ROLLIN'
ROLLIN'
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「そ、そうだ借金の事だが……」
不意に響がそう言い出した。
なんとか、話題をまずい方向へは持っていかないように、響はそう口にしていた。
「なんだ」
楸は二本目の煙草を吸いながら、響を見つめた。
響は少し考え込んでから、話を切り出した。
「このまま一生払え仕切れないってことないか」
そう、響達、月時家は、宝生組の前組長から借金をしていた。今それを返済しているのは、楸に対してである。
これは先代が決めた事で、今でも月時家は楸にちゃんと返済をしてきていた。
だが、その額はとても一生払えそうになさそうだった。
もし、自分達に何かあった時はどうなるのかというのがあった。
響もちゃんと社会人になって、返済に協力しているが、学生だった時と比べ、どれだけ返済が大変なのかを実感していたのだ。
「どうした?」
楸は不思議そうな顔をしたが、すぐに察した。
楸が月時家から毎月決まった額を返済されている事は知っている。でもその窓口は響ではない。
響の姉の雅が、楸の口座に振り込む事によって行われているのである。
楸は、雅の居場所は知っていたが、響の居場所は知らなかった。
雅は、何故か響と接触しようとする楸を嫌っていて、響の居る場所を教えないどころか、響にも会わないように用心してたのである。
「雅さん、倒れたんだってな」
楸は昨日受けた知らせで、それは知っていた。
雅はOLをしながらも、ホステスの仕事も掛け持ちでしていて、その過労が原因になり、倒れたと報告があったのだ。
「ああ。過労だ。俺も一生懸命働いて返してたけど、姉さんはもう無理だ。これ以上無理はさせられないから……。今度は俺が少しでも返していくつもりだから……姉さんには無理に取り立てて欲しく無いと思って」
いくら好意で利子なしで返しているとはいえ、数千万はまだ優に残っている始末だ。叔父も十分協力してくれているがそれでも無理そうだ。
姉が倒れた今、今度は響が窓口になって払っていかなければならない。
その相談をどうするのか迷っていたが、こうなった今さっさと話を付けてしまった方がいいと思ったらしい。
「まあ、いますぐ返して欲しい借金じゃないしな。誰が窓口でも構わないが」
楸はそう呟いて少し黙った。
響が借金を返す方法としては、今普通に働いて払っていくには、かなりの労働となるだろう。響は取り立てて職業に恵まれているわけでもなさそうだし、頼る身内もいない。生きている間に全額返済は無理だろう。だから思い付いたのである。
「それとも、 別の方法で返すか?」
楸の意外な言葉に、響は楸を見つめた。
何を考えている? そういう顔だ。
「は?」
別の方法など、ある訳がない。
自分が働いて返して行くしか方法はないのだ。
なのに、楸は別の方法があると言うのだ。
しかし、それはマトモな返済方法ではなかったのであった。
「俺の愛人になれ。そうすりゃチャラにするのも簡単だぞ」
平然と楸は言い放ったのである。
一瞬、響は呆然としていたが、そんなの出来る訳がない。
「ふざけるな!俺は真面目に話しているんだ」
響は本気で怒った。
つまり、寝ろという、セックスを要求する言葉だった。
だが、響はそれだけは出来ないと言い放った。
当然、響がそんな条件を呑むとは思えない。
楸もそれはよく解っていた。だから、ニヤリとして、別の方法を思い付いたのである。
「というのは冗談でも、いい働き口があるぞ」
冗談だと言われて、響はホッとした。
だが、他に稼げる方法があるとなると、聴かずにはいられない。
「何だそれは」
響は真剣に楸に問うた。
すると、楸の口から意外な言葉が飛び出たのである。
「耀の家政夫」
「は?」
まったくもって意味がわかりませんがー?
