Agnus Dei2
4
変わる生活
高校生活は紗和にとって心の傷を癒やす時間ではなく、神とどう暮らせば良いのかという恐らく誰に相談をしても解決しない悩みを抱えることになった。
神は女子学生に言い寄られると、それなりに付き合っていたと思う。
デートもしていたと思うが、そのうちに一緒に住んでいる紗和に対して女子学生が燎と二人で住んでいる家に押しかけたいがために鍵を欲しがって紗和の荷物を漁ったりと、とにかく紗和に対する酷い行為が始まった。
その日は移動教室から戻ってきたところ、荷物が荒らされていて机に入れていた教科書などに水を撒かれて酷い有様になっていた。
「また? 何これ……」
周りが呆れるほどの酷い状況に、紗和は最初こそ反応をしていたけれど、次第に慣れてきてしまった。
「またか。担任を呼んできてくれる?」
「お、おお。しかし大変だな……」
「どうせ、また燎の関係だよ。こんなことをしてどうして好かれると思えるのか分からないけれど」
紗和には理解のできない独占欲を発揮する女性の暴走に、女性が苦手であるという意識が最高に高まっていた。
もちろん庇ってくれる女性もいるけれど、恋愛感情は厄介だという気持ちが湧いてしまうのは仕方ないことだ。
「またか、本当に烏丸はどうなってるんだ」
「燎は問題ではないですよ。ただ女が夢中になるだけなので……」
「……しかしなあ。こう問題が多いとな」
担任はすぐに証拠保全をして写真などを撮って、警察を呼んだ。
というのも、この手の度を超した嫌がらせを二、三度ほど担任に相談して無視されたことで教科書やノートがなくなったことで紗和は災害被害者団体に泣き付いたのだ。
もちろん教科書も買い換える費用もあるし、ノートだって取り直しはできる。けれど三度目の時にさすがにこれは学校だけに任せておいても犯人が捕まらないことと、一度自宅の鍵を盗まれたこともあり、個人で警察に通したところ警察からまた同じことがあったら警察を通してくださいと学校は念押しされたのだ。
その時に犯人の女子学生が捕まったけれど、彼女は反省を一切しないで恋人ですらない燎に一方的に恋心を抱いただけでやっていたため、学校では対処もできないくらいに危ない人だったのだ。
なので紗和がこうなるごとに、担任はもう警察に任せた方がいいと諦めてしまっている。
こうすることで同じことをする人が減るといいという気持ちだったが、この嫌がらせはもう六回目を越えていた。
だから教師が燎に文句を言いたくなるのも分かる。
けれど問題は燎が手を出した女性以外がやっているという寧ろ、燎にとってもストーカーが犯人であることばかりなので担任も燎に何か言えるはずもない。
しかし一緒に住んでいるだけで紗和だけが被害に遭うのは、警察も段々とまたかという顔をしてくるようになった。
「いるんだよね……毎回被害を受けちゃう人って。次からは荷物は鍵のかかるロッカーとか職員室とかに預けておくようにしてください」
警察も指紋を採ってさっさと仕事を終えて帰って行く。
この指紋がいつも警察の方でヒットすることがあるのだ。
万引きや窃盗などで補導歴がありな子が引っかかる。
「紗和、またか」
燎が隣の教室からやってきて紗和が濡れた教科書を捨てているのを見て言った。
「ああ、飽きもせずにね。またノートを一から書き直し。これで六回目だから、さすがに成績も上がったよ」
紗和はそう言うと、一緒に片付けを手伝ってくれていた尾北が燎を睨んで言う。
「あんたも色香を振りまきすぎなんだよ。何で一緒に住んでいるだけの紗和ばっか、こんな目に遭うんだよ、おかしいだろ」
尾北がそう言うと燎はふむっと考えて言った。
「確かにそうだな。こっちも気をつけよう」
燎はあっさりとそう言うと、紗和の頭を撫でてから隣の教室に入っていった。
「……何、あいつ。何かムカつく」
そう尾北が言うので紗和は少しだけ笑う。
「ごめんね、尾北。嫌なこと言わせてしまった。でもこればっかりは燎だけのせいじゃないから……ほら、勝手な思い込みばかりだし……」
紗和がそう言っていると、廊下の向こう側が騒がしくなった。
「きえええええええええええぇえっ!」
急に騒ぎが大きくなって振り返ると、そこには髪を振り乱した女学生がナイフを振りかざして走ってくるのが見えた。
一斉に学生たちが教室に逃げたり、廊下に座り込んだりとしたお陰でまっすぐにその女学生が紗和に突進してきた。
「……っ!」
ぶつかるかもしれないと思った瞬間、紗和は肩を掴まれて隣の教室に引き込まれた。
「あっ!」
ハッとして紗和が顔を上げると燎が紗和を抱きしめてから女学生を睨んでいるのが見えた。
