Agnus Dei2
7
降臨
「君は、神にとって執着すべきものらしい」
加賀美一族の男はそう言い、紗和に言った。
「お前の親は、元々村人だった」
「え?」
まさかの展開に紗和は驚く。
「お前の祖母が外へ嫁にいき、娘を産んで村に戻ってきたんだ。儀式に使う人間をよそから呼ぶわけにはいかないからな。そういうルールだ」
つまり元々でも村人として過ごしたことのある人間の関係者しか贄には使えないのだという。
だからなのか。
村人は贄に紗和を選び、親は村と関係があったからこそ、紗和を売るしかなかったのか。逃げるという選択肢はきっと用意されていなかったのだろう。
そんな気がするほどに、村人は紗和を贄にすることに拘っていた。
「神自身が贄として番を欲しがったのはこれが二度目だからだ」
「……二度目?」
「そうさ。一度目に欲しがったものを与えなかったところ、富が消えたことがある。そこから何十年も掛けて神を宥め、やっと機嫌を直したのだ。だから二度目に欲しがった贄は確実に与えなければならない」
それが紗和が決して贄として逃げられない運命であるというのだ。
紗和が贄に選ばれたのは確かに先祖に村人がいたからであるが、その後神殿に忍び込んだ時に神によって贄として選ばれたのだ。
村人もそれを無視できるような立場ではなかった。
「神が君たちの運命を握っていた。生かすようにそう言ったからだ」
神の意志を無視した結果、富を得られなかった地獄を知っているからこそ、神殿に忍び込んで勾玉を盗んだ紗和や燎を生かしておくしかなかったのだ。
もちろん贄である紗和が分かるが、彼らの誰もが燎を生かしておく理由を理解できていないのだろう。
紗和が喋らない限り、燎が依代の一族であることも分からないのかも知れない。
村人にとっても、この加賀美一族にとっても、村の名前にもなっている神喰一族の役割を理解する気もなかったのだろう。
儀式には神喰一族の人間を依代にして降ろした神と番にならないと意味がない。
たまたま紗和たちが偶然村に戻ることになったことで、神は富を降ろし続け、紗和たちを逃がさないように監視させたのだ。
つまり、紗和は生まれた時から神のために生かされていたのだ。
「その神様が贄である俺を食べるわけ?」
「さあ、神が望んだ贄がどうなるのかは我々でも分からないよ。だって一度も神が望んだ贄を差し出したことはないのだから」
男がそう言うから、紗和はゾッとした。
理由の分からない要求をされ、それに応じないと富が得られないからと言っているが、そのためにただの一度も経験のないことをしようとしているのだ。
愚かだと紗和は思った。
もし贄としての役割が、番として交わることだったなら神はもう願いを叶えていることになる。
けれど神は変わりはなかったし、紗和も食われることはなかった。
つまり、彼らが行おうとしている儀式そのものに、既に意味がないのだ。
それを彼らは気付いていない。
そして二度目の儀式になるであろう、これから行われる儀式をした場合のペナルティはきっとあるのだ。
だから神は急いで紗和を番にしたのだ。
「一つ聞いていいか?」
紗和は男に聞いた。
男は自分の演説風な言葉に酔いしれているのか紗和が全く意味が分かっていないような態度でいることを訝しんですらいない。
「儀式って二度掛けみたいなことしてもいいの? 例えば一度行われてしまったものに対して、また同じことを行うこととか……よく分からないけれど……ここでやって村でやっていたわけだし?」
紗和は神の儀式についての質問をした。
すると男はふっと笑って言う。
「村の儀式はほぼ形だけだ。我々の儀式こそが村に神を降ろす神颪として成立していた。大体祭主にしか伝わっていない儀式内容を村人が知ってるわけもないだろう?」
「そうなんだ……じゃ二度掛けとかないわけだ?」
「あり得ないんだよ。この儀式を知っているのはこの世界では我々だけだ。もし詳細を知っているものがいるとすれば、それは神のみということになる。もし二度掛けがあった場合は、後から行われたものに関して無効になるだろうな。それによるペナルティーも起こったことがないから分からないが……」
男の一族ですら起こったことがない以上知りようもないことは知らないことになるらしい。
