raging inferno

17

葵依が手術を受けている間に前線は既に収束して、比嘉によると港が襲撃され、警察が到着したと知ったマトカの兵士は、急に方々へ散ったという。
 さすがに戻るところがなくなったことを知った兵士は、捕まるわけにはいかないので、ロシア船籍の船に紛れ込むために北を目指したようだった。
 新潟などではそうした船が多いので、当てがあるのだろう。
 だが、逃がした才門はなかなか見つからず、ロシア人が連れて逃げているようだった。マトカのボスの妻である千晴のこともあるから逃げ切るか思っていたけれど、その夜のニュースで才門が死んでいたことが分かった。
遠くからの射撃による銃殺であり、持っていた身分証書にて古我知才門であることが分かった。
 もちろん沖縄県警は高嶺会への強制捜査に乗り出そうとしたのだが、高嶺会自体が才門がヤクザを辞めて沖縄を出て既に一ヶ月経っていることを告げ、古我知才門は高嶺会の会長ではないという声明を出して、弁護士により強制捜査の正当性を訴えさせたところ、裁判所が強制捜査の令状を出さなかった。
古我知才門が高嶺会から出ていること、事務所は既に無関係であることから、才門の住んでいた自宅と別宅の二箇所のみの捜査となった。
 その自宅を調べたけれど、才門が大きな荷物以外を持ち出しており、近隣の住人は数人の黒服が荷物を運んでいたと告げる。
 徹底的に家を調べたが、才門とロシア人との繋がりが、高嶺会と繋がりのあるマフィアとしか思えないけれど、どうしてその関係の船で狙撃されたのかが分からないのだ。
 確かに内部抗争をしていた高嶺会であるが、才門は逃げ出してはいたけれど、それを追った様子はなかったのだ。
 九州で起きていた奇妙な抗争も、ロシア船籍が警察によって見つかると同時に収まってしまった。
 繁華街のヤクザは、それまでのように街を闊歩し始め、鳴りを潜めていたものがやっと顔を見せ始め、それはすぐに日常に戻っていく。


 葵依が撃たれて、手術を受けてから三日が過ぎた。
 麻酔が切れて痛いのか、葵依が呻いていることがあるが目を覚まさない。
 船からはなかなか外へ出ることができず、葵依ももっと安静できる場所に移せない。銃創がある以上、警察に見つかる可能性がある危険は犯せない。更に葵依は警察にとっては放火事件のロシア人との関わりも調べられている。
 その後の橙李の隣人が殺された事件に進展もなく、橙李も姿を消していることから警察は藤宮兄弟に何かあったと思っていたようである。
 そこに橙李が大学に休学届を出したことで、警察は橙李が生きていることを知り、橙李を尋ねてきたという。
 それが昨日のことだ。
 橙李は日向と暮らすために日向が住んでいるマンションに移っていて普通に暮らしていることと、兄である葵依もつい先日までここで暮らしていたことを告げ、今は会社も辞めたので旅をしているらしいこと。行き先は聞いてないことまで言った。
 そのマンションの隣人には部下を住まわせているので、葵依のことを見たと証言をさせて、葵依がいた事実を作った。
 弁護士事務所から葵依の書類が盗まれたことは、橙李が父親のことを調べている怪しいロシア人がいたらしいと兄には聞いたが自分とは関わり合いがないこと。アパートの隣人とは付き合いがないので分からないと告げた。
とにかく橙李が付き合っているのが、高嶺会の現会長である渡真利壮比の長女である日向であることから、警察も何となくではあるが、これはヤクザ絡みであり、例のロシア人は今騒がせている北九州の港の事件と関わりがあるのだと察したらしい。
 ここのところヤクザが暴れていた事件と、ホテルを銃撃したテロはさすがに繋げるには無理があったけれど、襲われた屋敷は高嶺会の人間が出入りしていたと聞くので、もしかしたらロシアマフィアと高嶺会の抗争だったけれど、終わったのかと思ったようだった。
 捕まったロシア人は百人を越えたけれど、どのロシア人も真面に答えず、抗争に巻き込まれただけだと言い、結局ロシア政府に全員がマフィア関係者であり、身柄の引き渡しを求められた。


