Distance カウントダウン

7

 週末になると、さすがに卓巳も落ち着かなくなってきた。

 試験期間に入った間も怖くて仕方がなかったが、父親が帰る間際まで北上神(きたにわ)が勉強を教えるという名目で家に来てくれていた。

 部屋で勉強するのではなく、居間でやっていたお陰で母親も安心していられた。

 だが、問題の土日が来た。
 先週は、結局母親が出かけるのやめ、家にいてくれたが、今週はどうしても出ないといけないパーティーがあるらしい。

 それも泊りがけとなっているから、今日は一人になる。

 それを心配した母親は、北上神に相談したらしい。
 北上神は家の方へ来ればいいと即答したそうだ。
 それで卓巳は家で北上神が来るのを待っているのだ。

 母親に急かされて泊まる用の荷物を作り、必要な勉強道具も持っていくように言われた。
 北上神が来たのは、それから一時間ほど経ってからだった。

「おはようございます」
 もうお昼近いのだが、北上神はそう言っている。

「まあ、よく来てくれました。今回はありがとうございます」

「いえいえ、困った時はお互い様ですよ。それに、父の方が、こういう時に卓巳を一人にしておくのは危険だからと言いまして、これからも十分役に立つようにと言い出しまして。よければ、これからも土日でも平日でも卓巳が一人になる時がありましたら、俺でよければ相手します」

 淀みなく言い放ってくれて、母親はそれに感激している。

 なんか、妙に胡散臭いと思ってしまうのは、この白々しい北上神の母親へ対する態度だろう。
 つまり、母親にとっては理想の息子の友達になっているからだ。

 なんだかんだで、すぐに卓巳は家から放り出された。

「たくっ、ほんと、北上神、うちの母親には甘いよな」
 卓巳がそう言うと、北上神はにっこりとして。

「そりゃ、気に入られようとしてるからな」
 と、答えるのだ。

「十分、気に入られてるって」

「まだまだ」
 北上神は上機嫌にそう答える。

 まだまだって何だろ?

 よく解らないが、北上神にとっては今の状態でも、満足はしてないらしい。

「で、俺は何処へ連れて行かれるわけだ?」
 北上神の家に行くのは決まってる。だが、本当に向かっているのかも怪しいくらいだ。

「とりあえずは、俺のマンションの方」

「は?」

「ほら、もう一つの電話番号があっただろ? あっちの方。実は俺、本当に実家の方にはあんまり帰ってないんだ」

「なんで?」

「学校から遠いからが一つの理由かな」

「じゃ、ご飯とかどうしてんだ?」

「もちろん、自分で作る」
 北上神は自信満々で言う。

 これには驚いた。

「えーー? お前、料理出来んだ!」
 卓巳は母親の方針のせいか、包丁すら持ったのは、料理実習くらいという有様だ。

「出来る。任せとけ。フランス料理とはいかないけどな」

「じゃ、フランス料理!」
 卓巳がおどけてそう言うと、北上神は豪快に笑った。
 それが凄く楽しそうなので、卓巳もつられて笑ってしまった。

「俺は、三ツ星シェフじゃねえよ」

「あ、でも、北上神似合いそう」

「じゃ、シェフのおすすめなんたらってのやろうか? お客様、今日のおすすめは、こちらとなりますってか」

「本気かよ」
 言って卓巳はブッと吹き出した。

「笑いすぎだぞ」
 そう言う北上神も笑っている。

「笑わすからだ」

「ま、いいや。可笑しければずっと笑ってろ」
 北上神は優しく微笑んで卓巳の頭を撫でた。

 その仕草がとても優しいものだったので、卓巳はドキリとした。
 もしかしたら、笑わせるようにしてくれたのかもしれない。

 卓巳が不安なのを感じたのだろう。こういうところを察知するのは、本当に敏感だ。

「で、今日の夕飯の予定は?」

「そうだな。ブリ大根あたりを」
 そう言われて、卓巳はまた爆笑した。
「ブリの季節は秋だろう」
 と言い返したのだ。

「あ、ちくしょー。そういう季節感だけはあるのか」
 北上神はそう言ってちょっと悔しそうだった。それがまた可笑しくて卓巳は笑ってしまう。

 そうして笑っている間に駅に着いて、北上神に切符を買って貰った。これはどうしても北上神が譲らなかったことだ。自分が連れて行くのだからという理由で。
 自分が使う線とは違う電車に乗るのは久しぶりかもしれない。

 ここ最近、行動範囲が狭くなっているのだと実感する時だ。

 こういう時でもないと、この路線の電車にすら乗らないかもしれない。 北上神は、座らずに立ったままで、つり革を掴んでぶら下がってるという感じで、卓巳の前にいる。

 卓巳は何を言うでもなく、北上神にスッと席を勧められてしまったのだ。

 こうやっていると、北上神がいかに人に見られているのかが解る。

 女子高生は皆見ているし、OLらしい人もじっと見ていたりする。
 でも北上神はそんな視線はまったく気にしていない様子で、こっちに話しかけてくる。

「明日は何時頃に帰ってくるんだ?」

「あ、夕方頃になるって言ってたから、4時か5時かな? でも電話くれるって言ってたから」

 視線を北上神に戻すと、上から見下ろされていた。
 じっと見られていたのだと解ると、何故かカッと体が熱くなった。

 な、な、なんて目で見るんだ。

 全然気が付かなかったが、北上神の今の目は、さすがに男の卓巳でもヤバイという目だ。
 こうなんて言っていいのか解らないが、いやらしい目つきとでも言おうか。そういう感じだ。

