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風が強く吹いて、鬼柳恭一(きりゅう きょういち)は覗き込んでいたカメラのファインダーから目を離した。
ちょうど、今は三月の半ば。
寒さはまだ残っており、浜辺となれば寒さは一層に増す。
日が落ち初めて、辺りは暗くなっていた。
鬼柳は今日は暇なのでカメラを片手に海辺にやってきていた。特段、海を撮ろうとかそう言う事を思った訳でもないが、いつもの癖でカメラを持ってきてしまった。
そうなっては、海でする事もないのでカメラを構えていたが、そこに不思議な光景が目に入っていた。
鬼柳がここへやってきたのは、朝10時くらいだった。
その時には、その不思議な光景は始まっていた。
寒い海に、一人の少年が立っていた。
立っているだけなら、散歩に来たのかと思っただろうが、その少年は拾った漂流物であろう木の棒を持ち、それを砂に当てて何かを描いているのだ。
不思議に思った鬼柳はファインダーを覗き込んで、その光景を眺めていた。
何かの図のようだったが、鬼柳には解らなかった。
少年は一筆描いては立ち止まり、何か思案しては、描き始めるという行動を繰り返している。
難しい顔をしたり、頷いて笑ったり。
一人百面相だ。
華奢な体つきで、コートの下から覗くジーンズのズボンから見ても、かなりの細さだ。
顔は綺麗なものだった。ああいうのを美少年というのだろうと鬼柳は思った。だがキツさがなく笑うと可愛いという印象。
猫毛の細いショートが、風に揺れている。少し色素が薄いのか、太陽に当たると光って金色に見える。
瞳が大きく、くるくると動く表情。
だらだらとした最近の若い人の動きではなく、綺麗にしなやかに動く仕草は見愡れる程だった。
鬼柳は思わずシャッターを押していた。
撮るつもりはなかった。
なのに、自然と指が動いた。
気が付いた時には、入っていたフィルムを使い切っていた。
少年の方も撮られているという意識はなく、周りに人が通っても気が付かないほど集中している。
通る人が、少し興奮したように振り返っていたが、何か話し掛けても無視している感じだった。
暫くすると、少年の動きが止り、座り込んで目を瞑り考え込んでしまったようだ。
フィルムを変えた鬼柳は、やはりよく解らなかったがシャッターを切り続けてた。意味なく、ただ静かに撮っていた。
少年が動かなくなって、鬼柳は一度昼食を取りに海を離れたが、やはり勝手に写真を撮ってしまった事を詫びようと、鬼柳にしては珍しく神妙になり、また海へと戻ってきた。
たぶん、もういないだろうと思っていたのだが。
しかし、その場に戻って驚いた。
少年はまだその場にいた。それも鬼柳が海を離れた時のままの、座り込んだ体制のままで。
これは何か変だと、鬼柳は思った。
少年は眠っているように、身動きもしなかった。
これだけ見ていれば、いつか気が付くかと、人を待つのが嫌いな鬼柳にしては、最長記録という程の時間が過ぎて行った。
そして、少年が動いたのは、もうすぐに日が暮れる頃。
身動きして、立ち上がると背伸びをし、下を見ると、また何かを考えているのか、その周りを2周ほどして、波打ち際に足を進めた。
波打ち際で止まるだろうと、通常の人ならそう思うだろう。
だが、少年は歩く速度を緩めず、海に向かって進んで行ってしまったのである。
仰天したのは鬼柳だ。
カメラを放り出すと、少年目掛けて走り出した。
少年は既に、腰まで海水に浸かりながらも、寒さを感じないようで、まだ進んでいた。
鬼柳も海へ入り、やっと少年に追い付いた。
腕を引っ張り、少年を振り返させて叫んだ。
「お前! 死ぬつもりか!」
鬼柳の怒気の声に、少年はやっと我に返ったように、不思議そうな顔で鬼柳の顔を見上げた。
今やっと意識を取り戻した、という大きな瞳が鬼柳の顔を覗き込んでくる。
「あ、あの? どちら様?」
こういう所でこういう質問。
はっきりいって、頭大丈夫か?と言いたくなる所ではあるが、鬼柳もそこは変わっていた。
「俺は、鬼柳。お前、何やってるか解ってるか?」
鬼柳の真剣な顔に、少年は少し考えて。
「鬼柳? うーん、覚えはないなあ。会ったことあります?」
と、首を傾げて尋ねてきた。
「会った事はない」
「良かった。また人の顔が覚えられてないのかと思ったぁ。じゃあ、初めまして。俺は、榎木津透耶(えのきづ とおや)です」
満面の笑みで自己紹介され、さすがの鬼柳も肩の力が抜けてしまった。
「どうでもいいが、透耶。そろそろ陸に上がらないか?」
透耶はいきなり名前を呼び捨てにされた事よりも、今指摘された「陸」という言葉に不思議な顔をしてたが、すぐに今自分が何処にいるのかを感じて叫んだ。
