Distance
やわらかな傷跡
2
「この間はありがとう」
いきなりそう言われ、読書をしていた嗄罔水渚(さくら なぎさ)は視線を声の主に向けて上げた。
そんな礼を言ってきたのは、つい先週まで左腕を骨折していたのが治ったばかりの梧桐優作(ごとう ゆうさく)だった。
「あー。梧桐か」
このクラスになってたぶん初めて口をきくだろう相手だ。
覚えている限りで一度として学校では口をきいたことはない。そんな相手が話しかけてくるのだから、周りから見れば珍しい組み合わせになっていることだろう。
それでもどちらも周りを気にしていないので、それはそれで気にならないことではあった。
礼を言われるような仲ではないのは確かで、水渚は思いつくことはあったが特に言うことはないだろうとそのまま視線を本に向けた。
「僕、何もしてないし」
水渚が素っ気無くそう答えると、梧桐はおやっという顔をして、空いていた前の席に座った。
「お前が結構調べてくれたって。玖珂さんがいってたからな。学校でも色々大変だったんだろ?」
梧桐にそう言われて、思わず水渚は舌打ちをしたくなった。
余計なことを……。
そうは思っても口には出さなかったのは、今までの努力の賜物だろうか。
「別に。情報売ってる馬鹿に情報戦線してやったくらいだよ」
梧桐はこの間まで、梧桐の親友である我耶祥真(がや しょうま)の巻き込まれた集団ストーカー事件の被害者であり、渦中の人物だった。
それは卑劣で、そのせいで祥真はかなり精神を消耗させていた。
その事件は中々警察が介入できなくて、水渚の保護者である、玖珂大介が探偵として捜査を担当したことで、なんとか警察沙汰になり、主犯も捕まったというものだった。
その事件で犯人たちに襲われた梧桐は、腕に骨折までしてしまったのだ。
そして、その事件で水渚が何を助けたかというと、この学校で、梧桐の情報を売った人間を突き止め、ストーカーの一味の数人を探し出すことが出来たというものだ。
とはいえ、それは犯人の一部であり、全体ではなかったが、これで少しはけん制は出来たとは思われる。
それを後日、梧桐は知ったのだろう。わざわざ礼を言ってくるくらいだから、それは感謝しているのであろう。
だが、そんなのは水渚からすれば、利用出来る時は利用しておくべき情報であると思っていた。
犯人が数人も居ては、容易に犯人を突き止められない状態で右往左往している時にこそ、役立つ人間であるから水渚は大介に信用されて使われただけなのだ。
その辺は、梧桐辺りには解らない感覚なのかもしれない。
「でも、祥真も助かったしな」
「我耶は、もういいのか?」
ふと気になって水渚は尋ねていた。普段なら気になることでもないだろうに、今回の事件は何故か気になるのだ。
事の結末は大介に聞いていたし、報告書も見たので知っている。
だが、その後の様子などは関係者でなければ解らないことだ。
特に、渦中の人物だった我耶祥真はどうなったのかは気になる。
あの大介がかなり気を使っていた人物となるとやはり気になる。
「祥真は、事件の後はちょっと不眠症になりかけたけど、角里(ろくり)さんがついてるから、それも大丈夫だと思う」
「角里さん……ああ、隣の人ね」
角里といえば、最初に事件を担当していた情報屋で、偶然に祥真の事件に巻き込まれた人物でもある。
だが、今は祥真の恋人と言っていい人だ。かなり神経質な人物らしいが、こと祥真のことに関しては、誰にも譲らないらしい。
お陰で、大介はボランティアで事件捜査を手伝う羽目になったくらいだ。
角里と大介は情報屋としては、肩を並べるくらいに情報源が多い人物だが、地道な捜査をする大介とは違い、違法なことも遣って退けるのは角里の得意とするところらしい。どういう経緯があったかは知らないが、角里は大介を信用していて、大介も角里を信用しているようだ。
最近は助け合っているらしく、引きこもって姿を見せない角里と、表立って動く大介とに分かれている。
「祥真のやつ、最近は口を開けば角里さん角里さんだもんな。俺はどうしたと言いたくなる」
梧桐はそんな愚痴を漏らす。どうやら、こういう愚痴を言う相手がそんなにいないらしい。
「末乃(まの)さんとかに言えば?」
「あれは駄目だ。完全に角里(ろくり)さん信じてるし、信者だし」
末乃も祥真と同じく事件の関係者で梧桐とも友達だ。だが、女の子だけあってか、それとも世間体を気にしないのか、祥真と角里のことを認めてしまっているらしい。
つまり梧桐には愚痴を言う相手がいないのだ。
「ふーん。で、僕に言ったところでどうにも出来ないよ?」
「それは解ってるが、それでも言いたくなるってもんだろうが」
「人の恋路に口を出すと、馬に蹴られるって習わなかった?」
「つーか、いいたくなるだろ」
「そう? 別にいいじゃない。君のお気に入りの親友が選んだ相手なんだから、もっと信用してやってもいいんじゃない?」
水渚がそう言うと、梧桐はグッと何かを飲み込んだ。
言いたいことは解る。角里は男だ。そして祥真も男なのだ。それが言いたいのだろう。
「今更だと思うけど?」
「お前もそういうのに理解がある方なのか?」
「こんな学校にいるとねえ」