ポカンとした顔になる響。
楸は続けて言い放った。
「お前、自炊してたから料理作れるだろ。耀の偏食を治してくれたらいいと思ってな」
真剣な顔をしたのは、ホントは下心があったからだ。
子供の事を口に出せば、響も自分に対する警戒心を解くだろうと思えたからである。
「そんなので簡単に治るわけないだろ。俺は栄養士でもなんでもないんだからな」
響は、それは無理だと言った。
確かに響は料理が出来る。だが、偏食を治す事なんて簡単にできるとは思えなかったのである。
これさえも断ろうとする響に、楸はまた条件を変えて、響を口説き落とそうとしたのである。
「だったら、一緒に食事してくれるだけでもいい。俺は忙しくて一緒には無理だからな」
確かに楸の仕事は忙しい。耀を引き取ってからも、マトモに一緒に食事をする事はあまりなかった。
それで、耀が寂しがっているのも解っている。
耀が、響にこだわる理由は、ただ単に楸の為に響を連れてきたのではなく、楸の話の中で、響の事が重大な事柄になっていたからのもあった。
その響の言う事なら、耀でも言う事を聞くだろうとという確信があった。
それによって、響の側に自分が一緒にいられるという、何とも卑怯な手段でもあった。
「なんで、そんなに耀君の事を?」
気にかけているのだろうと不思議になった響だった。
耀が楸を苦しめていた兄の子であるのは解った。
でも、楸がそこまで耀の事を気にするのは変な気がしたのである。
楸は、響に正直に状況を説明した。
「あいつが次期組長だからだ」
なんでもないという風に楸は答えた。
「でもお前が今組長なんだろ? そしたらお前が結婚して生まれた子が組長になるんじゃないのか?」
それが当然だろうと響は思っていた。楸が組長になったのだから、それを継ぐのは楸の息子ということになるはずである。
この組は世襲制だから、当然そういう風に響は考えたのである。
だがそれが違うというのだ。
「俺は一時的に組長をやっているだけで、耀が組長としてやっていけるようになったら引退するつもりで契約しているだけだ。だから、俺が結婚したところでどうにもなるものじゃない。それに俺は結婚はしない」
楸ははっきりと言い放った。
初めから楸は組長をするつもりはなかった。
だが耀は幼すぎる。
幹部に任せていくにもまだ早く、あまりに幼い。それを気にして、楸は組長代理を引き受けたのだろう。
だから今は、代わりの組長としてやっているだけだと言うのである。
耀に保護が必要となくなるまで、楸は耀を守って行こうとしているのだろう。
それなら何となくではあるが、響は納得がいってしまった。
あれほど組長にはならないと言っていた楸が組長になっているのは、そうした事があったからなのだろうと。
だが、そうだとしても、楸の発言にはまだ問題があったのである。
「結婚しないって……」
どうしてそう言い切れるのかが解らない響。
いずれは、組長としてではなくても、結婚はするだろう。それが普通の男でもヤクザの男でも同じことなのだ。
実際、響だってそうは考えている。ただ、借金がある限りは、自分も結婚には踏み込めないだろうし。それは、楸の言い訳とは違う事である。
響は、全然意味が解らない、と顔に書いてあるし、変な顔をして楸の言葉を待った。
楸は二本目の煙草を吸い終わって、それを揉み消し、スッと響の顔を近くで見つめてから告白したのである。
「解らないか? 俺が月時響の事が忘れられないからだ」
楸の告白に響は頭の中が真っ白になった。
え?何だって?
