Distance 愛うらら

7

15

 千冬の疑問には、幹太が答えてくれた。

「見てて解んねぇ? 俺、こんなにも多保の事好きなのに……」
 幹太はよよよっと演技をして声色を変えてそう言った。
 でも、完全にふざけているわけではない様子なのは見てわかった。

「んー、解ったけど。好きってどんな好き?」

「ん?」
 幹太が首を傾げる。どんな好きとはどういう意味かと。

「その……」
 千冬はその深い意味を知りたかった。

「その?」
 幹太が千冬の顔を覗き込んでくる。

「その……き、キスとかしたり……したいとか……?」
 千冬はそう言って顔を真っ赤にしながら尋ねていた。

 本当に恥ずかしい台詞だったし、こんな事、聞く事じゃないとは解っているのだが、どうしても聞きたくなってしまうのだ。
 それにはちゃんと理由がある。それに意味があるから聞きたかったのだ。

「而摩(しま)、どうしたんだ、いきなりそんな事言い出して……」
 真っ赤になっている千冬を見て、岸本が不思議そうに聞いてきた。

「え……っ、あの……意味があるのかなって思って。だって、俺だって多保の事、好きだよ。でもそれって友達として好きな訳であって……その幹太のとは違うのかなって」
 千冬は素直に正直に答えていた。

 幹太が多保を好きなのは、友達として千冬が好きなような感じではないのは解る。だから、その好きの種類が幼馴染みだからというものではないのだと聞きたいのだ。

 それは幹太に聞く事じゃないかもしれないけど、好きってどういうものなのかを聞いてしまいたいのも好奇心から来るものである。

 その衝動を押さえられないのは、年頃というのもあるのだろう。

「もちろん、千冬が言ったような、そんな意味の好きだよ」
 幹太は恥ずかしがる事なく、正直に自分の気持ちを言って退けた。

 それに怒ったのは多保だった。案の定、幹太は多保の鉄拳を食らっていた。でもそれでも多保の顔は真っ赤で恥ずかしがっているだけにしか見えない。

 そんな多保は可愛いと思う。

 たぶん、多保も幹太が言うような意味で幹太の事が好きなのだろう。いつもの毒舌が出ないところを見ると、やはりそうとしか思えない。

 部活をやったら危険だと思っているのも、幹太が何度も言って聞かせた事であって、それに多保は素直に従っている。

 譲るところは譲るのは、多保のいいところだろう。

 まあ、幹太が多保をそういう意味で好きなのが解ったのは良かったが、千冬にはある疑問が生まれていた。


 好きじゃなくてもキスってするのだろうか?
 というそんな事だ。

 じゃれあっている幹太と多保を見ながら岸本は笑っていたが、千冬が考え込んでいるのを見て顔を覗き込んできた。

「どうした、而摩(しま)?」
 その言葉で千冬はハッと我に返った。そして疑問を口にしてしまった。

「あの……好きじゃなくても……キスとかってする?」
 千冬は下を向いたまま3人に尋ねた。

 ハッキリ言って自分でも何を聞いているのかと思っているのだが、聞かずにはいられなかった。

 それは、世嘉良(せかりょう)の事だ。

 いきなりのキス。あれには衝撃を受けた。自分は世嘉良の事は好きじゃなかったし、ただの教師だと思っていただけなのだ。双方が好き同士じゃないとキスってしないんではないかと思っているのだ。

 だから、自分がキスされた事は、何かの間違いだと思いたいのだ。ましてや、世嘉良が自分の事を好きだなんて信じられないからだ。

 可愛いとは言われてはいても、それは社交辞令としてしか受け取ってない。

 こんな状況でキスの話題を出してしまった。

「あーうん。好きじゃなくてもキスとか出来る奴もいるし、するのもいるのは確かだよね。相手が嫌がってるのにするのは、やっぱ一方的かな」

 それまで幹太を殴っていた多保が答えてくれた。
 一方的、その言葉を聞いて、千冬はハッとした。

 あれは一方的なキスだったのだ。それもディープキス。でも、嫌がる暇はなかったし、妙な気分になってしまったのは確かだ。

 それは嫌がってないってことになるのだろうか。

「そう……なんだ」
 千冬は力が抜けたようにそう言っていた。

「何? 千冬は嫌なのにキスされたのか!?」
 幹太が慌てたようにして小さな声で問うてきた。
 その言葉に千冬はハッとして顔を上げて焦って答えた。

「い……いや、あの、そうでも、ないけど……」

「そうでもないけど?」
 3人が声を揃えて聞き返してくる。

「なんていうか……いきなりとか……出合い頭の事故っていうのか……なんて説明していいのか解らないけど、そんなのってどういう……ことかと……」
 千冬は言い淀んでしまう。
 本当に何と説明していいのか解らない。

