葵依を追っているロシア人の正体が赤い雪(クラースヌィ・スニイェク)だろうという予想は付いていたが、目的が何なのか分からないまま、弁護士事務所に構成員が侵入し、葵依の資料を持って逃げた。
また弁護士事務所を燃やそうと画策していたようだったが、それは蓮の機転によって部下が警察を呼び、ロシア人たちは火を付ける間もなく逃げ出した。
それによって弁護士が呼び出されて葵依の資料が盗まれていることが伝えられ、刑事によって葵依の自宅が焼失していることや、弁護士が連絡を取れないこと、さらにはその葵依の弟にも連絡が取れず、その自宅であったアパートでも火事があり、隣の住人が殺されているという事態を知る。
「何かあっただろう、これは……」
刑事はやっと葵依の周りで葵依がロシア人に追われていることや、それから逃げるために姿を消したことで何かに巻き込まれていると知ったようだった。
そんなロシア人を蓮の部下が付けていくと、アジトである民家を見つけ、さらにはそこからホテルまで辿り着いた。
そこで赤い雪(クラースヌィ・スニイェク)の重要幹部である男、ドロフェイ・ドナトヴィッチがいるのを知る。
「ドローシャという略称で呼ばれている男で、組織のトップであるヴァルカと呼ばれる男の片腕です」
ロシア人は基本、名前を略称したり愛称で呼んだりして、基本の名前が違っていることがある。中には略称で全く違う呼び方があったりする複雑さである。
「そのドローシャが、ラリューシャと呼ばれるを男を連れていたそうで、それがどうも愛称から推測するに、オーシャと呼ばれる男の息子で、オーシャはヴァルカの直属の部下です。つまり、片腕と呼ばれる男とその直属の部下の息子が指揮を執っているようです。現在、ホテルの従業員から何か聞き出せないか上手く探りを入れています」
比嘉がそう言ってきたので、蓮は真剣な顔をしている。
「マズイな、直属の部下の段階で相当重要な要件であるはずが、片腕まで出張っているとなると、葵依を消すまでは居座るつもりなんだろう。相手もそれだけ本気ってことだ」
そう言われても葵依はその理由に行き着かない。
「俺らが殺されたことで何かが守られるのだろうけど、一体何? 俺らのことでそのロシアのマフィアが困るって言うのは……」
葵依の言葉にその辺の事情を知るような人から何か一言でも聞ければいいのだがと思っていると、その日のうちに続報が入る。
「ネ・ブディー・リーホ・ポカー・チーホと言っていたらしく、それを日本語にすると、「リーホが大人しくしているときに、目を覚まさせるな」と言うらしく、ロシアのことわざの一つで、日本語に当てはめると、「藪をつついて蛇を出す」になります」
そう比嘉が聞き出した情報を伝えると、蓮が唸る。
「思い当たるのは、赤い雪(クラースヌィ・スニイェク)というのは、マトカというマフィアとの抗争の末に、巨大化した組織だ。そこの組織は三十年前からある男についての追跡を行っている」
葵依には全く事情が分からないことなので蓮が説明を始める。それはまとめのように周りの部下にも分かりやすく伝えて意見を出し合うための行動だ。
「ある男って?」
「世界的なマフィアである、クトータという組織のボスである真栄城俐皇(まえしろ りおう)という男を殺すために捜している。どうやら内部で衝突があったらしく、見つけ次第殺すと言っていて、かばい立てする組織には宣戦布告するというくらいに恨みを持っている」
「未だにその男を殺せてない上に、その男のことを調べていて藪を突いたってことなんだろうけど、出てきた蛇は誰?」
当然、葵依でもそういう流れになるだろうと思う。
「多分、出てきた蛇は、九十九朱明(つくも しゅめい)なんだろう」
蓮がそう言うと、周りの部下たちが呻いている。
「何だってそんな化け物を……」
「ああ、そうか元々俐皇と九十九は繋がっていたな」
部下たちがそう言い合っているので、葵依はそれを聞いて蓮に尋ねた。
「その繋がっているから俐皇を調べていたら、九十九という人の秘密か何かを掘り当てたってこと?」
「恐らく」
蓮がそう予想をするけれど、そこからが問題だ。
