Distance やわらかな傷跡

4

 朝は駅で時間を潰し、病院の受付時間を待つ。最近では病院も土曜が休みになっているので、診察も場所を選ばないといけなくなっている。

 それでも水渚(なぎさ)は大介になるだけわからないようにと遠くの場所を選んでいた。

 下手に近所の人を見つけたりしたら何を言われるのか解らないのもあるし、学校の人間にも知られるのも嫌だった。

 診察は9時で、やはりいつも通りで薬が少し変わったくらいだ。話す内容はだんだん酷くなっている。

 だが、原因が解っているだけに解決には至らない。医者にもそれは話してないし、話す必要も感じない。それどころか、周りは少し待てという感じで解決すらさせてくれない。

「解決が重要って。それが解ったからって、どうにもならないな。やっぱ本で知ってても体はどうにもならないってことかな」
 思わず独り言が漏れる。
 症状は本で読んだから知っている。一種のトラウマだ。

 二度と同じことを繰り返したくないと思っているからこそ起こることであると理解しているのだが、頭で解っていても、心が決まっていても、体が拒否反応を起こしてしまうのだ。

「三度目になると臆病になるかなあ……」 
 こういうのは三度目だ。
 一度は母親と、二度目は保護者代理と。
 無くしたくないと思うもの程、早くに無くなるもので。
 このままだと、自分には何も残らないのかもしれないとさえ思える。

 自分をよく知ってる者程、早くに目の前から消えてしまう。欠片すら残してくれない。

 二度目まではありがとうと言えた。だが、三度目は言えるか解らない。自分が執着しているのは、この心なのだと解っているのだが、こうまで拒否反応が出るとは思いもしなかった。

「あーそっか」
 ふと気がついた。

 自分には次が無い。
 次に頼るものがないのだ。

 では、あの人はどう思うだろう。次の者を掴んだあの人は、この気持ちが解るだろうか?

 ふと思って、水渚はいつもはあまり近寄らないようにしている場所へと向かった。

 そこは閑静な住宅地で、その中でも豪邸がたくさんある場所。
 そこに知り合いがいる。

 3年前にここに越してきた人は、厳重なセキュリティーの中にいる。
 とはいえ、著名人といえば言えるのだが、これは周りが過保護だとしかいえない状況だ。

 家の前で電話をかけると、その人はやっと起き出したというような声で電話に出た。

 そしてやっと家に入ることが出来たのだが、ここに執事やらがいたりして、更にボディーガードがいるから、最初に来た人は大抵びっくりする。

「久しぶりだねえ」
 そう暢気に出てくるのは、榎木津透耶(えのきづ とおや)という人物だ。

「あ、身長、すっごい伸びてる。成長って早いんだねえ。まあ、入って。書斎でいいよね?」
 何気ないことを言いながら、ここに水渚が来た理由を人には言えないことだと悟っているところは、さすがにあの元保護者代理の従弟だ。

「ここのところ、仕事続きでね。ちょっと散らかってるけど。その辺、寄せていいから」
 とは言われても、どうやら仕事で使うだろう資料が机の前にあるソファまで進行してきているのだ。

 とりあえず、解るようにと軽く寄せて座ると、本人は机の方の椅子に座っている。

「大介さんは今日は一緒じゃないんだ? まあ、一緒にはあんまり来ないだろうけど」
 一人で納得している透耶を水渚はポカンと眺めた。

 元保護者代理である氷室斗織(ひむろ とおる)にそっくりだった少年は、すっかり青年になり、似ているには似ているが、自分が覚えている斗織とは違った姿でいる。それが月日の流れなのだと気づかせる。

「では、お悩み相談室を開きます」

 透耶はそう言って水渚を見た。にっこりと笑っているのだが、これが見た目で判断してはいけないのだと解る人は何人いるのだろうか?