水渚はそう言っていた。
この学校の変なところは、男同士を普通に認めているというところだろう。変にいいところの坊ちゃんが揃っているのか、昔の名残があるらしく、男を囲うことが高等な趣味のひとつであるとでも教育されているところもあるのだ。
「まあ、この学校は変だけどな。女子の間じゃこういうのも流行らしいしな……つーか、祥真じゃ変だと思えないのも俺がおかしいのか?」
だんだん自問になってきているところが可笑しい梧桐だ。
我耶祥真(がや しょうま)は確かに可愛い方だ。だから変な男から目をつけられていたのだ。そういう守りたいという感じも受け入れられているのだろう。この無表情で冷静だとクラスでは言われている梧桐が血相を変えて、祥真を守ろうと奔走していたのだから。
「梧桐は我耶じゃ変な気分にはならないってことか……」
水渚がそう呟くと、梧桐はがくっと体制を崩した。物凄く驚いたらしい。
「あ、当たり前だろ!? 俺ら、もう小学校からずっと一緒だったんだぜ? 変な気分なんかなるか」
冗談じゃないと必死になって答える梧桐に水渚はまた呟いていた。
「小さい時から一緒だと、その気にはならないもんなんだ」
その呟きは小さかったから周りにはまったく聞こえなかったが、梧桐にはしっかりと聞こえていた。
「わりぃ」
梧桐はそう言っていきなり謝った。
「は? 何が?」
水渚が本から顔を上げると梧桐は、鼻の頭を指で掻きながら、少し照れたように言った。
「そういう相手がいるんだろ。だから、悪かった。俺は俺で、そいつはそいつな訳よ。世間一般の答えが全部の正解ってわけじゃねえってことだ」
何かを悟ったらしい梧桐の言葉に水渚は、びっくりして目を見開いて梧桐を見つめた。
「うわ、びっくり。梧桐って凄いや」
「なんだそれ?」
「いやいや。こうも簡単にバレるとは思わなかったんで、素直に驚いてみたわけ。こういうのは疎いと思ってたから二度びっくり」
「思いっきり、棒読みなのはなんなんだと言いたいんだが」
そう、水渚は驚いてからの台詞が思いっきり棒読みだったのである。
「まあ、恥ずかしいのもあるかな」
そう言って水渚は読んでいた本を閉じた。これは、一応相手に敬意を払った形になる。本をずっと広げている時は、大して相手に興味を示してないという態度でいることを相手にも解ってもらう為にやっているだけなのだ。
「なんだ。結構素直なんじゃん。噂じゃ弱み握られたら終わりみたいなことになってるらしいが」
笑って梧桐はそう言ってくる。
「弱みを握られたと思ってる相手が悪い。僕はそんなつもりはないんだけどね。ある種、情報ってのは強みだったり弱みだったり微妙なところがあるもんだし仕方ないのかもしれないけど」
「こえぇな、情報ってのは。俺のも悪用されてたわけだし。使う相手にもよるってことか。ふん、それって角里(ろくり)さんのこと微妙に援護してねえか?」
だんだんと、水渚の意図に気づいてきて梧桐はジロリと水渚を睨んでいた。
「うーん、もうちょっとだったな。惜しい」
水渚はにっこりして梧桐を言った。梧桐は悔しそうに舌打ちをする。
「お前も結局情報屋ってことか」
「まあね。角里さんはこの業界じゃ有名人だし。大介の次くらいには信用してるよ」
情報を扱っている人間なら絶対に一度は耳にする名前が角里の名だ。その彼の功績ややってきたことを知ると、尊敬するし、実際知っていると信用できる人間であることは解る。だから味方はしてやりたい。
「そーいや、お前もそういうのやろうと思って、こういう情報屋紛いのことやってんのか?」
梧桐の興味はどうやら水渚本人に向かったようだ。この聞き方はストレートで純粋な疑問だったらしい。いやらしさは何処にもない。
「趣味が高じてって感じ。大介の手伝いしてるうちにかなあー。こういうのでも食べていけるって解ってから」
実際角里は情報屋だけで一生遊んでいける金を貯めたらしい。それに身内が探偵と情報屋で食べている。使い方によっては普通に暮らせることを水渚は環境で知っているからだ。
「お前って、普通に就職してなさそうだよな」
梧桐はそう言ってケラケラ笑っている。就職している姿が想像出来ないらしい。
「やれって言われたら、エリートサラリーマンでもやれるんだけどね」
「似合わないからやめとけって」
「そうかなあ」
「お前の性格じゃ、誰かの下につくような職業はやめといたほうがいいと思うぞ」
こんなことを言われるのは何度目だろうか。
「どんな性格だよ」
「どんな時でも平気ですって顔して、実は裏で泣きながら一生懸命努力するような。でも、実は呪いかけるようなこともやってそうな。そんなヤバイ性格」
梧桐は至極普通にそう答えたのだが、それはよく水渚の性格を現しているようなものだった。
「ふーん。自覚してるだけに痛い台詞だね」
水渚がそう言った時、予鈴が鳴っていた。
妙な梧桐との接触だったが、実は水渚はちょっとだけ楽しかった。誰かと話していて、こういう気分になるのは、何年かぶりかもしれない。
これからは、梧桐とも少しは楽に喋れるかもしれないと予感した。
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