raging inferno

12

 とてつもない強さの相手と生死を賭ける羽目になった葵依は、相手の動きに何とか合わせて動くことができるようになった。
 けれどそう思った瞬間相手が型を変えてきて、一気に葵依の体制がまた一からのやり直しになる。
 そうしたことが四回も続いたけれど、相手は攻撃ができる間合いには入ってくるのに、まるで面白そうに葵依の頬などに触れるだけで、一切の攻撃はしてこなかった。
 だから危機に陥っているのは葵依だけで、相手は遊んでいる程度なのかもしれない。
 それに葵依は一瞬の怒りを感じ、間合いが離れた瞬間に攻撃に転じた。
 もちろん、どこを狙っても相手には当たらないけれど、だんだんと葵依は自分の奥義に近い型で攻撃を開始し始めていた。
 もうそうでもしないととてもじゃないが追いつけない相手なのだ。
 するとそれが男にも分かったのだろうか、男が言った。
「そうだ出せ、それを。わざわざ相手に合わせる必要はない、これは練習じゃないんだ」
 男がそう言うから、葵依はそう長く使えるわけではないけれど、決して練習を怠っていなかった奥義の一歩手前まで自分を解放した。
 ぐんっと一瞬で上がる視界速度であるが、それによって男の間合いに一瞬で入れ、攻撃が一つ入る。拳は男の顔に入り、男はそれで仰け反ってから反動を使って葵依の間合いの外に出てしまう。
 さすがに上手く逃げられ、葵依も間合いを取った。
 これ以上の深追いは相手の思うつぼである。
「……榧流本家の奥義を引き出せはしなかったが、その一歩は見えた。なるほど、面白い。生かしておくのもありか」
 そう男が言うと、アレックスの分身である男が叫んだ。
「くそ、俐皇(りおう)!」
 まさかのマフィアの登場に葵依が驚いていると、俐皇と呼ばれた男はアレックスの分身を見て笑う。
「よう、マックス。相変わらず俺を追っているらしいが、本家に負けるようじゃ俺には勝てない。それは身をもって知っただろう?」
 俐皇の強さは多分、これ以上なのだろうと葵依は思う。
 だって俐皇は一回も攻撃に転じてないのだ。それこそ葵依と蓮の部下ほどの差はある。ただ葵依が負けていないのは、俐皇でも葵依が使う奥義には勝てないからだ。
 さっきの一歩手前の攻撃ですら、俐皇には届いた。
 それが分かって葵依は少しだけ興奮をしている。奥義一歩手前という状態を解放しても自分はまだ戦えたのだ。これは実践でしか解放できない領域で葵依が戦えたという証拠だ。
「うるせえ、榧流を盗みやがって!」
「盗む盗まないじゃないんだよ。身につくか付かないかなんだ。それは運でもあるし、望んでなくてもだ。望んだって手に入るものでもない。つまり、生まれ持ったものでしかない」
 そこに至るまでにどんな努力をしても届かないものがある。
 それは亜蘭が葵依に言ったことだ。亜蘭がどれほどの努力をしても、葵依の肉体が手に入らない限り、奥義は身につかないのだと。それは運であり、生まれ持ったモノだから、葵依はそれに感謝しないといけない。神様からのギフトだと。
奇しくもヤクザにとって天敵である男に言われて亜蘭を思い出し、そう産んでくれた東子に感謝するようにと言われて育ったことまで思い出した。
 ああ、奥義を継承させられたと思い込んでいたけれど、それは亜蘭から縁が出来た世界で嫌なら最初から逃げればよかったのに、結局逃げなかったのは、榧流の武術が好きだからだ。
 葵依がそうやって昔を思い出している間に、目の前で俐皇とマックスと俐皇に呼ばれた男が言い合いをしている。
「うるせえ、榧流を使うなくそがっ!」
「お前らは本当にしつこい。周(あまね)と語(かたる)の息子じゃなきゃ殺してるところだ」