「私に近付くためには紗和に招かれないといけないから、紗和を排除すれば私に近づけると誰かに吹き込まれたな……笑止」
「え?」
燎がそう言うと、その目が光ったと思った。
それによって突風が吹き抜け、ナイフを振りかざしていた女学生がそのままの勢いで飛ばされた。
風に紗和が目を細めた瞬間、窓ガラスを突き破って女学生が飛び出て行くのが見えた。
「ああっ!」
紗和がそう叫んで窓から飛んでいく女学生を追いかけて窓に近付いた。
まさか神が起こした風だったのか、人が飛ぶほどの風が室内で吹くわけもないとすぐに紗和には察せられ、神が人を殺したのかと焦った。
けれど、外を見ると女学生は校庭にある金網に引っかかったのか、かなり低い位置で金網に受け止められ、それからゆっくりと通路に落ちた。
「落ちた!」
騒ぎを見ていた学生たちが一斉に窓に近付いて外を見て、女学生が生きているのを見てホッとしている。
女学生は倒れた後、フラリと立ってからまた足から崩れるように倒れた。
その時だ。
その女学生の中から何かドロリとした黒い物が這い出てきて、小さな悲鳴を上げて消え去った。
「……何、あれ……」
紗和だけがそれを見ることができたのか、周りはホッとした雰囲気だったり、ガラスに触れないようにしていたりと、あの影を見たものはいないようだった。
「あれは式神だな。誰かが女に私を攻撃する何かを仕込んでいたらしい。しかしその矛先は私に向かわず何故か紗和に向かっている。こればかりは私にも誤算なことだ」
燎がそう言うと、周りは教師たちが現れて学校が休校する旨を伝えに来た。
「全員、怪我しないようにゆっくり廊下を通りなさい。午後の授業はありません!」
大きな声で教師が言い、学生がわっと事件のことから意識を逸らしてそそくさと全員が帰っていく。
そんな中教師が紗和と燎を呼び止めて言った。
「お前らは事情を聞くから残りなさい」
「……はい」
他の学生が帰って行く中、紗和と燎は荷物を持って職員室の隣の部屋に入った。
学生指導室であるがそこで二人はあの女学生と何かあったのかと問われた。
「俺は、全然知らない人で……急に奇声を上げて向かってきて……」
見たままを告げると、燎が言った。
「私も同じだ。あの女とは面識はない。会っていたら覚えている」
燎は自信満々に答えたので担任はふうっと溜め息を吐いて言う。
「お前が覚えてなくても相手が少しでも接触すれば勘違いもするだろう?」
「それは私に今後どんな学生とも冷たくあしらい、反感を買うように冷酷に接しろと言うことでしょうか?」
仲が良くなくても当たり障りなく対応していたら勝手に惚れられて事件を起こされると燎に問題があると言われたら、こう返すしかないだろう。
「いやーそうじゃなくてな……もっとほどほどにできんかって」
担任がそう言うのだが、燎は言った。
「この学校の学生でないものの犯行まで全部私に責任があるというのはあまりに無謀なことじゃないか?」
燎の言葉に紗和が首を傾げて聞いた。
「もしかして全学生の顔、覚えてる?」
「当たり前だ、あの顔は学内で見たことがない。だから知らない女だ。外で私が女とどうこうないことは紗和が一番よく知っているだろう?」
色んな女が燎を狙っているけれど、燎は目くらましをしているのか、女が紗和と燎の自宅にたどり着けた試しはない。
燎も自宅を突き止められて突撃を食らわないようにしているのだろうが、大勢の学生がいる学校ではそれは叶わない。それでもある種の結界を張っているらしく、危険があればそれなりに対処はできるらしい。
そのお陰で紗和はあの女に刺されずに助かっている。
「ああ、あの校門前の取り巻きにもいなかった人なんだ?」
「いなかった。だから誰なのか分からないやつだ」
燎がそう言うので担任は警察に調べて貰ったら、どうやら学生ですらなく、一般の成人した女性が制服を着て学内に忍び込んだことが分かったのだ。
「恐らく、通学路かどこかで見かけて一目惚れでしょうかね。それからストーカー行為を繰り返し、学内に侵入。そういうところでしょうか。さすがにこれを彼に非があるとは言えないですね」
どうやら警察の調べで燎のストーカーであったことが分かり、燎は何の非もないことが分かった。
けれど燎はそこまでのイケメンというわけでもないし、誰彼構わず博愛主義でもない。そりゃ女性とは関係しているけれど、そこから何か問題に発生したことはない。
なのでそこはきっちりとしている。
けれどその余波を受ける者が、神の後光を感じるのか心酔し始めてしまうのだ。
