spiraling

29

「シーニィ。どこだシーニィ」
 ヴァルカ・キシンは自分の連れがいないことに気づいて、草原の中を探した。
 ロシアの避暑地として使われたツァールスコエ・セロー。ルクセンブルクから南方へ24キロほどの位置にある。サンペテルブルク市プーシキン区、ロシア皇帝の離宮、エカテリーナ宮殿などが集まる避暑地として知られている。
 その近くに建てられた避暑地の建物は、ヴァルカの祖父が建てたものだった。長年使っていなかったのだが、最近になり手入れをして使うようになった。それまで自分たちは避暑をするような時間や心の余裕がなかったと思う。
 そして休息がやっと訪れたのは、ヴァルカの父マトヴェーイが病で倒れたことによる。数日前、大祖父であるマクシームが倒れ死んだばかりのことでヴァルカは非常に焦った。ただの過労であったので、避暑をかねてここにやってきた。
 その時、出会ったのは父がずっと預かっているという青年シーニィだ。
 マトヴェーイはたくさんの部下を持つ人間で、その部下に何かあるとその家族の面倒をみたりする。シーニィもその一人だと言っていたが、ヴァルカにだけはマトヴェーイは真実を話してくれた。
 シーニィはロシア帝国が崩壊する時に解放された皇帝の奴隷の一族で、マトヴェーイの元上司になる人が助けた人たちの子孫だ。シーニィは特殊な力が存在し、そのせいで一般社会に戻ることが出来ないのだという。
 早い話、奴隷の身分がまだとけていないというわけだ。
 組織にとって必要不可欠な部分がある以上、世間に解き放つわけにはいかない。 
 たとえ、その力が弱くてもだ。
「ヴァルカ、こっちー」
 シーニィは近くの川の畔から戻ってくる。
「帽子が流されて」
 身長は160センチしかないから小さく細い体がさらに小さく見える。18歳のロシアの青年からすれば小さすぎる背格好で、しかも髪はセミロングと何もかもが女性仕様だ。非常にかわいらしい顔立ちで、18歳に見られたことはない。なのでよく小さな女の子扱いをされることが多い。
 そんな子が自分を見つけて笑顔になり走ってくるのを見ると、自然と笑顔になる。
 ヴァルカは顔にある傷のせいと強面なのが重なり、人が笑顔になることはない。それに鍛えた体がいっそう体を大きくして、190センチを超えた辺りから、重量挙げのオリンピック選手のような体つきになった。
 その体をシーニィに合わせると、しゃがみ込んだ方が視線を合わせられる始末だ。
「じゃあ帽子、乾かさないと」
「うん」
「それにマトヴェーイが呼んでいた」
「……うん、でも」
「どうした?」
 マトヴェーイが呼んでいたというとさっきまで笑っていたシーニィの顔が暗くなる。最近はいつもこうだ。昔はマトヴェーイにしか懐いてなくて、ヴァルカが話しかけるとそういう顔をしていたように思う。その立場が変わったのは去年だっただろうか。
 マトヴェーイを苦手に思うよになった理由はわからないが、間に何かあったのだろうと問うもシーニィは首を振るだけだ。
「最近ね、上手くいかないんだ」
「数字を読むのがかい?」
「うん、たぶん僕は花(ツェピトーク)じゃないんだよ。小さい時に一時的に現れる、でも大きくなるにつれて消えていく、そういう類いのものなんだ」
 花(ツェピトーク)というのは、シーニィの一族の名前であるが、一族のものが使う時は意味が違う。一族の中で唯一生まれる数字を読む力が強い人間のことを花(ツェピトーク)と呼ぶ。それは一族に一人いればすごいと言われる貴重な存在。ロシア皇帝はその花(ツェピトーク)の存在を金策に使い、湯水にある金として時代を謳歌した。しかし花(ツェピトーク)が生まれなくなり、資源はいつしか国の財産まで食い尽くし、やがて崩壊した。
 花(ツェピトーク)の一族は数字に強く、普通に暮らしていくだけのことは出来る。しかし、組織が望んでいるのは湯水のごとく金を集める人間である。
 その似た存在が中国の貉(ハオ)という組織にいた。
 金糸雀(ジンスーチュエ)と呼ばれ、花(ツェピトーク)が消えたくらいに現れて時代を築いた。もしかしなくても花と金糸雀は同じ一族なのかも知れないと思ったのは、シーニィに力が現れたのは、日本にいた金糸雀が死んだ時からであったからだ。
