raging inferno

8

 朝からよく分からないまま盛ってしまった葵依であるが、蓮を拒否仕切れなかったことに、深い溜め息しかでない。
「何でだ……くそ……」
 葵依はそう言いながら、蓮が買い込んできた服を着せられ、納得ができないままで朝食までおごられた。
 ホテルの方も蓮の宿泊になっているから、全部奢ってもらっている結果であるが、払える額でもないため、甘んじて受けるしかない状況だ。
 そんな葵依の朝食は朝から肉である。
 蓮は普通の朝食を食べているけれど、葵依だけは朝から元気である。
「本当に朝から肉でいいなんて、どんな胃袋をしてるんだか」
「朝から盛ってるやつに言われたくない」
「ああ、セックスして体力減ったから肉でいいのか」
「違うっ!」
 二人が言い合いをしながらも朝食をしていると、比嘉が呆れた顔をしている。
 朝早くから起きていると思ったら、二人は暢気にセックスをしていたというのだから、呆れるしかない。しかも蓮が襲ったというから、比嘉からすれば、蓮がここまで他人を気に入ったことはないので、驚くことでもある。
 割り切った相手と寝ることはあっても、一般の素人を相手に二度も寝ることなんてまずない。
 ヤクザである以上、特定の誰かを作ることはその人物をヤクザの世界に引き込むことであり、執着をすることは、パートナーに選ぶということだ。
 いつかは蓮も誰かと結婚をするのだろうが、現在の蓮の立場上、その婚姻もなかなか進んでいない。
 というのも蓮の相手になれる女性がまず存在しなかった。
 他から貰うこともあるけれど、蓮はよく知りもしない女性に全て任せられないと言って、自分で見て選べないなら婚姻はしないという。
 そして蓮は自分がゲイであることも認識している。
 女性を抱くことは好きではないし、気を遣うのも好きではない。
 そのせいもあり、跡取りは望めないとして、蓮は親からも期待はされていない。
 幸い弟がいるし、何なら妹だっているし、その辺はどうにかなる。
 それにヤクザがヤクザとして君臨できる時代も終わろうとしている。
 ヤクザは名前を変えて地下に潜り始め、素人を手下にして上前をはねる。それは一番効率が良く稼げるのだ。
 そうした時代に突入しているからこそ、高嶺会としてはそうした稼ぎができる九州の北側を何とかして奪い取りたいのだ。
 九州のヤクザはあまりにも破壊的な抗争が続いたおかげで、主立った組織は縮小や解散を余儀なくされ、最大だった長良沢組の組長死亡による解散は、九州の統一がもはや望めないことを意味していた。
 その組長の死亡に大阪の如罪組(あいの)が関与している噂が出ているが、その近くでロシア人を見たという報告も上がっている。
 そのロシア人は恐らく高嶺会の会長古我知才門(こがち さいもん)の姉である千晴が嫁いだ先である、マトリョーシカというマフィア組織の工作員だろう。
 古我知(こがち)は、高嶺会の拡大を狙っており、九州の地を奪い取るために、如罪組(あいの)との抗争が控えていると言っていた。
 ただその中で高嶺会と如罪組の思いが重なっていたのが、長良沢組組長の死である。
 これによって抗争は一層過激になり、何処がこの地を取ったとしてもそれは実力で奪い取ったことになる。
 九州の各地にあるヤクザの事務所の小さな抵抗は、その双方の組織を敵に回してまで勝ち取れるものではないため、九州のヤクザ組織はいずれはどちらかの組織に下るしかない。
 そうしたところで長良沢組組長の死は、大打撃であり、その混乱に応じて如罪組と高嶺会の抗争が激化し、九州は戦地になっている。
 ここで名を上げた方が勝ちという分かりやすい抗争は、短期決戦によって決まる。
