raging inferno
1
その日、藤宮葵依(あおい)は弟の自宅を訪ねた。
弟は、葵依とは一卵性の双子でとにかくよく似ていた。
弟の名前は橙李(とうり)。その橙李は九州の福岡にある大学に通っていた。
ただ、橙李は大学を二年も留年をしており、あまり真面目に通ってはいないようだった。
一方、葵依は普通に東京の大学を出て就職している。商社で事務をやっているのだが、どういうわけか営業の課長に人数が足りないと出張に駆り出されてしまった。
営業の出張なんて何をするのだと思っていたら、接待の段取りをする幹事が欲しかったようで、葵依はこの三日間も見知らぬ地で接待のための店を探したり、ホテルを用意したりと雑用にこき使われていた。
そんな中、課長たちを湯布院の温泉に送り出した後に、葵依は自由にしていいと言われたため、葵依は久々に弟、橙李の様子を伺いに来たのだ。
二人の両親は二人が高校時代に事故で死んだ。
幸い、保険金があってそれを使って何とか大学までの費用は確保できた。
お互いに好きな道に進んだので、葵依は真面目にバイトをしながら奨学金で大学に行ったが、橙李は自堕落な生活を好んで葵依と比べられるのが嫌だったようで、大学は福岡になった。それからたまに会っては様子を見ていた葵依であるが、ここ二年就職したせいで橙李の様子を見てやることができてなかった。
すると橙李はあっという間に留年を繰り返し、とうとう今年卒業をしないと大学を除籍させられる羽目になっている。
それを蒼依が知ったのが友人の友人からという始末で、葵依は仕方なくやってきた。
一言言ってやらないと、どうにもならないのが橙李で、とにかくあの見た目のせいで目立って色んな事に巻き込まれているから、また何かあったのではないかと思ったのだ。
葵依もそうだが、橙李も父親の亜蘭(あらん)譲りの金髪碧眼という見た目で、子供の頃から目立って仕方ない。しかし体つきや顔はどういうわけか母親に似てしまったため、細身になってしまい、父親似の筋肉隆々とは育たなかった。
それが悔しいのと、目立つのが嫌だったので葵依は高校で黒のコンタクトと黒に染める事を学校側と交渉し、認められて以来それを貫いている。
だから大学を普通に出られたし、目立つことなく就職も無難にできた。
しかし見た目を気にもしない橙李はそのせいで目立ち、四六時中女性が周りを囲み、派手に遊んでいた。
そのだらしない生活をする橙李と真面目で堅実な葵依の違いに、双子ということを忘れてしまう友人さえいたほどだ。
そんな違いが出ていると認識している二人であるが、それがそうでもないことが全ての始まりだった。
「うーん」
橙李の自宅のアパートでチャイムを押してみるが、全く反応がないので葵依は橙李に電話を掛けた。
しかし電話はコール音がするが、全く出てくれない。
すると、メッセージボックスの着信が鳴る。メッセージボックスはメールの代わり流行っている、簡単に文字を送ることができるアプリだ。個人間でやりとりができたり、グループを付くってやりとりしたりと、いろいろとできる。もちろん音声通話もできるので、大抵の人はそれを使っている。
葵依も橙李もそれを使ってやりとりをしていたが、今回、九州の出張の話は葵依は橙李にまだしていなかった。
「ん? 何だ?」
玄関前で携帯を広げてみると、橙李からのメッセージが入っている。
【おれ、何かヤバイかも】
「なんだ? どういう……」
それを見て、葵依が文字を折り返し打とうとした時だった。
通路の向こう側から黒服の男たちがやってくる。だんだんとその人たちは近づいてきて、葵依を見ると言った。
「藤宮橙李だな? 一緒にきてもらおうか?」
そう言われ、葵依はすっと目を細めた。
男たちがただの一般人ではないのが見て取れて、警察やそういう関係者ではなさそうな雰囲気が凄かった。
異質という言葉がここまで当てはまる人はそうそういないだろう。
「あんたたち、何者?」
大して怯えもせずに葵依は男たちに向き合った。
向こうは三人いる。そして下を見ると階段の近くにも三人ほどいる。
明らかに玄人の集団。それも関わってはまずい種類のヤクザだった。
