をしたが、透耶が何か真剣に考えているのを見て綾乃を見た。
綾乃は、もう少し任せろとだけ報せて、鬼柳が納得出来ない顔をしながらも、頷いて少し離れた席に座るのを見届けた。
「先生の中にあるモヤモヤは何? どうして鬼柳さんの過去を知りたいの? それはある意味好奇心とも取れるけど、先生はそういう事で人の過去を知ろうなんて思わないのは知ってる。だから、それは独占欲でしょ。鬼柳さんを自分のモノにしたいんでしょ? 先生にはそれが出来るのよ。もっと欲しがりなさいよ。全部欲しいって言えばいのよ。何で話してくれないんだって言えばいいじゃない。先生が何か話したいなら、思い切って話せばいいわ。鬼柳さんにはそれを受け入れる許容量 は十分あると思う」
綾乃が力を入れてそう言った。
すると、透耶はぷっと吹き出して笑った。
「え? 先生?」
透耶がクスクス笑っているから、綾乃は何か場違いな事でも言ったのか?と不安になった。
透耶は笑うのは悪いと、一生懸命に笑いを治めた。
「い、いや、ごめん。笑うつもりは……。綾乃ちゃん、凄い事言うよねえ。びっくりしちゃった」
「先生、あたし真面目よ!」
「うん、解ってる。そんな考え方した事なかったよ。それでいいんだって思ったら、気が抜けちゃって」
そう母親も、伯母も、皆そう思って人を好きになって子供を残した。自分達がどういう状況にあるのか理解していたからこそ、皆一生に一度の恋をした。
ただそれだけなのだ。
そう、彼女が何故約束を破って恋をしたのか、誰かを愛したのか。人は人を恋しく思うものなのだ。一人では生きて行けない。例え呪われていたとしても、思う相手が納得してくれるなら、それは最高の事なのだ。きっと死んでまでも一緒にいられる、一生、永遠を手に入れる事が出来るのだ。
透耶は、ふと叔父の言葉を思い出した。
「人を好きになる事は何も不幸な事じゃない。我々のような者でも、その権利はある。うちで不幸になった者がいたと思うか? 皆幸せで一生のものを手に入れた。ただそれだけなんだよ。それは普通 より凄い事じゃないか」。
それを理解した時、透耶の中のモヤモヤは綺麗に消えてしまった。
「まったく、先生の周りには馬鹿な人しかいないのね。それか、大事にし過ぎてるのよ。人を好きになるのに理屈なんか必要ないのよ。そりゃ、不安だって怖い事だってあるわ。だけどそれを乗り越えるのが一人なのか二人なのかって事よ。だったら自分の好きな人と一緒のがいいに決まってる。馬鹿みたいに反論しやがる奴がいたら、こっちは目一杯幸せだって見せつけてやりゃいいのよ。文句あっか!? 僻んでんじゃねえ!ってくらいまで思っちゃえば、外野なんてどうでもよくなるよ」
綾乃が力を込めてそういうと、透耶は笑いながら言った。
「はあ、まあ、鬼柳さんの場合は節度ってものが必要だと思うけど」
「言えてるー。で、告白はいつ頃?ってかー。あたしが帰るまではやめてー! 先生達に見送って貰いたいからー」
「あはははははは。やっぱ、怖いからやめようかなあ」
「エロ魔人、空港だってかまやしないって思うわよ」
綾乃が笑って言うと、透耶は真剣に唸った。
「ううう、それが問題だ」
えらい言われ様だ、エロ魔人。
「で、先生は告白する覚悟は出来たわね?」
透耶がかなり気が楽になったような顔をしていたので、綾乃は最終確認をした。これを聞かないと、いや、約束させないと、またうだうだ悩んでしまいそうだと思ったからだ。
「うん。綾乃ちゃん、ありがとう。きっと俺、誰かに発破かけて欲しかったんだと思う。それが綾乃ちゃんで良かった」
すっきりとした顔で透耶は言った。
それがあまりに綺麗だったから、綾乃は照れてしまった。
「これは、授業料かな? 先生にはお世話になったし」
テレながら綾乃がそういうと、透耶はクスクス笑いながら言う。
「でもさ。こういうのは、友達関係なら当たり前の協力じゃない?」
「あたしと先生が友達?」
凄く意外な言葉が出たので、綾乃はキョトンとしてしまう。
「あ、嫌だったらいいんだ。なんか、そう思っちゃって。俺、友達少ないしさ」
透耶は少し調子に乗り過ぎたかと思ったが、綾乃は首を横にブンブン振ってから凄く嬉しいと微笑んだ。