 シーニィはそれまで以上に数字が読め、10歳で花(ツェピトーク)として組織の金策をする人間となった。そして8年だ。それまで組織の奥深くに隠されて生活をしていたが、ここ数日ほどで力はどんどん衰え、今ではほぼ初期の数字に少し強いだけの青年となっている。
 それだけでもすごいことなのだが、組織としては新たに花(ツェピトーク)を探さなくてはならず、シーニィは花としての地位を剥奪された。
 それでも恩恵を忘れられないマトヴェーイはシーニィに特訓をさせていた。
 だがそんな中、また世界が金糸雀騒動になっていることを知った。
 問題なのはその金糸雀(ジンスーチュエ)を金糸雀として扱うことが出来ない事情があることだ。
 花(ツェピトーク)として迎えれば、マトヴェーイの溜飲は下がるのだが、それが死んでも出来ない。特にマトカともめている時にはさらに出来ない。
「数字読めなくなったら、新しい花を迎えるの?」
「そうなるかもしれないな」
 正直なところそうなるのが普通だろう。嘘をついても始まらない。
「じゃあ、僕は用済みになったらどこへ行くの?」
 シーニィの言葉に一瞬だけヴァルカは困った。
 そうそれはマトヴェーイが決めることで、自分に権限がないのだ。けれど、一瞬詰まった後に言った。
「じゃあ、俺のところで会計でもやるか?」
 どのみち組織から出すことは出来ないシーニィだから本格的に役に立たなくなると殺されるだろう。ヴァルカはこのシーニィが好きで、殺したくなかった。
 だから自分で預かるという選択肢を作った。
「次の花(ツェピトーク)はきっと可哀想だよ」
 シーニィは自分の行く先の不安がなくなったのでほっとしたようだったが、次の花の心配をしていた。
「どうしてだい?」
 ヴァルカが尋ねるも、シーニィは何も言わなかった。
 理由はわかっている。
 シーニィの力が消えた原因が、何なのかマトヴェーイが知っているからだ。そのせいでマクシームは倒れて死んだ。マトヴェーイは絶叫した。
「どうして神は、あの子達を不幸にすることしかしないのだ!」
 マトヴェーイが発狂する理由は一つ。
 彼が尊敬し、敬愛していた元上司に当たる人間のひ孫になるからだ。
 自分たちが奴隷として扱っていた花(ツェピトーク)の資格を持つ人間。それを誘拐して花にしなければならないのかと、運命を呪った。
 不幸だったアナスタシア、自由気ままに生きて禍根を残すグリーシャ。エンヤは未だに沈黙したままだ。
「こんな時代だから不幸なんだよ」
 シーニィはそう言う。下手な情報が入るようになった昨今では、花(ツェピトーク)は逃げられない。それこそ、アマゾンの奥地か、アフリカの辺境へいくしかない。それくらいに情報機関が発達していて、見つけられてしまうということだ。
 家に戻るとマトヴェーイが仁王立ちしていた。
「シーニィ、待たせるな」
「もうしないよ、できないもん」
 シーニィがヴァルカに抱きついて離れなくなった。
 驚いたのはヴァルカであるが、さっきシーニィの言い分は聞いたのでかばう。
「もうやめようよ父さん、シーニィから花(ツェピトーク)の力は抜けたんだ。新しい花(ツェピトーク)が生まれたからシーニィは花ではなくなった。元から一時的なものだったはず」
 ヴァルカがそういうと、マトヴェーイは怒鳴り返そうとしてやめた。
 ドカリと椅子に座り、頭を抱える。
「わかってる、だが次の花(ツェピトーク)は織部寧野なんだ」
 そう言って苦しそうに叫ぶ。 
 ずっとわかってたことだ。彼が力を失ったのは強く願って拒否したからだ。目の前で父親を殺されるという恐怖からの拒絶は、金糸雀(ジンスーチュエ)の力さえ遠ざけた。
「寧野?」
 シーニィが興味を持つ。
 自分以外の花(ツェピトーク)には出会ったことがない。
 生まれた時から一人だったシーニィには寧野は唯一理解出来る相手だ。この世の何よりもだ。まさかすぐに花に会えるような環境だとは思わなかったらしくシーニィは真剣だった。
「しかしその寧野は今、煌和会に囚われていると情報が入ったばかりでは……」
