Agnus Dei3
3
結局、あの地震の余震もなく、安全な朝を迎えた。
起きた時に手元に置いておいたスマホのライトが点滅していたので見てみると、秋澄から連絡が入っていた。
『村の社が少し崩れたらしいけど、他の施設は大丈夫だった。祭りは予定通りにするらしいから、あと三日で前夜祭、次の日が本祭、後夜祭があるから一週間後までやっぱり会いに行けない。それから、昨日はごめん、俺、どうかしていたと思う。だから許して』
秋澄がそう連絡をくれて匡季はホッとした。
秋澄が悪いと思ってくれているからよかったが、もしあのままだったら匡季は今日はここにはいないだろう。
『村のことは分かった。それから村にいる間、お前とああいうことはしない。あと祭りが終わったら俺は東京に帰る。お前は今年は村で過ごす。それでいいな?』
昨日のことで匡季が怒っているのだと伝えたらそれに既読が付いた後、秋澄からは返事がなかった。
きっと一人で拗ねているか、謝った後なのにまた理不尽に怒っているかのどれかだ。
これ以上振り回されるのは面倒だなと思えた匡季は、祭りの前夜祭の日に村を出ることに決めた。
そうすれば秋澄は追ってこられないだろうと思った。
すると人の気配がして玄関で声がした。
「すみません、ガス点検です」
「はい、お願いします」
頼んで置いたガス点検がやってきて、何処も壊れていないことを確認して貰った。
一緒にロッジの管理人もやってきていたので、匡季は祭りの前夜祭の日に町まで戻る車を出して貰えないかと頼んだ。
「忙しいのは重々承知なんですが……」
そう匡季が言うと、ロッジの管理人は言った。
「通りのバス停までなら歩けばいいよ。祭りの日は我々も駆り出されるんでロッジは休みなんだ」
「あ、あの村の出口にあるバス停までですか?」
「そう、朝とお昼と夕方に一便ずつバスが来るんだよ。ここから歩いて一時間かかるけど、お昼なら朝のうちに出て行けるし、夕方なら三時くらいにここを出ればバス停には歩いて行けるけど?」
どうやら歩いて行けというのがロッジ管理人が言いたいことらしい。
「分かりました、歩いて行くことにします。あと、祭りの後で構いませんので、この大きなスーツケースの荷物だけ宅急便に出して貰えますか?」
行きは秋澄が持ってくれたから遠慮無くスーツケースを持ってきたが、一時間スーツケースを押して歩くには悪路だったのでそれだけはお願いをしてみた。
するとロッジの管理人は明らかにホッとした表情を浮かべた。
「ああ宅急便ならいいよ、祭り次の日が収集日だから忘れず出しておくよ。スーツケースには貴重品はいれないでね。前夜祭の前の日に管理室に荷物持ってきて。それから宛名書きは後で持ってくるよ。それ貼っておいてくれればロッジの荷物置きに入れておいてくれれば出しておくよ。出て行く日は鍵は管理室のポストに入れて置いてくれ。ロッジの中は掃除しなくていいから、なるべくそのままで。忘れ物はしないようにね」
宅急便なら村まで来ることがあるので頼めば荷物を収集に来てくれるようだった。後は早く出て行って欲しいようで事細かに色々教えて貰えた。
「ありがとうございました」
ガスの点検の人と車で帰っていくロッジ管理人を見送って匡季はホッと溜息を吐いた。
ここにきて静養もしたし、論文はあっという間にできたし、その論文もすでにロッジからネットを通じて教授に送り、今日判定の連絡を貰った。
Sランクには届かなかったがランクA+の判定を貰って卒業資格が得られた。
なのでここにいる意味が匡季にはなくなったのだった。
「よし、帰る準備でもしておくか」
祭りの前夜祭まで三日、掃除をしなくていいと言われたが匡季は使ったところは綺麗にした。ゴミはちゃんとゴミ捨てに入れた。帰る日まで三日はなるべく台所で料理はせずにカップ麺やレンジで温めるだけでできる冷凍食品を使った。
元々持ち込んでいたものだから置いていくのも何だかなのでそれらを消費した。
それから三日間、匡季は毎日夢を見た。
毎回、あの滑り落ちた崖のところに来て、そこで何かに引き寄せられるようにそこを降りていき、中腹にある洞窟を見つける。
しかし入るには何だか怖くて足を踏み出せないけれど、そこから呼ばれていることだけは分かった。
そしてそれが不可思議様と呼ばれる神かもしれないとさえ考えた。
あの怪我を治せるほどの力を持つ人間は存在しない。なら神の仕業だと言われた方が納得ができる出来事だ。
そんな夢を見せてくるのは神が呼んでいるか、体を治した代償を求めているかのどっちかだろう。
三日の間にそんな夢を見せられたら、気になってしまい匡季はロッジを出る日の朝早くにハイキングコースに行っていた。