ポカンと楸を見てしまった。
暫く呆然としていたが、息を吹き返して言い返した。
「お前、いつから変態になった……」
信じられないという顔をして、響は楸に言った。
確かに変態だ。
自分が忘れられない?そんな馬鹿な。
そんな事を思っていると、楸はニヤリとして答えたのである。
「響と一夜を共にしてからだ」
平然と楸は言い放つ。
ぎょっとしたのは響だ。
一夜、そうあれは過ちだったのだ。
響は自分でもあれはなかった事にしたい一夜だ。
それなのに、楸はこの2年、響の事を忘れてはいなかったのだ。
月時響ほど、自分を惑わせる存在はいなかった。
あの一夜で終わりにしようと思った。でも出来る自信がなかった。離れてみて、やっと解った事だ。
手放してはいけなかったと。
あの時から、自分の側に置いておくべきだったと。
でも、楸が響を探し出そうとした時には、自分は身動きが取れない存在になっていた。
やっと落ち着いて来た今こそ、今度こそ月時響を手に入れるのだと誓った。
思いのほか、耀の方が行動が早かっただけである。
今の楸には、響を側に置いてもまったく構わない位に周りから問題になるような立場でもない。
そう、この今を逃したら、次こそ響は遠くに逃げてしまう。
だから、どんな手段を使ってでも、響を手に入れるつもりだった。それは、響の気持ちなど考えてはいない事だったが、それはそれで後は何とかなるという自信があった。
「趣味悪い!」
響はソファの端まで逃げてしまっている。
それでも楸はそれを気にしないで、ソファで三本目の煙草を吹かせている。
それも真面目な顔である。
視線は響から外さない。
絶対に逃がさないという目だ。
「俺は抱かれるつもりなんかないぞ」
響は後ずさったままでも、それには同意しなかった。
冗談じゃない! 誰がヤクザの情人になるものか!というところである。
だが、それで引く楸でもなかった。
「抱くつもりはあるからな、覚悟しておけ」
楸は真剣に響に言った。
もう逃がすつもりはない。
響はもうその事は忘れようと思った。
とにかく、ここから逃げなければと思った。
「それにまだ耀君の事では納得してない」
響はそう言って立ち上がったが、やはり楸に腕を掴まれた。
強引に引き寄せる様にして、響をソファに座らせた。
まだ話は終わってないという視線で見られて、響は盛大に溜息を吐いた。
冗談じゃない。
借金はしているが、それはちゃんと毎回返済している。それなのに、それ以上に楸が響に執着する意味が解らなかった。
頭を抱える響に、楸はニヤリとして言い放った。
「お前の性格など簡単に解る」
楸はそう言うと、隣の部屋のドアを開けて、部屋の前で待機している黒服の男に何かを伝えた。
それから数分で、耀が戻って来たのである。
「響がご飯作ってくれるの!? 嬉しい!」
嬉しそうに肌を高揚させて現れた耀に言われた響は、ああっと頭を抱えてしまったのである。
これが楸が考えた作戦だった。
響はこういう子供に弱い。
しかも頼り切った犬のような目で嬉しそうに言われたら、嫌だとは断れない。
楸はそれを作戦にいれていたのである。
ニヤリと内心でほくそ笑んだ。
ち、ちくしょー断れないじゃないかー!
案の定、響もそう思っていた。
耀は確かによい子だし、可愛いし、構ってあげたくなる。
その子が喜んでいるのだから、余計に断れないのだ。
こんなに期待をさせて裏切るのは、響の性格では出来ない事だった。
自分で納得してなくても、もうそれは約束された事だったからだ。
響は約束された事を守ってしまう。
耀は本当に喜んでいた。
この時、もう響は耀の作戦により、ここに連れてこられた事すら忘れていた。それを思い出していさえすれば、はっきりと断れたモノを。
あまりに喜ぶ耀を見ていると、もう降参するしかなさそうだ。
「わ……解った。それで働いてお金返せばいいんだな」
完全に降参してしまった響。
これはもう納得するしかない。
罠にはめられたのだが、その罠から抜け出す術を響は持ち合わせていなかったのである。
「お前ならやってくれると思ったよ」
などと楸はニコニコしている。
月時響は、罠にかかったのであった。
だが、ここにいる限り、響の貞操は危ない。
その危険な環境だが、響はそんな事忘れていた。
懐いてくれる耀が可愛くて仕方がないとばかりに、耀と喜んで話をしているのである。
組長の作戦大成功というところであろうか?
