Distance
カウントダウン
5
美術教官室から教室に戻ったのは、その時間の授業が終わってからだった。
卓巳が戻ってくると、田上が心配そうに見ていたが、特に何か言うでもない。
だが、席に着いた卓巳に仲川が近づいてきた。
「どこ行ってたんだよ」
そう言われて、なんでこいつに答えなきゃならないのかと卓巳は思った。
「別に」
卓巳がそう答えると、仲川はニヤリとして言う。
「どうせ、北上神(きたにわ)としけこんでたんだろ? 知ってるんだぜ」
こんなことを言われても、卓巳は何も言わなかった。下手に仲川を刺激しても仕方ないと思ったし、事実とはまったく違うから馬鹿馬鹿しいとしか思えないのだ。
とにかく無視してしまうに限る。
一度席に座った卓巳だが、こんな戯言聞いている時間も勿体無いと思って、すぐに席を立った。
「おい!」
仲川が卓巳の行く先に立って、進路を遮る。
「何?」
白けた顔で卓巳が見上げると、仲川は一瞬怯んだようだった。
「なんだよ。事実だから何もいえないのかよ」
「だから、それを知ってどうするんだ? それで何かあるのか?」
「じゃあ、やっぱやってんのかよ!」
「それに答えて何がある?」
「ふざけんな! やりまくってる癖に、純情そうなふりしやがって、どいつもこいつも騙しやがって!」
仲川がそう叫んだ時、教室中の生徒がこっちを向いていた。
何か仲川が言っていたのか、最初から皆聞いていたのかもしれない。さすがの田上も止められないとみたのか、北上神を連れてきていた。
「おいおい、当事者抜きで何やってんだ」
北上神が教室に入ってくると、周りが一層騒々しくなった。
だが、仲川は北上神が登場するとびびったのか何も言わなくなる。
「たくっ。卓巳には言えて、俺にはいえないってか? つーか、お前、何様なんだよ。横槍入れるなら、別 にいいけどよ。このやり方は卑怯じゃねえか?」
北上神は言って、周りを見回した。さすがに状況がよく解っているらしい。
「卓巳を孤立させて、どうしようってんだ? そんなんで恨みでも晴らせるのか? 自分の思い通 りにならないからって、陰湿ないじめやって楽しいか? 電話の嫌がらせ以外でまだ何かやるか?」
周りに聞こえるように、大きな声でそう言うと、さすがに周りもこれがいじめの部類なんだと認識したらしく、気まずそうにしている。
内容は違うのだが、仲川から嫌がらせをされているのは確かだ。
「大体、この学校だったら、大抵のことはありだろうが。そんなことも解らねえとは情けない」
ここらはよく解らないが、周りは結構納得してるみたいだ。
仲川は、味方らしき友人に引き取られて、教室を出て行った。
いやにあっさりしているものだと卓巳は思った。
「というわけだ。後は、田上に任せた。俺、移動教室なんだよ」
「あ、北上神!」
さっと去ろうとした北上神を呼び止めると、卓巳は綺麗に笑って言った。
「ありがとう」
さっきまで見せていた硬質な顔ではなくなっていたのを見て、北上神ははあっと息を吐き出して。
「お前、可愛すぎ」
そう言うと、戻ってきて卓巳をギュッと抱きしめる。
「は?」
「そのままでいろよ」
「え?」
なんだかよく解らない展開だ。だが、周りの視線が痛いかもしれない。
なんだかんだでクラスの雰囲気は微妙になったが、特に卓巳に対して何かあるわけでもなかった。
親しくしていた人は話してくれるし、そうでない人はそのまま。
「結局は前のままってことか」
事情を聞いた熊木がそう呟いた。
「けどよ。仲川もそこまでやるか?って思うんだよな。欲しいものが手に入らないからって、何が何でもってどうかしてるぞ?」
熊木はそこまで執着する理由とやり方が陰湿なのが納得できない。
「それが東稔(とね)のことだってことが、一番問題なんだよ」
はあっと田上が息を吐く。
「多分、今までそうして思い通りになってきたってことじゃないか? 自分の都合のいい友達とか、周りの評価とか、家での立場とか。でも、ここに来てそれが上手くいかなくなった。例えば成績が良くないとか、柔道でも自分より上がいるとかさ。当たり前のことが当たり前と受け入れられなくてもがいてるのかもしれないな」
そう考えると可哀相なのかもしれないが、この年になってそれに気づけないのは情けないかもしれない。
「だからって、一番最初に親切にした東稔に執着する理由にはなんねーよ」
熊木がそう言い切った。
そうなのだ、何故、東稔卓巳なのか。
「惚れてるってのが一番納得出来るんだけど。それ、認めるか?」
熊木が言って、田上がゾッとしたらしい。
「うわっ! すげー、気持ち悪いよな。相手、ストーカーだしよ。う、ごめん東稔が一番気持ち悪いのに」
田上はそう言って謝ってくる。
「……うん、いいけど」
会話を聞いていた卓巳だが、極力参加しないようにしていた。
仲川がどう思っていようが、自分が仲川を受け入れられない限り、どうにもならないからだ。
北上神(きたにわ)に抱きしめられても、全然気持ち悪いとは思わないのに、仲川にされたことを思い出したら、今でもゾッとするくらいに気持ち悪いのだ。
ここまで解っているから、仲川がどういう状態であっても、もう二度と友達にすら戻れないと思う。
「どういう訳か、北上神には逆らえないみたいだな。最初に蹴り入れられただけってこともないだろうし」
不思議そうに言う田上に、卓巳が答える。
「仲川がやったことを一番よく知ってて、証拠も持ってるのが北上神だからだと思う」
