Agnus Dei4
1
それは冬休みの僅かな休みの旅行だった。
試験が終わり、十二月の二週目には休みに突入した栗花落智(つゆり とも)は、バイトも休みを取って旅行に参加した。
旅行は智の恋人である宇賀神直人(うがじん なおと)たちがゼミで行っている研究の一つ、古代の神についてをある村で調べる研究旅行に参加したのだ。
この旅行自体は廃村になっていた神来社(からいと)村に残っている資料を持ち帰るのが目的だった。
廃村の資料庫を持っていた元村人の息子が偶然ゼミの教授と知り合い、真神(まかみ)についての資料を売ってくれると言ったのだ。
真神とは古来の神、大口真神(おおくちのまかみ)のことだ。
智はその神については詳しくないので話半分で聞いていたが、真神とはオオカミの神格化であると聞いて興味を持ったのだった。
犬が大好きで、特に昔生まれた時から家にいたハスキーと一緒に育った。けれどそのハスキーは智が高校三年の冬に老衰で死んだのだ。それから犬を飼ってはいないけれど、調べるものがオオカミについてなら少しは興味があった。
しかし今回は二束三文にもならない村の家から出た資料であるが、それでも教授は身銭を切って五十万出して全ての資料を買い取ったという。
ただそこに行って荷物を持って帰るのには人手が必要だった。
まず家に入って資料から真神に付いての資料をより分ける作業が必要で、完全な素人では資料の区分けができない。なのでゼミの学生が詳しい人が多いので雇われたわけだ。
ちょうどその村の屋敷を貸してくれる代わりに、村にある自然温泉を自由に使っていいと言われ、それならキャンプがてらの旅行にしようとゼミで盛り上がったのだという。
そして噂を聞いた人たちがゼミの旅行に勝手に参加してしまい、気付いたら十人ほどが旅行に同行することになってしまった。
そのお陰で少し大きなバスをチャーターして行くことになったのである。
「マジで人呼びすぎ」
まず計画がドンドン大きくなるのにつれてやっと人数調整をし、参加者からお金を取ってバスをチャーターする羽目になった幹事にされた直人は、智の隣で頭を抱えていた。
「良く言うよ、最初に部外者の栗花落を呼んだの、直人じゃんか」
周りから最初に部外者を呼んで勝手に許可を取ったのは直人なので、発端が文句を言ってもお前が言うなというところだった。
「あははは、直人ってば」
「けどさ、あいつらタダで乗り込もうとしていたんだぞ。やっと全員説得して一万円出させるのにも苦労したんだからな!」
「まあ、そのお陰でゼミ五人のところ、参加者五十人くらいになりそうなところ十人に減ったしな」
「だから無作為に呼びすぎだって言うんだよ」
ワイワイとしながらバスで村を目指している間、周りは今回の騒動を笑い話にしようとした。
幸い、旅行好きとアウトドアが得意な人が選ばれたので資料を探す手伝い以外は料理や掃除、露天風呂の汚れを取ったりする管理の仕事を任せられたのだ。
五人がゼミの人間で残りはその友達ばかりになった。
神来社村には電車で一時間、バスで三時間かかる山奥にある。
只管山道をうねうねと曲がりながら登り、そして下っていくを繰り返す。二時間を過ぎた辺りで全員が寝てしまい、智は直人の隣で山を眺めて一人眠れないのを悔しがった。
山深くであるから周りは大きな木ばかりで下を覗けば崖下である。幸い、山の大きな木を伐採して運ぶ道が舗装されていて綺麗だったので村までは割と一本道でも大丈夫だった。
冬は山の仕事も休みで、対向車に合うことすらもなかった。
そんな山を見ていたところ、ふと崖下を見た時だった。
大きな犬のような集団がいるのが見えた。
「え……野良犬?」
それはすぐに視界から消えてしまったけれど、明らかに犬の集団だったと思う。
それから気をつけて崖下を見ていたら、結構な頻度で野良犬を見かけた。
(なんだ……この山、犬が多いのか?)