「ええええぇぇ!! な、何で?! ここ何処!?」
海を見て、周りを見て、くるくると首を回して、心底驚いたという態度。
やはり、頭大丈夫か?状況である。
「取り合えず、海からあがるぞ」
鬼柳は有無を言わさず、透耶を引き摺って、波を掻き分けながら浜へ上がった。
その途中でも、透耶はしきりに、「あれ? 何で? ここって何処ぉ? また何かやったかなあ?」と、首を傾げていた。
浜辺に上がった透耶を離した鬼柳は、透耶を見下ろしていた。
「あの、俺、何かやってしまいました?」
鬼柳は溜息を吐いて、説明をした。
「自分で海へ入って行った。覚えてないのか?」
「あー、うーん。やっちゃったかあ」
上を向き、下を向き、そして顎に手を当てて頷いた。
「すみません。俺、考え事していると、少し周りの状況が掴めなくなってしまうんで」
精一杯という感じで頭を深く下げ、透耶は鬼柳に謝った。
その様子で、鬼柳は少しホッとした。
「死ぬつもりがないのなら、いい。家は近くか?」
「近くでは、ないと思います。海は近くにはないですし……。所で、ここ何処なんでしょう?」
あまりの真剣さに、さすがの鬼柳も頭を抱えたくなってしまった。だが真剣に覗き込んでくる透耶。
別に人をからかっている訳ではないらしい。
透耶は身長は、170センチくらいだろう。190センチもある鬼柳を見上げる形になっている。
長身で身体も大きくしっかりした造りの鬼柳に対して、透耶は少し低めで身体の造りも細く華奢。
やはり、近くで見れば見る程、綺麗な顔立をしてた。
透耶は鬼柳を見上げて思っていた。
灼けた肌、鼻梁が高くて掘りの深い顔。日本人、とははっきり言えない顔立ち。鋭い瞳で人の何もかもを見透かす様な視線。そして雰囲気。何者も簡単に寄せつけない気配。
それでも、人を引き付けるカリスマ性がある。
かっこいいなあ。それが透耶の第一印象だった。
「クッシュン!」
海を出て数分。
さすがに寒さを我慢出来なくて、透耶はくしゃみを一つして震えた。
「ああ、悪い。何処だかの前に、透耶は風呂だな」
鬼柳は苦笑して、戸惑う透耶の腕を取った。
「あのー?」
「あ?」
不安に思った透耶の声に鬼柳は振り返った。
「何処か、ホテルでもあれば、俺、そこへ行きます」
送って貰うのは仕方ないかもしれないが、風呂まで世話になるわけにはいかないと思い、そう言った透耶だが。
「金かかるから、俺の家でいいだろう。近いしな」
金がかかる、近い、という理由だけではないのだが。
「そういう、問題ではなくて……」
「どういう問題だ?」
鬼柳は本当に、透耶が遠慮をしているとは思っていないらしく、真剣な顔で聞き返してきた。
うーん、どうやら外見だけが日本人離れしているのではないらしい。
「助けて貰って、何ですけど。そのこれ以上、御迷惑をお掛けするのは申し訳ないと……その……」
どうはっきり言ったものか、と思案している透耶の言葉に、鬼柳は、はあなるほど、と納得したようで、微笑んで言った。
「気にするな。俺は一人暮らしだ」
……解ってない。
「いえ、そういう意味でもなくて……」
更にいい続けようとする透耶に、鬼柳は面倒臭そうな顔をして。
「ああ? 全然わからねえ。まあ、いいから一緒に来い。話はそれからだ」
鬼柳は言うは早く、透耶を引き摺って歩き出した。
途中で、鬼柳は自分で放り投げたカメラを拾い上げた。
カメラは砂に突き刺さるようにしてあったのだ。
それを見て、透耶は鬼柳がカメラを放り投げて自分を助けてくれたのだと解った。
「すみません、カメラ。壊れてたら弁償します」
そう言う透耶を不思議そうに見る鬼柳。
「はあ? 何で?」
「え? だって、俺助ける為に……」
「別に壊れたってかまやしねえ。放ったのは俺だからな。中身が無事ならそれでいい」
鬼柳はふっと笑って簡単に言い放った。
やっぱり、そういう問題ではないと思う……。
どうも日本的会話が旨くいかないので、透耶もさすがにどうしていいのか解らなくなってしまった。
鬼柳は車で海まで来ていたらしく、助手席のカメラバックを後部座席に投げて片付けると、透耶に座るように言った。
「でも、濡れますよ」
「透耶は言い訳多いな。どうせ濡れるんだ、構やしねえ。さっさと乗れよ」
鬼柳はもうエンジンをかけて、車に暖房を入れていた。
さすがにどうしようもなく、凄みのある口調で言われると、断われなくなり、透耶は大人しく助手席に乗り込んだ。
車で約30分ほど走ると、鬼柳の家に辿り着いた。
途中で見た標識によると、東京からかなり外れている場所である事は解ったが、はっきりここが何処なのかは、透耶には解らなかった。