 真栄城(まえしろ)俐皇に囚われていた織部寧野をどうするかという話し合いをしている時にマトヴェーイが倒れた。そしてその話し合いが決着する前に寧野は煌和会に攫われた。
 出来れば俐皇のところにいる時に決着をつける予定だったがそうもいかないのが現実だった。


  その次の日のことだった。
 一人の日本人がこの避暑地を訪れた。
  この暑い中を黒服のスーツで登場し、涼しい顔をしてマトヴェーイに挨拶に来たといった。
 マトヴェーイは事前に話をつけていたので、すぐに上がってもらったがあの日本人の鋭い視線が忘れられず、ヴァルカは窓の下に待機した。
 身長は180センチほど、細身で体格はヴァルカからみれば棒きれのようなものだった。それでも近寄ることすら出来ない雰囲気は、あれが人を殺したことがある人間だとわかったからだ。銃を使い慣れている人間は微妙に体のバランスが崩れる。あの男はそうした癖が長年ついているのか、今日は持ってきていないはずなのにそうなっていた。
 あれは危険な男だと日本人なのに思った。
 話し合いはロシア語で行われていた。
「うちの寧野に手を出すのはやめてもらいたい」
 いきなり聞こえたのは、これだった。どういうことなのかと聞いていると。
「あなたたちが、花(ツェピトーク)を手に入れるために画策しているのは知っている。だがあれに手を出すならこちらも考えがある」
「どうするつもりだという。若造」
 マトヴェーイが脅しになんて乗るわけがない。この若造は知らないのかと思っていると。
「アレンスキーに報告するまで、もちろん寧野が何者の血筋なのかを教える」
 それにマトヴェーイが息を飲むのがわかった。
「あなたは何もわかっていない。織部寧野はアレンスキーの孫だけではなく、司空(シコーン)の孫にもあたる。寧野を飼うというなら、その二つとの関係は崩れると思った方がいい」
 どういう方法で崩すのかは言わないが、告げ口だけではないといいたいらしい。
 どうするつもりなのかわからないが、この男が何者なのかわかった。
 元宝生組若頭宝生耀だ。
 ジャパニーズ・ヤクザをやめた人間であることは最近話題になっていたから知っている。だが今現在、行方不明とされている人だ。その人が姿を見せたということは、織部寧野を取り戻す算段が出来たというわけだ。その時、マトヴェーイが邪魔をしようとしているのに気づいて忠告に来たわけだ。
「おまえこそ、アレンスキーの孫を情人として扱っているだろうが」
 それこそ許されないと言いたかったのだろうが、それに耀が笑う。
「愛し合っているもの同士がどうなろうが、それこそアレンスキーに口を挟む権利はないだろう」
 きっぱりと情人ではなく恋人であり、相棒であることを述べる。恥じるところなんて何もないとはっきり口にすることは、それだけ織部寧野を愛しているということなのだろうか。
 とにかく耀はしっかりとした者だ。マトヴェーイを前にしておびえた様子すら見せずに逆に脅してみせるから、頭が足りないのかと思っていたが、それ以上に度胸がありすぎるだけのようだ。むしろ慣れているというのが本当のところだろうし、アレンスキーと呼んでいるのは便宜上の話で、実際はマトヴェーイのように愛称を使っているような気がした。
 話がすぐにつけられる。しかも寝たきりになったアレンスキーにだ。それが出来るものがこの世にそれほどいるわけじゃない。それにはマトヴェーイも気づいた。
 このマトヴェーイは二度とアレンスキーに会うことは出来ない。けれど影響力があることを知っているとなると、相当昔からの知り合いになる。
「おまえは本当に変わらないんだな」
 マトヴェーイがため息を吐いて声のトーンを落とした。
「あなたこそ、元気そうで何よりです」
 親しいもの同士がお互いに主張をたたきつけただけだったようだ。どうやら茶番をしていたらしい。それにヴァルカは安心した。
「初めて会ったのは、楸が連れてきた時だったか」
「ええ、取引をした時の窓口はあなたでしたね」
「あれからもう18年も経つのか、早いものだ」
「ええ、あなたがマトカを抜けて、赤い雪(クラースヌィ・スニイェク)になっていたなんて、ヤクザをやめてなければわからなかったことです」