智は少し不安になった。
この先に人が住んでいる村はない。
途中に伐採した木を詰んだ広場があり、その側にプレハブが建っている程度だ。
犬の話は全然説明されなかったなと思い、思い切って智は運転手に聞いてみた。
「あの、ここって野良犬が多いんですか?」
智が話しかけたところ、運転手の森島という人は言った。
「山奥で道がしっかりしているから時々大きくなりすぎた犬を捨てにくる人もいるらしいから、そういう犬が住み着いているのかもね」
「そうなんですか……」
「まあ、村には犬は入らんよ」
「え?」
急に森島がそう言うので智は驚いた。
どういう意味だろうと聞き返したら、森島は言った。
「神来社の村は真神のエリアだから、真神を恐れて犬は住めないんだよ。怯えるんだってさ。だからあの村で犬を飼ってる人は一人もいなかったんだよ。牛とか鶏みたいな家畜は大丈夫だったみたいだけど、犬猫は駄目だったって聞いたけどね」
「へえ、不思議な話ですね」
変わった言い伝えがあるものだと思っていたら、その村の入り口にバスは辿り着いた。
「ほら、村に到着だ。入り口にしか広場はないから、ここでバスは降りて貰うよ」
そう森島が言うので智は頷いて直人を起こした。
「おーい、村に着いたよ」
智が直人を起こすとその声に周りも車の振動がなくなったので起き始めていた。
全員が荷物を持ち、眠い目を擦りながらバスから降り、荷物入れからキャンプ用品などを取り出した。
寝袋などは各自は用意したのでその荷物は自分で持ち、食べ物などを入れた箱を何箱も降ろした。
もし何かあった場合にと一人がレンタカーを頼んでくれて、それには他の食べ物を沢山積んだままで待ち合わせの泊まれる民家まで三回往復で荷物を運んだ。
「他の人は歩いて民家までいくよ」
「おおー」
重い荷物を運ぶ男子が二人残り、他の者は歩いて民家に向かった。
村は小さな家が幾つか並んでいるけれど、一軒一軒が遠い作りだった。
村の真ん中に大きな車二台がギリギリですれ違える道路があり、そこから伸びた道の先に家があり、家の前には田んぼと畑が並んでいる。どうやら家の前にあるのがその家の農作物を扱うスペースのようで、山の上にあるからか日当たりは良かった。
「へえ、面白いね」
都会に住んでいる人にとっては田舎は珍しいものであるが、こんな山奥に来るのは全員が初めてでその様子が全部面白いものだった。
「街まで遠いくらいで、住みやすそうではあるよね」
「そうだな。ここも高齢化のせいで廃村になったって聞いたから、あの道を通えるなら今時の田舎暮らしとかしたい人にはいいのかもな」
直人はさほど興味はなさそうにそう言い、智はここで暮らすのはありだなと思った。
というのも、智の祖母達が住んでいた場所がこういう限界集落で、入院するまでそこで暮らしていた。そして何度もそこに泊まりに行き、飼い犬のレイも連れてよく遊んだのを思い出したのだ。
(住んでいいなら住みたいな)
などと思ったがここでは犬は飼えないのを思い出した。
真神の影響だと言っていたけれど、言い伝え通りなら智の友達は連れてこれないわけだ。
(残念だな~)
車で三時間なら耐えられそうで良さそうと思うくらいに住みやすそうだった。
村にある民家も何処も崩れていなかったし、村の管理はちゃんとされているのか、道も綺麗だった。
そして畑や田んぼも草などが生えているわけではない。草も刈り取られている。
「まだ手入れしてる人、いるんだね」
五件目を過ぎた辺りで見間違いでも勘違いでもなく、手入れされていることに気付いて智が言うと直人も頷いた。
「温泉があるし、村の人も時々来てるのかもな」
「あっそか、温泉あるんだよね。じゃあ元村人の関係者とか泊まりで来るのかもね」
「まあ、今は電気も今日止まる民家以外止まってるらしいから、他の家は荒れてるだろうけど」
そう言われてなるほどと智は頷いた。
歩いて十分ほどで泊まれる民家に到着をした。
そこは大きな地主の持ち家で、今でも墓参りや温泉などを使う村人のために電気を通してあるのだという。
「やあ、いらっしゃい」
村の管理をしている高見という人が民家の前で待っていてくれた。
「こんにちはー」
全員で挨拶をすると、高見は全員に家に入るように言った。
「十人だっけ、大所帯は久しぶりだよ。部屋は二つにしか分けられないけれど、南棟、北棟になるよ。間にトイレがある。風呂もあるけどそこは使ってないからここから三分離れてる温泉場に行くしかないよ」
そう言われて南棟に通された。
雑魚寝が出来る二十畳の大きな部屋になっていた。