 警察も馬鹿ではないし、いろいろな対暴法によってヤクザへの締め付けもどんどん酷くなるばかりである。そんな中で日本におけるヤクザの抗争としては三番目に大きい抗争として名を残すことになる事件は、葵依すらも巻き込んでヤクザの世界に爆弾を落とすことになる。
「例のロシア人ですが、どうやら赤い雪(クラースヌィ・スニイェク)で間違いがなさそうです」
「それでどうして葵依なんだ?」
 探されている葵依は危うく命を消されそうになったのである。
 いくら何でも一般人を消すのに火災を起こしてまで消そうとするだろうか? それともロシアではそれが普通で、大したことではないのか。
「マトカからはどうやら赤い雪(クラースヌィ・スニイェク)が独断で日本に上がっているようですよ。それに関して接触があるはずの宝生組がだんまりですから」
 そう比嘉が言う。
 ただでさえよそ者をよく思わない宝生組の宝生楸(ほうしょう ひさぎ)組長が、取引相手である赤い雪(クラースヌィ・スニイェク)の行動を黙認しているのが気になるという。
「黙認をせざるを得ないってことか?」
「そういうことなのだと思います。宝生の組員には通達が入っていて、赤い雪(クラースヌィ・スニイェク)の行動は逐一把握しているようですが、やはり人捜しをしているようで、それが葵依さんたちなのだと思います。ただその詳細な理由がまだ分かりかねているため……」
「調べたところで、葵依が狙われている程度のことしか出てこないということか」
「そういうことです。その赤い雪(クラースヌィ・スニイェク)の構成員に何とか接触が出来そうではあるので、潜りにはそのまま耳をしているようにとは言ってあります」
 どうやらネズミとして放り込んでいるスパイのすぐ近くでロシア人が溜まっているらしい。それはマトカから借りているスパイで、ロシア人が集まるロシア料理店をしている。
 もちろん、怪しまれないようにマトカの構成員として疑われないように偽装はされているロシア人で、長く東京でのスパイも板に付いている。
 そんなところにやはり長く日本にいるとロシア料理が食べたくなった工作員がやってきては秘密の情報を漏らしていくのだという。
 部屋は盗聴されているし、録音もされているけれど、作りからそれを見つけることはできない。だから個室を用意した客はもれなく何処かの工作員であり、スパイの密会に使われている。
 そういうわけでそうした情報が入ってくるけれど、スパイもなかなか用心が必要で情報も即座にとはいかない。命が掛かっているから情報の厳選もしなければならない。
 そうした中で赤い雪(クラースヌィ・スニイェク)が藤宮葵依と橙李を追っている理由はまだ分からないという。
 どうやら消していいと言われているらしく、彼らは葵依が帰宅する前に一旦侵入して捜し物をしたが見つからず、それから一旦退去して出火元も誤魔化すために隣の部屋に火元を置いたようだった。
 その一旦退去した彼らとすれ違いで葵依が戻ってきて、貴重品を持って出ていった後に彼らが戻ってきたというから、間一髪ですれ違っていたようだ。
「つまり、俺が危険を感じて部屋から逃げたのはラッキーだったってこと?」
「そうなる。もしそのまま部屋にいたら、戻ってきた奴らに見つかればその場で殺されていたかもしれないし、連れ去られていたかもしれない。若しくは寝入ったくらいに部屋が燃えて爆破してジエンドだった」
 蓮にそう言われてから、葵依はふと思って言う。
「どうせなら、そこで鉢合わせしておいて、そいつら捕まえて何を調べていたのか白状させた方がよかったんじゃないか?」
 葵依がそう言うけれど、それに蓮が言う。
「拳銃を持っている相手にか?」
「抜く前に距離縮めて殴ればいい。日本で銃を抜いて歩いているやつっていないだろ?」
 葵依は平然とそう言う。
「一つ聞いて良いか?」
 蓮が葵依に尋ねる。
「いいけど、何?」
「銃を抜く前、懐に入れた状態から、抜くまでの間の話だよな?」