「それで、俺がどう関わるわけ? 俺の知り合いにそんなマフィアはいないし、親類にもいないよ? 母さんはフランスには住んでいたけど、東京出身だし……」
葵依がそう言うけれど、蓮は言った。
「父親がフランス出身だと昨日言っていただろう?」
「あ、うん。そうだけど……それが?」
「九十九の現在の行動範囲が欧米だ。それも欧州に潜んでいて、フランス、イタリアがテリトリーとしてあげられている」
九十九朱明の行動範囲内の出身である父親はいるけれど、それとどう繋がるというのか。
「そりゃフランスに住んでいる人なら皆対象だけど……」
「葵依の父親、亜蘭は養子だと言っていたな。しかもフランスと縁が切れるならと、藤宮の戸籍に入れと」
「あーうん、それは言ってた。養子先の事情もあるらしくて……でも」
「その養子先も態度がちぐはぐで、おかしかったのは覚えているくらいなんだろう?」
そう言われてしまい、葵依はそれは認めた。
「確かに亜蘭が連絡をしている時は、手紙はそれなりに返ってきていたと思うけど……亜蘭が死んだ時に知らせたら、受取先がもういないのでって素っ気なくもう送ってくるなって手紙が最後にきた……」
葵依はそう言いながら、ふと思い出していく。
「うちは父さんも母さんも、両方親には恵まれてなかったけど……でも、親類に僕らの写真を送っていたのに、あんな素っ気ない返事が返ってくるのは変なんだよね。いつも手紙には葉書が入っていて、それに写真が付いていて、綺麗な海の写真とあなたをいつでも愛していると書いた内容が入っていて、亜蘭はそれはとても大事な人からの手紙だからっていつもそれを広げて懐かしんでた。とても最後にあんな素っ気ない返事を寄越すような親類とは思えなくてさ……おかしいなって橙李とも言っていたんだけど」
そこまで葵依が言うと蓮が一言付け足した。
「こうなると、亜蘭と親類の間でその手紙のやり取りが違うなら、亜蘭が養子である以上、その手紙の先は産みの母親だったんじゃないか? もし親類がその母親の子供を養子にしていて、手紙は親類の住所に送っていたけど、中身は別途産みの母親宛だった」
そう言われて葵依は始めて納得することができることを思い出した。
「そっか、亜蘭がフランスを出る時に、産みの母親に会えたみたいな話をしてて、ただ言葉なく手を握って二時間過ごしてから別れた。それから一度も会ってないって言ってたけど……親類が母親の家族だったなら、亜蘭が産みの母親に会うことは簡単にできたし、親類も会わせることに不満はなかったのかも……」
「そこから手紙と写真をただ母親に送り続けていたとすれば、親類もその手紙を母親に転送はしていたかもしれない。亜蘭自体が直接繋がりがないとしても仲介を使えば母親にはメッセージや写真は送れたわけだ」
蓮がそう言うけれど、産みの母親と繋がっていたからと言ってそれが何だと言うのか。
「その女性に付いて調べよう。橙李が手紙を持っていたな、住所を探れば何か分かるかもしれない」
そう言われて橙李に手紙を探して貰った。
住所はすぐに分かったので、部下がフランスに飛んだ。
すぐに住所に親類が住んでいたことは分かったが、数年前に最後の住人であった親類が死んでしまっていて近所の人にしか話をきけなかったが、その近所の人が隣人であった老婆の面倒も見ていたので、遺品の整理をしたという。
「前にも同じことを聞きにきた人がいるから、まあ言うけど。あのばあさんには娘がいて、その娘はイタリアに住んでいるんだけど」
元々隣人はイタリアに住んでいたけれど、何かあってフランスに移り住んだ。
そのままイタリアに戻ることがなかったのは、その町が気に入っていたのと、戻るに戻れない事情があったらしい。
けれどその彼らの娘である一人娘は、数年行方不明の後、イタリアの実家に最近になって戻ってきたらしい。
「何でもメイドの仕事をしていたらしくて、あちこち転々としていたようだけど、やっとお役御免になって戻ってきたって。でもイタリアの家がそのままだったから、そこに住んでいたって。実家だからね。それでいつも日本から国際郵便が届くと、その娘に手紙を送るんだよ。それで察したよ、彼女たちの子供は養子だったから、ああそっか、娘の子供だったんだって」