近くに駅はあるだろうが、自分がここへどう来たのかさえ思い出せない。
うーん、本格的にヤバイかも……。
記憶喪失行動もここまでくると笑えない事実だ。
「おい、どうした?」
また一人の世界に入っていた透耶は、鬼柳の呼び声にはっとして顔を上げた。
鬼柳は既に車を降り、助手席のドアをあけて透耶を覗き込んでいた。
「え? あ」
「着いたぞ、降りろ」
「は、はい」
透耶は慌てて車を降りた。
鬼柳は後部座席に乗せていたカメラバックを肩に担いで先に玄関を開けて入って行く。
透耶が見上げると、そこは別荘の様な造りで、ただの民家とは思えなかった。それにしても大きい家だ。
車を降りてすぐに玄関があるのは、門からすぐではなく、門をかなり入った場所にある感じだ。振り返っても門は見えない。
もしかして、鬼柳は物凄いお金持ち?
うーん、と考えていた透耶に声が掛かる。
「風邪ひいて、熱出したいのか?」
家に入ったと思っていた鬼柳が戻ってきて、透耶の腕を掴んで家に引きずり込んでいた。
部屋に入ると暖かかった。
暖房が強く焚かれていた。
家の中の調度品は、どれもかなりの値段がしそうな物ばかり。透耶にはやはりかなりの金持ちなんだという認識しかなかった。
床にはペルシャ絨毯。天井にはシャンデリア。
大きな暖炉の前には虎の毛皮の敷物が……。
壁には絵画。皮張りのソファに大理石のテーブル。
「うーん、究極?」
「何が?」
「わ!」
独り言で呟いた所へ鬼柳が現れて返答したものだから、透耶は飛び上がって驚いた。
まったく気配のしない人だ。
いや、透耶がボケているだけだろう。
「あ、びっくりした」
胸に手を当てて心臓を落ち着けていると、鬼柳が覗き込んできた。不思議そうな顔をしている。
「何が究極?」
「……うん、この家。鬼柳さん、お金持ち?」
「俺? そんなに金持ってないよ。金持ちの方が好き?」
「うーん、程々でいいと思うけど……って、ここ鬼柳さんの家じゃないの!?」
真面目にお金持ちが好きか嫌いかの話をしているんじゃないと、慌てて透耶は我に返る。
「こんな悪趣味は俺にはないぞ。ここは知り合いの別荘だ」
憮然とした顔でそう言う鬼柳。
悪趣味ねえ。まあ、典型的な金持ちの家って感じだ。
じゃあ?ふと、透耶は思った。
「知り合いにお金持ちがいるんだあ」
「まあ……。話は後で聞いてやるし、質問があるなら何でも答えてやるから、まず風呂に入ってくれ」
懇願されるように言われると、さすがに断われない透耶。
「鬼柳さんは?」
「俺は後でいい」
「それじゃ悪いよ。俺、後でいいから、鬼柳さん先入って」
「駄目だ。透耶が先だ」
真剣に言われ、またもや引き摺られて風呂へ連れて行かれる透耶である。
なんか、このパターンばっかじゃない?
またまた大層な脱衣所。金ぴか縁取りに、大理石な床。
多分、一生見ないだろうと思っていた家を見せられ、透耶は目がくらくらしていた。
「透耶。トリップは風呂に入ってからだ」
「あ、はい」
透耶が何かある度に、トリップする性格だと見抜かれてしまっていた。
気が付くと、鬼柳が目の前にいて、透耶のコートを脱がし、更にジーパンのベルトを弛めに入っていた。
「き、鬼柳さん?」
「あん?」
「自分で出来るし……」
「そうか?」
鬼柳はそう言って手を止めた。
「じゃ、早く脱いでくれ。洗濯する」
「え? 鬼柳さんがするの?」
「他に誰がする」
まあ、確かにここには鬼柳以外の人はいないらしい。
これだけ大騒ぎしても誰も出てこなかったからだ。
しかし脱げと言われて、はいそうですかとは脱げない透耶。少し考えて、男同士なんだから平気だよな、と思い直して、急いで服を全部脱ぐ。
とにかく、服を乾かして貰わなければ、帰る事も出来ない状況である。
意を決して脱いでいた透耶を、鬼柳はじっと眺めていた。
やっぱり細い。が感想だ。
しかし、ガリガリというわけでもない。
線が細い、造りが細いのだ。
さすがにじっと舐めるように眺められると、気になる透耶は、不安そうに振り返って鬼柳を見上げた。
視線が合うと、鬼柳はスッと動いて透耶が持っている洋服一式を受け取った。
「中に一式揃ってる。どれでもいいから使って洗え。それから、湯にはちゃんと浸かれ。出たら、そのタオルとバスローブ使ってくれ」
そう言うと、透耶の返事も聞かずにそそくさと出て行った。
ドアが閉まると、透耶は茫然と見送った。
「監察されてた?」
風呂に入ると、急いで溜めただろうお湯が張ってあった。
浸かれと言われたから、浸からないと怒られそうだ。
透耶は苦笑して、まるで光琉みたいだと思った。自分にそっくりな弟は、それは口喧しく色々と言ってくる。歯を磨いたかまでだ。
鬼柳はそういう面倒見がいいんだろうか?
