Distance Start in my life

7

 そのガキの力が見られるようになったのは、それからかなり経ってからだった。

 異変を感じたのは、唯の叔父である小宮正司だった。
 売れ行き好評な「緖川ゆい」のCDの売れ行きに妙な変化がみられるというのだ。

 それは、そろそろ次のシングルを出そうかというところで、いきなり一ヶ月以上前に出したシングルがランキングを急上昇しはじめたというのだ。
 そこがおかしいので市場を調べてくると言ったまま、かなりの人数がそのまま帰ってこない。

 小宮はここ最近、プライベートで困っていた。
 久々に放っておいた甥っこを見に自宅に帰ると、甥っ子は居ず、待ってみたが帰ってもこなかったのだ。

 そして解ったのは、新聞が約一ヶ月前に止められていて、それをしたのが、甥っ子である唯だったということだ。

 しばらく誰も戻ってこないので、新聞などは止めてしまったというのだ。
 これはどういうことなのか。と、小宮は暫く考えないといけなかった。

 そして、夜中になって始めて、唯が家出をしてしまったのだと気付いてしまった。家出。それはあの最後に会った日のことを考えればそれなりに考えられる事態ではある。だが、家を出た後に唯が行く場所がないということだ。

 親戚類いを唯は信用していない。そもそも叔父である自分も唯は信用していないのだ。それは一度事件を起こしているからであり、それ以来の唯は死んだかのようだった。

 その過ちに気付いた時には、もう自分では止められないところまで、唯との間に亀裂が入ってしまっていることであった。
 唯はあれほど嫌がっていた。なのに自分は歌えるじゃないかと強行した。

 でも、唯はもう自分ではない誰かの声を演じるのはごめんだと叫んでいた。

「唯……家出して、姿をくらますくらいに嫌だったんだな……」
 始めて声に出して言った言葉であるが、かなり重いものになってしまった。

 唯の性格なら、学校へは行っているだろう。そこを捕まえれば連れ戻せは出来るのだが、果たしてそれでいいのかと言われると、いいとはけして言えない。

 ただ、唯が今現在何処に住んでいるのかだけは調べておかないといけない。それだけははっきりとさせておかないとと、小宮は友人に頼んで唯を調べて貰った。

 そしてその報告書が来た。
 届けてくれた友人は、さほど心配することはないと言って帰っていったが、確かに報告書を見るにあたり、唯が現在身を寄せている人物に問題は何処にもない。あえて言うなら、唯と同じ歳なのに一人暮らしという点ではあるが、ここも近所の聞き込みでは、いいところの坊ちゃんとしか取られていない。

 かなり頭のいい人物らしく、唯のことも遠い親戚だと言って、長居してもおかしくないような対処を取っている。

 これは、唯が家出したことを知っていて、更に家に帰ることはないと思っているととっても間違いないだろう。
 そういうところでは、唯の強力な味方と言えよう。
 ここから唯を取り戻すのはかなり難しいと思う。

「こ、小宮さん! 解りました!」
 小宮が、プロデュースををしている「緖川ゆい」を考えない日はなかったが、この日初めて考えずに、唯のことだけを考えていた時間であっただろう。

「どうしたんだ……」
 妙にやる気がなくなってきた。
 これは、まさかと自分の中にある危機感がそうさせてくれるのだ。

 覚えがあるのだ、この様子。
 そう三年前のあの事件だ。

「ゆいの声が、実は男の声で作られたものだっていうのが広まってまして……」
「出所は……」

「週刊誌の投稿欄らしいのですが。それが面白かったらしく、明日の週刊誌に特集が載るらしいです」

「そうなのか……明日。明日は、ゆいの二枚目だったな」

「ええそうなんですよ! この記事を止めると、こちらの痛くない腹を探られることになるし、でもかといって、ゆいが実は男の声でしたではそのまま当たっていることになってしまうんです」
 唯一、ゆいが唯であるということを知っている人たちは、大慌てしているわけだ。

 知らない人たちは、笑って済ませてしまっているが、プロデューサーである小宮が過去に同じことをやっていたことは、週刊誌なら調べてくるだろう。
 それについて言及してこないのは、まだ憶測の域を出ていないということなのであろう。だが記事を止めれば小宮が昔やった声の吹き替え事件の詳細を出されて痛い腹をどんどん探られるだけだ。

 それなら、二枚目は出してしまうに限るのだが、話題が男の声となると、それなりに唯が辛い思いをしてしまうだろう。そして唯は二度と歌わないだろうし、そうなれば緒川ゆいはもう存在もしていけない。
 実態がなくてもインタビューや筆跡などなくても緒川ゆいは存在していけるが、緒川ゆいは唯の声がないとアーティストという存在価値すらないのだ。

 やっと自分が望まない結果が出ようとしていることに気付いていて、小宮は頭を抱える羽目になってしまった。

「男の声というよりは、中性的な不思議な声であると認識してくれるとありがたいんだがな」
 一人がコンセプト通りのことを言う。それが狙いであって、不思議な声の地位を確立出来たのだ。