宅急便で送るスーツケースは昨日のうちにロッジに全部運んだし、あとはロッジの鍵を返すだけなので時間は有り余っている。
お昼のバスに乗れるようにと考えているのでまだ時間は少しあった。
ハイキングコースを逆走していると簡単にあの崩れている場所までやってこられた。ロッジからは近い場所だったようだ。
「とはいえ、ここで何かがあるわけじゃないし……」
崩れている道までやってきたが、ここに何かがあるわけではないと思っていた。
けれど、崖下を明るいところではっきりと見たら小さな降り口と獣道のようなものがあるのに気付いた。
「ああ、道があるんだ……気になるしちょっと降りてみよう」
気をつけて道を降り、獣道に入った。
朝の六時なのでまだまだ昼まで時間はある。
一時間くらいなら大丈夫だろうと思ったので獣道を十分ほど下った。
するとそこには夢で見たとおりの洞窟があるのだ。
そしてその洞窟の入り口は匡季が滑り落ちて辿り着いた場所だった。
「ああ、洞窟の入り口だったんだ……」
中が暗い洞窟だと思ったのだが、ポツリと灯りが灯っていることに気付いた。
「なんだ?」
少し洞窟に入ってみると、入り口の近くにランタンの中に炎が揺らめいているものがポツンと立っていた。そしてそれは等間隔に並び、奥へと続いている。
これが何なのか分からないけれど、道の分岐まで辿り着いてしまった。
そこまで来ると大きな洞窟になっていて、人工で作られたものだと分かった。
「あ、そうか、ここ宗教団体の何かなんだ……」
そんなところで誰かに出会ってしまったらいいわけもできないので引き返そうとしたところ、片方の道から誰かがこっちにやってくる声が聞こえた。
「……まずい隠れなきゃ」
元来た道を戻るとなると姿が見えてしまう直線なので、声のしない分岐点の先に進むしか道が無かった。
仕方なく匡季は道を進み、どこかやり過ごせるところを探すことにした。
道は幸い灯りがあったので迷うことはなかったが、あの分岐の先から来ていた人の気配と音がこっちに向かってきているせいで、匡季はもっと奥の何処かでやり過ごさないといけなくなった。
こうなったら入り口で見つかった方がまだ言い訳もできたかもしれないと、改めて後悔をしてしまった。
追跡されるように奥へと誘われてしまい、気付いたら三十分以上も歩いていることに気付いた。
そこで匡季はおかしいとふと思うようになった。
さっきから人の気配と音だけはするのに、一向に後ろから追いついてこないのだ。
どこかでやり過ごせないかと思っていたけれど、どこにも分岐が無くくねくねと大分下り坂を緩やかな円を描くように下がってしまっている。
「マズイな……大分入り込んでしまった……もう元来た道を戻っても、お昼のバスには間に合わない」
時計を見ると時間経過がおかしいのかすでに午前十時半になっていた。
精々三十分くらいしか歩いていないのに、洞窟に入ってから三時間が過ぎてしまっている。
こうなったらもう見つかった方がいいかもしれないと敢えて気配が来るのを待った。
怒られてもいいからここを早く出たい気持ちがしたからだ。
しかしいつまで経っても気配はやってこない。
人の気配はするのにだ。
「……なんで……」
思わず見つかるために気配がする方へと進んでいくと、今度は三つの分岐点がある場所へと出た。
「うそ……さっき通った時、こんな分岐点はなかったのに……」
三つのうちどの道を通ったのか匡季には区別がつかなかった。
そして地面を見ると、一個だけ足跡があることに気付いた。
「ああ、これだ……」
見つけた足跡を辿って来た道を戻り始めたのだが、途中で匡季は気付いた。
「あれ、この道まだ下ってる……ずっと下ってきたから帰りは登りなんじゃ?」
素朴な違和感が湧いて匡季は立ち止まった。
この洞窟に入ってから匡季は知らず知らずのうちに二度とここから出られないのではないかと思うほどの奥地に入り込んでしまったようだった。
「出なきゃ……」
下っていた道を上り始めたのだが、気付いたらまた下りになっている。
「なんで、どうして……」
進むだけどんどん深い底に呼ばれているように道を下るしかなかった。
出られないなら、先を進むしか無く、匡季はこの超常現象の原因の場所まで行くことにした。
そうしないと今日中に村を出ることが叶わないことになる。
秋澄にはまだバレてないから、ここで一日が過ぎても祭り当日でもバスは出ているから何とかなるだろうとこのときはまだ楽観的だった。
道は遠慮無く下り一本になると五分もしないうちに完全に洞窟の底に着いたようだった。
ただ広い大きな空間は、東京ドームくらいに大きい空洞だった。