 あれは本当にいきなりで千冬にだって意味が解らない出来事だったのだから。それを今説明しようにも、こっちが説明して欲しいところだ。

 世嘉良は千冬を可愛いと言ってキスしてきたのだが、可愛かったら誰でもっていうわけでもなかった。確かに世嘉良は千冬だからするのだと言っていたからだ。

「事故って……千冬、もしかして、世嘉良先生に無理矢理やられたのか?」
 多保がいきなり世嘉良の名前を出したので、千冬は驚いてしまった。
 どうして相手が世嘉良だと解ってしまったのだろうか?

「ど、どうして、先生って……っ!」

 千冬が大慌てで多保に聞き返すと、3人は溜息を吐いて顔を見合わせていたのだった。 多保がはあっと溜息を吐いて、千冬に聞いた。

「千冬、もしかして気付いてなかった?」

「何を?」
 何に気が付くのだろうと千冬は首を傾げる。

「千冬と世嘉良先生が出来てるって噂」

「えええ!?」
 多保の言葉に千冬は大声を出して驚いた。

「なんだ、全然気が付いてないでやんの」

「あれだけ言われてたのに……」
 3人はそう言ってうんうんと頷いて、呆然としている千冬を見てまた溜息を吐いていた。

 千冬は頭の中が真っ白だ。どうしてそんな噂が広まっているのか。キスした事だって誰も知らないはずなのに、どうして出来ているなんて事になるのだろうか。

 それを千冬が聞くと、この間、入部書を持ってきた世嘉良の話しになった。

「あれで、何で?」
 あんな事で何故噂が立つのだろうか? それが意味が解らない千冬である。

 確かに話しはしたし、入部書を持ってきたと世嘉良は言った。ただ、逃げ回っていたのを見破られただけだったのだ。それがどうしてそうなるのか? と、千冬には意味が解らない。

 すると多保が言った。

「あの先生の事は、エスカレーター式で上がってきた生徒達なら、誰でも知ってるんだ。でね、ここからが問題。あの先生は自分から動くような人じゃないって事。つまりね、千冬にわざわざ入部書を持って来た時、あの先生は千冬にマーキングしただけでなくて、千冬は自分のモノだって見せつけた訳よ」

「マーキング……」
 確か、項にキスをされた時、その意味はマーキングだと世嘉良は言った。

「あっ……うん」

「どうした?」

「あの……同じような事、言われたと思い出して……」
 千冬は顔を真っ赤にしてそう答えた。

「へえ、そりゃマジだねぇ」
 幹太が言った。

「で、でも、どうして俺なの? だって俺何もしてないよっ!」
 どうして自分がマーキングされたり、マジに思われたりしなければならないのか。別 に世嘉良に何かした訳でもないし、いつもされてばかりなのだ。

「してなくても、一目惚れってあるでしょ。この天然君」
 岸本にそう言われて頭を小突かれた。

「一目惚れ……有り得ない……」  

「え?」 

「だって、あんなにカッコイイのに、女の人だって放っておかないはずだし、困っているわけじゃなさそうだし!」
 千冬は世嘉良について思った事を口にすると、幹太が口笛を吹いた。

「おおー誉めるね。まぁあの先生はカッコイイですよー」
 必死になっている千冬を岸本が茶化してくる。

「男同士なのに、おかしいよ……」
 千冬は声を震わせながらそう言っていた。

「別におかしくないさ。世の中にはそういう嗜好の奴だっているし、同性しか好きになれないのや、バイって言って、男でも女でもいけるのだっているんだよ。まぁ、千冬はこんな世界を知らなかっただけだよな。今、タレントでも多いじゃん、ね」