 ヤクザとして取引相手とだけ会っていれば、マトヴェーイにはたどり着かない。耀はマトヴェーイに用があって探していたら、赤い雪にたどり着いたのだという。簡単にいえば、アレンスキーからヒントをもらったという。
「寧野に手を出さない代わりといえば、決して大きくない取引になると思いますよ」
 そう言って耀は封筒を取り出した。A4の紙が何枚も入るような底が厚い封筒で何十枚と紙が入っている。それは日本語とドイツ語のものだった。マトヴェーイはドイツ語は出来るのでそのまま読んで信じられない顔をした。
「これは……」
「アレンスキーも同じものを手に入れているはずだ。ただこれを制作したものは俐皇に殺された」
 そう付け足すように耀が言うとマトヴェーイは衝撃を受けた。
「俐皇が今何をしているのか、あなたは知っているはずだ」
 耀はそう言う。
「だからどちらであるか選ぶべきだ。あなたがこれまでかけてきた人生を捧げるのか、それともその封筒の中をすべて燃やして私と争うのか。今、選んでください」
 耀はマトヴェーイに何かを選べと迫る。マトヴェーイが人生を賭けてやりとげようとしていることは、青良を殺した人間に報復することだ。
 しかしこの流れは、真栄城(まえしろ)俐皇が犯人であるということなのだろうか。そうしたらマトヴェーイはどうしたらいい。
 自分の母親を殺した息子俐皇。それを殺すのかマトヴェーイ。
 あれほど大事だといい、そのための準備をしてきた。なのにどうしてこうも不幸なのか。
 どちらを選べと言われても簡単に選べるものではないけれど、どんなに時間をかけても無駄な問題でもある。答えが18年経ってわかり、決断がきただけだ。その決断をいくら延ばしても結果は変わらない。さらに俐皇はこの資料を制作した人間を殺した。つまりこの報告書は真実で、俐皇は報告書に記されている証言をした人間を殺して回ろうとして報告書を手に入れようとしていたという。
 そんな鬼畜に育った子供など、ヴァルカにとって守る価値もない。
 今まで通り、復讐を実行に移すだけだ。
「アレンスキーはなんと言った?」
「俐皇のことはあきらめている。同じ世界にいるんだ、どこでどんな風に死ぬのかなんてアレンスキーが決めなくても同じこと。あなたはあなたの選択をしていいと」
 その言葉にマトヴェーイは大きく肩を落とす。一気に老いたような姿になった。
 人生賭けた報復は無駄だったと言われたら誰でもこうなるだろう。
「ヴァルカはどう思う。どういう理由があるか知りたいか?」
 俐皇が母親を殺したのにはそれなりに理由があったはずだ。そう考えるのはマトヴェーイがまだ信じられないからだ。青良のことでアレンスキーともめていたというのに、その青良を殺した子供に言い分があるだろうといえるのは、マトヴェーイが年を取ったからだろうか。
 窓の下で話を聞いていることはばれていたヴァルカは素直に顔を出す。
「どういう理由があろうが、青良を殺したのは俐皇だ。マトヴェーイが報復するべき相手は俐皇だ。俺は青良も俐皇も親しくはない。だから殺してこいと言われたらその通りに出来る。マトヴェーイのように思い入れもないからな」
 マトヴェーイは命令を下すだけでいいとヴァルカは言う。
「耀よ、敵に回るならおまえは私を潰すということなのか」
「その通りに取ってもらってかまいません。次からはあなたとアレンスキーのように敵対する間柄ということになります」
 耀はわざとアレンスキーの名前を出して牽制した。
 耀はアレンスキーとのつきあいは切れることはない。ただマトヴェーイとのつきあいは切れて、織部寧野の取り合いのために殺し合う間柄になるだけだ。
 ロシアにおいて最強を誇る赤い雪(クラースヌィ・スニイェク)の首領に対して平然と潰すと宣言するからには、耀はマトカと組んで動くということなのだろう。マトカは赤い雪(クラースヌィ・スニイェク)とは敵対関係にある。耀から赤い雪に関しての何らしかの情報がマトカに渡り、赤い雪を潰せるほどのことがあるようだ。
 だがここにくるまえにできたことを耀はしなかった。
 マトヴェーイが知り合いだとわかって、話し合いにきた。
 甘い相手だとヴァルカは思うが、正直なところありがたかった。ここにはシーニィがいる。もしマトカと組んだ耀がマトヴェーイを殺しに来ていたらシーニィも殺されていただろう。
