Agnus Dei3

7

 散々ラブホテルを満喫したのは不可思議様こと那由他陽大だった。
 それに付き合わされてノリに乗ってしまったのは匡季である。
「ほどほどという言葉を覚えてくれ……」
 完全に疲れ切ってしまい、フラフラの匡季は陽大に支えられて電車にやっと乗車した。
 それでも具合が悪く、新幹線に乗ったら東京まで寝てしまったほどだった。
 その間も陽大はスマホを使って様々なことを自在にしていたようで、東京に着いたらまず匡季は陽大の通帳を作るために銀行に寄った。
 色々手続きがあるのに陽大は曖昧なところは妖術を使って誤魔化し、とうとう通帳一枚を作らせたのだった。
 さすがに止めるわけにもいかない匡季は陽大の隣でそわそわしながらも黙っていることにした。
「これがないと生活ができないからな~」
 そう言う陽大はその調子で市役所にもその足で向かい、ありもしない戸籍を作るためにまた妖術を使った。
 匡季の戸籍に兄として陽大の名を載せ、書類を弄った形跡がないように職員を妖術で操って保険証までも送付させるように手続きまでした。さすがにその場で出来るものではないので送付先は、買ったと言っていたマンションである。
「妖術恐ろしい」
 ボソリと匡季が呟くと陽大はフッと笑って言うのだ。
「お前に使ったことはないし、これからも使うことがないといいな」
 そう笑って言われた匡季は使ったことはないと言われてホッとしたのと、この先何かあれば使われることも考慮しないといけないのかと不安になった。
 神様という存在を側に置いてもまだ匡季は実感ができず、どう扱っていいのか分からなかった。
 戸籍を作った陽大は、引越し先のマンションを見るために不動産屋を訪ねて、部屋を案内させた。
 広い部屋は部屋が四つもあり、どの部屋も見晴らしのいい大きな窓が付いていた。そして眼下に広がるのは小さなビルの街。周りに大きなビルがないので覗かれる心配がないという部屋だから、見晴らしだけはよかった。
 ふと見た案内には一億円近い値段が提示されていた。それを即決で買ったらしい。
「本当にここに住むわけ?」
「今まで地下にいたからな。高いところに住んでみたいだけだ」
 陽大がそう言うので匡季はふうっと溜息を吐いた。
 ジョークだったのだろうが、たぶん周りの干渉が少ないからこのマンションを選んだのだろうということだけは匡季にも分かった。
 その日は契約に付いての書類にサインをして、振り込みは終わっているので鍵を貰った。
 家具がないので明日からそれを揃えるわけである。
「匡季の家に行こう」
 そう陽大は言い、匡季とタクシーに乗り込んだ。
 ここまでに陽大は何処から仕入れたのか分からない金を銀行で降ろしていたのでそれで払っている。
 ご飯も何もかもが陽大の奢りに代わり、匡季は何もしてないが陽大がおかしなことをしないように見張っている形になった。
 たぶんもう陽大には匡季は必要ではない。
 知識は駅前で契約したスマホで間に合うはずだ。
 それでも陽大は匡季から離れるつもりがないのは明らかで、それは陽大にとって匡季が花嫁であり、番だからだ。
 それがある限り陽大は匡季から離れることはなく、一生涯を隣で過ごすのだろう。
アパートに戻ると部屋は蒸し暑くなっていた。
 途中のコンビニで買い物した荷物を持って蒸し暑い部屋に飛び込んでエアコンを稼働させる。すぐに涼しい空気がでてくる。
「悪いな、狭いけど」
 匡季が住んでいる部屋は1Kと呼ばれる部屋だ。廊下にキッチンがあり、置くの部屋は八畳一間。ベッドを置いて小さなソファとテーブルを置いたらいっぱいになっている。それでも物が少ないお陰で綺麗に部屋は保たれている。