その日から、響は会社に出て仕事をしている時以外は、宝生組に出入りしていた。表向きは「山崎」家への出入りなので、響が宝生組に出入りしている事は誰にも知られる事はなかった。
ただ一つ気に食わないのが、いつの間にか響の部屋が解約されて、荷物全てがこのマンションの一室に運ばれていたからである。
それも楸がいる家の中に。
用意周到な楸は、響がうんと頷いた段階でそう考えたいたらしい。
それに気付かなかったのは響だけだった。
それを怒ろうとすると、耀が出て来て。
「響と一緒に暮らせるの嬉しいのに……」
と哀しい顔をされてしまうのである。
こんな顔をされると響も弱い。
「そ、そんな事ないぞ。耀と一緒なんて俺も嬉しいよ」
と言ってしまうのであった。
だが、楸が最初に宣言したような事は、まだ起こっていなかった。楸は本当に忙しいらしく、滅多に響に干渉してこなくなっていた。朝は早くから出かけていたし、夜は響が寝た頃に帰ってくるという多忙さだ。
最初のあの脅しは何だったんだと思わせる程、何もしてこないのである。
響は本当にホッとしていた。
なんか、俺、気が抜けた。
最初の一週間は、本当に気が抜けなかった。
だが、楸が何もしてこないとなると、あの脅しもただの冗談だったのかもしれないと思うようになっていた。
本当に耀の世話だけでいいみたいである。
耀は5歳の割には頭がいい方で、幼稚園でも秀才じゃないかと騒がれていた程。確かに、楸が捜し出せなかった響を簡単に見つけて来て、家まで連れ去ったり出来るくらいは、優秀だったのだ。
一度、会社が早めに終わって迎えに行った響がそんな情報を仕入れて来た。
ヤクザの息子というレッテルは、ここでは無いに等しかった。
もしかしたら、楸が何か手を回しているのかも知れないが、まあ、問題になってないだけマシという感じだ。
毎回、耀を迎えに来るようになった響の評判は何故か幼稚園ではよかった。
物腰は柔らかいし、顔はおっとりしていて、綺麗で、それでいて嫌みがない口調と態度。他の親を怖がらせない、安心させる笑顔が受けていたのである。
そりゃそうだ。
それまでは黒塗りベンツが横付けされ、いかついオジサン達が毎日送り迎えをしてたのだから当然かもしれなかった。
耀には、いつもボディーガードという九猪亘尾(くい あさお)と億伎正務(おき まさつか)という人物が同行している。
なかなか気さくな人で、響にも良くしてくれていた。年齢は響より5歳ほど上らしく、耀が生まれた時から耀の側にいるボディーガード
噂に聞く、ヤクザは幹部の方に近付くにつれ、チンピラとは違った優雅さがあるという感じなのだ。
突然、住み込み始めた響であるが、思いのほか、礼儀正しく接して貰えたのである。
「耀って、幼稚園で浮いてません?」
心配になった響がそう聞くと、九猪が首を振った。
「ヤクザの息子だとはバレてますが、非常に頭のいい方なので、その辺は上手くいっているようです」
そう答えられた。
ヤクザを嫌う人は多いだろう。
でもその子が秀才なら話は別だというところなのだろうか。
なにも耀が選んでヤクザの息子に生まれたわけではないので、その辺は一応考慮してくれているらしい。
それなら一安心である。
「あ、響ー」
幼稚園帰りは、響が仕事が終わってからという約束になっていたので、耀の迎えは5時過ぎと決まっていた。
これは耀の希望からそうなったのである。
だが、仕事を持っている響。幼稚園までは徒歩だが、その後は黒ベンツに乗って買い物に出かけたりと大忙し。
仕事も真面目にやっているので、支障はまだ出てなかった。
そして耀が眠る時は、絵本を読んであげるのも習慣になっていた。
その夜、響がいつも通りに耀に絵本を読んでいると、楸が覗きにやって来た。
「あ、パパ、お帰り」
「まだ寝てなかったのか」
楸は驚いた顔をしながらも、近寄って来て耀の頭を撫でた。
そうすると、耀は嬉しそうな顔をする。
本当に楸の事が好きなのだと解る一瞬だ。
「もう遅いぞ、そろそろ寝ろ」
時間はもう12時近かった。
楸は今日は午前様ではなかったようである。
「解ってるけど、響が絵本読んでくれると楽しいんだ」