 次の駅で隣に座ろうとしたサラリーマンを北上神は睨みつけて座らせなかった。

 お陰で、卓巳の周りは誰も座っていない。この時間だから、そう人は多くないのだが、それでも周りだけ異様だ。
 故意に座らせないようにしているのは明らかなのだが、目的が解らない。

「次、降りるぞ」
 北上神はそう言って卓巳の荷物を持つとつり革から手を離した。

 ゆっくりと電車が駅に入ると、卓巳は北上神の後について降りた。ここから先はついていくしかない。
 初めて来る場所で、迷子になるのも恥ずかしいし、周りを確認しながら歩いていた。

 外へ出ると、周りはどうやらビルが沢山ある通りらしい。企業が入るようなビルが幾つも建っていて、ここに住むのには、かなりの金持ちじゃないといけないのだと解る。

 北上神は、まっすぐその中を歩いていく。周りはサラリーマンだらけだ。ここは学生が遊ぶような場所ではないから、そういう人も殆ど居ない。

 北上神のマンションは、駅から5分程度のところにあった。そこは、下は企業系で、上が分譲マンションという形のもの。
 一般の人との入り口は別になっている。

「ここ、結構するんじゃないか?」
 こういうマンションは高いと聞いたことがある。

「買った時はそれほどでもなかったけど」

「買った時って……」
 まさかと思って聞くと。

「ああ、ここ、俺が稼いだので買ったとこだから」
 とあっさり言ってくれた。

 そうだった。この男の家は金持ちだが、この男自体も金持ちなのだ。ソフト開発で儲けたお陰で、かなりの資産家だった。そのお金でここを買ったのだという。
 しかもその会社は、このマンションに入っているのだという。

「一石二鳥っつーだろ?」
 そんな言葉で片付けられない。

「それに、ここ建てたの親父だし。親父から俺が買ったって訳だ」
 そうか、そういう感覚なのか。北上神家は。

 しかも、北上神の部屋に行くには、唯一の直通のエレベーターに乗らないと辿り着けないらしい。それも、カードを使って暗証番号付き。そうしないとエレベーター自体が動かない仕組みなのだという。

 ある意味、オートロックだ。

 エレベーターに乗って、字数表記があるので驚いていると、地震があった時に止まると困るから、各階のエレベーターホールにはちゃんとこのエレベーターも止まるようになっているのだという。ただ、外からはやはり同じようにカードがないとエレベーターのボタンを押しても止まらないのだそうだ。

 北上神はこれを使って、自分の会社がある階へ降りたりしているだという。

「ホントに北上神って高校生?」

「何言ってやがる。こんなに高校生してるじゃないか」
 そう言って北上神が振り返って自分を見せるのだが、どうみても大学生近くに見える。

「嘘くさ……」
 卓巳が呟くと、北上神はニヤリとしている。

「ちゃんと高校教育受けてるだろう。最近は真面目に学校行ってるしな」
 言ってエレベーターを降りると、ドアが一個しかないことに卓巳は気づいた。
 嫌な予感だが、まさかここには北上神の部屋しかないって言わないよなと。

「安心しな。全体が部屋じゃねえから」
 北上神が言って玄関の鍵を開けてはいる。中は本当に普通と言っていいのか、広いことは広いが、さっき言ったように、このフロア全部が部屋というわけではないようだ。

「ここと、こっちは開けるなよ。そこは使えるようにした。荷物はそこへ」

 こことこっちとは、玄関を入って右側のことで、その両方の部屋をあけるなと言ってるのだ。
 そこは、左の部屋。二つあるが、北上神が差したのは、奥の方のドアだ。開けてみると、そこは寝室だった。
 作りつけのクローゼットがあり、大きなクイーンサイズのベッドがどんとある。

 とりあえずと、荷物を置いて、勉強道具を出してそれを持ってリビングへ行った。
 リビングは広く、30畳くらいはあるだろう。

 でも、人が住んでいる気配がしないのは、モノが少ないからだろう。
 あるのは、勉強机らしい机が壁側に一つあり、そこには参考書などがちょっとだけ置いてある。

 真ん中にソファとテーブル。そして大画面のテレビとオーディオセット。どれもあまり使った様子がない感じだ。
 下にラグが敷いてあり、座ると思わず寝転がってしまいそうになる。
 だが、ちょっと寂しい感じがするのは何故だろう。

 こんなところで一人で暮らしている北上神は、寂しいとは思わないのだろうか。そんなことをふと卓巳は思ったのだった。

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