「マジ、むかつくっ!」
 二人が言い合っているけれど、もしかして仲が良いのかと思っていると、葵依はゾクリとして一瞬で部屋の窓から飛び退いた。
 その時に転がっているアレックスを引き摺ってテーブルの影に引き摺り入れる。
 そしてガガガッと爆音が鳴って、ホテルの窓ガラスが左から順番に割れていき、俐皇のいる場所を狙って打ち込まれた。
 その爆音に葵依が怯んでいる隙に、もう一度機関銃のような弾丸が撃ち込まれている。
「……っ」
 こんな派手なことをするのは、きっとさっき襲ってきたロシア人組織であろう。赤い雪(クラースヌィ・スニイェク)は真栄城俐皇に恨みがあると蓮が言っていたのを思い出す。
 様々な思惑がこんなところでぶつかって、想像もしない事件に発展している。
 爆音がやっと止んだと思ったら、ドアの奥から俐皇が叫んだ。
「これからお前は、この世界の誰も信じられなくなるだろう! もし行くところがないなら、俺の所に来い!」
 俐皇がそう言ってくるので葵依は叫ぶ。
「どうせ呼び寄せて殺す気だろうが!」
「いや、お前が榧流の奥義を持っているなら、殺す理由はない。あの男もそれを知っているからお前を殺さないだけなんだろう。まずはここを生き延びろよっ」
 俐皇はそう言うとさっさと去って行く。それを追ったらしいヘリが爆音を立てて屋上へと上がっていくも、それを狙ったであろう遠くから眩しい光が飛んできて、ヘリにぶち当たり、爆発してヘリが落ちていく。
 それが地面に落ちて更に大きく爆発している音がしている。
 やがてそれが聞こえなくなると、警察のパトカーのサイレンと消防車のサイレンが同時に聞こえる。
 それが聞こえ始めると途端に周りが騒がしさを取り戻す。
 葵依はギリギリで引き摺り込んだアレックスが目を覚ましているのに気付く。
「……助かった、これは借りにしておく」
 アレックスはそう言うとすぐに部屋を飛び出していく。先に逃げたであろうマックスが部屋を一回覗いて言った。
「俐皇の言うことは真に受けるなよ! 付いていったら地獄だからな!」
 マックスはそう言ってから去って行く。
 それを呆然と見送ってから、部屋に部下たちが入ってくる。
「葵依さんっ、生きてますか!」
「生きてる!」
「逃げますので、来て下さい!」
「はい!」
 散らかった部屋を何とか抜け出して、葵依は最低限に蓮に貰った荷物も持ち出した。
 部下も持てる荷物を抱えて屋上へと行く。そこにはヘリがやってきて、乗り込むことができた。
「先に黒服の男がヘリに乗り込んで逃げたんですが」
「見逃して正解。あれ、俐皇とかいうヤツだった」
 部下がこれ以上戦闘は不可能だと思い、俐皇との接触を避けたけれど、遠くから何かが打ち込まれたので引いたという。
 それに葵依が相手が誰なのかを伝えると、部下は手を出すには不利な相手だと悟ったらしい。
「とにかく、このまま隣の街の避難場所へ行きます」
「お願いします」
 行くところがない葵依は、蓮がいるところに戻るしかない。
 しかし葵依は考える。
 さっきの俐皇の話が本当だった場合、葵依は蓮の側にすらいられないのではないだろうかと。
 俐皇が言うあの男、それはきっと九十九のことだ。
 その男が面白がって葵依たちを生かしているなら、それを快く思わない人間がいるはずだ。そして九十九を罠に掛けるために葵依を利用しようとすることもあるだろう。
 でもそれで九十九という男が釣られることはなく、きっと葵依は無駄死にをするだけだ。けれど、それでも俐皇が生き残れと言った。
 他人によって人生が踏みにじられるようなことが起こっているけれど、それで潰れるような血筋ではないのだろう。九十九という男がどんなに悪人であっても、その血がたぎるのはきっと戦いの中のはずだ。