などと耀は答えた。こういう所はやはり子供である。
「響も寝なきゃならないから、今日はお終いだ」
「はーい」
耀は元気に答えて布団に潜った。
するとすぐにすやすやと眠り出した。
「子供って可愛いね」
スタンドの電気を消して、響も部屋を出る。
ドアを閉めて、響は自分の部屋に戻ろうとした。
すると、楸が響を後ろから抱きしめてきたのである。
「ちょっと!」
押し退けようとしたのだが、その重さには堪えられない。
何か嫌な予感が体中を駆け巡る。
「響、我慢の限界だ」
楸はそう言って、響をもっときつく抱き締めた。
「え!? おいちょっと!」
やはり……という危険信号が鳴り響く。
でも、背中から抱き締められている以上、それを振り解く事は出来なかった。それにやっと眠りに入った耀を起こす訳にもいかず、大声は出せなかった。
一応、暴れて抵抗する響に楸は耳もとでこう言った。
「セックスしてくれとは言わない。一緒に寝てくれ。それだけでいい」
楸は妙な事を言い出した。
一緒に寝るという意味がセックスではないのは解ったが、それがどういう意味なのかは響には解らなかった。
だが、何故か楸が疲れきっている事だけは解った。
まるで、楸が響にだだをこねているという感じだろうか?
でも確認を取ってしまう。
「一緒に寝るだけだな」
念を押すように響が言うと、楸は頷いた。
「疲れがたまってるだけだが、お前がいれば眠れそうな気がして来た」
本当に疲れ切った顔をしていた楸の言葉を響は押し退ける事が出来なかった。
その顔はここで始めて見た時より疲れ切っていたからだ。
ヤクザもいろいろ大変なんだなあと思いながら、楸を支えて楸の寝室へと向かった。
ベッドにつくなに、楸は倒れ込むようにしてベッドに横たわった。
響は仕方なく、楸の服を脱がせてやった。
それを手伝うように、楸も身体を起こした。
着替えはちゃんと用意されていたので、それを渡すとシルクのパジャマに着替えて楸は布団に入る。
そして布団の端を開けて、そこに響に入るように言った。
「ここにいてくれ」
何があったのか解らないが、ここまで憔悴し切っている楸が何かしてくるとは思わなかったので、響も大人しくそれに従った。
隣に入ると、楸は響を抱き締めてきた。
「おい、なんだこの手は」
抗議する響に楸は。
「抱き枕だ」
そう言って響を抱き締めている。
本当にそれ以上何もして来なかったので、響もそのままの体勢でそこに収まって眠ることにした。
そのまま布団に収まってから響が聞いた。
「仕事、忙しいのか?」
「ああ。もう少しはかかる」
楸は目を瞑ったままで、そう答えた。
「そっか。あんまり無理するなよ」
「心配してくれるのか?」
心配されたのが意外だったのか、少し起き上がった楸。響は溜息を吐いてから答えた。
「当たり前だ。そんな顔されたら心配になってくる」
疲れ切った顔で、今にも倒れそうな姿に見えていた。だから心配になってしまったのである。
「そうか気を付けないとな」
部下にはこんな顔見せられないと思っているのであろう。
トップに立つ者がそんな顔をしている訳にはいかない。
楸はそう思い、布団に潜り込む。
眠くて仕方ないようだった。
響はそんな楸の頭を撫でてやり、自分も眠りについた。
翌日、響が目を覚ますと、まだ楸は眠っていた。
安堵したような顔をして眠っている楸。それを暫く響は眺めてしまった。
なんか、本当に大変なんだな……。
などと感想が洩れてしまう。
時計を見て、もう自分が起きなければならない時間だったのを確認した響は、楸を起こさないように起きだして、仕事へ行く準備をしようと部屋を出た。
その部屋を出たそこで、楸のボディーガードで、仕事の補佐にあたる槙(まき)と鉢合わせてしまったのである。
槙は少し驚いた顔をしていたが、響は平然として答えた。
何か用事がなければ、わざわざ寝室までやってこないだろうと思ったからである。
「楸、起こしましょうか?」
何か用事でもあるのだろうかと思って声をかけてみる。
起こしましょうか? その言葉に。
「え? まだ寝てらっしゃるのですか?」
ますます驚いた顔になっている槙。
寝てたら変なのかな?
