Agnus Dei3

8

 匡季と陽大は陽大が買ったマンションに引っ越した。
そこに住み始めると陽大は様々な日本人としての資格を色んな方法を使って手に入れた。
 深く追求された時に困らないように父親の戸籍すら弄ってきたほどで、自分の生まれも作って学歴も用意してきた。ただ不登校だったという経歴だけだったので中卒で学歴は終わっていた。
 その後はどうとでも言い訳はできるわけで、陽大は真っ当なお金を稼ぐために株取引などを始めていた。
 もちろんその投資金はどっかの洗浄中の資産をかすめ取ったものばかりである。
 そしてそこから一年で資産を三十倍に伸ばし、預金の利子だけで暮らせるくらいには預金額を増やしていた。
 その間、匡季は大学へ普通に通い、秋澄とは別れた状態になった。
 村でとんでもないことが起こっているとは匡季は知らないので、秋澄が休みが明けても戻ってこず、大学も休学していることを知ったのは、自分が卒業をした後だった。
「へえ、あいつ休学になってたんだ?」
 それに驚いたのは葉山だった。
 あの夏休みに早く匡季が戻ってきたことも知らなかったが、それでも秋澄が大学に出てこないことを不思議に思っていた。それでも匡季が別れを切り出したかして、拗ねて村から戻ってこないだけと思っていたようで、それを葉山に言われた時には少し笑ってしまう匡季だった。
「僕はまだ別れは切り出してないけれど、ここまで音信不通になればまあ自然消滅だよねって。あいつが今何をしているのかさえ、僕は知らないし。休学なのはたまたま教授に話を聞いただけ」
 街であった教授が思い出したように秋澄が大学に復帰する話をしてきたのだ。
 でも匡季はすでに秋澄とは縁も切れていたので素っ気なく返したら、あんなに仲が良かったのに事情も知らないのかと驚かれたのだ。
 もちろん付き合っているなんて知らない教授には夏休み以降会っていないことや連絡すら取り合ってないのだと告げると、それどころではなかっただろうから仕方ないかねと言われた。
「両親が亡くなったらしくてね。それでそれどころではなかったって聞いたよ」
「ああー……そういうこと。でも死ぬような年齢だったっけ?」
 葉山はそう気にしているがその通りである。
「いや事故死らしい。村で祭りがあった時に地震があったんだけど、その時に落石があって、祭りで集まっていた人が結構やられちゃったらしいんだ」
 あの祭り前夜祭の日に落石事故が起き、そこで村人十名ほどが巻き込まれて死んだ。
 遺体は見るも無惨だったらしく、医者がさっさと落石による死去と死亡診断書を出して、村では合同で葬儀も行われたらしい。
 その後、村ではその地震のせいで崩れた現場を片付けていた村人が何人か亡くなっていたり、病死したりと死人が沢山出たというのだ。
「そりゃ、戻ってこれるわけないな」
「うん。だから連絡が来ないのも当然っていうね。まあ、僕も環境が変わったから、これを機会にお互いね」
 匡季はそんなことをしている場合ではなかったと言う。
「ああ、お兄さん生きてて偶然見つかったんだよな。あの人面白いから好きだし、経済教授に話し聞くよりあの人の言う通りにした方が儲かるから俺はあの人好きだけどな」
葉山はそう言って陽大のことを褒めた。
 あの後、夏休み中に匡季は陽大のマンションに引っ越した。
 もちろんすぐに葉山に話したわけでは無く、ある程度下準備が出来たところで葉山には話した。
 急に父親と別れた女性との間に子供がいて、それが陽大だったという設定だ。
 陽大は匡季のことは知らずに育ったが、父親を探して匡季に辿り着いたというのが今回の出会いである。
 そして二人は血の繋がりがないことも分かっていた。
 戸籍上は認知されている同士なので兄弟になるかもしれないが、匡季の父親は別にいる。育ててくれた父親と母親が出会う前に、母親は匡季を産んでいたから結婚して初めて養子縁組をしたためだ。
 だから血の繋がりがない。
 繋がりがないからこそ、生まれるものがある。
 陽大が匡季に惚れて、秋澄のことで色々あった匡季が流され、二人は一緒に住むことになって恋仲になっているというのが葉山に告げたことだった。
「陽大も葉山のことは可愛がってるもんな。あ、そうだ。真北の株って買ってるかと聞かれたんだけど、買ってもいいらしいけど、どう?」
「マジで、買う速攻買うわ」
 葉山はそう言うとスマホで株を購入している。