 葵依はここからずっと戦い続ける人生が始まったのだ。


 葵依がヘリに乗せられて、蓮の避難場所に連れて行かれる。
 大きな屋敷が山の上に建っていて、その大きな庭が着陸地点だった。
 しかしその周りには沢山の車が止まっていて、様子がおかしい。
 葵依はそれを見ながら数えた。
「十二、十三……二十……三十」
 どうやら計三十名くらいの人がそこに集まっている。
 葵依はそれに妙な危機感を得てしまう。
 なぜだか分からないけれど、恐ろしい気配だ。
 ヘリが到着して、葵依がそこへ降り立つと、蓮は複数人の男に取り囲まれていて、葵依の方を見てホッとはしているが、この状況をよく思っていない様子だ。
 明らかに蓮の部下も拘束されてはいないが隔離されていて、そこにいるのは味方であるが、蓮にとって厄介な相手のようだった。
「葵依さん、蓮さんの隣にいる男は古我知(こがち)紫苑と言って、高嶺会会長の息子で、父親の代理で遠出をするような役割を持っています」
 紫苑は五十過ぎくらいの男で、身長はそこまで高くはないが、顔が嫌に整っている。あの顔のせいでこの世界ではきっと不自由をしただろう。そしてその紫苑に似た顔を葵依は見たことがある。
 榧流武術の奥義を持つ、織部寧野(おりべ しずの)だ。その顔によく似ている。寧野の母親は確か沖縄出身だと聞いたことがあるので、その親類かもしれない。
「会長直々のお出ましであり、蓮が何かしくじったのか?」
「恐らく、あなたのことが……知られたのでは」
 部下は俐皇と葵依の話は影で聞いていたと言い、その関係が古我知(こがち)の耳にも入ったのではないかと言う。
 俐皇は明らかに蓮の所に戻るであろう葵依の立場が悪くなることだけは予想していった。あれはもう葵依の血筋の秘密が明るみに出てしまったということなのだろう。
 ヤクザたちが決して許さない、恨んでいると言ってもいい事件を起こした九十九朱明(つくも しゅめい)の血筋、それを葵依が受け継いでいるということを知ったのだ。
「藤宮葵依、そこを動くな。そっちの部下、そっちに下がれ」
 古我知紫苑がそう言い、部下は渋々葵依から離れる。
 葵依の周りに紫苑が命じた男たちが集まっているけれど、葵依は一言だけ言った。
「さっき、ホテルを襲撃した犯人は、ヘリに機関銃、遠くからそれを打ち落とすロケットランチャーを使っていた」
 葵依がそう言い出して、紫苑はそれを鼻で笑う。
「そんなことはどうでもいい、お前の身柄はこちらで拘束させてもらう」
紫苑は葵依が適当なことを言っていると思っているようで、葵依を押さえ込もうとするけれど、葵依はその男たちを一斉に一撃で沈めていくと静かに言った。
「蓮、ここは高台にある。そんなところをあの装備で襲撃されれば、当然一網打尽だ」
 そう葵依が告げると、蓮が葵依の言う情報が本当なのかと葵依と一緒にやってきた部下を見ると部下が言った。
「本当です、重火器を持ち込んでいますっ! それから真栄城俐皇が来ていました!」
部下が見てきたことを口にすると、俐皇があの場所に現れるとは誰も予想はしていなかったのか、紫苑ですら顔色を変えた。
「ま、まさか……」
「葵依、来いっ! 全員、退避!」
 蓮がそう大きな声で叫ぶと、一斉に部下が己の主人を庇って屋敷から抜け出していく、入りきらなかった車をまず確保して、それに紫苑などが乗っていく。
 蓮は葵依を連れて山の反対側に向かう道へと走って行く。
「どうすんだ!」
「屋敷はくれてやるが、山を下りたらきっと一網打尽だ。俐皇がいたのなら、そういうことだ」
