Agnus Dei2 8

虐殺

「か、神、なぜ……だ……」
 燎の中に神がいることが見えたのだろう、祭主がそう言う。
 燎はそれを無視して紗和のところまでやってきて、床に寝転がっている紗和をまず抱き上げた。
「……ありがとう」
 紗和がお礼を言うと燎は笑う。
「お前の無事は分かっていた。この方が探し回るよりは早かったからこの時を待った」
 どうやら強制的に鏡に呼ばれることは予想していたようで、それなら敵の本拠地に呼ばれた方が無駄な行動をしないで済むと判断して動かなかったという。
「学校の結界を解いていたことでしくじったのは認める」
 そう神が言うけれど紗和はそんな燎に笑う。
「いいよ、来てくれたから」
 不安だったということを告げると、燎はやっと周りに目を配った。
「これが肥え太った加賀美一族の残党どもか」
 神の声に祭主はヒッと身をすくませたけれど、信じられないものを見るように神を見た。
「なぜ……我々一族の、顔をして……」
 今の今まで燎の似ている顔は偶然とでも思っていたのか、祭主はやっと燎の顔を気にした。
「何故? さあ何故だろうな。祭主なら分かるだろう? 何故私がこれに入って行動ができているのか。そして鏡に戻らないのか」
 そう燎が言うと祭主はやっとその理由に思い至ったようだった。
「……神喰……かっ」
 まさかと信じられないように燎を見上げた。
「あの一族は、全員殺したはず……っ!」
 信じられないことを祭主がいい、紗和は目を見開いた。
「殺したって……何言って」
「つまり、まず神喰の依代一族が殺された。何があったのかは分からないが、どうせくだらない富の取り合いによるものだろう。そしてその結果、加賀美一族も争いに負け村人に村を追われたわけだ」
 神がそう言う通りだった。
「く、そ、神喰が報酬を過分に要求するからっ! 仕方なくだっ!」
 その理由を知る老人がそう叫んだ。
 結局何処も金の話ばかりだった。
 紗和はうんざりした。
 結局、燎の一族もまた金を欲し、依代になる人や贄の人だけが割を食うシステムだったのだ。
「だが、生きていた。どうやら村から勘当されて追い出された神喰の誰かがいて、そして巡り巡って村に戻ってきた」
 燎が言い、それで紗和は燎の祖父が村に戻らなかった理由を察した。戻ったら殺されるから帰る訳にはいかなかったし、理由も言えない。そして母親が再婚をして名字が変わったので仕方なく村に戻るのを見送ったのだろう。
 もちろん村の雰囲気を察して、母親は旧姓の話をこっそりと燎にしたのだ。偶然それを知っても村でその名前を出さないようにするためにだ。
「もう十分、私の恩恵をむしゃぶり付くしただろう?」
 燎がそう言い、これ以上はないのだと言った。
「いや、それは……困るっ!」
「本当に人は勝手なことよ。散々甘い汁を吸い続け、まだ欲しがるとは。もうお前たちに恩恵を降ろす必要は私には一切の利益がない。もう関係すらもない」
 神が非情に告げるけれど、恩恵を忘れられない人々は神への怖さを忘れて叫んだ。
「勝手なことをっ!」
「許し難い!」
「捕らえよ!」
「殺せ!」
 様々なことを口にした人々はその場で声を発した途端、頭がスイカが落ちて割れるようにぐしゃりと音と立てて割れて死んだ。
「よかろう、殺す覚悟であるのは理解した。容赦はしない」
 神はそう言うと、背中から無数の触手を生やし、それが縦横無尽に暴れ出した。
「……燎……」
「お前は見るな。こうしないと、お前が助からない」
「……うう、ごめん……なさい……」
 神である燎といるためには、ここにいる加賀美一族には全員死んで貰わないといけないのだ。彼らはあの富を忘れられないからずっと神を狙ってくるだろうし、何より贄のはずの紗和が番になっていることにも気付いただろう。
 神を捕らえるためには紗和を捕まえてしまえばいいわけで、紗和の身の危険が一気に高くなってしまったのだ。
 紗和としては殺しはしてほしくないけれど、この人たちと話し合ってもきっと無駄だと思えたのだ。
 彼らは自分たちの幸福のためにしか発言をしなかった。
 平気で人を殺してきたのは彼らだ。
 そして燎の先祖もまた碌でもなかったし、もう神に関係する人々は碌でもない。
 そんな人たちはもうこの世にいてはいけない。
 生かしておいても礼はきっと言わないし、屁理屈をこねて神を狙うだろう。
 なら、もう全員が揃っている合間に全員がいなくなってしまえばいいのだ。
 そうした思考はもちろんいけないと分かっているけれど、紗和には神がすることを止める力も代替案も浮かばなかった。
 何より、ここにいる千人の命よりも神が入っている燎の方が大事だった。
 我が儘を彼らが続けるのなら、紗和も強い我が儘で燎を選んだのだ。