 基本的に陽大は株価の流れが読めるのか、どの株を買うといいのか分かる時があるらしい。今は散々儲けたので一旦引退しているけれど、葉山には時々お勧めを言えるくらいには相場は把握しているようだった。
 あの物の怪である不可思議様は、妖術以上のものが見えるようで時々不思議なことを言う。それには匡季が一切興味を示さないので陽大は時々葉山に助言を降ろして満足しているようだった。
 匡季としてはあの秋澄と別れられて、陽大と住み始めてから暮らしもそうであるが、セックスの面や精神面が安定してくれたお陰で、体調もよくなり夏バテもしなくなったくらいである。
 セックスの時間の長さで体が鍛えられるせいか、セックスでも疲れない体になったら調子も上がったのだ。けれどこれは匡季が人ではなくなってしまったことで解消されたことなのかもしれない。
 それでもその人ではなくなったことで得られるものは何なのかは分からないけれど、いつかは葉山の前からも姿を消さなければならないのかもしれないと思うと、少しだけ匡季は寂しさを感じるくらいだ。
 それでもずっと一緒にいてくれる誰かがいる。そしてその相手は最強に強い神様であるならば、匡季はもう誰かを失ったりしなくてよいわけだ。
 ずっと幸せは逃げていくものだと思っていたのに、ここに来て神様と繋がったことで匡季はその過去の不幸から解き放たれていた。
「でも秋澄のやろうが戻ってきたら、また面倒くさそうだと思うんだけどさ」
「まあ、今更連絡取るような間柄でもないだろうし、向こうはこっちの連絡先知らないと思うから」
「ああ、大学時代の連絡先、卒業と同時に携帯買い換えて番号も変えたんだっけ?」
「そう、葉山と陽大しか僕の連絡先入ってないよ」
「あはははは、面白いわそれ」
 冗談だと葉山は思っているようだが、本当に葉山しか友達は連絡先を教えていない。
 大学時代は地雷として避けられていたから元々友達はいないし、高校から東京に引っ越した時に家も処分したので実家に帰ることもない。つまり繋がりを持っている人はいないのである。
 今はそれが功を奏しており、深く陽大の存在に突っ込めるほど匡季たちを知っている人に出会わないで済んでいる。
 深く詮索されないので、仕事でも疑われることもなくなった。
 長年離れて暮らしていた兄と住んでいると言うと、家に来たがった人はいなくなったし、匡季と付き合いたい男は皆、陽大の存在を見つけては引っ込んでくれた。
 不可思議様の巫覡としての匡季は、それまで引き寄せていた男達をさらに引き寄せることになり、絶えず交際を申し込まれるけれど陽大の存在を匂わすと察して消えてくれるようになった。
 兄と言っているが実は……と察してくれるわけだ。
 戸籍上の兄と言っても昨今は色んな繋がりがあるわけで、男同士の恋人だった場合、都合で戸籍を同じにすることもあるわけだ。
 もちろん結婚式をするわけでもないので戸籍が繋がっていても体の関係になったところで問題はない。この方が入院や何かあった時に連絡が来やすいことや付き添えることで問題が解消することもあるからだ。
 もちろん葉山も匡季の幸せそうな顔を見ていたら、これはそういうことなのだろうと察してくれた一人である。
 そしてそんな葉山が唯一の友人であると知った陽大は味方にした方がいいと判断したのか、葉山には良いようにしてくれている。
 葉山は地方の権力者の息子であるが次男であるため、地盤は引き継がないらしいが、将来は地元に戻ってしまうという。何でも結婚を約束している女性がいるそうで、お互いに二十代は自由に仕事をして、三十代で結婚しようと約束しているというから気長な恋愛である。
 そんな時に匡季のスマホが鳴った。
 しかしパッと画面を見た匡季はその鳴っているスマホには出ない。
「なんだどうした? でないでいいのか?」
「あー……実はこの間から無言電話されてる」
 そう匡季が言うと葉山はああっと察したように言った。
「三回拒否したんだけど、違う番号でかけてきて無言されるから知らない番号からは出ないことにしている。三回拒否しても番号変えてくるから、面倒になってね」
「秋澄だろうな。無言って事は別れを受け入れられないか、何か企んでいるか」
「そう思ったから、ちょっと大学時代の葉山以外で秋澄に近かった成田って人に探りを入れてるけど、連絡が行き着かないっぽいからこの人から色々漏れていそうで」