「ううん、嬉しい! じゃあ、電話番号交換して、お互いの家行ったりして、休みの日にはショッピングとか、遊園地、うーん、それからあー、あ、もちろん保護者同伴だからー車は確保したも同然ね」
「いいねえ、楽しそう。やろう、綾乃ちゃん!」
透耶はそういう付き合いをした友達がいなかったので、本当にそうなったら楽しいだろうなあと想像して、実行したいと思った。
「うん、うん、先生、大好きー!」
「綾乃ちゃん、大好きー」
などとやっていたら、不機嫌な声が上から降ってきた。
「てめーら。油断も隙もないな」
二人が見上げると、鬼柳が不機嫌な顔で立っている。
「あら、やだ。あたしたちは友情を確かめ合ってるだけじゃなーい」
「レズってんじゃねえ」
鬼柳は透耶と綾乃が抱き付き合っているので、それを無理矢理剥がして透耶を抱き締める。
「透耶は俺のだ。綾乃でもやらん」
真面目な顔をして言うものだから、綾乃も透耶も吹き出して笑ってしまう。
「そんなの解ってるって」
二人の声がハモッたものだから、鬼柳がまた不機嫌になった。
ビオスの丘を満喫して、帰りに鬼柳が夕食にと店を選んだらしく、わざわざ綾乃の実家附近にある居酒屋へ行く事になった。
「別にそこじゃなくても、あたし鬼柳さんの手料理が食べたかったのにー」
そういう綾乃だが、鬼柳はそれを無視していた。
居酒屋について、鬼柳は綾乃の背中を押して中へ入った。
いらっしゃいませー。という声と共に。
「きたー! 綾乃だよ!」
という声が店中に響いた。
綾乃が驚いて声のした方を見ると、そこには小学校まで一緒だったクラスメイトが大座敷を陣取っていた。
「え? 皆、どうしたの?」
綾乃が驚いていると、一人が進み出てきた。
「何言ってるの。さあ、上がって。今日は同窓会よ」
「まあ、酒は飲めないけどなあ」
「雰囲気だけでもいいじゃんかー」
「今日は無礼講!」
あちこちから声が上がる。
「あ、こちら、スポンサーさんね。皆、お礼言ってよ!」
幹事をしていた女の子が声を上げた。
皆、鬼柳を見て一瞬怯んだが、ここは子供らしく、綾乃の知り合いである叔父さんだと思い込み、頭を下げて礼を言った。
「ごちそうさまです!」
鬼柳は無愛想なままで答えた。
「いや、別に礼はいい。これだけ集めてくれてありがとう。8時までだが、食べるだけ食べてくれ。酒は絶対に駄 目だ。俺達はカウンターにいる。綾乃、行ってこい」
鬼柳はそれだけ言うと、透耶の腕を引っ張ってカウンターに向かった。
一瞬、呆気に取られてた綾乃のクラスメイトだが、そこは現金。食べれるだけ食べてやれ!とばかりに注文が始まった。
「綾乃ー。久しぶりー。元気そうじゃない!」
「あ、うん。皆も相変わらずね」
「こっちは全然よ。でも、いきなり東京行っちゃうからびっくりしちゃったわよ」
「うん、ごめんね」
「いいって、綾乃が頑張ってるの知ってるし」
「大体さあ。帰ってきてるなら、一言声かけなさいよ!」
「そうそう、水臭い」
散々文句を言われて、綾乃は頭を下げっぱなしだった。
「ねえ、何で皆集まる事になったの?」
綾乃は当初の疑問を口にした。
タダで食べれると、食らい付いていた幹事が振り返った。
「あ、んん。今日、電話があったのよ。電話は女の人だったけど。あんたが帰ってきてるけど、明日帰るから、同窓会やらないかって。しかも食費はロハ。今日は土曜日で休みだったから、クラスメイトに電話しまくって人数集めたのよ。これで殆ど来てるんじゃないかな? まあ、食事なくてもあんたが帰ってきてるって言っただけで、三分の二は簡単に集まったわよ」
女の人?ふと綾乃は考え込んだ。だが、それは明白だった。屋敷の使用人知念が鬼柳に頼まれて電話をしたのだろう。
「そうそう、あたし、食事の事なんて聞いてなかったからびっくりしちゃった。現金なのは美代だよ」
「あー言うなあ。夜出るって言ったら、母さんが渋ったんだよ。でも夕食ロハって言ったら放り出されたんだから」
「真貴司(まきし)ー。カンパーイ!」
近くまで寄ってきた男子が綾乃が持っているグラスにグラスを当ててそう言って通 り過ぎて行った。
相変わらず、何も変わらない同級生に、綾乃はたまらなく嬉しかった。
大丈夫、帰る場所がある。
それは嬉しい事だった。
「鬼柳さん。綾乃ちゃんの為にセッティングしたんだ」
泡盛を飲みながら、透耶が言った。
今日は運転手付きなので、鬼柳も飲んでいる。