 幹太はそれこそ普段のふざけた様子から、真面目な顔をして言って退けたのだ。

 千冬はその時、ハッとした。幹太は多保の事をそういう意味で好きなわけで、それを千冬はおかしいと言って否定してしまったのだ。

「幹太……ごめん」
 千冬が小さくなって謝ると、幹太はふわりと笑って言った。

「いいんだ。それは千冬の考えだしね。でも、そういう人がこの世には何万人もいるって事覚えておいた方がいいよ。それに世嘉良先生のことも、男同士だからって頭から否定しないで考えてみるのもいいんじゃないかな?」

 同性の多保を好きだという幹太は解っているのだ。この事がそう簡単に認められる事ではないことを。
 その横で、多保が小さく溜息を吐いた。

 それに気が付いた千冬は、多保ももしかして同じ考えなのかもしれないと思った。

 多保が幹太の事を好きなのなら、千冬は二人の友達を否定した事になるのだ。
 そんな事で友達を失いたくない。そう思った。

 それには、まず幹太が言うように、そういう世界がある事を受け入れて、それから世嘉良のやってきた意味を考える方が、一歩前に進める感じがする。

 千冬はそう思って。

「うん、考える。だから、ごめんね」
 千冬はそう言って二人に謝っていた。

「いいんだよ」
 幹太はやはり寛大で、無理しなくていいってと笑って言った。

「まぁ、気持ち悪がるのも普通だから、千冬の反応は普通だよ」
 多保がそっぽを向いたままで、ボソリと呟いた。
 千冬がおかしいのではなく、そういう嗜好の人がまだ世の中ではおかしいと思われているのだからと言われた気がした。

 だが、この学校ではその普通ではない事を受け入れないといけない環境にある。千冬はそう思って、男同士だからという考えではいけないと思い始めていた。

 

16


 放課後。

 千冬は、スケッチブックの入った大きなバックを下げて、美術室へ向かった。

 その途中、外のグラウンドではサッカーや野球などの部活が活発に行われている。サッカーはランニングの途中で、野球部は何かストレッチなどをやっている。その裏にあるテニス部も活動をしているようだ。

 渡り廊下から見える光景を見て、この学園は結構運動が盛んなのだと解る。その運動面 にはまったく自信がない千冬には無縁な事だ。

 2つある体育館でも部活が行われているのだろう。それに柔道や空手などもあるような学校だ。とても進学校とは思えないくらいに部活が盛んなのだ。

 文系の部活は別館の方に部室を構えている事もあって、入学式に訪れた時のような静けさはなく、放課後なのに本館より賑わっていた。

 その賑やかさの中を千冬は美術室へと向かう。

 美術室は2階にあるので、階段を登ろうとした時だった。千冬はいきなり呼び止められたのだ。

「而摩(しま)くんだよね」
 と。

 その人は、写真部部室と書かれた部屋から出てきた所だったようだ。
 呼び止められて千冬は止まって振り返った。

「あ、はい……」
 どうしてこの人は自分を知っているのだろうと、千冬は不安になった。
 その千冬の不安を感じ取ったのか、相手はにこやかに話し掛けてきたのだ。

「あ、俺、2年の下水流(しもつる)ってものです」
 確かにネクタイを見れば、線は緑色だ。2年なのは間違いない。

「はぁ……」
 にこやかに挨拶をされても、千冬はなんて答えたらいいのか解らない。
 大体、写真部の人が一体何の用なのだろうか? と、千冬は首を傾げた。
 その千冬をじっと見ていた下水流はうーんといいながら言った。

「いやー、実物はほんと可愛いね。先生の気持ちが解ってきたよ」

 そういいながら、手で四角を作って、そこから覗いているのを見ると、どうやら写 真の被写体として見ているのだろう。何度も向きを変えて、繰り返している。これをどうしたらいいのか解らない千冬は、その場を動けずにいた。

 どうしよう、このまま無視していっちゃっていいのかな……?

