Distance Start in my life

3

 翌日、唯がふと目をさますと、そこは見たこともない天井がある場所だった。

「んー、ここ何処?」
 ゆっくりと起き上がって周りを見回すと、そこは何処かの寝室のようだ。

 クローゼットがあり、小さな机の上には、教科書とノートパソコンが置いてあるだけだった。
 それからすぐにハッとした。そう昨日は、左部邦裕の家にお邪魔していて、深夜遅くまで数学パスワードをやらされていたのだ。
 だが、唯には自分が何処で寝たのかは記憶になかった。

「あれ、俺、何処で寝たんだっけ?」
 思い出そうとしても解らない。ただ、数学クロスワードが物凄く難しかったのだけは思い出せる。
 あれはちゃんと終わったのだろうかと思っていると、コンコンと部屋のドアを叩く音がした。

「あ、はい」
 慌てて唯が答えると、すぐにドアが開いた。そこには制服に着替えた左部(さとり)が立っていた。
 その姿を見て、唯はハッとする。

 そうだ。今日は早起きをして家に帰り、着替えを持ち出してくる予定だったはずだったのだ。それが時計を見れば、もう7時半になっている。

「あ、ごめんなさい。早く起きて帰ろうと思ったんだけど……」

「なんだ、もう帰るつもりだったのか? 別にいつでも居ても構わないんだけど」
 左部はそう言うと、ベッドの反対側にあるクローゼットを開けて、箱を取り出して中を漁り出した。
 唯はいきなりなんだろうと思いながらそれを見ていると、中から左部には似合わないサイズの学校の制服が出てきたのだった。

「それ……」
 まさかと思って見ると、それはネクタイが中学生のものだった。

「ああ、これ。俺が中学入った時のやつだから、唯には合うかと思ってな」
 そう言って、ワイシャツから靴まで取り出していた。

「な、なんで、そんなのが揃ってるの?」
 唯にはそれが不思議でそう聞き返すと、左部は何でもないような顔で答えた。

「いや、中学の3年の終わりのバザーで出そうと思って揃えておいたんだが、結局役員やってて忘れたものの残りだ。気にするな、どうせ捨てるだけのものだ。ネクタイは、今俺が使ってるので合うから一応制服は揃ってることになるんだが、合わせてみてくれないか?」

 左部はそう言うと、制服をベッドに置いて部屋を出ていってしまった。唯は呆然としながらも、とりあえず制服があるのは有り難いと思って、着てみることにした。
 その制服はきっちりと保存されていたのか、変なにおいもしないし、折り目もない。そして、ぴったりと唯の身体にあってしまった。

「左部って、中学の時に俺くらいだったんだ……」
 唯は身長は160センチくらいだが、今の左部は180センチはある。
 これはなんかのマジックかと唯は思ってしまう。唯が中学に入った時は、155センチくらいで、やっとここまで伸びたのに、左部は更に伸びている。

「ずるい……」
 いかに自分は男子の平均身長を割っているかが解ってしまう。
 一応、制服を合わせ、靴も合わせてみたが、靴まで25センチとなっていてぴったりだ。まるで唯に合わせたかのような制服と靴、一式に驚いてしまう。そして置かれたネクタイをするともうそこには、普段の高校生の唯がいた。 

「合ったか?」
「あ、うん」
 唯がそう答えると、左部がドアを開けて入ってきた。

「ふむ、ここまでぴったりとは思わなかったな」
「俺もびっくり。左部がこんなに小さかったなんて想像できなかった」

「何いってる。俺だって昔からこんなに大きかったわけじゃない」
「そりゃそうだけど。左部って大きいからさ、なんとなくそう思えて。俺だって小さかったし、大きくなったつもりだったのに……」
 唯がそう言って拗ねると、左部はクスリと笑って言った。

「なに、唯はそのくらいの身長でちょうどいいんだよ」
「え?」

「ま、ほどほどって言葉があるだろ。無駄にでかいのも問題だってことだ」
 左部は言って唯の手を引いた。

「飯、作ったけど。サンドイッチくらいしか出来なかったが、嫌いなものは何かきけなかったから問答無用な」
 左部はニヤリとしてそのままダイニングに唯を連れていく。
 テーブルの上には、しっかりとサンドイッチが置かれていて、コーヒーも出来たてのがちゃんと置いてある。
「これ左部が?」

「一人暮らしだぞ。俺だってこういうものは一通り作れるくらいに成長はしているわけだ」
 左部が唯に席に付くように言って、一緒に食事を取り出す。
 唯はふと思う。左部は毎日一人でこうやって食事を取っているのだと。

 自分は一応叔父がいて、自分が作ったものを文句言わずに食べてくれてはいるが、作ってくれた覚えがあるのは、小学生の高等部までだ。
 それ以来誰かが作ってくれたのを食べるのは、本当に久し振りだった。

「嬉しいな、誰かが作ってくれたの食べるのって……」
 唯がそう言うと、左部は少しだけ微笑んで言った。

「じゃ、夕飯は作ってもらおうかな」
 その言葉に唯はハッとして左部を見た。すると左部はニヤリとして言うのだった。

「そりゃ、唯。ここまで世話になっておいて、はいさようならでいなくなるつもりなのか?」

「え?」

「当然、何かお返しをして貰わなければならない」 
「え?」

 いきなり左部にそう言われ、唯はぽかんとしてしまった。
 なぜ、こんな展開になってしまったのかさえ解らない。

 確かに左部が言うように、はいさようならでは、後味が悪いのは確かではある。しかし、それにお返しと言われて唯は何をしていいのか解らないのだ。
 唯は迷って、とにかく何かの役に立てばいいのだろうかと思い口にした。