「まあ、な。こっちに来てから張り詰めてたし、友達の話とか一回も出なかったのが気になってな。母親に電話したら、友達とは連絡取ってないとか言ってて。綾乃が嫌がってるって。それで、どういう事か解らなかったら、知念が電話で確認してくれて、どうせなら同窓会とかいうのをやったらどうか?と言うから任せたんだ」
「へえ、そうなんだ。鬼柳さんが同窓会って言葉知ってるわけないしねえ」
透耶はクスクス笑った。
「今、意味が解った」
「そうだと思った」
透耶は振り返って綾乃を見ると、綾乃も楽しんでいるようで、綾乃の前にはひっきりなしに友達がジュースで乾杯をしにやってきている。
あれがお酒になったら、恐ろしいものがあるのだが。
「透耶、ビオスで綾乃と何話してたんだ?」
鬼柳はどうしても気になったので透耶に聞いた。
透耶は、鬼柳の方を振り向いて、ニコリと笑った。
「まだ話せない。綾乃ちゃんと約束したから」
「は? 期限付きなのか?」
「そう。まあ、こっちの都合もあるしねえ」
透耶はそう言って、またクスクス笑っている。
透耶があまり笑うから、鬼柳はそれに見愡れてた。
「透耶、何か綺麗だ」
少し酔った感じの透耶を見ながら鬼柳が呟いた。
お酒を飲もうとしていた透耶は、吹き出しそうになった。
「な、何言ってんの?」
「ほら、そういう目」
「もう、酔ってるね」
「酔ってないよ。透耶で酔いたいから」
いつものような冗談ではないマジな事を口にする鬼柳に、透耶は反論出来ずに顔を赤らめて視線を外した。
こういう事、平気で言うよなあ……。
それで動揺する俺も俺だけど……。
ちらりと横を見ると、鬼柳は右肘を付いて、手に頭を乗せて透耶の方を覗き込んでいた。
「う……何?」
「ん、見愡れてる」
「何でこんなのがいいんだか……」
透耶が呟くと、鬼柳の左手が伸びてきて、透耶の頬にふれる。愛おしそうに撫でられて、透耶はドキリとしてしまう。
見つめ合っていると、鬼柳の方が先に手を下げ目を反らした。はあっと大きく溜息を吐いて煙草を取り出した。
ライターを取り出した所で、透耶が声を上げた。
「あ、鬼柳さん。それやらせて」
素早くライターに手を伸ばす。
「あ? ライター? どうするんだ」
意味が解らずライターを透耶に渡すと、透耶は真剣にライターを睨んでいる。
「どうやって火をつけるの?」
本気でライターを触った事がない子供の発言だった。
「ん? 付け方知らないのか?」
「うん、ライターなんて近くになかったし。両親も煙草吸わないから」
「ああ、そうか……。違う、こう持って、そう、親指で、striker wheel…えっと、この回転するやつを回す。回したと同時に、こっちの受け皿に指乗せたままにする。そう」
鬼柳が手を添えて、一から付け方を教える。透耶は真剣そのもので、中々上手く付かないライターに挑んでいる。
「あ、付いた。鬼柳さん、付いたよ」
「ん、透耶、そのまま」
ライターを握っている透耶の手に手を添えて、鬼柳は自分からライターの火に近付いて、ずっと銜えたままだった煙草に火を付けようとしている。
「ついた?」
「もうちょっと……」
透耶がじっと見ていると、鬼柳が顔を上げて煙を吐いた。
「OK」
その言葉で透耶は親指を離した。
「ライターって、英語でそのままライターなんだ」
「ああ。Gas Lighter。マッチも、Match」
「Cigarette. Ashtray. Butt. Ash」
煙草、灰皿、吸い殻、灰。
透耶は指を差しながら、単語を呟いていく。
「highball glass?」
泡盛を飲んでいるグラスを持ち上げて透耶が言う。それに鬼柳が付け足す。
「or tall tumbler glass。」
「You smoke heavily though I don’t. Hey. can you blow a smoke ring?」(俺は煙草吸わないけど、鬼柳さんはいっぱい吸うよねえ。あ、煙りで輪っか作ってよ)
「As you please. your Highness.」(仰せのままに)
いきなり目の前で始まった英会話に、店の主人は呆気に取られている。沖縄では珍しくない英会話でも、目の前で平然と始められたらびっくりしてしまう。