 この人は、身内には甘いのだが、更に弱い者の味方である。今日、水渚が来たことで、大介には言えない悩みを抱えているのだと悟ったのだろう。
 大介に言えないということは、ことは重大だと解っているのだ。

「さーて、水渚君はどうしたのかなあ?」
 なんか来るところを間違えた気にさえなってくる。こう重圧があるというのだろうか?

「あ、いえ。あの……なんていうか。何もかも無くした時って、どうだったかなあっと」
 普段の水渚からは想像も出来ない程声が小さかった。

「んーそうだね。俺は何もかも無くしたことはないからはっきりとは言えないけど。喪失感ってのは解るかもしれないね」

「喪失感ですか?」

「そうそう。どかっと来たのは、親とかお爺様が亡くなった時だけど……。こう、支えてたものが無くなるって結構怖いもんだって。でも、空っぽになっても人って生きるんだよねえ」

「生きるんですか?」

「ああ、生きてるって感じ。なんでだろうとか思うわけ。でも、それは次に出会う為には生きてないと駄目なわけよ。と、今は思う。無い時は結構もがいてもいいんだし、自分探しもいいわけ。何で何でって思ってもいいんだ。結構、世間は放っては置いてくれないもんだしね」
 そう思うのは経験して乗り越えたから言えるのだと思うと水渚は思って言った。

「経験から言えるんですよね?」
 ちょっと憎らしくなってそう言っていたのだが、透耶は少しびっくりした顔をして言った。

「経験談聞きたいんでしょ?」
 そう問い返され、そうだったと思い出した。

「まあ、自問自答したいなら、ここには来ないだろうし。それで、水渚君は近々何かを無くす予定?」
 にっこりと反撃されて水渚はやられたと思った。

 悔しいと思うのは、確かにこの人は斗織と同じ血を引いているのだと思えることだろう。

「無くすというか、無くなるかもしれない。そんな気がして」

 この人には隠し事は出来ない。こういうことは聡い人だ。しかも、この人の恐ろしいところは、あの斗織が亡くなった時の大介への荒治療で解っている。

「不安で不安で、どうしていいのか解らないってことかな? じゃ、一緒かもね」
 にっこりとして言われて水渚は驚いた。

 この人は今は幸せだ。周りにも恵まれ、愛しい人さえいる。それでも不安で仕方ないのだというのだ。

「解らないかなあ? 結構、俺って暢気に見られるけどさ。これでも、いつあの人が自分を置いて逝ってしまうんじゃないかって不安一杯なんだよね。ほら、水渚君は知ってるかもしれないけど、あれも100%保障があるわけじゃないでしょ。例外が俺たちかもしれないって思うと怖いね。逝かなくても心が変わってしまうかも……。と、まあ、不安は沢山あるわけですよ」

 呪いがかかってるという話はきいた。それで斗織は死んだのだから確かかもしれない。

 この暢気な言い方では緊張感もなにもないのだが、この人なりに心配で不安に思っていることもあるのだ。

「世の中、絶対というものは、数少ないからさ。やることはやっておかないとって思わない?」

「やること……」

「大介さん好きなら、好きって言ってもいいと思うよ」
 何気ない透耶の一言に、水渚はどーーーーっと冷や汗をかいた。

 なななななんんで。
 もう言葉は出ない。

 視線だけで何故解ったと問いかけると透耶はにっこりと笑って。

「そりゃ、昔からだしね。斗織のことは信頼してたけど、教師や姉みたいなものだったじゃない。で、大介さんは違ったと。父親じゃないし、なんだろって思ってたから。気がついたのは、斗織が亡くなってからかな。あからさまです」
 そう言い放ったのである。

「そ、そんなに僕って解りやすい?」
 真っ赤になって問い返すと。

「んーん。大介さんの話題が出ないと結構解らない。俺の前じゃ、斗織への条件反射と変わらないからだろうけど、無くしたくない人で、一番は誰かってなると大介さんしかいないわけよ。で結果 、どうして無くすのかは、やっぱ好きだから言ったら終わりみたいな感じかなあっと」
 さらっと言われて絶句しかけるが、何とか反撃する水渚。

