Distance
愛うらら
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暇だったので、千冬は部屋の中を見回していた。
一人暮らしの割には整っている部屋。それどころか、必要不可欠なものしか置いてないという感じがする部屋だ。
千冬の部屋のように、雑誌が転がってたり、新聞があったりとか、そうした雑然さがないのだ。
なんというか生活感があまりないと言った方がいいのか、モデルルームのような部屋と言った方がいいのか。
本当にここで生活を営んでいるのだろうかという部屋。昨日引っ越してきたと言っていた割には部屋はきちんと片付いているし、無駄 なものは一切無い。段ボールとかも見当たらない。
男の一人暮らしとは思えない感じだ。
でも、家具は結構いいモノみたいで、ソファは座り心地はいいし、テーブルもそれにあつらえていいものだ。下に敷かれているラグもかなりいいものだろう。ふわふわして足が冷たくなくていい。
千冬だったら、ここへ座る方が好きかもしれない。
TVは大型のもので、映画を観るにはいいだろうという大きさだし、オーディオセットも十分揃っている。その隣の本棚みたいなラックには、沢山のDVDが入っている。
映画好きなのだろうか?と、千冬は思って、そのDVDを見ると、最近流行の映画のDVDだったり、往年の懐かしい映画のDVDだったりする。
映画ばっかりだから、放映されたドラマのDVDとかは見つからなかった。どうらや映画好きという事は解った。
でも得られた情報はそれだけだ。
この部屋には何もないから、世嘉良(せかりょう)がどんなのが好きでいるのかが解らない。
もしかしたら、他の部屋には何か違うものが沢山あるか、段ボールの山が未だに残っているのかもしれない。
とりあえず、生活空間だけは揃えたと思ったら、なんだが千冬は可笑しくなってしまった。
こうして整えているという事は、訪ねてくる人はいるという訳で、だらしない所は見せないのが、世嘉良の性格なのかもしれない。
そういえば、世嘉良は美術教師だ。
もしかしたら、他の部屋はアトリエとして使われているかもしれない。なにせ、部屋は後2つはあるのだから。一つはクローゼットで、一つはアトリエで、一つは寝室と考えれば結構無駄 ではないのかもしれない。
しかし、この分譲ファミリータイプマンションに、男の一人暮らしはおかしいかもしれない。こうして当てはめていくと納得が行く部分もあるが、わざわざ分譲マンション、しかもファミリータイプを買う必要はないと思う。
お金持ちなのかな?
ふと、千冬は思った。
世嘉良の教師の給料では絶対にこのマンションは買えないと思うのだ。
値段は結構するし、高級取りだった義父がぽんっと買ったマンションだから、値段もそれなりに解っているつもりだ。だから、教師が住むようなマンションとは思えない。
色々と詮索したいことでもあるが、本人が言わない事を聞くのは、失礼にあたると思って千冬はそれは聞けなかった。
世嘉良がどんな環境を望んだにしろ、ここを選んだという事には何か意味があるはずなのだ。でも、それを詮索するのは失礼だし、自分が知ったところで納得して終わるだけなのだ。そんな事を聞いて、世嘉良の機嫌を損ねたくないと思ったのもあった。
それでも、どういう人なのだろう?という疑問は消えてくれない。
あんな冬の絵が描ける人なのに、何だか繊細さは感じない。どちらかと言えば、大雑把な感じがする。
大雑把な人の部屋を見れば、整っていて、やっぱ繊細なのかと思うが、あの世嘉良の様子を見ていると大雑把にしか思えないのである。
偏見なのかなあ?