「話題が男の声であったら、週刊誌だけではなく、他にもいろいろと問題が出てくるんですよね……」
 ただでさえ、唯と喧嘩したという小宮の話を聞いているスタッフは、唯は二度と歌わないだろうと思えるくらいに唯がショックを受けていた現場を見てしまっていた。
 唯を裏切ったアーティストなどは、最初はノッていたが、結局このプロジェクトから早々に脱退してしまっていた。唯の声を売るのには承諾したらしいが、それを唯以外の別人を作りあげてまでやる小宮のやり方に不安を覚え、過去に小宮が同じ事をして唯を苦しめた話をスタッフから聞いて、さすがに罪悪感を覚えて逃げたらしい。

「せめて、唯……うちの甥のところまでいかなければいいんだが……」
 ゆいの声が唯であると知っている人たちはそこで改めて困惑した。

「小宮さん、何故、最初から唯君の声であるということから始めなかったんですか?」
 それは今更な質問だ。
 小宮がこだわったのは、唯の声ではなく、ゆいという存在であったのだから。
 それはきっと誰にも解らないことであろう。

 唯を売るのではなく、小宮の理想の人物を売るのが目的だったのだ。
 昔、この世界で評価はされたが売れなかったというだけで辞めさせられた人物の無念をはらす目的でやっているのだ。
 この辺は誰も知らない。唯すら知らないだろう。

 その無念をはらすべき人物は、もうこの世にはいないからだ。
 その声はとても唯の声に似ていた。

「最初から、唯を使えばか……。俺が唯を売ろうと考えていたなら、当然そうしていただろうな。でも目的が違った……」

「目的……ですか?」 

「ああ、ゆいを売りたかったんだ。だから、男では駄目なんだ」
 理解出来ないであろう、理由を小宮は言っていた。




 緖川ゆいが男の声という話題が週刊誌に載って、ゆいは一段と売れに売れまくった。
 そう、男の声という話題はネットから始まり、中には本当に男の声であるという話しまで本当のように囁かれ、更に小宮が昔、甥っ子を使い、詐欺まがいな声のすり替えをして、数年干されていたことまでが週刊誌に出た。だが事実はまだはっきりと解らないままである。

 だが、中にはこれは男では出せないという専門家や、歌手もいて、買う人間にも男であるはずないし、男であっても不思議な声であることは間違いないというものまでいる。

 その一連の流れの中で、被害を受けている人間はいなかった。
 ただ、「緖川ゆい」が売れているという事実だけが残っている。

 けれど、それを売っている人間は、男の声であるという噂が残ることは、たぶん痛手であろうと思われた。
 そこを付いたのが、左部と北上神だった。

 唯に被害が行くのは困るが、「緖川ゆい」の声が男かもしれないという噂を流してしまって、唯が困るぞという状況を作り、それを遠くにいる小宮に思い知らせるという方法を取っていたのだ。

 子供であるから、正面から何か言ったところでどうにかなるとは思えないが、大衆が何か言っているとなると、それは自然と世間の声として届くであろうと。

 それで唯が家出をして、それだけ怒っているということを知らせて行こうとしたのである。
 まさか、左部も唯をこのまま住まわせるわけにもいかないと思っていた。

 たとえ、好きであったとしても、決着をつけないといけないものを置いていくわけにはいかないのだ。
 そこを履き違えてはいけない。

 唯は、「緖川ゆい」が男の声かも知れないという噂を聞いても、さほど動揺した様子はなかった。
 ある程度は噂が出るかも知れないと覚悟していたのかもしれない。

 その辺の度胸はあるようで、話題が出てもスルー出来るくらいにはなっていた。
 このあたりは、左部の影響が強いらしく、ポーカーフェイスを貫くこともできるようになったし、笑顔で相手をだまさせることも出来るようになっていた。
 一ヶ月もすれば人は強くなれるという証拠だ。

「左部! ここ最近何かおかしいけど、もしかしてと思ってるけど。この噂、どっかに流したの左部じゃないよね?」
 そう言って、噂の週刊誌を持ってきた唯は左部にそう詰め寄った。 

「え? 何が?」
 左部は唯の方を振り返ると笑顔でなんのことだかととぼけてみせた。
 そのとぼけ方では、さすがに唯にも解ってしまうだろう。
 だが、左部はバレていい事もあるのだと思っているのだ。

「左部……嘘がそれだけ下手なんだね。これ、流したの左部だろ? それで、この声の主が俺だって解ってるんだね。拾ってくれた公園で歌ってたの聞いたんでしょ?」
 唯はだまされるのはごめんだとばかりに真剣にそれを聞いてきた。

 左部は出来れば、もう少し後でこれをばらしたかったのだがと思いながら、仕方なしとばかりにため息を吐いた。 

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