 蓮がそう言った時には遠くから何かが空を切って飛んでいる音が聞こえて、煌々と照っている屋敷に大きな爆撃が起こる。
「……きたっ……!」
 遠くからロケットランチャーでも打ち込んでいるような音が二、三発して、大きな屋敷からは轟音と瓦礫が沢山飛び散っている。
 それは山を下りたであろう車にも攻撃が浴びせられているのか、ドンドンとあり得ない銃撃が行われている。
 蓮は自分の部下がちゃんと付いて生きているのか確認をし、屋敷を維持していた部下と、ホテルから逃げてきた部下がちゃんと揃っているのを確認する。
 高台に屋敷を建てたからには、その避難経路はもちろん用意をしており、屋敷の近くにある小さな建物から地下に入る小さな小屋に辿り着く。
 元々空洞だったところに階段を作り、地下にある防空壕跡に出るようにしてあると蓮は言った。
 それは屋敷とは正反対の村に出て、そこから大きな街には十五分の距離である。
 紫苑はその避難経路を知らないので、普通に乗ってきた車で山を下ったけれど、あの爆撃で逃げられたかどうかは分からない。
 葵依はなるべく人が死なないで欲しかったけれど、これはもうそういう話ではないらしい。
 事の発端は、元々九州がヤクザとマフィアにとって立地がいい稼ぎ場所であった。
 海外の人が訪れるようになっていたから、麻薬や違法カジノなど様々なことがやりやすい。特に福岡の博多はヤクザにとって手に入れたい夜の街でもある。
 それを南から高嶺会が、北から如罪組が九州統一して手に入れようと画策をしている。
 そこに赤い雪(クラースヌィ・スニイェク)が何かを求めて東京と九州を彷徨いている。九州ではマトカが組する高嶺会と抗争する如罪組に手を貸しているようであるが、赤い雪は別の目的でも動いていた。
 それらは全て藤宮葵依と橙李の父親、亜蘭の情報を探してであり、そこから葵依たちが、ヤクザどころか世界中のマフィアにとって脅威である九十九朱明というテロリストになっている男の孫に当たるという情報を手に入れたからだろう。
面倒な芽は摘んでおくというのが赤い雪のやり方らしいが、とうとうこの情報は高嶺会の会長の知るところになった。
 つまり葵依は、このまま蓮の所にいるわけにはいかない。
 爆音が収まっていくと、今度は警察が到着する。消防車が山道を駆け上がったけれど、その数は少ない。隣街のホテル爆撃の方がテロである可能性が高いから、こちらに人員を割けなかったのだろう。
 それを避けて蓮たちが置いてあった車に乗り込むも、葵依は蓮に言った。
「お前がこのまま高嶺会に戻るなら、俺は付いていけない。そこでも俺は多分命を狙われる」
 葵依がそう言うと、蓮が言った。
「いや、葵依は殺させない。そもそもたかが血筋とはいえ、孫だろ? しかも育てられたわけでもなく、関わり合いになったこともない。ただDNAが被る程度のこと。それを驚異だ何だと言って排除すること自体がそもそもおかしなことだ。世迷い言の一種だと俺は思っている」
 蓮の言葉はとてもいいことを言っているし、葵依もそれには賛同したい。
「でも、お前はそれでいいとして、お前の上はどうだ? さっきの男だって俺が九十九ってやつの孫であることが問題だと言った。この世界にはどうしてもそれが出来ない何かがあるんじゃないか?」
 葵依の言葉にも蓮はその通りだと頷いた。
「そこで俺は試したいことがある。これは謂わば下剋上にあたるかもしれない」
 蓮がそう言うと蓮は何処かに電話を掛けた。
 それは高嶺会にとって、長年続いてきた組織の在り方について考える自体になり、さらには長く続いてきたある支配からの脱却でもある。

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