そんな事を色々と考えていると、キッチンから声がかかった。
「ほら、出来たぞ」
世嘉良の声で千冬はハッと我に返る。
振り返ると、世嘉良は両手に皿を持っていて、それをダイニングのテーブルに置いている所だった。
考えに没頭している間に料理が出来てしまったようだ。
「こっち来いよ」
世嘉良にそう言われて、千冬はソファから立ち上がってダイニングへ行った。
テーブルには、しっかりとチャーハンとスープにサラダがあった。世嘉良は、コンビニで買っただろうお茶をコップに入れて置いてくれた。
すっかり用意が整っていた。
こんな物音にも気が付かずに自分の考えに没頭してたとは、千冬はなんか恥ずかしかった。自分だって料理が出来るのだから、スープくらい、皿を出すくらいの準備を手伝えたのではないかと思ったからだ。なんだか申し訳なかった。
そんな千冬の表情を読み取ったかのように、世嘉良が言った。
「なんか、俺の部屋は面白かったか?」
そう言われて、千冬はきょとんとした。
「え?」
「なんか、御機嫌だったり、考え込んだりしてたし。見てたのは俺の部屋だし?」
ニヤリとして世嘉良が言ったので、千冬はすっかり行動を見られていたのだと解って、恥ずかしくなって言い訳をしてしまった。
「あの、なんか、他人の部屋とか、あまり入った事なくて……なんか、珍しくて……」
昔から友達の家を訪ねるなんて事はなくて、行ったのは転校した中学の友達の部屋にいったくらいしかない。
独身男性の部屋なんかは、もちろん初めてだから珍しかったと正直に言うと、世嘉良はなるほどと納得してくれた。
「親戚の家とか行った事もなかった?」
そう聞かれて、千冬は一瞬黙ってしまった。
もちろん、一回もないのだ。
そんな千冬の表情を読み取った世嘉良は。
「すまん、忘れていい。さあ、とりあえず食べてくれ。味は保証するぞ。店から習ったレシピだからな」
世嘉良は話しを切ってくれた。千冬はそれにホッとした。
答えたくない事に答えなくて良かったからだ。
それが世嘉良の優しさなのだと、この時思った。ありがたかった。
千冬は世嘉良に勧められるまま、椅子に座った。
「いただきます」
そう言ってから、チャーハンに手を付けた。
一口、口へ運ぶと、しみてきた味に目を丸くした。
本当に世嘉良が言った通りにチャーハンは絶品だったのだ。
「美味しいです!」
お世辞でもなく、千冬は目を輝かせて、世嘉良に向かって満面の笑顔を向けて言った。 味に感激して、千冬はチャーハンに夢中になった。途中で飲んだスープも美味しくて、信じられないと思った。自分でもこんな美味しいチャーハンは作れないからだ。
それに満足したのか、世嘉良はふわりと笑った。
それが今まで人をなめたような笑顔ではなくて、千冬はドキリとしてしまう。
そう、世嘉良はこういう表情を時々、ほんの一瞬するのだ。
そんな顔をされてしまうと、千冬は何故か世嘉良を意識してしまうのだ。こういう顔も出来るんだ、いつもそうやって笑ってくれればいいのに…と思ってしまうのだ。
それが自分だけに向けられるものならば、どれだけいいだろうか。
その優しい笑顔が消えてしまうのが怖かった。
「本当に旨そうに食うなぁ。作った甲斐があったな」
今度はニヤリとして世嘉良は笑った。
やっぱり、あのふわりとした笑顔は一瞬でしかないのだ。
まるで餌付けされたような気がして、千冬はムッとしてしまう。
「だって、美味しいから……」
千冬はスプーンを口にくわえて、ジロリと世嘉良を睨んだ。
だが、世嘉良は意に介したようでなく、さらっと言ってのけた。
「褒められると、嬉しいな。また今度も作ってやるよ。材料が揃ってりゃ結構なもんだぜ」
世嘉良はそう言って、自分の料理の腕の自慢をした。
そして、世嘉良は自分が食べ終わった皿を片付けていくので、千冬は慌てて、チャーハンを食べる事に専念した。
千冬には、久しぶりに他人が作った料理で、しかも最高に美味しいのは、嬉しい出来事だったのだ。