察したけど、一緒に住まない理由は仕事が理由ではないことくらいすぐに分かった。
「何でもな、イタリアの大きな屋敷で火災にあって、あれが十年後くらいに放火だったことが分かって、それで殺された家族と殺されるはずだったらしいって、その犯人を見たとかで避難したらしい。マフィア絡みだったからさ」
その事件に巻き込まれたメイドを調べると、サーラという女性が警察で子供一緒に助けられたことが分かった。
ただその時に助けられた子供が大問題だった。
「真栄城俐皇(まえしろ りおう)のことだ。イタリアのその事件はデル・グロッソというマフィアの屋敷で起こったことで、密かに言われていることでは、俐皇が両親を焼き殺したってことくらいだ。そのサーラは共犯と言われている」
そんな事実があるなんて、葵依も思わず、もちろん亜蘭もそれは知らなかっただろう。
けれどサーラはそんな組織にとって重要な情報を握っているはずなのに、どうしてイタリアの実家に戻ったのだろうか。
「俐皇と言えど、仲間であり自分を守ってくれていたメイドは口封じに殺せなかったということなのか。それともサーラがどんな目に遭っても絶対に喋ることはないと思ったのか……」
そう蓮の話を聞いている時に、葵依は指で計算をしている。
「どうした?」
「いや、あのさ。亜蘭が今生きていたとして、五十前なんだよね。で、そこから逆算していくと、そのサーラって人が事件後に行方不明になって、三年後くらいに亜蘭を産んでいる計算になるのだけど、その間彼女フランスにいたんだよね?」
そう葵依が言うので、蓮も同じように逆算する。
「……そうなる……しかしその間、サーラは俐皇と二年くらいはフランスで暮らしていたかと……」
蓮はそこで重大なことに気付いた。
誰もメイドのことなど気にもしなかったから、ずっとその可能性を疑いもしなかった。
けれど、この僅かな情報だけで、サーラという人間はとんでもないことを為出かしていることに気付いた。
「何て……ことだ……」
その重大なことに気付いた蓮は葵依を見てから、聞いた。
「亜蘭の墓が暴かれたと言ったな?」
「……うん、納骨してる蓋が開けられたって、でも取られたものはなかったって……」
「そこに骨以外のものは入っているのか?」
「あ、うん……髪の毛を切ったのを入れてある……長かったから、切って……燃やすのがいやでそのまま納骨してもらった……」
葵依がそう言うと、蓮がそれでやっと確証ができたと言う。
「そいつらが欲しかったのは、その髪の毛だ。それを使ってサーラと俐皇の関係を調べたんだ」
蓮がそう言ったので、葵依は驚いた顔をして蓮を見る。
「じゃあ俺らって、その俐皇とか言う人と血が繋がってるってコト?」
「いや、藪を突いたってことは、俐皇を調べていたってことで、蛇が出たのなら、それは俐皇じゃないってことだ」
「え、じゃあ……誰?」
葵依が他に誰がいるのかと聞くと、蓮は声を落として言った。
「九十九朱明(つくも しゅめい)だ」
「……いやでも、その人を調べられるようなこと出来るのか?」
九十九朱明という人がマフィアすら恐れる人ならば、もちろん命も狙われているだろうし、その人のDNA自体が得られないから調べられないのではないかと葵依は思ったのだ。
「いや、九十九朱明本人のDNAは必要ない。その父親や親戚の情報があればヒットする。九十九は自分の親族親類を殺し回っていて、現在は誰も生きていないけれど、九十九の身代わりをしていた従兄弟がいて、そいつのDNAは警察に残っている。それと照らし合わせてみれば、血族かどうかだけは分かる」
「ああ、そっか。もう同じDNA配列を持っているはずの親族すら生きてないなら、それとほぼ同じ配列のDNAなら八十%の符合が出たら……もう確定か……」
「そうだ、サーラの場合は土葬されているから、サーラの周りに九十九と同じDNA配列を持つ誰かがいない限り、その二つのDNA配列を持った人間は生まれない」
蓮はそう言い比嘉がなるほどと納得した。