「お金はないんだけど……」
 唯のその言葉に、左部はむっとした顔をした。
 そんなモノが欲しいわけではない。何故それが唯には解らないのだろうか。

「金なんて欲しかったら自分で稼いでくる」
 左部はそう言い切ってしまい、金の問題ではないという。

 唯には、金の問題ではなかったら、一体なんの問題なのかと思うところだ。
 それに対しての左部の答えは、実に簡単であった。

「そうだな。お前は家出をしている。俺が宿を提供する。これは問題ないとする。で、俺のメリットだが、それは、唯、お前を自由にこき使うことだ」
 そういう風に言い切られて、唯は唖然とした。

 人をこき使うと、はっきり左部は宣言してしまったのだから、大抵の人間は唖然としてしまうのが本当のところだろう。
 でも、唯にとっては、それは日常の中の一部であったから、なんだそんなことかと少し安堵した唖然であった。

「それで、俺は何をすればいいのかな? 食事とか掃除とか?」 

 どうせ家出してしまったのだから、帰る場所はない。それにあの人も忙しいだろうから、探しに出ることも早々ないだろうし、学校さえ通ってれば安堵するような簡単な人間だ。

 どこから通っているかは気になるだろうが、今度も唯が折れてくれるだろうと過信しているに違いない。

 そうなれば、今回は左部という親切な人物がいるのだから、この手に乗らないわけにはいかない。

 利用するというのは悪いことだが、もう後ろ盾がない唯にとっては、この手を取るしか方法がなかった。

「そうだな。それも当番制でやるとして。俺が好きな時に唯を好きにするってことだな」
 左部にそう言い切られて、唯は意味が解らないが頷いてしまっていた。

「そういうことなら、いいよ」
「よし、撤回はなしだ」

「解った」
 そうして安易な約束をしてしまった唯であるが、この後、大きく後悔をしてしまうことになってしまうのだった。


「やっぱりさ。これは何か違うと思うんだけど……」
 唯がそう呟くと、相手は特に気にしない様子で答えた。

「違うってことはない。俺が好きな時に構うと言ったはずだぞ」

「いやだから……」
「んー?」

 唯が言いにくそうにしているのは、そう、今は昼休みで、現在場所は屋上。そして目の前には、少し苦手としている北上神(きたにわ)や、あまり話したことはない東稔(とね)などがいるのだ。

 そして、左部(さとり)は弁当を食べ終わると、唯の膝を借りてごろりと寝転がってしまっていることである。
 そのことによって、東稔などからはじっと見つめられてしまって恥ずかしい唯だった。

 そして左部に抗議してみたのだが、さっきのように返されるだけである。
 それを見ていた北上神はにやにやしているし、東稔はびっくりしてしまっているし、東稔の友達の熊木なども驚いた顔でその様子を見てくるし。

 最後には左部は本当に寝てしまったかのようで、まったく動かなくなってしまった。

「あ、あの……左部っていつもこうなのかな……?」
 ここに自分の親しい人がいなくて、何を話していいのか解らなかった唯は、誰にでもなしにこの質問を投げ掛けた。

 その質問には全員が顔を見合わせて、東稔が代表で答えてくれた。

「いや、こんな委員長は始めてみるんで……そうされている右左(うさ)の方が詳しいんじゃないかな」

「えええーーーー?」
 思わず大きな声を上げてしまって、ハッとして口に手を当てて声を抑えた。
 自分の膝では左部が寝ているのだから、騒いではいけないと思ったのだ。

「左部って皆の前というか、北上神とか東稔の前でもこういうんじゃないの?」
 唯が確認の為にもう一度尋ねると、今度は北上神がおかしそうに答えた。

「左部に限ってそれはないな。こいつ、俺らとは割合親しいとは思うが、ここまでやったのは初ってところだしよ。それに……何やりたいかは想像ついた」
 北上神は、左部が何故こういう態度に出たのかは解りきっているとばかりに答えて、それ以上はあまり興味がなさそうだった。

 その変わりとはいえばなんだが、熊木たちにはネタになったらしく、こそこそっとされてはにやーっとされてみたりした。
 妙な居心地に困っていると、東稔が話しかけてきてくれた。

「まあ、委員長が安心してそうやってるんだから、右左は信用出来ると思われているってことじゃないかな?」
 そう言われて、唯はどうして左部が自分をこういう風に信用してくれているのかが解らなかった。

 信用されるようなことは何もしていない。ましてや、相手のテリトリーに入り込んでしまったくらいなのに、こうされてしまうと、愛想よい猫が一層気に入った主人にだけ甘えている感じがするのは気のせいなのだろうかと思えてきた。

「猫みたい」
 唯がそう言うと、東稔がクスリと笑った。

「その印象は大事かもしれないね。だって、俺には左部はしつけのいい犬ってしか見えないもん」
 にこりとして東稔に言われて、唯は少し驚いた。
 自分の最初からの左部の印象はいいところの猫だったのに、東稔はしつけのいい犬だというではないか。

 その印象の違いを大事にすればいいと言われて、唯は何となくではあるが、この関係が深くなっていくのには必要なのかも知れないと思った。 

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