「そうだよ? 普通そうじゃない?」
 葵依がそう簡単に答えたから、蓮は息を深く吐いたし、比嘉は驚愕している。
葵依はキョトンとしているが、それが何だろという顔で蓮を見ている。
 一般常識で言って、射程圏内であれば格闘家ならそれは可能なのかもしれないが、葵依は違った。
「えーと、三メートル以内なら余裕、五メートルなら相手の抜きが早すぎたらちょっと怪我するかもしれないけど、まあ手先を狙えばアリ」
「五メートル以上だと?」
「一発撃たせてから、反動で銃口がズレたら何とかなるかな? さすがに実弾はしたことはないけど、模擬弾なら七メートルまで一発撃たせて、それを避けてからの攻撃で可能だったよ。さすがに近づきすぎでの二発目は乱射されたら当たったけど」
 葵依はどうやらそうした訓練もまた榧流本家の奥義には必要なことだったらしい。
「……それは凄いな……」
 思わず感心した蓮だが、葵依の強さを知るために比嘉に命じて懐に手を入れて貰った。
 ちょうど比嘉との距離が五メートルである。
 ただ葵依は椅子に座っている状態からのスタートだったのだが。
 比嘉が本当に持っている拳銃を引き抜こうとした瞬間だった。
 葵依が座っていた椅子がカタンと音を立てて倒れたと思ったら、葵依が宙に舞っていた。そして一気に比嘉との距離を詰めたあと、比嘉が急いで銃を出そうと引く手を葵依が蹴り上げてくる。
「……あっ!」
 蹴り上げてた拍子に抜いた拳銃が一緒に飛び出し、天井に向かって飛び、それを葵依が着地したと同時に手に持った。
「……で?」
 銃は一応持ったけれど、使い方は何となくでしか知らないし、使う必要がないので葵依はすぐに銃をテーブルに置いた。
その素早さは好奇心で見ようとして見られるような速さではない。
「鮮やかなもんだな」
 蓮がその速さを目で追っていてそう言うのだが、葵依はムスッとしている。
「暢気なことを言うな。お前のせいで比嘉さんがしなくてもいい怪我をした」
 葵依はそう言って比嘉の手を見る。
「ごめんね。遠慮はできなかった。あんまり殺気はみせないでね?」
 取りあえず命令とは言え、本気で葵依に殺意を見せてきたから葵依も動いてしまったのだと言うと、比嘉は手を押さえてから謝る。
「いえ、軽率でした。見たかったとはいえ、あまりにあっという間に距離を縮められてしまい……」
「言っておくと、あの遅さなら七メートルでも一発も撃たせないよ?」
葵依がそう言ってから席に戻っていく。
 座ると機嫌が悪そうに肉を食らい、余っていた肉も自分の皿に移して三枚しっかりと食べ尽くしてしまう。
「まあ、この様子なら本当にその手でどうにかなりそうだったが、状況は変わった。相手は殺しに来ている以上、迂闊に姿を見せるのは得策じゃない」
「狙撃されたら逃げ切れないのは確かだね」
 自分の索敵範囲が狭いから、何百メートル先から狙撃をされたらそれはもう無理だということだ。それは一般人でも玄人の海兵隊員でも特殊部隊のシールズでも、もちろん避けるのは無理なことである。
「ここで奴らに葵依を殺させるわけにはいかないから、葵依には橙李と同じく、九州に行って貰うことになるが」
 家もなく、一人でいると命に関わる以上、葵依は首を突っ込んでくる蓮と共にいるしかなさそうだった。
 そこで葵依は、道場の権利など、一切合切を関に任せた。
 それは関には寝耳に水だったが、葵依がロシア人に追われていること、そして家を燃やされて殺されそうなことを告げると、関もさすがに緊急事態を受け入れた。
『あなたに負けたままで終わるのは嫌なので、死ぬのは勘弁して下さいよ』
 珍しく関が嫌みではあったけれど、葵依の命の心配をしてくれた。
 それに葵依は少しだけ微笑んでから言った。
「もしもの時は、もしもの時。その手配は全部弁護士に任せているけれど、今の通り関さんに頼むようにしてあるから、後は頼みます」