 匡季が秋澄と別れた形になり、新しい男と住み始めたことは調べればすぐに分かることだった。だから匡季は隠してないけれど、秋澄がこの成田から色々吹き込まれたうえで電話をかけてきているなら、あまり刺激はしない方がいいかもしれないと匡季は思っている。
「それで、陽大さんはなんて?」
「直接会って話しようかって言ってる。でも会うと言っても確証がない以上、言い逃れされるから」
 実は電話の相手は秋澄で確定している。
 陽大の力を使えば電話の相手が誰なのかすぐに調べなくても陽大が分かってしまうのだ。妖術の一種で呪文をかけて喋らせることも出来るわけで、その妖術で秋澄だと分かった。
 けれど問題はそこからだった。
 妖術を使っていろいろを喋らそうとした瞬間、その妖術を遮る何かに陽大の力が跳ね返されたのだ。
 何でそうなったのか陽大にも分からないけれど、それ以降無言電話が掛かってくるだけで妖術で何か知ろうとすると跳ね返される羽目になっている。
 陽大曰く。
「何か結界に近いものを身につけているか、持っているか、肌に刻んでいるかのどれかだろう。それで俺の妖術に反応するということは祭りの日に何かあったな。身代わりが暴れたか、生け贄を得て俺の手を離れたかのどれかだろう」
「生け贄を得たら、陽大の手を離れるわけ?」
「力を得るからな。まさか本当に生け贄を添えるとは思わなかったぞ。過去は一度も生け贄は添えられなかったからな」
 陽大が地下で眠っている間、生け贄の儀式はあったが、本当に生け贄は捧げられたことはないのだという。いつも殺してから投げ入れられていたからだ。それはただの死体で生け贄とは言わないということらしい。
 そもそも陽大は神時代から生け贄を必要としたことはなく、迷い込んだ人すらも親切に洞窟から出してやったり、関わりにならないようにしていたという。
 なので番であった匡季以外を自分の元に呼んだりしたことはない。
 ただ一度だけ、触れて欲しいと言う奇っ怪な巫女がいて触れたことはあるらしい。
 いわゆる巫女で無ければ普通に暮らせたという女性に穢れに触れたという形にしてほしかったらしいが、かと言って村の者も恨んでいる。もう神に縋るしかないと言われてしまい、ならばと触れたらしい。
 それによって巫女は去ったらしいが、それがいつ頃の話なのか、時間の概念が色々ぶっ飛んでいる不可思議様には判別はできないらしい。
「陽大さんに任せた方がいいってわけか」
「うん、でも相手も分かってるのかスマホを持ち替えても確実に僕の方のスマホに掛けてくるくらいにはしつこい感じ」
「見張られているのか。この後大丈夫か?」
「ああ、人のいるところとか明るいところで接触されたことはないんだ。夜はさすがに怖くて出歩かないようにしているし、タクシー使ってるから」
 匡季の仕事は弁護士たちの身の回りの雑用をする仕事で、お茶を出したり、書類を清書したりするくらいだ。こんな簡単な仕事になったのは陽大が用意した仕事だったからだ。
 陽大は一年で知り合いを増やし、地位拡大をはかったお陰で弁護士先生とも知り合いになっていた。そこで匡季を雇ってくれないかと頼んでくれて、そのままお茶汲みとして居座っている。
 他の仕事では少し穴を開けそうだったことと、陽大が操れる弁護士という妖術が効く相手だったので融通が利くという便利さがあったようだ。
 さすがに仕事をしないのでは匡季もやることがないのは困ると言ったら用意したところならいいと言われた。
 これもきっと束縛なのだろうが、匡季は素直にそれを受け入れていた。
 匡季は弁護士資格を取ろうと思っていたけれど、陽大のことがあって以来目指すものを諦めたのだ。
 人ではないモノである以上、あまり表だった仕事には就かない方がいいという規制が働いてしまっていたからだ。
 むしろコンビニバイトでもカフェの店員などでもいいかもしれない。その方が入れ替り立ち替りできっと誰も覚えないだろう。けれど、大学を出てすぐにそれでは少し亡くなった父親に申し訳が立たない気がして、辛うじて許可された範囲でいい方の仕事に就いた。
 会社員になるには就職活動もあったわけだが、その期間、陽大とのセックスに明け暮れてしまった匡季には深く反省する部分もあるわけである。
 その一年後に再会もしていない元恋人、阿僧祇秋澄が無言電話をかけ続ける奇妙な出来事が今の匡季の最も重い悩みであった。

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