強面なのに?
なんか変なの。
そう思いながら、言われた通りにボディーシャンプーをスポンジに付けた。
透耶が風呂から上がって出てくると、鬼柳は居間にはいなかった。
何処へ行ったんだろうと辺りを見回していると、居間への反対側のドアが蹴り開けられて鬼柳が入ってきた。
びっくりして振り返ると、鬼柳は両手にお盆を乗せて、その上に何か食べ物を乗せて入ってきた。
「鬼柳さん、ドアは蹴るものじゃ……」
これだけの家である。傷でもつけたらどうするんだろう、という不安の声で言ったのだが、鬼柳はお盆をテーブルに置くと。
「手が塞がってんだ。どうやってドア開けんだよ」
と言い放った。
やっぱり、そういう問題じゃあ…。
透耶とは基本的に価値観が違うらしく、どうも日本人的会話は通用しない事が判明。
「透耶、お前朝くらいから飯食ってないだろう。これ食べてろ」
そう言ってテーブルに並べたのは、見事な日本食。ご飯に、味噌汁、焼き魚、お漬け物、サラダ。何故かデザートに梨が付いている。
「これ、鬼柳さんが作ったんですか?」
ほわーっと感動して見ていると、鬼柳は煙草を吹かせながら真面目に頷いた。
ここまで完璧にご飯が作れるとなると、余程日本食に詳しいはずだ。しかし、日本的会話が妙なのはどうなんだろう?
でも名前は日本人みたいだし。とふむと悩む透耶。
「毒は入ってないぞ」
「いえ、そういう意味では……頂きます」
一口、味噌汁を飲む。
「うわあー。美味しい!」
本当に美味しかったので、透耶はにこりと微笑んで鬼柳を見た。
「そうか、良かった」
鬼柳は味が口に合うのか心配していた様で、ホッとしたように微笑んだ。その微笑みがあまりに優しかったので、透耶はびっくりしてしまう。
「鬼柳さんって日本人ですか?」
何だか、どうでもいい事を口走ってしまう透耶。
だが、それに反して鬼柳は簡単に答える。
「あ? 三分の一くらいだな。国籍は日本じゃない」
「えーと、何処か聞いていいですか?」
「アメリカ」
「ふーん。フルネームってもしかして……」
そういやフルネームは聞いてないや、と透耶が思っていると、鬼柳は素早く答えた。
「鬼柳恭一。アメリカ風じゃねーぞ」
「ミドルネームに、アランとかクリフとかついてるのかと思った」
素直に言うと、鬼柳はすごく嫌な顔をした。
「そりゃ、親父が完全に向こうだったらな。親父は日本系2世だがなんだかだ。母親は日系だが三世だしな、色々混ざってんだよ」
「通りで、日本人らしくない顔だと思った」
「そうか?」
「うん、すごく美形だし」
「そうか?」
二度目のそうか?は、何だか本当に不思議がっている感じの口調だった。
透耶はなんだか可笑しくなって、くすくすと笑いながら、進められた食事を口にしていた。
質問をしなくなった透耶をじっと見ていた鬼柳は、煙草を吸い終わり、灰皿で消していた。
「もう、質問は終わり?」
そう言われて、ふと顔を上げて鬼柳を見る。
「う、うん」
「風呂入ってくる」
鬼柳はそう言うと、すぐに居間を出て行った。
そうか、自分が質問してしまったから、鬼柳は風呂へいけなかったんだと思い、透耶は悪い事したなあと頭を掻いた。
どう考えても透耶も怪しいはずなのに、鬼柳はその辺をまったく聞いてこない。
まるで、聞く必要はない、という感じだ。
透耶は、鬼柳は他人に興味を示さない人なんだと思った。
そうこの時まで。
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