 葵依が遺言状に書いている道場の権利はすべて関に任せることにしてあると告げると、関はそれは思いもしなかったことらしく、驚いていたが素直にそれを受けてくれた。
 けれど、その交わした約束、もしもの時がそのまま実行されることになろうとは、葵依も関も思いもしないことであった。


葵依は一ヶ月でコトが片付くとは思えず、会社には一ヶ月しても片付かない場合は、そのまま離職する旨を伝えた。
 会社はギリギリまで有休と特別休暇で休ませてくれるけれど、それ以上の休みはやはり無理があるようで、葵依の申し出を受けることにした。
 火事の保健はすぐに振り込まれると言われたし、保健で何とかなったから火災事件の隣人との示談には応じた。隣人はたばこの消し忘れが原因であるとされ、その火元も特定されたようで、隣人は自分の寝たばこの火を消し忘れたことがあり、何度も失火寸前までいったらしい。
 それが分かると隣人は燃えてしまった家財道具分の補償を申し出てくれていたので、葵依はこれ以上この事件で揉めたくはないので、示談金で隣人とは和解した。
引っ越し時に買い換えた家財品分は取れたから、葵依としてはそれでよかった。
ただ想い出の品は残念だったけれど、橙李もまだ持っているものがあるので、全部がなくなったわけでもなかったから、それは元には絶対に戻らないからごねても無駄だと諦めることにした。
 幸い、事件直後から警察が彷徨いているからか、目立つロシア人は見かけず、車で移動をしていたからか、葵依が襲われることもなかった。
 一週間くらい、蓮に付き添って貰って行動をして、何とか周りの片を付けてから葵依は新幹線で東京を後にした。
 それは葵依が見る、最後の東京の姿であり、葵依はそれ以降、東京には用事で寄ることはあっても住むことはなくなるのだった。
 それが何となく予感でもしたのか、葵依は新幹線から見る東京の街並みを何時までも眺め、そしてやっと都会が途切れてから深い溜め息を吐いていた。
「どうした。寂しいのか?」
 蓮がそう聞いてくるけれど、葵依は言う。
「何か、もう戻ってこられない気がして、そうしたら何かね」
 そう葵依が言うので蓮が不思議そうに言う。
「橙李には危機感を察することができる勘がいいところがあるが、葵依にはそういう予感みたいなものがあるのか?」
 そう言われてしまい、葵依は今まで考えたこともない感情の理由を知った。
「ああ、そうか、そういうことか。俺、両親が旅行に行くと言った時、ああ行くんだなって納得したんだ。それでもう会えないかも知れないって、何となく知ってたんだ……」
 その寂しさはいつでも止めようとしても変えられないもので、葵依はそれに逆らうことはしなかった。
 橙李はああやって役に立てているけれど、葵依はそうした部分はただの勘の一つだとして感情を消化させていた。けれどそれも橙李と同じものだとすれば、大事な場面で橙李のようにごねていたら、変えられたのかもしれない。
「……変えられなくても、何かできたかもしれないのか。そうか、俺は諦める前に声に出すべきだったんだ」
 悲しくはない。もう両親がいなくなって十年も経っている。だからあの時ああしておけばは所謂理想と後悔でしかない。もしごねていても両親は出かけていただろうし、きっと運命は変わらないだろう。でももしがあったとして、もしで何かが覆るのなら、何かできたかもしれないのだ。
 その可能性を葵依は思い出し、それを決して捨てないようにしようと思った。
 きっとそれは自分の未来を切り開くことであり、諦めないことは生きることである。
 命を狙われた時だからこそ、葵依はその生にしがみ付こうと思った。

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