 不審人物として認識し始めてしまって、千冬は困ってしまう。これが多保の言っていたオオカミではないだろうし、でも先輩を無視して行くのもどうかと思うのだ。

「あの……?」
 これ以上、何か用事があるのだろうかという意味で千冬は尋ねていた。
 すると、下水流はハッとして写真を撮る真似を止めた。

「ああ、ごめんね。被写体としていいと思ってね」

「はぁ……」

「いやー本当にもったいないな。本命がいると人気下がっちゃうし。でも絡みはありかなあ……」

 下水流(しもつる)は独り言のように呟いている。しかも何故か悔しそうだ。

 本命がいるって何なのか。何の人気なのかも、下水流が言っている事の半分も千冬には解っていなかった。

 この人何がしたいのだろう?と何度も思っていた。この場をどうにかする方法を思い付けなかった千冬に助け舟が出されたのは、それからすぐだった。

「孝晃(たかあき)! またそうやって下級生を捕まえて何やってんだ!」

 いきなり大きな声で後ろから怒鳴られ、千冬はびっくりして振り返った。

 そこには多保みたいな美人の上級生、2年のネクタイをした人物がツカツカと歩いてきていた。どうやら廊下の端で姿を確認して怒鳴ったらしい。

 下水流は、まったく動じた様子はなく、にこにことして言ったのである。

「よう、景(けい)」
 手を上げて、にこやかに景と呼んで、その人物を迎え入れる。

 景が傍までやってくると、千冬は景を見つめて少しホッとした。この人物は何故か安心出来る雰囲気を持っている。多保とは違った美人であるし、真面 目そうなのも目を惹いた。


 この学校って、男なのに美人が揃ってる……。
 などと、千冬はまったく関係ない事を思ってしまっていた。

「よう、じゃない。何やってんだって言ってるんだ」
 景がそう言うと、下水流はニヤニヤとして答える。

「浮気じゃねえよ」

「そんな事を聞いてるんじゃない」
 下水流(しもつる)の言葉に景はピシャリと言葉を告げる。こういうところを見ると、景の方が真面 目で上位にいるような感じがする千冬である。

「冗談、冗談。で、この子、誰だと思う?」

「その冗談にも乗れないな。で、誰?」
 いきなり廊下で捕まえた下級生が誰なのか、それは景にも気になる所らしい。じっと千冬を見つめている。

「これが噂の、而摩(しま)千冬くんでーす」
 下水流がそう言って、千冬を紹介した。

「え?」
 千冬と景が同時に声を出した。

 千冬は噂のと言われた事に対して驚いたのであって、景は千冬の事を噂のという意味で知っていて、その人物なのだと言われて驚いたらしい。
 紹介された千冬は不安そうに景を見つめ、景は驚いたままで千冬を見つめていた。

 そして、最初に笑顔になったのは景の方だった。

「俺は、上和野(うわの)景って言う。2年で写真部ね。よろしく」

「あ、1年の而摩千冬です。宜しくお願いします」
 何が宜しくなのか解らないが、千冬はそう言って自己紹介して頭を下げた。

「で、捕まえて何やってんだ?」
 千冬には笑顔を向けるが、下水流には何か疾しい事があるのだろうという視線を向けて景は言うのだった。

 どうやら助けを出してくれたらしい。それに千冬はホッとした。やはり見た目通 りの人物らしい。

「何ってそりゃ」

「そりゃ?」

「被写体にいいから、出来ればモデルをなんてお願いしようかなと考えてました」
 下水流は戯けたように言って、ニヤニヤとしている。何でもないかのように、千冬を引き止めた訳を言って退けたのだ。

 千冬はモデルと言われて驚いてしまった。自分を写真に撮りたいなんて言う人がいるなんて思いもしなかったからだ。

 そんなモデルだなんて……何考えてるんだろう……。
 千冬がそう戸惑った時だった。

「それは出来ない相談だな」
 と、いきなり声が降ってきた来たのだ。

 3人はびっくりして階段まで行き、上を見上げた。

 そこには、世嘉良(せかりょう)が下を覗き込んだまま立っていた。そして、ゆっくりと降りてくるのだ。その優雅さに千冬は目を奪われていた。

「げっ!!」
 世嘉良の姿を見つけた下水流は、カエルの潰れたような声を出して、ヤバイという顔をして一気に顔色を無くしていく。そして上和野の後ろに隠れたのだ。

 みっともないくらいの変わり身である。

 千冬はただ呆然としていた。

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