 神はそこにいる加賀美一族という関係者を殺して回った。
 どうやら神には加賀美一族の血筋が分かるのか、徹底的にその社にいたものを殺した。阿鼻叫喚となった洞窟内では、人がどんどん死にゆき、紗和はそれらを見ないように神の胸に顔を埋めた。
 見ないのは卑怯だと思うけれど、それでも脳裏に焼き付いたらきっとこの先、生きていけないかもしれない。
 そうして人の叫び声だけが聞こえるかと思ったが、それも最初の部屋から出たところで聞こえなくなっていた。
 どうやら神が耳も塞いでくれたのか、人の悲鳴も聞こえなかった。
 やがて洞窟を出てしまい、その洞窟の周りにある家の中でも人がどんどん死んでいた。 ほぼ八十年近くの間に、彼らは加賀美一族をかなり増やしていたらしい。
 そして隠し財産を使って新たな村を作っていたのだ。
 しかしその悲鳴もやがて消え、やっと静かになったので紗和は顔を上げた。
 そこはどこかの部屋の中で、神は紗和を一旦床に降ろしてからタンスを漁っている。
「なに、してる?」
「ここに急に呼ばれたから、金を持ってない。戻るにしても交通手段には金がいる。私一人ならどうとでもなるが、紗和はそうもいかない」
「あ、そっか……」
 紗和はここに来た時の荷物は当然なくなっているから、着替えもない。真っ白な着物だけで靴もない。どこかで着替えないと目立って仕方ない。
 神だけなら一人で、さっき呼ばれた時のようにテレポーテーションのように時空を歪めて飛べるらしいが、紗和はそうもいかない。
「ああ、いい感じに金があった」
 燎はそう言い笑っている。
 さすがに泥棒の真似事では笑えないし、大量殺戮をしたばかりである。
 ちょっと神が怖かったけれど、紗和はそんな燎の腕にしがみ付いた。
「帰ろう……」
 紗和がそう言うと燎が紗和の手を撫でた。
「寝ていろ、そしたら次に目を覚ました時は家の中だ」
 燎にそう言われて紗和は目を閉じた。
 こんなところには来なかった。
 そう思うしかなかった。