葵依はそれが分かっても彼らの目的が橙李なのを知り、素直に付いていく訳にはいかなかった。
「藤宮橙李に何の用?」
取りあえず相手が喋ってくれるか分からないが、どういう用件かを聞いてみた。
「来て貰えれば分かる」
そう言って手を伸ばしてきた。その手を葵依は手で叩き飛ばした。
どうやら答えてくれるほど親切ではないようだった。
「断る」
はっきりとそう告げると、手を叩かれた男はその手を押さえて痛がっている。
葵依は手を叩くときにわざと男の指先を反対側に折り曲げるように叩いたので痛いのは当たり前だろう。確実に指は折れているだろうから。
「この……っ 大人しく付いてくれば怪我はしない」
「だから断る。その前に理由を言って貰おうか? 何用で何処へ何しに連れて行くつもりだ?」
はっきりと葵依が告げると、男たちは少しだけ怯んだ。
玄人相手に一歩も引けを取らずに納得できない事を質問をしてくる。
その視線は全く怯えた様子もなく、むしろ男たちを圧倒するほどの力強い視線だった。
「い、いいから来い!」
男がまた葵依に手を伸ばしてきて、その腕を掴もうとした。
しかし葵依はその手をまた払い除け、左手を振り上げて体を一回転させて手の甲で男の右?に拳を入れた。いわゆる裏拳だ。
「ぐはっ」
男が吹っ飛んでその場に沈んだ。
「な……」
一撃で大の男を拳一つで沈めてから葵依は言った。
「こちらの質問に何一つ答えていない。力ずくでもというなら、それなりに覚悟して貰う」
こんな玄人のヤクザが橙李の自宅にやってきたとなれば、橙李はヤクザとのいざこざに巻き込まれているようだ。
ここは橙李として上手く切り抜けて、その橙李と合流して詳しい話を聞き出さなければいけない。
それが最善の出来事であると葵依は思った。
「クソガキが!」
残りの二人が襲いかかってきたので、葵依は一歩踏み込んで男の拳を受け流してから男の?に拳を振り上げた。男が吹っ飛んでいき、もう一人の男もそれに巻き込まれた。
狭いアパートの廊下で殴り合いなんて、正気の沙汰ではない。
けれど葵依には有利だった。狭いお陰で敵は一人ずつしか襲ってこられず、確実に拳で沈めれば、その男たちが寝転がっているので更に邪魔になって通路が埋まる。
「うっせーな、何やって……」
廊下で人の声がして何かの物音がしたらさすがに住人も苦情を言いたくなって出てきたのだが、そこにいるのが明らかにヤクザの玄人集団だと気付くと、悲鳴を上げて部屋に引っ込んだ。
「ひ!」
葵依はその引っ込んだ男の部屋に素早く入り込み、すぐに裏窓に向かった。
「お、お前、なんだよ……」
そう怯える住人に葵依は言った。
「ごめんね、裏道を使わせて貰うね」
そう言って裏窓を開け、ちょうどいいところに隣の家の塀があったので、そこに飛び降りて塀を渡ってヤクザたちがいない方の道へと抜け出た。
塀と塀の間の道にも下りず、道を飛び越して隣の塀に飛び乗って、最短距離で大通りまで走り抜けた。
そこをまっすぐ北に抜けると車道のある大通りだった。
葵依はそのまま走って住宅街を抜け、大通りに出ると、塀から飛び降りそのまま暫く歩道を走ってからタクシーを見つけてそれに乗り込んだ。
「すみません、○○通りまでお願いします」
そう言うとタクシーはゆるりと出発した。
葵依が後ろを振り返ると、黒服の男たちの姿は見えなかった。あのアパートで巻いたようで逃げ切れたらしい。
ほっと葵依は息を吐いて、携帯を取り出して橙李に事情を聞く。
【どこにいる、お前、なんだよあの黒服野郎どもは!?】
そう葵依がメッセージを入れると、橙李が返事を寄越す。
【場所は言えない。この間から変なのに追われてる。理由なんて知らない。何か嫌な予感が酷くて家には一週間帰ってない】
そう言うのだ。
葵依はそれを見て、ふうっと息を吐いた。
橙李のこういう危機管理能力は本当に高いのだ。自分の身の回りの危険に関して、嫌な予感がする場合はふっと姿を消す。そしてそれがどういうわけか交友関係の広さのせいで、橙李を見つけ出すのはほぼ困難になってしまうのだ。
橙李はかくれんぼが誰よりも上手かった。それは今でも変わってはいない。