「アレンスキーは報復するようなことはしないということなのか」
「もう時代が自分たちの時代ではないと」
 ほぼ隠居してボスではあるが、すべての行いを息子に譲ってしまったアレンスキーは、部隊を動かして殺害に行くほどの権力はない。報復するのに時間がかかりすぎてしまったから何もしないというのだ。
「私は、たとえ息子だろうが、理由がどうであろうが、青良を殺した俐皇に報復する。そのために生きてきた」
 イタリアのデル・グロッソの別邸で起こった火事。それは俐皇が起こした放火で、母親や父親を殺すために行われたことだという。
 当時の俐皇は16歳。いったい何を考えて母親を殺すに至ったのか。
 それを知る必要はない。殺したことは事実だ。
 マトヴェーイがそう言い切り、織部寧野を諦めた。
 アレンスキーがすでに知っているなら、彼が生きている間に織部寧野をマトヴェーイが所有することは不可能なことだった。
 彼が袂を分かった相手はアレンスキー、マトカのボスだからだ。
 織部寧野は現在のマトカのボスの血を引いている。
 マトカが関わっている以上ロシアのマフィアは織部寧野に手を出せない。
「耀よ。織部寧野はいったい何だろうな」
 話し合いが終わった後、さっきまで織部寧野を花(ツェピトーク)としてとらえようとしていたのに、急に何者なのかわからなくなったらしい。
 貉(ハオ)の奴隷金糸雀(ジンスーチュエ)の愛子(エジャ)を祖母に持ちながら父親も金糸雀(ジンスーチュエ)。その愛子(エジャ)の相手は鵺(イエ)の司空(シコーン)、よって現在の鵺(イエ)の龍頭(ルンタウ)が死ねば寧野は龍頭(ルンタウ)の血を引く唯一の人間となる。
 ただでさえややこしいのに、母親の茅乃はアレンスキーの孫になる。現在のマトカの首領グレゴリーが父親で母親は真境名(まじきな)るみ子。るみ子は沖縄の高嶺会の光藍と兄妹で現在も高嶺会と関わりがある。高嶺会自体がマトカと深く関わりがあり、懇意にしている仲だ。
 日本中国ロシアの血が混ざり、特殊な生まれに拍車がかかりすぎている気がするくらいだ。
「寧野が何って、生まれは関係ない。寧野は俺の恋人で織部寧野という名前の人間、それだけのことだ」
 寧野に関わるすべてを否定して、耀はただ一人の人間として彼が好きなのだと告げる。
「あんなに愛おしい存在に今まで出会ったことがなかった。俺の人生もそれで回り出したくらいに」
 ヤクザをやめる決意をしたのは、寧野の覚悟を見たからだ。
 耀の身代わりに人質交換に行くような無鉄砲を情人という立場では置いておけない。そう思わせたのはさすがだった。あれはもう相棒なのだ。
 楸や響のような関係には絶対になれない。そう確信したから覚悟を決めた。
「お前は本当に昔から意表を突くような子だったな。それで楸とはどうなるんだ」
「取引相手」
  耀はそうにこりとして言うと、マトヴェーイは感心したように頷く。
 ヤクザをやめたのは二ヶ月ほど前、その期間にすべての準備を整えて、世話になっていた叔父を取引相手として扱うまでになったというのだ。ここまでの手練れはそうそうみない。化けていく耀の姿にマトヴェーイも自分の息子を鑑みる。
「うちのヴァルカを使ってみてくれないか」
「寧野救出にか?」
「そうだ」
 ヴァルカには耀がどういう人間なのか知っておいて欲しいと思ったのだろう。
「構わないが」
 耀はキョトンとしてヴァルカを見る。
「それでその足下にいる花(ツェピトーク)は連れて行くのか?」
 いつの間にか側に寄ってきていたシーニィがヴァルカに抱きついていた。
「僕はシーニィ。行くよ、ヴァルカが行くところはどこへでも」
「いいだろう、シーニィ。お前に寧野を会わせてやる」
  耀はシーニィが花(ツェピトーク)であり金糸雀(ジンスーチュエ)であることまでも知っていた。どういう情報を使えばわかるのか知らないが、それでも花(ツェピトーク)にも金糸雀(ジンスーチュエ)にも興味はないようだった。 
  ただ花(ツェピトーク)だったシーニィに金糸雀(ジンスーチュエ)の寧野を会わせるということはどういうことなのか。それはわからないが、耀はシーニィに何かを教えようとしているようだった。