 そうした騒動がテレビのニュースになっている間、葵依は目を覚まさないままだ。
 蓮はそんな葵依に付き添って一週間ほど過ごした。
 外の警察がやっといなくなったのは一週間後で、蓮は葵依を連れて車で用意した福岡市内のマンションに移動した。
 葵依はただ目を覚まさないのは、怪我の様子や麻酔のせいではなく、葵依自身が死んだと思っていて起きない、精神的なものではないかと医者は言う。
「多分、葵依にとってこれで死んだとしても後悔しないんだと思う」
橙李はそう言う。
葵依は橙李には生きると言ったけれど、橙李のことも信じているから、撃たれた衝撃を受けた時、駄目なんだとも思ったのかもしれない。
けれど葵依は生きている。
 どうやって起こせばいいのか。
 蓮が葵依に付き添っている間も、高嶺会は九州統一のために様々な仕事が残っていた。
 葵依の傷が抜糸できる時になっても、葵依は目を覚まさずにいた。
 二週間が経って、蓮の仕事が安里や壮比に引き継がれると、蓮は葵依の側を離れたくはないと、葵依を沖縄に連れて行くことにした。
 そんな手配をしている時に、蓮が葵依の身体を動かしていると、葵依が術後始めて声を上げた。
「……れ、ん……」
 そう葵依が始めて蓮を呼び、そして手が蓮を探している。
「葵依、ここにいる。起きろ……起きてくれ」
蓮はその手を握り、葵依に呼びかける。
 その声は葵依に届いていたのか、葵依の眉がピクリとして、まぶたが開き青い目が見えた。
「葵依……っ! 起きたのかっ!」
 蓮の声に葵依は二回瞬きをしてから、声のした方を見た。
「……れん……いき、てる?」
 葵依はまず蓮の姿を確かめて、蓮の無事を確認する。
 それに蓮は手を握り返して答えた。
「生きてる。葵依、お前も生きてる」
 蓮がそう言うと、葵依は何か喋ろうとして咳をした。
「……待て、まずは水を飲め」
 蓮は水差しに入った水を飲ませてから葵依の声を聞いた。
「……はあ、うん、生きてるか……」
 葵依は蓮が生きているのを確認して、ホッとしたように息を吐く。
 その様子に蓮はホッとしてから医者を呼んだ。
 葵依はまだはっきりと意識がしておらず、夢うつつであったが、医者が来て見てくれ、長く眠っていたから脳がまだはっきりとしないのだろうと言う。
 ただ身体は全く問題なく動くし、悪いところはないという。
「あとは、自力で回復するのみだよ。大分歩いてないから、歩かせてあげるといい」
 医者がそう言って去って行くと、葵依はやっと起きだしたかのように意識ははっきりとしてきた。
「……悪い。何か夢なのか現実なのか分からなくなってた」
 葵依はやっと今が現実であることを認識して、蓮に礼を言う。
「ずっといてくれたんだな。ありがとう。あと、俺の命を救ってくれてありがとう」
 葵依がそう言うと、蓮は葵依の前に跪いた。
「いや、俺の方こそ、守って貰った。あの時、葵依が飛び出してくれなかったら、俺はあのまま狙撃をされて死んでいた」
「ああ、そうか、狙撃か……光ったからまたランチャーあたりかと」
 葵依は何が飛んでくるのか分からなかったが、対岸で光った何かが見えたという。
 それは花火を上げたことで、狙撃用のスコープが反射を起こしたのだろう。普段ならば狙撃手も気にするだろうし、光らないようにする。けれど、夜だったから光の反射するものがなかったので、油断したのだろう。
 それが葵依の目に入ったのだ。
「橙李に言われていた。お前が俺を庇って死ぬと。あいつの危機感は外れないんだろう。でも外してやろうとした」
 蓮がそう言い、葵依もそれは聞いていたけれど、ただ必死だったと言う。
「俺は、ここで死んでも、お前が守れればいいかと思った。橙李には未来があるとかかっこよく宥めたんだけど……あいつの予言めいたことは外れたことはないから、抗っても駄目ならせめてお前くらいはと思った」
 葵依はそう正直に言い、蓮はそんな葵依の額に額を付けてから言う。
「こっちの心臓が止まりそうだった」
「……そうか、それは悪かった。でも俺のしたことでお前が助かっているのなら、意味があったってことだ。それは俺は嬉しいぞ。そして橙李のお陰でお前は守れた」
 葵依はそう言い、蓮の首筋に腕を伸ばしてしっかりと蓮を抱きしめる。
「お前が生きているのが嬉しい」
 葵依が満足して蓮に抱き付いたら、それを蓮が力強く抱きしめ返した。
「俺もお前が生きているのが嬉しい」
蓮の本気でそう言う言葉に葵依はくすぐったそうに笑う。
 しばらく抱き合っていたけれど、急に葵依の腹が鳴った。
「……腹減った」
「くくく、お前は本当に……」
 お腹が減っていることを思い出したように葵依が本気でそう言うと、蓮はそれを笑って、まずはお腹に優しいものを用意した。
 ちかくの出前であったけれど、おかゆだけではなく、肉の味がちゃんとするものだったので、葵依はあっという間にそれを平らげてしまう。
「ああ、お米って美味しいよね……でも肉も食べたい」
葵依がしみじみと言うので蓮は笑い、その夜は柔らかい肉を用意してやった。