 それから本当に目を覚ましたら家のベッドで寝ていた。
 時計を見ると、誘拐された日から既に三日が過ぎていた。
 もう昼の時間だったので起き出していくと、テレビが付いていて神がソファに座っている。
 テレビでは加賀美一族の村で洞窟が崩れ、その中で人が生き埋めになって死んでいるのが発見されたという衝撃的なニュースをやっている。
 内容によると、昨夜大きな地震がありその影響で洞窟が崩れ、岩の下敷きになってなくなったとされていた。
「崩れたの?」
「崩したんだ。その方がらしくみえる」
 村がなくなった時のように、掘り起こしてもどうしようもないと思えるようにしたらしい。
 もちろん村では大きな社があるのは知っていたけれど、その社より奥にある儀式をする社のことは言っていなかった。
 かなり大きな洞窟で、更に隠していたこともあり、掘り出すのが危険ということと、その関係者全員が死んでいることで、全体把握ができていなかった。すぐに捜索は手前の方でなくなっている人だけを回収し、掘り出すのは不可能ということで三百人ほどの人を洞窟に残しての捜索終了となった。
 被害者を助けるにはあまりにリスクが高いこと、山がそもそも崩れているせいで掘り進めば更に山が崩壊する可能性があり、リスクしかないことが理由だった。
報道は生き埋めになったというニュースが三日ほど流れていたが、それ以降は難しい話になったのか報道は止まった。
 あの社でなくなった中には政治家もいたらしいが、その政治家の関係者も遺体を諦めて、政治家の息子を選挙区に立たせて議席を奪うので必死だ。
 あの一族を助けるという人はいなかった。
 それもそのはずで、どう考えても儀式に失敗したことは明らかだったからだ。
 彼らから恩恵を貰っていた政治家の一部もその場にいなかったものは察した。
 村が沈んだのも、洞窟が崩れたのも、彼らが祭っていた神を怒らせたから失敗したのだと明確な結果が見えている。
 触らぬ神に祟りなしというわけで、誰もそれに触れようとはしなかった。
 神の怒りに触れた一族が消えても、富を得る人たちは様々なことを利用していくから、代わりは他にあるのだろう。
 神の暴挙は神自身を自由に、紗和の身をしっかりと守ったのだ。
 もちろん、あの場所に紗和や燎がいたことは誰も知らない。
 タクシーを使ったけれど、神はタクシー運転手の記憶と記録を改ざんした。
 だから二人には辿り着かないだろう。
「腹が減っているだろう? 買い込んだ食べ物があるから暖めよう」
「あ、うん。大丈夫、自分でできる」
「そうか?」
「うん」
 紗和はそう言い、テレビから目を離してキッチンに入った。
 そして冷凍のパンケーキを温めて食べた。
 その間もテレビは色んなニュースが飛び交い、やがて地方の旅番組に変わった。
 紗和はパンケーキを食べながら、あんなことがあっても自分はこうやってお腹が空いてパンケーキを食べているのだなと思った。
 結局人は自分が大事で、自分の思いだけで生きているものなのだ。
「俺は、燎が大事だから仕方ない……」
 そう声に出したら急に燎が側にやってきた。
「悩むことはない、この世界のどこかで誰かが死んで、殺されて、被害者や加害者になりながら、英雄にだってなっている。それは全部自分たちのエゴでできてて、そのエゴとどう向き合うかと考えることはないんだ」
「だって……」
「お前が言った通り、私にはお前が必要で、お前には私が必要。そういう関係である以上、あの出来事も仕方がないことだと受け止めるしかない。理屈は要らない、ただそうしないと私たちは生きられなかったということだ。燎の体を保つためにお前は私が必要だ。そして私はお前が側にいることで力を安定して使えるようになった。お互いにそういう番という関係になったからこそ、お互いが必要で生きなければならない」
 燎の中の神がそう言う。
 紗和はそれは分かっていて、自分が今悩んでいることはきっと我が儘なのだ。
「分かってる、俺は結局燎を選んだんだ。だから他の誰がどうなっても、燎を手放せない。分かってる」
「そうそれでいい。お前は私の側にいればいい」
「うん……」
「何なら、記憶を消してもいいぞ?」
 そう言いながら燎の指が紗和の首筋を撫でてくる。
 その指の動きに紗和はうっとりとしながら言った。
「ううん、これは僕が背負っていくものだと思ってる」
「そうか。だがそういう顔をしていつまでも苦しんでいるんじゃない」
 そう言われたら燎にキスをされた。
 唇をしっかりと合わせて、目眩がするような強いキスだった。
 忘れさせようとしてくれる優しさを持っている神に、紗和は素直に体を預けた。
 神の番になるということは、こうして神が望むように生きることだ。体を預けることもまた、神のためである。
 紗和の稀人ととしての体は神の力を安定させる役割があり、神が暴走をしないように力をコントロールができるのだという。
 稀人の液体は何でも神にとって美酒であり、得られないと荒神として暴走をするだけの神に堕ちていく。
 きっと鏡に閉じ込められて封印をされていたのは、そうしたコントロールができずに暴走をした結果だったのだろう。
でもそんなことはどうでもよかった。
 紗和には燎が必要でそれ以外を求めてはいなかったからだ。
「燎、いなくならないでね。もう一人は嫌だ」
 紗和がそう言うと、燎は甘く優しく囁くのだ。
「もちろん、いつまでもお前と一緒だ。お前が死んでもお前は私のもので私はお前の物だよ」
 一番聞きたかった言葉を貰い、紗和は少し泣いた。
 決して、燎が生きている間に言わなかった台詞。
 そして紗和があのまま何も知らずにいたら、燎には言わせなかった台詞だ。
 けれどそれが今は何よりも嬉しいのだ。


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