空気もちゃんと来ているようで、奥には瀧まである。
その空洞の真ん中には神社の社があり、そこをライトアップしてある。
ただ匡季はその社を裏から眺めている状態だった。
「早く、準備を急ぎなさい。そろそろ今日の余興は終わりだ。社を閉めて明日に備えるのだ」
大きな人の声がして匡季は社の陰に隠れた。
幸い見つかることはなかったが、社の中と廊下を人が急いで歩いている音がしている。
「それにしても、今年の贄は用意できたのかい?」
「それなんだが、予備の贄が村を出たようだ」
「何だって? 秋澄が連れてきた男か」
急に匡季は自分の話になったことで驚いてしまったが口を塞いで聞き入った。
「そうさな。村長の息子が男に走るとはな。村長はご立腹、どうせだから生け贄にって話だったんだが、今年は百年に一回の神祭だ、それ用に育てた贄が使えるからな。予備ってことで村の滞在を許したが」
「なんだ秋澄は振られたわけか。はは、これはこれでいいんじゃないか?」
「贄の予備を使うことはなさそうだ。あの贄も眠らせてあるから、問題も起こらないだろう」
「まあ予備を使ったらそれはそれで外の人間と揉める羽目になっただろうから、当初の予定通りでいいのだろうが……」
その話が段々と聞こえなくなったと同時に洞窟内の灯りが一部落とされたようだった。そして大きな木の撓る音がしてゴーンと空洞内に大きな音が響いた。
何の音か分からなかったが、その音を最後に人の気配は完全に消えた。
「……準備が終わって帰ったのかな」
前夜祭があると言っていたが、それは村で行われるものなのだろう。本祭の本殿がここで行われるからここは無人になったのだろう。
匡季はゆっくりと社の表に回ってみるが、人は誰もいないようだった。
そしてあのゴーンとした音は、この空洞空間に入るための大きな門を閉める音であることが分かった。
「ということは……あのドアは一人では開けられないから、ここから出るのは明日まで待つ感じか」
大きな門は高さ五メートルもある木の塊でできているドアだ。
恐らく外から何か機械的な動作が必要なドアだろうと予想ができた。
誰でも入れる場所では無く、裏道からやってくる人もそうそういないはずだ。
匡季でさえ導かれるようにここにきてしまったのだから、あそこを攻略して忍び込める人はいないと思えた。
そして匡季は腕時計を見る。
「……もうすぐ深夜零時……もう時間の感覚がおかしいよ、この空間」
そう呟いた時、お供え物の果物が目に入った。
「罰当たりだけど……お腹空いてるから一つずつ貰うね」
社に手を合わせて、ブドウを一房、バナナを一本貰った。
手持ちはカロリーメイト一個だったから腹持ちが悪かったのだ。
幸い水は持っていたし、それを食べて飢えを凌いだ。
異様に美味しい果物で夢中で匡季はそれを食べた。お腹はそれだけで満たされた。
「ふう、さてこれからどうしよう。このまま見つかったらよくないことも起こりそうだし……」
さっきの声の主たちが生け贄の話をしていた。
それは本当に殺すこともある生け贄なのか、儀式的なものかと考えたが、そのために一人の生け贄を育てたと言っていたので恐らく邪教の意味での生け贄だ。
「誰かに見つかるのは得策ではないか……」
贄の代替として匡季が選ばれていた事実を知ってしまったら、当然村人の前に顔を出せるはずもなかった。
幸い匡季は秋澄を振ったから生き長らえたようで、村人も匡季を追ってくることはないようだった。
「見つからないように抜け出せば、村人も騙せるか……」
そう思っていたら、ゴーンゴーンと何か鐘が鳴り始めた。
何だろうと思い時計を見ると、深夜零時になっている。
「ああ、祭り本番の日だって鐘の音なのか」
どんな祭りが開催されるのかは知らないけれど、このままここにいるわけにはいかない。なんとか抜け出せる道を探さなくてはならない。
そう思い、匡季は社の中に入ってみることにした。
社の本堂ではなく、横にあるところが鍵が掛かってなかったのでそこから入った。
そこは事務所のような場所で何か手がかりが無いかと探ってみたが空振りだった。
「地図も無いのか……まあ、僕が裏技で入ってきたからなあ」
仕方ないので祭りの本番中にでもこっそりと正門から抜け出すことに計画を変更するしかないようだった。
「それまで何処に隠れるかだけど……」
とりあえず隠れる場所を探して社内を調べてみると、ここにいる神様、不可思議様という物が何なのか分かる記述されてる文章が見つかった。
それはこの村が抱える、一つの邪教信教の神の話だった。
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