「君たちは寝袋持ってきてくれたんだよね。布団は足りないから助かるよ」
案内の高見はホッとしたように寝袋を置く学生達を見ている。
荷物はそこに置いておき、案内に従って入り口の大広間に戻る。
そこには大きな囲炉裏があり、すでに火が入っている。奥には台所があり、そこで二人がさっそくご飯を作る準備をしている。大きな荷物は残りの男子が運んできて、それを台所に入れていた。
「それで資料のある民家に案内をするけれど、行く人は道を覚えて貰うから全員付いてきて」
高見の言葉に従って、ゼミの五人とそれを手伝う智が一緒について行くことになった。
智も全員と知り合いではないので詳しい繋がりは分からないけれど、直人とは全員が知り合いのようだった。
そんな智と直人は大学に入って知り合った。
一人で食堂にいたときに隣に座ったのが直人だった。たまたま教科書を広げていたため、それが直人に見えたのだ。
「へえ、獣医になりたいの?」
そう言われたのが初めて話しかけられた言葉だった。
「え、あ、なりたいけど、親に反対されて……それで独学で大学出たらしようかなと」
獣医になるためには大学に入り直さないといけないわけだが、智は社会に出てお金を貯めてから習い直そうと考えていた。
家の事情で我が儘は言えず、仕方ないからこの大学に通っている。
将来は役所に入って安泰を選べと言われていて、それがとても嫌だった頃だ。
「偉いなお前。自分でやりたいこと決まってるのは凄いよ。俺なんか趣味で神様とか調べるのが好きだからっていうだけで、考古学とか選んでるからな。将来的にめっちゃ不安定なわけよ」
そう言って直人は笑った。
それから食堂で会うごとに喋っていたらいつの間にか付き合うことになっていた。
直人はゲイであることを早々に打ち明け、それに智は偏見は無かった。
しかし打算もあった。
これで親の言うことを聞かなくてもよくなるかもしれないという社会からはみ出たらきっとこれ以上束縛はされないかもしれないという期待だった。
けれどそれは大学を出るまで秘密にしておくことなので、直人とはいい友達関係のまま体の関係はない。
直人は智と一緒にいるだけで楽しいと言ってくれるのでそれに甘えている形になっている。
今回の旅行も二人だと怪しまれるけれどゼミの友達と一緒なら智の両親も文句は言わなかったのだ。
けれど帰ったら正月まで家に戻らないといけないので、年越しや正月は一緒に過ごせないままになる。
今大学三回生なので来年は就職活動が始まる。
忙しくなるけれど、智はやっと決意をして就職先はもう選んでいる。
働きながら獣医を目指せる専門学校があり、そこを目指すのだ。
そう未来は明るいと智は思っていた。
「それじゃ、付いてきてください」
案内の高見によって資料のある民家に歩いて十分かかった。
かなり山の中にあって、周りは大きな木々に囲まれている。
村の中心部とは離れた場所にあり、隠れるように家が建っていた。
「なんか、隠れてる感じだね」
そう智が感想を言うと、高見が微笑んだ。
「そうだよ。この家は学者さんの家でね。時折変わった実験をするから周りに迷惑をかけないように離れたところに家を建てたらしい。その後は普通の家族が住んでいたから、村の中に家を建てたらしいけど、ここには色んな資料があるので気をつけてください」
全員がはーいと返事をして家の中に入って行く。
入り口で渋滞してしまったので智は周りを見回した。
森の中ではあるので少々木々が育ちすぎ、家が暗いのが気になるところだった。
すると少し離れた場所に智は犬らしい姿を見つけた。
「……」
犬がいる。
はっきりと捕らえたものは犬というよりは大きなオオカミのような姿をしていた。
遠目でも大きいと分かるくらいの大きさだったので驚いたが智は声を出さなかった。
あれがオオカミの訳はなかった。
この山にはオオカミは棲んでいなかった。
昔はいたそうだが絶滅をしてしまったのでいるわけもなかった。
ならばあれは犬なのだろうが、野犬ならば大きな声を出すのは違うだろう。
そう思っていたら直人に声を掛けられた。
「智、入るよ」
「あ、うん……」
直人が入り口で呼んで先に中に入っていった。
智はもう一度さっきの犬がいた場所を振り返ったけれど、そこにはすでに犬はいなくなっていた。
あれは確かに犬だったかもしれないが、見間違いかもしれない。
そう思ったのでこのことは後で野犬がいると皆に注意すればいいかと思ってこの時は誰にも言わなかった。
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