 沖縄に移動する予定だったが、葵依が目覚めたことで二日ほど日程がズレたけれど、その間に葵依は寝ている間に起きたことを耳に入れた。
葵依が寝ている間にことは全部終わっていた。
 高嶺会による九州統一はあっという間に済んでしまい、高嶺会は急激な領土拡大に伴い、任侠の世界でも重要な組織の一つになった。
 ロシアマフィアを排除したことにより、マトカとも赤い雪とも切れてしまったけれど、それはそれで問題はないらしい。
 橙李は大学に戻れて、ギリギリで単位は取れそうであるし、葵依も旅に出たことになっているから、辻褄を合わせるようにと言われた。
 警察は結局、葵依のマンションでの火災と、橙李のアパートの隣人のことと放火のことは調べられているが、あくまで偶然が重なっただけであるという見解に落ち着いて、それぞれの事件として片付けられるようだった。
 葵依はその時に弁護士に連絡を取り、自分が生きていること、もう問題は片付いたことを知らせた。弁護士は喜んでいたし、葵依と隣人の件だけは最後まで担当してくれると言った。
橙李には既に連絡を入れてあるが、大学が忙しく課題も多いため、葵依には会いに来られない。けれど、葵依は学業を優先しろと伝えた。
「何だかんだで日向が橙李のために色んなことをしていたようで、橙李の角も取れて二人は付き合ってるらしい」
 そう蓮が言うと、葵依は呆れた顔をしている。
「あれだけ騒いで結局か。あいつ馬鹿じゃないか」
 葵依の言葉に蓮も賛同したけれど、ただあれがなければ葵依と蓮の二人が出会っていないことも事実だったので、お互いに顔を見合わせて苦笑をする。
「まあ、そのお陰で、俺も橙李も生きているし、蓮、お前にも出会えた」
「それを考えたら、仕方ないかと思うしかないな」
 橙李の危機管理能力のお陰で、葵依は蓮に出会ったし、命も助かっている。
二人はそう言って顔を見合わせて笑う。
「それから、才門が死んでいた。どうやら、俺たちを撃った狙撃手に撃ち殺されたらしい」
 蓮の言葉に葵依は驚く。
「た、確かに、俺たちは才門が俺たち以外に殺されるなら好都合だと狙ったけれど……狙撃はマトカじゃないよな?」
 葵依はやっと気付いた。あれはマトカのモノかと疑ったが違ったようだ。
「あの位置取りは、最初から才門を狙っていた狙撃手でしかありえない。実際にあの狙撃地点に行ってみたが、その場所にわざわざ薬莢が放ってあった。後で俺たちが見に来るのは分かっていたようだ」
 そう言われた葵依はまさかと言う。
「あの状況を見抜き、先読みして才門を殺して、おまけに蓮の命まで狙うようなやつなんて……そうそういるわけも……」
 そう声に出して言っているうちに葵依は思い当たることに気付いた。
「葵依も分かるだろ? これはきっと俐皇だ」
 蓮がそう断言する。それに葵依はそうだろうと頷いた。
「あいつは葵依の持っている技が欲しいんだ。だから俺がいなければ、行き先のない葵依が頼ってくるかも知れないと思った」
「……確かにそうは言ってだけど……才門を撃ったら、俺の問題も解決してしまう。蓮をそこで殺しても……俺が俐皇のところに行く理由がない。そうだろ?」
 才門をあの場所で殺したら、高嶺会が勝つ。それに組しておいて、蓮を狙うのは痛み分けか、高嶺会に恨みがあるとしか思えない。
「俐皇は名前の通り、真栄城家の血筋だ。ただ母親の青良が如罪組組長松比良との間の子だったから、当時の真栄城家は受け入れられず、俐皇には辛く当たった。そのせいで俐皇は嵯峨根会の中の一家に預けられて冷遇された経験がある。恨みは十分にある。だから高嶺会にとって打撃になるなら、現会長になった壮比の息子で真栄城家の血筋でもある俺の命を奪ってやれくらいに思っていたのかも知れない」
蓮は渡真利壮比の息子でありながら、真栄城安里の孫でもある。
「ああ、そうか……そういうことか……」
 何事にも理由があるわけだ。
 俐皇はあのホテルにいたときに、葵依のことを殺しには来たけれど、蓮のことも殺したかったのだ。だから本人が出向いてきたけれど、それは葵依が榧流本家の奥義を持っていることで、俐皇の気が変わったのだ。
 だが蓮のことは機会があれば殺したかった。
 なぜなら高嶺会会長に一番近い男だ。
 現会長の命も安里の命も狙いたいが、沖縄に入ること自体、俐皇にとってはかなり難しいことらしい。そこから出ることもなく、出たとしても命を狙うタイミングがずっと会わないままだった中で、やっと蓮の命が狙えたということらしい。
「だがこういう機会はそうそう訪れない。俐皇の活動範囲は世界だろうし、今頃は出国してるよ。追うのは無理だろうな。まあ、マフィアの組織が躍起になって追っても捕まらない相手だ。俺らとは世界が違う」
 この先俐皇によって蓮の命が狙われることはないだろうと蓮が言うと、葵依はそれにホッとしたように息を吐いた。
「よかった……本当に蓮が無事で」
 葵依は何とか危機を乗り越えたことを実感して蓮を抱きしめた。
 蓮もまた葵依を抱きしめ返してからホッとした息を吐いた。

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