「じ、自分だって……」

「うん。俺、最初から恭のこと嫌いじゃなかったよ。変なところで大事なもの見えなくしちゃってた感じだったし」
 更にさらっと答えられてしまった。そこへ大きな物音がした。
 バターンと大きく開いたドアから、大きな男が飛び込んできたのだ。

「透耶ー!」
 ギョッとしたのは水渚の方だ。

 登場したのは、透耶の恋人で今は中東へ行っているはずの、鬼柳恭一だったからだ。

「あーおかえり。一ヶ月半のインターバル。今回は早かったね」
 暢気に答えた恋人にグッとなったのは鬼柳の方だ。

 熱烈キスでもかまされたら、その隙に帰ろうと思ったのを見透かされてか、視線は鬼柳を見ているが、第三の目がこっちを向いているような気がするのだ。
 そこでやっとか、鬼柳は客が来ていることに気がついたようだ。

「あ、わりぃ。編集か?」

「ううん、身内みたいなもの」

「身内みたいな?」
 キョトンとして鬼柳の視線がこっちを向いた。

 3年ぶりに見た男は、はっきり言ってあの時の洋装ではなかったが、(髭生えてるし、なんか黒いし、ごっつくなってるしで)同一人物とは思えないが、この気配には覚えがある。

「これ、どれの?」

「大介さんとこで見たじゃん」

「えー? どれ?」

「一番小さいの」
 どういう会話だと思っていると。

「ああ、あのクソガキか!」
 それで思い出したらしい。

 ここで漫画なら、どひゃーっとなるところだろうが、実際どひゃーーである。

 水渚が鬼柳に何をやったかというと、食事を用意してもらっておきながら、それを全部ひっくり返したという出来事だ。
 どうしようと思っていると、透耶が助け舟ならぬ、浮き輪に穴を開けたものを寄越した。

「可愛いじゃん。「大介が食べないならいらない」って」
 多分、これは攻撃なのだと思う。

 あの時、鬼柳は怒らなかったと思う。寧ろ綺麗に笑ってお仕置きしてきた透耶が恐ろしかったのを覚えている。そう、この人を怖いと思うのは、あれがあったからだろう。そしてその代償に大介にも同じようにやったのだから。
 本能で敵に回すなと思ってしまう行動をする人なのだ。

「背だけでっかくなったと思ったら、なんだこの細さ。透耶より細いじゃねえか」
 こっちの人は違うところで驚く。見た目と違って天然なのは変わってないらしい。

「うーん、それは厳重注意かなあ。ホントは保護者をだけどね。今日は勘弁してあげる」
 最初の台詞にドキリとしたが、今日は見逃してくれるらしい。別の意味でいえば、次は容赦しないという意味なのだが。

「なんだそれ?」

「今ねえ、お悩み相談室やってんの」

「透耶で解決すんの?」

「さあ? それは本人にしか解らないことだよ」

「また難しくやってんな。ま、昼ごはん用意するな。で、いつから食べてないんだ?」
 さらっといつからと言われて、また水渚はドキリとした。

 ここの人は化け物かと。

「せ、先週から……」
 冷や汗たらたらで答えると、鬼柳ははあっと溜息を吐いた。

「あんまグルグルしてると、死ぬ前に禿げるぞ」
 鬼柳はそう言って水渚の頭をぽんっと叩いて部屋を出て行った。

 意外にしつこくなく出て行ったので拍子抜けしていると、透耶がぷっと笑って言った。

「わりと心配性だからね。病人には手を出さないし。意外?」

「えーまあ、怒鳴られるかと……」
 あの巨体で怒鳴られたらかなり怖いかもと思ってしまう。

「今はね。何食べさそうか考えてるから大丈夫だけど。食べなかったら怖いかもね」
 そういう透耶が一番怖いのだが。

 内心そう思いながら、鬼柳が用意してくれた軽食を食べる羽目になってしまったのだった。

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