こればかりは神である燎であっても、どうにもできない不都合な部分らしい。
警察から解放されて、学校を後にして自宅に戻っても紗和はこのままで済むのだろうかと思い始めた。
「もしかして一所にいるからいけないとかある?」
紗和の言葉に燎は首を少し傾げた。
「分からない。ずっと同じところで祭られてきただけだからな。私の魂自体に何があるというのは感じたことがない。だから分からないというしかない」
「そうか、もしこれ以上混乱が起きるなら、ここを離れることも考えた方がいいかもな」
紗和がそう言うと燎は言った。
「学校は出た方がいいのだろう?」
「そりゃ、そうだけど。そういう場合じゃないだろ。人が、殺そうとしてくるとか……本当に怖かったんだからな」
そう言い、紗和は自分の手が震えていることに気付いた。
すると燎が紗和を抱きしめてから言った。
「お前は私が守る。そう約束をした。だからお前が傷付くことはない。私が側にいるから大丈夫だ」
神がそうしたいから言っているのではない。
そう燎と約束をしたから神はそれを守っている。
契約だから仕方ないのだろうが、それは何もかもをなくした紗和にとって一番嬉しく、そして安心する言葉だった。
「うん……ありがとう燎」
神に礼を言ったわけではなかった。
もうここに魂もないであろう、肉体だけ残して去ってしまった友の優しさに紗和は感謝したのだ。
そんな紗和を抱きしめながら、神は初めて自身の中に燎の思いが入り込んでいることに気付いた。それは不快な思いではなく、紗和を慈しむ燎の優しさであり、そして愛だった。
この小さな人間を心から愛おしく思うようになっていることに神は少し面白いと思った。そしてその身に宿る怒りもまた燎の思いである。
その怒りは決してよい方向には動かないものだった。
次の日も現場検証ということで学校は休みだったが、その日の学校が更に混乱が起きていた。
何と女学生が十名ほど屋上から飛び降り自殺をしたのだ。
更に他校の学生も混ざっていて二十名ほどが集団自殺をした現場になってしまったのだ。
「……何、これ?」
紗和は異常な事態に体を震わせるけれど神が言った。
「学校の結界を一時的に解いたからだろう」
「え、何で、結界って守るためのものじゃないの?」
紗和はそういうものだと思っていたけれど神は説明をした。
「紗和にとってはお守りで合っている。結界は紗和のために張っているものだからな。しかしそれが干渉してよくないことが起こっているかもしれないと思い、昨日帰るときに結界を解いて自宅の結界を強化した。するとこうなった」
神は結界を解いただけであると言う。
けれどそれでどうして人が飛び降りをするのか理解ができない。
「恐らく、誰かが何かの目的で悪意ある物を学校に送り込んでいたということなのだろう。それに感化された者が獲物を求めて学校へと呼ばれ、そして術をしくじったのだろう。術で操って人を自殺させるなんてことは基本的にはできない。追い詰めることはできてもだ。けれど、これほどの規模を殺すに至る何かができる人間は限られた力を持っている者になる。そんな強力な力を持つ者が結界のせいで術を送り込みができず、術をかけ直しか増大をさせ続けたところ、私が結界を解いたことで術が爆発したというところだろう」
神としては何者が紗和を殺そうとしたのかを調べようとしたというのだが、その結果、相手の術が暴走し、集団自殺という結果になってしまったという。
それは強大な力が加わった結果、術の重ね掛けという従来ならしないであろう手法のせいでこうなったと神は分析している。
「そういえば、燎を狙っているって」
「恐らく。生き残った私と紗和を狙った何者かがいるということだ。あの村にいた神である私に誰かが気付いたか、気付いていなくても紗和が贄として使えると踏んだか」
「俺が贄?」
紗和はそんな表現をされたことがなかったので驚くと、神は言う。
「恐らく紗和を狙っているのは、神の加護があると思っているからだろう。つまり、神としても私が生きているのは、誰かにバレているというわけだ。元々紗和が贄だったことをも知っているとなると、狙ってくる者は限られるが……」
そう神が言うので紗和は混乱した。
「待ってその前に、俺が贄だったってどういうこと?」
紗和がそう神に聞き返す。
神はそんな紗和の頬を手のひらで包んでから言った。
「そうだ、お前は村人が選んだ、私への贄だったんだよ」
そんな神の言葉に紗和は目を見開いて驚いた。
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