  行き詰まったシーニィには花(ツェピトーク)以外の扱いが必要だ。だから新しい世界を見せるのには賛成である。だからヴァルカはシーニィを連れて行くことにした。


  マトヴェーイを部下に任せて、ヴァルカはシーニィと二人耀について町を出る。部下は後で合流するつもりでいるので今は必要なかった。
 その移動中のことだ。
「耀は金糸雀(ジンスーチュエ)についてどう思っている」
 そうヴァルカが尋ねると、耀は鼻でふっと笑う。
「金糸雀(ジンスーチュエ)なんて数字に強いだけの計算機だ。ただ処理能力が高すぎるのが困るところ。だがそこは制御すればどうとでもなる。実際寧野はそうしてきた」
 寧野は自分が金糸雀(ジンスーチュエ)であることを強く否定し、その力を押さえてきた。だから力は出ないし、慣れないから使い方がわからないままだ。
 そんなのは訓練でどうとでもなるのだが、使わない訓練なんて普通しないことだ。
「じゃあ忠告をしておく。シーニィの花(ツェピトーク)の力が消えた。今では普通の数字の強い子供になった」
「その力が移動したと」
「この世界で一番強い花(ツェピトーク)は織部寧野だ。花はたいてい続けて出るものだ。シーニィの母親もシーニィを生むまでの間だけ花(ツェピトーク)だった」
 血統で決まっている花(ツェピトーク)と金糸雀(ジンスーチュエ)。同じ一族であるから力の移動もされている。若い金糸雀の力が芽生えるまで花(ツェピトーク)に力が移動することもあるわけだ。ただ花(ツェピトーク)より、金糸雀(ジンスーチュエ)の血筋の方が優秀で、金糸雀の血筋に金糸雀が生まれると花(ツェピトーク)の力は強制的に消えるのだという。
「つまり寧野に何かあったといいたいのか」
「そうだ」
 寧野が不可抗力で金糸雀(ジンスーチュエ)として目覚めるようなことに陥っていると危機を察するようにシーニィが頷く。
「三日前に急に力が衰えだした。今日にはもう花(ツェピトーク)ですらないくらいになってしまった。だからきっと何かあった」
 金糸雀(ジンスーチュエ)と花(ツェピトーク)は繋がっている。そういう特殊な力であるが故にお互いの力の行き来がどうして行われたのか察しがついてしまうのだという。
 とくに花(ツェピトーク)は生まれた時から花(ツェピトーク)ではない分、金糸雀(ジンスーチュエ)よりも察する能力があるのだという。
「力を否定するなら、それについてもっとも詳しくなければならないのは寧野だ」
 ヴァルカがそう言うと、耀も深くため息を吐く。
 それはもっともな話だ。とはいえ、耀は金糸雀(ジンスーチュエ)である寧野を嫌ったりなんかしないのだが、寧野があそこまで強固に金糸雀を否定していた以上、心境の変化がない限り無理そうだ。
「本人が納得してくれれば、話は早いのだがな。まあその話は寧野を取り戻してからでも遅くはない」
「それもそうだった」
  ヴァルカはそう言って耀の作戦の話を聞いた。
  今手の者が寧野の居場所をはっきりさせているらしい。
  その時、耀の電話に仲間からの報告が入った。
 電話を取った耀の顔がみるみる険しい顔に変わっていく。
「わかった、そこで待機だ。すぐいく」
 耀はそう言って電話を切り、ヴァルカに言った。
「寧野が怪我をして入院している。屋敷が騒がしかったので武藍(ウーラン)をつけたところ病院のVIP室に日本人がいると言っている」
「屋敷を襲撃するより、病院での方が何かと手を入れやすいな」
 ヴァルカは襲撃する算段を思いつく。病院なら何人が訪れてもおかしくはない。しかも武藍(ウーラン)の居所さえはっきりさせれば、寧野を奪還するのは屋敷より遙かに簡単になっている。
「怪我、大丈夫だといいね」
  シーニィがそう心配そうに言うと、耀は少しだけ驚いたあと、ふっと優しく笑って言った。
「そうだな」
  それが酷くつらそうに笑っていたから、シーニィははっとする。
  本当にこの人は寧野のことを愛しているんだと確信できた。
  それがシーニィにはとてもうらやましかった。

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