「ふーん、そうなんだ……それで俺はここで殺されるわけ?」
紗和は知りたいことを知れたので、違う質問をぶつけた。
それで男は紗和の質問に疑問を抱かなかったのか、次の質問に答えた。
「君が協力をしてくれれば、殺されはしないだろう。神が最終的に君をどうしたいのかによるかもしれないが、我々は神が殺さなければ、君を殺す必要もない。儀式が終わればそれで君は自由になれる」
そう男が言うので、どうやら贄とはいえ神次第にしかならない。
彼らは神の怒りには触れたくないから、贄として差し出されたものが役目を終えても神の加護がかかっている人間を殺すことはできない。神と贄の間にある約束事があった場合、彼らの行いによっては逆鱗に触れる可能性もあるわけだ。
割と自由にならないようで、神の威力が詳細に彼らの古文書か何かに記されているようだった。
「だが、協力をしてもらえないのなら、君を殺してから体だけ差し出させるしかない」
男はそう言って紗和を脅す。
もちろんそれに紗和が抵抗するメリットは何処にもなく、むしろ儀式をさせて解放されることが一番安全だった。
「でも、村の神様っていなくなったんじゃない? 社もなくなったし……」
紗和がそう言うと男は笑う。
「気にすることはない、神を呼び寄せるための道具がある。もちろん村にもあったものだが、村の道具はあの惨劇で割れてしまったようだから、効果はない。ここにあるのは予備の鏡だ。我らの先祖は鏡が割れた場合に素早く神を回収する目的で予備の鏡を用意していた。その鏡は共鳴をするようで、村の鏡と繋がっていたようだ。だからこそ、村の儀式はここで行われたとしても共鳴によって繋がり完成をしたというわけだ」
鏡の予備がここにあるということは、神が言った通り、鏡が見つかったのかもしれないという表現は合っていたことになる。鏡がまさか二枚合ってそれが共鳴していたことはさすがに閉じ込められているだけの神では知りようもなかったのかもしれない。
けれどその鏡に神をまた閉じ込めさせるわけにはいかない。
どうにかして割ってしまわないといけない。
しかし紗和がその鏡に近づくことはできなかった。
鏡は社の奥深くに飾られていて、そこから百メートルも離れている廊下の先にあるのだ。そして儀式をする部屋は百メートルも離れたところで行われる。
「ここは神が渡ってくる神渡しの橋だ。村なら社の側に置くのが通常であるが、何せ一旦外に解き放たれた神を呼び戻す儀式が先に行われないと意味がない。贄の儀式は神颪をしたあと行われる」
「神颪って何?」
紗和は知らない振りをして訪ねた。
「神を依代の役割をしている人間に降ろすんだ。我が一族には数時間、依代ができる人間がいるからな」
その話を聞いて紗和は神の言うことと少し違うなと思った。
加賀美一族の中から選ばれた依代は、今まで使われてきていないはずだ。
八十年前に神喰一族を追い出した時点で、神は神颪で人に降りたことはないと言っていたからだ。
つまり、この加賀美一族の儀式もまた絶対に神を降ろすことはできないはずだ。
「ふーん、そういう一族とか別にいると思ったけど……違うんだ」
紗和がそう言い含んだように言うと、男は視線を一瞬泳がせた。
ここまで紗和が何も知らなかったのに鋭いことを言い出すのは、その儀式自体に疑問がある紗和からの発言としては正しいのだ。
祭主として神を制御する一族と、その身に神を降ろす一族が別に存在する方が自然である。同じ一族で奴隷のような依代になるか、自由になる祭主になれるかで別れてしまったら、きっとここまで儀式が正当化してやってこられていないはずだ。
どこかに負荷がかかる奴隷がいてこそ成り立つものなのだ。
それくらいに神颪は降ろされた人の神経を壊すもののはずだ。
あの依代の一族だった神喰燎ですら自分の意識を神に乗っ取られて消え去ってしまったのだ。依代の一族がそうであるなら、通常の人間が依代になったらきっと死ぬだろう。だから、村人は神颪を形だけにして神を降ろした振りをしたのだ。
加賀美一族が追い出された後、余計なことをしていなければ、あの村は迷信に左右されてはいたが、それでも普通の村として存在できただろうし、あの山もきっと禁忌にならず手入れも行われていただろう。