ただ、世嘉良が何故、いきなりこんな行動に出たのかが、まだ理解出来てなかったのだが、それはのちのち解る事だった。
9
チャーハンを大急ぎで食べ終えた千冬は、手を合わせて。
「ごちそうさまでした」
と言った。
それを見ていた世嘉良(せかりょう)が意外そうな顔をして千冬を見ていた。
「な、なんですか?」
千冬が世嘉良を見上げると、世嘉良はクスリと笑って。
「行儀がいいことで、と思ってな。なんか千冬らしいって感じ」
と、意味不明な事を言った。
千冬らしいってなんだろうと、千冬は思った。
千冬は一人の時もちゃんとごちそうさまは言うし、ちゃんと「いただきます」も言ったはずだ。自分で作っても、この材料を作ってくれた人への感謝だと母親が常にいっていたから習慣になっているのだ。
それを指摘されても、行儀がいいとは思えなかったのだ。
「普通、いいませんか?」
千冬が疑問を投げかけると、世嘉良は驚いた顔をしていた。どうやら意外だったらしい。
「いや……言わなかったよーな、言ってたよーな感じだな。今時の子は言わないんじゃないかと思っただけだよ。悪い事じゃないから」
どうやら、世嘉良の記憶は曖昧らしい。それに今どきの子は言わないのは、普通 なのかと千冬の方が驚いてしまったくらいだ。
そうなのか……でも多保とか幹太は言ってたよーな……。
今日、マックであった事を思い出すと、二人とも言っていた。あれはやはり行儀がいいというのだろうか。
「でも、多保とか幹太は言ってたから、普通だと思うけど……」
千冬がそう言うと、世嘉良はその名前を聞いて首を傾げた。
「前鹿川多保? 後生川幹太?」
「ええ、そうですけど」
しっかり生徒の名前を言う世嘉良に、千冬は驚いた。
世嘉良は高校の美術教師なのに、何故、二人の名前をフルネームでしかも知っているように言えたのだろうか?
千冬が不思議そうな顔をしていると、世嘉良は、コーヒーメーカーで入れたコーヒーを持って、リビングへ行った。
そして引き返してくる時に、その疑問に答えてくれた。
「あの二人は、中学の頃から有名だからな。それで名前を顔は知ってる。それに中学の授業にも出たこともあるし、一応、顔見知りだな」
「そう、なんですか……ふーん」
それでも顔を知っているとは、世嘉良は顔が広いと言っていいのだろう。
高校の教師が中学の授業を見るという事もあまりないかもしれないが、このエスカレーター式の学校では普通 なのかもしれない。
そういう事もあるのだろう。でも、二人と顔見知りとは驚いたことだ。
「多保とか幹太とかと顔見知りなんですね。なんか、凄い偶然……」
千冬は本当に驚いていた。
「二人と同じクラスになったのか?」
「ええ、そうなんです。話し掛けてくれたのも二人で。あと、岸本って人も一緒で、今日は帰りに少し遊んできました」
千冬は少しはしゃいでいた。せっかく出来た友達だから、それを誰かに話したかったのだ。でも、両親はまだ仕事だし、話せるのは明日になりそうだった。
誰かにこう話せることは、何か嬉しい感じがする。
そう言えば、世嘉良とも今日出会ったばかりの人だ。
こんな嬉しい偶然が続くとは思わなかった。
本当に今日はいい日だと思う。
「へぇ、あいつらと友達なら、教室では大丈夫だな」
世嘉良がそう呟いたが、その呟きは考え事をしていた千冬には聴こえてなかった。
自分がどれだけ危険な場所にいるのか、千冬はまだ理解していないようだ。それが世嘉良を急かさせる。誰かに何かされる前に、自分が……と思ってしまうのだ。
無邪気に喜んでいる千冬に、どうやってオオカミの説明をすればいいのか、それを教える事が出来るのか、世嘉良は悩んでしまう。
ここまで純粋に人を信用するような千冬に、人をみたらオオカミと疑えとは言えないし、言ったところで理解していないと意味がないような気がするのだ。
まぁ、写真部伝いに、一応は牽制して置いたから、何かリアクションは簡単にはないだろう。
それにまだ入学したばかりだ。さっそく行動に移すせっかちな生徒もいないだろう。