「人をあんまり入れたことないから、ソファとベッドくらいしかくつろげないけどな」
 そう言い気にもしていないであろう陽大に言い訳をするも、陽大はそのままソファに座った。二人掛けのソファなので二人でそこに座ってコンビニ弁当を広げた。
「確かにここでは俺も住むわけにはいかない部屋だな。どうせだからお前も俺の部屋に引っ越してこい。その方が色々便利だ」
 陽大がそう言い出して匡季は驚く。
「え、あのマンションに?」
「そうだ。その方が音漏れを気にしないでいいからいいぞ?」
「音漏れ……って」
「お前の喘ぎ声をここら中に響かせるのか?」
 そう言われてしまい、匡季は顔を真っ赤にさせた。
「そ、そういう意味……か……」
 確かにこの陽大がセックスに関して容赦してくれるはずもなく、あの快楽に包まれたら当然匡季は耐えられずに嬌声を上げるだろう。
 そうなってしまったら壁が薄い古いアパートでは周りに響くだろう。
 何せ洗濯機の音がダダ漏れである。大きな声で電話したり、テレビで笑っている声すらも聞こえることがあるから当然あの時の声も漏れるに決まっている。
「早めに引っ越そう。追っ手がかかってもここでは守り切れないこともある」
 そう陽大が言うので、匡季はそれに逆らうわけにもいかないのだと気付く。
 陽大は決して村に戻ることはないと思っているし、気付かれないようにしたいと思っている。
 村ではすでに不可思議様がいないことに気付いている人もいるかもしれない。
そう思っていると、陽大は言った。
「当面の誤魔化しに物の怪を一つ置いてきたが、俺ほど大人しいわけではないから、今頃どうなっているやら。さすがに入れ替わっていると気付くものは少ないと思うが」
 そんなことを陽大が言うので匡季は聞き返した。
「どういうこと?」
「身代わりにそれっぽい分身の物の怪を置いてきたと言った。俺の一部ではあるが、過去に吸収した物の怪を一つ制約込みで解放した。俺の真似をしていればそれなりに供物もあるし、不自由はしない役目だ」
「それで誤魔化せるわけ?」
「そもそも俺を見た生け贄は全員死んでる。だから本物の俺を知っている人間は存在しない。そして今回の不可思議は誰にでも見ることができる」
 不可思議様という存在は誰にも見えないけれどいるという存在のはずだ。
 それが見えるとなれば、話は別になってくる。
「不可思議様が見えていないから奴らも怖くも無かったんだろうが、見える存在になった不可思議様は進化したことになる。だが見えたものが想像以上に不気味だった場合、人はそれまで神とあがめていたものだからと受け入れられるのか? これも興味があることではあるが……」
 陽大がそう言うけれど、匡季には分かってしまった。
「さすがにすり替えられたとは気付かないかもしれないけれど、何でって考えるかもしれないね……」
 どうしてこれが神なんて呼ばれているのかという単純な疑問が浮かぶだろう。
 人という生き物はそういう生き物だ。下手に進化したせいで色んなことを考える生き物になってしまった。
「暫くは気付かないだろうが、そのうちということもありえる。だからそれまでにこちらの地盤も強固にしておきたい」
 陽大はそう言う。
 今は何もない状態から妖術を使って何とかこの日本国の戸籍を手に入れて細工をしたところだ。けれどその戸籍も本元を調べられたら改ざんしていることは見抜けてしまう。それがデジタル化していない部分だ。
 匡季に兄がいないという事実を調べ上げる人がいるのかどうか分からないが、匡季の母親と結婚する前にいた子供であるならある程度は誤魔化せそうではある。
 この懸念はそのまま村の祭りでの異形の騒ぎへと繋がっていた。