「つまり俐皇の弱点を調べていたら、九十九の弱点になり得るモノを見つけてしまったわけだ。今や九十九もいい歳であるけれど、まだまだ驚異だ。下手に突いて目を覚まさせる前に、その血筋事どうせなら葬った方がいいと思ったわけですか」
ただでさえ九十九すらももはや気にもしていないことなのかもしれないが、九十九の血筋が生きているとなれば、それはそれで問題でもあった。
下手に生かしておいて後で脅威になるかもしれないと思うよりは、先にその目を詰んでしまおうというわけだ。
「え、俺、そんなことでこんな目に遭ってるわけ?」
「葵依、そんなことではないんだ。ヤクザの世界で九十九朱明の血筋ははっきり言って暗い夜道で刺されても仕方がないくらいに、脅威で打撃が強い存在だ。ただでさえ、その九十九と対立して死んだ神宮領(しんぐり)というヤクザの息子ですら、一時期騒動になったと聞いている。九十九が絡んでいて大人しく騒動が収まることはない」
そう言われてしまい、確かに既に赤い雪に命を狙われている葵依であるから、九十九というおじいさんがいるだけで既に存在自体を許されないらしい。
「でも、はいそうですかって死ねない」
葵依がそう言い、蓮を見る。
蓮は葵依の生まれが本当に九十九と繋がりがあった場合、これをどうするか迷った。
葵依自体は気に入っているし、離したくないくらいに相性も良かった、けれど立場的に九十九の流れを汲む血筋を庇い立てして、高嶺会のヤクザとして正解かどうか分からない。
「あのさ、もし迷惑になるなら、俺はどっか行くけど……?」
葵依は蓮が迷っているのを察してそう言う。
葵依の存在を高嶺会の会長である古我知才門が知ったとしたら、きっと葵依を殺せと言うはずだ。
マトカとも繋がっている高嶺会にとって、九十九と俐皇に繋がるものは全て排除しておくべきだ。どこで寝首を掻かれるのか分からないからだ。
そしてやっと東京の宝生組が赤い雪(クラースヌィ・スニイェク)の行動を容認しているのかも理解した。
宝生組は九十九とは大きな因縁がある。
三十年に渡る九十九との水面下の戦いの後、大きな爆破事件を起こされている。
なので九十九に関する排除には宝生組としては歓迎なのだ。
「……いや、まだ確定したわけじゃない……」
赤い雪(クラースヌィ・スニイェク)がその情報を漏らしていないし、宝生組もそれには箝口令を敷いているのか、外には理由も漏れていない。
「確定はしてなくても、いずれすると思う。亜蘭がフランスから出て行くように言われたのは、そういうことだからだと思う。サーラって人と直接やり取りができなかったのもそうだ。ただ九十九って人と俐皇って人は仲違いをしているんだよね、それでよく俐皇はサーラをすんなりと解放したね」
「知っていたなら亜蘭は殺されていたと思う。俐皇も知らないんだ」
サーラは最後まで俐皇に嘘を通した。
子供を産んだ時はきっと俐皇が日本に引き取られた後のことで、俐皇はそれを知る由もなかった。
「ただ、サーラが九十九と出来ていたとして、九十九はよく子供を生ませたね、一族全員を殺すくらい自分の血を憎んでいたのに……」
葵依がそう言うと、それには蓮も引っかかった。
「確かにそこなんだ。九十九はサーラに子供を産ませた。九十九にとってはただの気まぐれだったのか、それとも何かあったのか。それは分からないけれど、九十九は産ませた後、サーラの好きにさせた。それでサーラは子供を親族に養子に出した。それを誰も気付かずに今まで来た。それはそうだ、誰もメイドのことなんて気にしないからな、気付かれるはずもなかったことだったんだ」
蓮の言葉に葵依は何となくではあるが、九十九という人物は面白がって産ませたのではないだろうかと思えた。
そうすることで自分の血をこっそり残すとか、むしろ自分がその血に対して何か思えるかそれを知りたかったのだろう。
そしてそれによって生まれる、混乱すらもきっと九十九は望んでいる気がしたのだ。
その場が一時的に混乱した時だった。
ホテルの電気が落とされ、真っ暗な闇になってしまった。
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