しかも、煙草の煙でリングを作って、一人が喜んでいる光景だ。喜んでいる方は、声は少し高いが男だとは解る。しかし、見た目がはっきりと男と言えない。
そうしていると、綾乃がカウンターにやってきた。
「What's the matter?」
透耶がいきなりそう言ったので、綾乃は眉を潜める。
「先生、どうして外国人になってるの?」
「あ、ごめん。終わったの?」
透耶が振り返ると、ぞろぞろと皆が靴を履いたりして出て行く所だった。
「綾乃ー。この二人は親戚か何か?」
そう言われて綾乃がニヤリとする。
「だーめよ。紹介はしないから。秘密の人達なの」
「えー。何それー」
「秘密ー。だって紹介したら怒られるしねえ」
綾乃はそう言って鬼柳を見上げる。
「It is necessary for you guys to have at least eight hours’ sleep. I guess it is time you went to bed. Good night.」
鬼柳は、無茶苦茶な早口でそう立てしまくるとニコリと笑って問答無用にした。
「で、何?」
綾乃がキョトンとして透耶を見る。透耶は溜息を吐いて答えた。
「つまり、遠回しに紹介されたくないって事らしいねえ」
まさか、育ち盛りの子供は8時間以上寝なければならないとか、更に遠回しに子供は相手にしないとは、言えない……。
「あ、鬼柳さん。この事親に聞かれたら、綾乃ちゃんのせいには出来ないからさ。名前教えといた方がいいかも」
そう透耶が言うと、鬼柳は英語で話を続ける。
「エドワードの名前出しとけばいいだろう」
「そんな簡単に出していいの?」
「どうせ、綾乃の母親が連絡先知ってるだろ? それにここの代金はエドワード持ちだからな」
「何だって!? そんなの駄目だよ、俺が払っておく」
「いいんだって、綾乃の為に使ってくれって置いていった金だ。レストランなんかで最高のフルコース食べるより綾乃は喜んだだろ」
「それはそうだろうけど……俺は知らないからね」。
というわけで。
「スポンサーは、エドワードさん……ランカスター氏という事になりました」
とほほとしながら透耶が答えると、綾乃は驚きながらも喜んでエドワードの人柄を説明した。
それで全員が納得したようだった。
居酒屋の前で散々話していた中学生が、鬼柳やら透耶に頭を下げて、綾乃に挨拶して帰るのにかなり時間を要した。
「先生、本当にランカスターさんなの?」
綾乃が少し不安になっていたのか、聞いてきた。
幹事の子に幾らかかったのか聞いてしまったのだろう。そりゃ、30人集まれば、相当な金額がいったはずだ。透耶もひっくり返りそうなものだった。
「うん、お金はエドワードさんから、鬼柳さんが預かってたみたいだよ。綾乃ちゃんが喜ぶようにって事だったらしいし。本当はフランス料理の最高フルコースだったらしいけどね。企画は鬼柳さんだったけど、楽しかった?」
「うん、ありがとう。どんな事より嬉しい」
「良かった」
二人でニコリと微笑み合った。
「綾乃、荷物先に家に運んだそうだ」
SPと話に行っていた鬼柳が帰ってきた。
「ありがとう。あたし、このままあの子達と一緒に帰るね。今日泊まるって言うから」
「あ、駄目だよ。ちゃんと家まで送るから」
透耶が心配してそういうと、綾乃は笑って首を振った。
「いいの。まだ話したりない事あるから」
そう言われて、透耶はああっと意味が解った。
居酒屋では話せなかった事をまだ話したいのだ。それも家に着いてからでなく、何年も通 い慣れた帰り道でだ。
「うん、解った。明日、見送りに行くから」
「うん、待ってる。今日はありがとう、とても楽しかった。じゃ、おやすみなさい!」
綾乃は元気いっぱいに手を振って、友達の方へ駆けて行った。友達もこっちに頭を下げてから、楽しそうに笑い声を上げて街並に消えて行った。
「さて、俺達はもう少し飲んで行こうか」
鬼柳がさらりとそう言ったが、透耶には解っていた。
綾乃が家に帰り着くまで、安全を保障するのが鬼柳が与えられた役目。しかし、着いて行く訳にはいかないから、SPにいかせたのだ。
透耶はクスリと笑って鬼柳の腕を引っ張って、さっきの居酒屋に戻った。
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