 その祭りにおいて、贄を得た不可思議様は人前に姿を見せた。
 異形と呼んでいいくらいに醜い、太った汚泥のような形をした不可思議様は、村人が考えるような綺麗な神様ではなかったのである。
「……これが、不可思議様?」
「なんたる、醜い生き物だ……」
「これが本当に?」
 贄にされた少年をバラバラに引き裂いてむさぼり食う姿に村人は呆然とした。
今までは井戸に放り込んで終わりだった祭りが、不可思議様が穴から出てきて姿を見せ、目の前で生け贄を貪り喰っているのだからパニックになるのは当然と言えた。
悲鳴を上げて逃げる村人、落ち着かせようとする村長や教祖たち、それを振り切って逃げ惑う人を不可思議様の力を貰っている物の怪は空洞に閉じ込めてしまったのである。
 空洞に入れなかった村人は何が起きたのか分からず、中から聞こえる悲鳴に怯え、その社ごと封印すべきであると考えた。
 外の祭りを取り仕切っていた阿僧祇秋澄は、これはチャンスだと考えた。
自分を否定する両親も醜い宗教を続ける教祖も、この混乱の中、空洞の社の中である。
 中から悲鳴が聞こえた瞬間、逃げ遅れる村人を放置して秋澄は大扉を閉めさせたのである。
「不可思議様のお目覚めだ! 覚醒状態の不可思議様を閉じ込める!」
 秋澄がそう叫んだ。
 村人は大扉を閉めるのを手伝い、中でどんどん喰われている村人から目を背けた。
 扉には封印の意味もある札が沢山付いている。このためのものであり、それは確かに不可思議様には効果があった。
 中からドンドンと音がするほど叩かれるけれど、封印の付いた扉がこの先いくつもあるのでそれを締めて封印をし続けたところ、地上に出た時には物音も聞こえなくなっていた。
「ど、どうすんじゃ……不可思議様が目覚めてしもうた……」
「手順を間違えたのか?」
「いやそもそも合ってたのか?」
 正しい不可思議様の扱い方なんて知らない村人は、まずはあんなものを崇めていた事実に戦々恐々とした。
 その立場を利用して秋澄は言った。
「いいか、このことは村外には漏らすな。痛くもない腹を探られるのも困るだろう?」
「だが、いなくなったものは村の半数だ。このまま隠しきれるなんて……」
「いや、隠しきれる……。この村唯一の医者が生き残っている。このまま月に二人ほどの死亡届を偽造すればいいい。そうすれば一年でちょうど帳尻が合うようになる」
 いなくなった村人は、村の権力者たちが多かったけれど、秋澄一人が上手く権力者の息子として生き残れた。
 村を操るには今しかない。
「一年、か……できるだろう」
 そこに祭りには参加していなかった医者がやってきて話を聞いたと言った。
「死んだのは年老いたものが多かった。年齢的にいつ死んでもおかしいとは思われないものが多い。若い者は山での事故死でも十分。幸いこの村の駐在もこの村出身だ。深く調べなくても事故死の判断は付けてくれる」
 この村は駐在の警察官は村から出すことにしている。そうして村人だけで村を維持できるようにしてきたからだ。
 外から持ち込まれる権力などに従わないでいいように用意周到に宗教を隠れ蓑にしてきたのである。
「よし、それでいこう。警察が介入しきれない事故死ならばなんとか誤魔化せる。誰がいないのか把握するために点呼をしよう」
 秋澄はそう言い、残っている役所の人間を集めて調べた。
 消えたのは有力者の一族たちが多かったけれど、消えたことになるのは二十名だった。
「うちのじいさんは、暑さで死んだことでいい。火葬場も村の近くにあるし、村の者が務めていたはずだ」
「わしがそこに務めておる。村の火葬はわしが担当しとる。話を通してくれれば焼きは誤魔化せる」
 遺体がないので燃える素材を入れるだけで火葬は誤魔化せる。霊柩車などは使わない村なのでバンで運ぶため、中を覗く人はいない。
 葬儀社も村にあるため、葬儀用に遺体を入れる木箱もある。
「村の皆には苦労をかけるが、正念場だ。あの化け物をここに閉じ込めるしかない。封印をもっと施し、これ以上の被害はここで食い止めなければならない」
「幸いあの大きさならば、抜け穴も通れないだろうし、そこにも石を積んで封印もせんといかん。我らはみな運命共同体だ」
 村人が秋澄の言葉に感化され、あれを祭ってきて裕福な家を得た代償だと告げると村人は何も言えなかった。ここから出て行っても真面な働き口は得られないだろうし、村から出たことがないものがほとんどだった。
 今まで通りに村特産品を育てて行けば、宗教を隠れ蓑に法人化した資産などは上手く手に入れられそうだった。
「村を出ると言っても皆、行き先などないだろう……そうなれば、この村を守ることでしか生きてはいけないはずだ……ならば、ここで食い止めることで村は守れる」
 秋澄の言葉にさらに村人は協力をし始めた。
そんな秋澄はこのままこの村を思い通りに操ってやろうと考えた。
 けれど、その時に秋澄の隣には匡季もいない。
「匡季を呼んできてくれないか?」
 そうロッジの管理人に申し出た秋澄だったが、管理人は言った。
「あの人なら昨日お帰りになったよ? 鍵もポストに入っていたし、早めに帰ると言っていたから。ほら地震があった後だったし、不安になったんやろうって」
 それを聞いた秋澄はまさか匡季が何も言わずに帰ったことにショックを受けた。
 けれど匡季はきっと秋澄がしたことにも怒っていて、それで帰ったことは容易に想像も付いてしまった。
「分かった、それはもういい」
 秋澄は当面、匡季に構っている暇が無い。
 村を優先させるなら、今は匡季を追うわけにはいかなかったからだ。

感想



選択式


メッセージは文字まで、同一IPアドレスからの送信は一日回まで