【自宅はやつらに張られてる、戻るなよ】
葵依がそう書き込むと橙李も素直に返事をしてくる。
【うん。収まるまでいつもの手でいいか?】
【どうぞ】
そう葵依は書いた後にまた溜め息を吐いた。
橙李すら理由を知らないままにヤクザの何かに巻き込まれているらしい。理由が分からないことには警察にも駆け込めないし、自宅には戻れないだろう。
降って湧いた急な事件に、葵依はまた溜め息を吐こうとしてやめた。
幸い、自分の武術が役に立って難を逃れたが、橙李がいくら隠れているのが得意でも長期戦は無理だ。いつか彼らに見つかって悲惨な目に遭ってしまうかもしれない。
「さて、どうしようか……」
葵依はトラブルを抱えたまま、何とか自分のホテルに戻ることができた。
「駅前のホテルに入ったか。そのまま見張れ、後は俺が何とかする」
アパートの近くでやっと黒服の部下を回収して、騒動が大きくなる前にアパートを離れたところで、何とかあの男を付けていた部下が居所を掴んだ。
自宅に戻ってきたところを捕まえられたら一番話が早かったのだがと考えてその状況を思い出す。
強烈な裏拳一撃と、素早い拳一撃で三人だ。
今もその三人はのびていて、拳を食らっていないはずの三人目すらも廊下の床に倒れた衝撃で頭を打って気絶している。
綺麗に立つその姿が意外で、気の強そうな瞳と染めたであろう髪の毛がふわりと揺れたと思ったら、裏拳である。素人が裏拳を使っても威力はない。だからあれは絶対に武術の経験者。しかも相当強い。
細い体であの力が出せるのは、そうそうあるものではない。熟練者という言葉が一番合っていた。
そして逃げる時の鮮やかさ。僅かな隙にアパートの裏側を通って表通りに逃げた。
猫のように素早く消えた姿に、渡真利蓮(とまり れん)は完全に見惚れた。
「爪で撫でられて、見事にすり抜けられたな」
百八十五センチの長身をゆったりと後部座席に腰掛け、足を組んでいる男。彫刻のように整っている顔は、父親の家系にロシア人がいるからだ。そのお陰で南国風の容姿ではなく、北欧の男のように彫りの深いしっかりはっきりとした顔立ちをしている。
その容姿は美男子と言っていいほどであり、この黒服で悪役風の顔立ちをした男たちと一緒にいなければ女性が寄ってくるほど男らしい姿をしている。
そんな蓮が薄らと笑い面白そうに言うと、蓮に付き添っている部下の比嘉が蓮の表現に少し笑った。
「まるで猫のような言い方を……でも凄く強いですね、あの人は。けれどお嬢さんのお話では、喧嘩が強いだの武術をかじっているなどという話はなかったかと思いますが?」
比嘉の言葉に蓮も頷いた。
「たまたま日向(ひなた)が知らないだけだろう。しかし、髪の色を変えてもこの顔だっただろう?」
そう言われて出された写真にはしっかりとその顔が映っている。
「顔はそうでしたね。雰囲気はちょっと写真とは違って真面目そうに見えましたけど」
写真の男の名前は藤宮橙李、二十四歳。大学になって九州にやってきたが、留年をして二回生。
髪は親譲りの金髪で瞳も碧眼。父親がなんでもフランス人だったらしい。そのせいか、本人もチャラチャラしており、女性問題をよく抱えていたがそれでも人気者だったらしい。友好関係も広く、行動を把握するのに一週間もかかったほどだ。
「なんだって日向はこいつがいいんだ?」
蓮は橙李の確保を頼んできた日向に、どうしてこれがいいのだと不思議になる。
しかし、それでも蓮も気になって仕方ない。
あの堂々とした立ち姿、そしてほぼ動かずの体勢で二発、それで部下を沈めた強さ。
目を奪われるなという方が無理だったし、何より手合わせをする楽しみができてしまった。
日向の語る橙李とさっきみた橙李はまるで別人の印象を受ける。
ボタンの掛け違いのような微妙な違和感があるが、それはそれであの男を捕らえてみれば、話は一瞬で片付くことだ。
「とにかくホテルへ行け。あそこの支配人は知り合いだ。あとはどうとでもなる」
蓮がそう言い車はホテルへの道へと入っていく。
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