それとも普段はもっと早起きなのかな?
それとも寝起きがいいのかな?
などと思いながらも響は答えた。
「ええ、寝てますけど。起こしますね」
「はい、宜しくお願いします」
槙は頭を下げて響にお願いをした。
今出た部屋へ戻って、ベッドに腰をかけて響は楸を起こした。
楸の身体を揺さぶって、起こしてみる。
だが、楸は起きてくれない。眠りが深いのだろうか?
「楸、槙さんが起きてくれって」
耳元でそう告げると、楸はやっと目を開いた。
「ん……槙か?」
どうやらその名前に反応したらしい。
「そう、何か用事あるみたいだぞ」
響がそう言うと、楸はぱっと目を見開いた。
「解った、一分待ってくれ」
楸はそう答えると、すっと起き上がって着替え始めた。
さっきまでぐっすり寝てたのが不思議なくらいの行動である。
響は驚きながらも、楸の脱ぎ捨てたパジャマを片付けて部屋を出た。
「一分待って下さいって」
「そうですか」
槙はまだ驚いた顔をしていた。
何か驚く事でもあったのだろうか?と不思議に思いながらも、響は耀を起こしに向かった。
「響さんと一緒に寝てたのですか?」
槙が楸に聞いた。
「抱き心地がいいんでな」
楸は意味心な言葉を吐く。
「抱き心地ですか……」
どういう種類の抱き心地なのか、一瞬、別の意味に捕らえてしまった槙である。だが、すぐに否定されてしまった。
「勘違いするな。抱き枕にはちょうどいいって事だ」
楸は槙をからかった口調になっていた。
槙はてっきり、セックスの相手としていいんだと思っていたらしい。
「……はあ、なるほど」
やっと納得して自分の考えを打ち消したようだった。
「いつまで響さんをここへ置いておくつもりなのですか?」
確信をついたような言葉で槙は言った。
楸は槙を見つめて答えた。
「あれは一生手放すつもりはない」
はっきりとした口調で、それも真剣に答えていた。
「ですが……」
それはと、釘を差そうとしたのだが、それを楸は制して言い放った。
「やっと見つけたんだ。絶対に手放すつもりなどない。どんな手段を使ったとしても、俺の側に置いておく」
楸がそう答えたので、槙はそれ以上何も言えなかった。
それは楸が嬉しそうな顔をしていたからだった。
それは、ここに来てから見た事もない、満ち足りた楸の嬉しそうな笑顔だった。
そして、本気で手放すことなど考えてない顔だ。
それ以上、これについて何か言えば、楸は怒り出すだろう。
どんな手段を使ったとしても。それは、邪魔する者への報復も含めているという意味だった。何にも執着を見せない組長の、唯一見せる執着なのだ。
それくらいに響の事を思っている顔だった。
槙には、その思いを引き裂く事など出来ない。
どんなに遠くに響を追いやったとしても、楸はあらゆる手を尽くして、響を連れ戻すだろう。
それだけははっきりと解ったのである。
はあ、響さんもやっかいなお人に見込まれたものですね……。
槙は、溜息と共にその言葉を小さく呟いてしまったのだった。
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