そう考えて、世嘉良は食事の後片付けを続行する事にした。
千冬の食べ終わった皿を取ろうとした瞬間、千冬が我に返ったようだった。
「あ、あの、手伝います」
千冬はそう言って立ち上がった。
料理までしてもらって、後片付けもしないなんて図々しさは千冬にはなかった。
それに自分ではちゃんと後片付けをしているのだから、出来る事なのだ。食事のお礼を兼ねて、ちゃんと手伝いをした方がいいに決まっている。
千冬がそう申し出ると、世嘉良は少し意外そうな顔をしたが、破顔して笑った。
「そうか? やってくれるか。後片付けは苦手なんだ」
世嘉良の笑顔に、思わず千冬はまたドキリとしてしまう。
本当に色んな顔を持っている人だと思う。
こんなに色んな顔が見られるのが何故か嬉しいと感じてしまう千冬。
「はい。家でもやってる事ですし、ごちそうになって何もしないなんて、やっぱそれは出来ませんから」
千冬はそう言うと、さっと腕まくりをして、残っている食器をキッチンのシンクへ運んだ。ここのシンクは千冬の家と変わらない。使い方も解るし、世嘉良も苦手と言いながらも、きちんと整頓しているようだ。
さっとお湯を出して、皿を一通りお湯に通して、スポンジを取ると洗剤を付けて、皿を綺麗に磨いていく。
これはもう慣れたことだ。母親に教えられたことではない。自然に身体が覚えてしまった事で、千冬にとってはなんの支障にもなりはしない出来事だ。
ただ、二人分という食器が、何故か心を暖める。こんなのは久しぶりだったからだ。
両親は共働きだし、食事の用意も後片付けも千冬がやってきた。自然にそうなってしまった事だけれど、義父は不憫に思っていたらしい。
母子家庭だった千冬にとっては当たり前の出来事が、義父には当然ではなかったのだ。
そっちの方が驚きで、義父に言われて母親もやるようになったくらいだ。元々母親も料理は得意な方で、短い間だったが、教えて貰ったりもした。
それでも長く家事を離れていた母親よりは、千冬の方が料理の腕前はいい。家事に関しても母親より把握しているくらいなのだ。
それでもそれを辛いとは思った事はなかった。自分がちゃんと家族として役に立っているという事が千冬を不安から遠のかせていたからだ。
さっと手慣れた手付きで皿を洗っていると、後ろから見ていた世嘉良が呟くように言った。
「なんか、幼妻って感じかな……」
その呟きを聞いた千冬は、驚いて振り返ってしまった。
一体何を言っているんだろうと思ったのだ。
幼妻って、何? どういう意味で言ったのだろうか?
そう不思議に思ったからだ。
すると、世嘉良はすっと千冬に後ろから抱きついてきたのだ。
え……?
一体何?
と、戸惑ってしまう千冬。
さっきの言葉と行動の意味が解らない。
世嘉良は時々、訳解らない事を言うから、今度のも千冬には理解出来ない事なのかもしれない。
その世嘉良は、千冬の首筋に顔を埋める恰好で抱きついたままだ。
何も言葉は発しない。
「なんですか?」
千冬が声をかけてみるが、見事に無視をされてしまった。
ぎゅっと抱き締める腕は、そうきつくはなく、優しい感じだ。
世嘉良は何も言うでもなく、ただそうやって千冬に抱きついているだけだ。
何かさっきの言葉には意味があったのだろうかと、千冬は考えてしまう。
誰か、こうやって抱き締めていた世嘉良がいたのだろうか?
それとも幼妻というのがキーワードなのだろうか?
どっちも世嘉良の事を殆ど知らない千冬には解けない答えである。
とにかく、離れて貰わないと洗い物が出来ない。
でも、この腕が気持ちよくて、千冬は無理に離すのは嫌だった。誰かと勘違いしていてもいいから、今はこのままでいいかと、千冬は洗い物を再開した。
まあ、このままでも十分洗い物が出来るくらいに、世嘉良の腕は優しく包んでくれている感じだったからだ。
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