そうあの証拠はまだ北上神が持っている。なんでも指紋が取れるらしく、そのまま鑑定に出してしまったそうだ。
何処に鑑定に出したのかは聞かなかった。聞かない方がいいだろうし、聞いてもはぐらかされそうだから。
「で、その北上神は?」
「柔道部に呼び出された」
卓巳はそう答えた。
「え? だ、大丈夫なのか?」
田上が心配して言うと。
「解らない。でも、ちょっと行って来るって簡単に言うし」
本当に暢気にいってきまーすと言って行ってしまったのだ。何を考えているやらだ。
「それで俺らは、こんなところに避難してるってわけか」
そう言った熊木は、ふうっと息を吐いた。
「つーか、なんで俺まで巻き込むんだ、あいつは!」
そう怒鳴ったのは、今まで話を聞いていた世嘉良(せかりょう)である。ここは美術教官室で、いつもこの部屋につめているのだ。他に美術教師はいない。
「世嘉良先生が一番信用出来るからじゃないんですか?」
卓巳がそう答えると、世嘉良はなんともいえない顔になった。
信用しているというより、十分に利用できると思っているからであり、更に教師という立場が更に利用出来るのだろう。
そういうところは卓巳には解っていない。
やっぱり。
柔道部の部活動に使っている道場に呼び出された北上神(きたにわ)は、一人で納得していた。
ここに仲川の姿はない。
「で? 俺は何で呼び出された訳?」
北上神が早急に用件を聞くと。
「お前がうちの柔道部をかなり馬鹿にしていると聞いたのでな」
なるほど。そういうことか。
「言ったのは、仲川か?」
「ああ、そうだ」
「じゃ、なんでその仲川がいねえんだ?」
北上神が詰め寄ると、部長も理由は知らないらしい。
「さあ、もうすぐ来るだろう。とにかく、うちの部のことを悪く言ったことはどうにでも責任取ってもらうぞ」
そう詰め寄られて北上神はまじめに答えた。
「そんなこと言ったこともないし、思ったこともない。それに、俺も一応空手とかやってるんでな、武術を馬鹿にした発言はしたいとも思わない」
「じゃあ、仲川が嘘を言ったとでも言うのか!」
「そうとしか思えない」
「それがうちの部を馬鹿にしているとは思わないのか!」
「仲川個人を馬鹿にしても、あんたらを馬鹿にしたことにはならないと思うが?」
「ふざけるな!」
いきり立った数人が、北上神に襲いかかった。だが、北上神はこうなるだろうと思っていた。
だから、一瞬でケリをつけた。
向かってきた部員に、一発ずつ拳で腹を殴って沈めたのだ。
バタリと倒れた部員はピクリとも動かない。
北上神は涼しい顔でそれを眺めてから言った。
「わりぃ。古武術でやっちまった。これ、一時間くらい目覚まさないかもな」
そう言われたらさすがの部長も動けない。組みすらさせてもらえないのでは、柔道では勝ち目がないからだ。
「それで言わせて貰う。仲川は俺の大事な人を傷つけようとしてる。それで俺がこうやって助けた訳だが、それでも俺が柔道部を馬鹿にしたことになるのか?」
「……い、いや」
「で、仲川は今何をやってるかというと、予想では、ここで俺を足止めして、卓巳をどうにかしようとしているとしか思えない訳だが」
北上神が言うと、部長もだんだんそんな気がしてきたようだ。
「ま、まさか。仲川が……」
「あいつ、そういう奴だぜ。それで一つ聞く。ここではあいつはそんなに強くはないんだろ?」
「あ、ああ、中の上くらいだな」
「つまり、柔道部にも不満があったわけか。ならその後の展開も読めてくるってわけだ」
北上神がそう言ったとたん、そこへ柔道部の主任がやってきたのだ。
「お前ら、何をやっている!」
制服の一人を囲んで、柔道部が何か良からぬことをやっているところに駆けつけたという設定らしい。
「あ、先生。こいつらが古武術見たいって言うから、ちょっとやってみたんですが、結果 は見ての通りで。すいません、たぶん一時間くらいで目は覚ますと思いますけど」
北上神が爽やかに言い訳をすると、拍子抜けした主任はポカンとしていた。
「古武術って、何処の?」
「さあ? 最近まで習ってましたけど、流派はきいたことないです。ただ、スピード重視みたいなものですから、目の保養には柔道でも使えるかと思ったのですけど。どうも寸止めが出来なかった。やっぱり未熟ですね」
ニッコリと笑って言った北上神の言葉に柔道部一同は頷いていた。
本当に一瞬だったから、スピード重視であるのは間違いない。しかも一撃で相手を沈ませる方法としては、護身術の一種なのかもしれない。
「そ、そうだったのか……まったくあいつは、何を勘違いしてたんだ」
「何て言ってたんですか?」
北上神がそう聞くと、主任は苦笑して答えた。
「リンチしてるらしいって言うもんでな。そんな訳ないと思ったので確認しにきたが、いや、良かった」
主任がホッとして笑っているのを見て、部長もホッとした。
だが、北上神は部長に小さく言った。
「仲川は柔道部も一緒に葬り去ろうとしたらしいぞ。道理で、仲川がここに居ない訳だ。首謀者と一緒にいれば停学させられるのは解っているからな」
「ああ、お前が言うような状況だったらしいな。すまん」
「いや、これで仲川の計画は潰せたわけだし」
「え? でもその大事な人の方は?」
「抜かりない。こんな見え見えの計画に用心しないで来るわけないだろ」
北上神はニヤリとしてそう言い切ったのだった。
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