村人が死に至る結果を呼び込んだのは他の誰でもない、祭主である加賀美一族が儀式を共鳴させてしまったせいだ。
そして彼らは富を得るために、神をも自在に操ろうとしている。
そんなことが許されるはずもなかった。
紗和が儀式の間にある、小さな結界の中で座っていると、まず神を呼び込む儀式が始まった。
村の祭りとは少し違うが太鼓が鳴っているのは同じだった。
ドンドンドンとテンポ良く太鼓が鳴って、祭主としてたった男が詠唱を行っている。
紗和はここまできて、この人たちに逆らうのは無駄な努力だと察した。
というのは、彼らの一族はとにかく多かったのだ。
儀式の部屋ですら老人まで含めると五十人はいたし、外にはその親族が二百人くらいいた。
元々加賀美一族が多かったのか分からないけれど、関係者を含めたら多分ここにいるだけで千人はいるのかもしれない。
話の端々から村の祭りには参加していなかった政治家なども参加しているようだった。結局権力者に靡くのは村もここも同じで、そのために紗和は自分が犠牲になる事実に少し気分が悪かった。
この人たちは紗和がどうなろうが富を得るためにはどうでもいいと思っているわけだ。
村人もここの人も紗和にとって同じくらいに嫌悪の対象となった。
そう思っている間も儀式は進んでいるけれど、そんな紗和の腹がずっと温かった。
まるで神に内側から宥められているような気がして、紗和は少しだけ怒りを収めた。
神と繋がったこと自体は恥ずかしかったけれど、そのお陰で今冷静でいられるのは有り難かった。
そして儀式が大詰めになる。
太鼓の音がドンドンと早くなり、詠唱が終わるとドンと雷が落ちるような音がして、目の前の社の中が光ったのだ。
「……うわっ」
周りが驚き呻き声を上げる。
雷が落ちたような衝撃音と共に、突風が吹き抜けてきた。
ゴオッと風の音がして、こちらの社の屋根にある瓦が吹き飛んでいる音がした。
もちろん部屋の中の結界らしい置物は吹き飛んでいたし、紗和も床に身を伏せて飛ばされないように耐えた。
その行動のお陰か、床に書かれた結界は崩れ、さらには吊していた注連縄のようなものさえもなくなっていた。後ろの襖は外れて飛んで言っていたし、突風だけでもかなりの被害になっていた。
「……神がきた」
祭主がそう言い、周りの人たちも社を見た。
紗和もそれに驚き社を見ると、崩れた社から人が出てきている。
それは間違いなく、燎だった。
「何で、人があっちからくるんだっ!」
神が降りたなら鏡に入っているはずである。
けれどそうではなかった。
神は燎に入ったままでここに呼び込まれたのだ。
それは神と燎が決して離れることができないことを意味していた。
「ああ、やっぱりそうなんだ……」
神すらよく分からないと言っていた神と燎の魂は結合してしまい、体からも神は出られないくらいに馴染んでしまっているということなのだ。
「捕らえよ! あの男を!」
「うおおおお!」
祭主がそう言うのだが、男たちが燎に向かって走って行くのが見えたが、近づく前に燎の背中から触手が生え、それが男たちの胴体を殴ると男たちは吹き飛んで洞窟の天井にぶつかり、そして破裂して肉塊になってしまった。
「ひやあああっ!」
あり得ないことが連続で起こり、人がどんどん吹き飛んで天井に叩き付けられて死んでいる。
その血や肉が天井から滴り落ちて周りは一気に血の臭いに包まれた。
もちろんそれで彼らはひるまなかった。
「あれが、神だ! あの者の中に神が入っている!」
「ええい、捕らえよ!」
そう叫んでいるが、鏡と勾玉の封印がない以上、神を止められるわけもなかった。
この一族は神がここまで激怒している理由をきっと知らない。
燎は顔色を一つも変えずに来るものを全員虐殺している。それは当然で捕まれば神の自由が消えるし、紗和もまた安全ではなくなる。
紗和が勝手に連れ出されて、隙を突かれたとはいえ神は自分の失態すらにも腹を立てているようだった。
その残虐は通路を渡る間続き、そして動ける男たちを全て殺しきってから燎は儀式の部屋に入ってきたのだった。
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