Agnus Dei2
3
村の外へ
「中にいる人、出てきなさい。避難してください!」
急に窓ガラスが叩かれて、紗和が驚いて振り返るとそこに人が立っているのが分かった。
どうやら明かりを付けたせいで中にいる影が映ったのだろう、消防署員たちが家を回って住民に避難を呼びかけている。
「君たち怪我はない? 早く避難をして」
「……分かりました。あの貴重品だけ、取らせてください」
それに答えないわけにはいかないので、紗和はそう答えた。
「それじゃ気をつけて荷物持って」
紗和は両親から教えられていた貴重品の入った袋をリュックに入れて、燎と一緒に消防署員たちに連れられて避難所へと向かった。
車に乗せられてから紗和はこのままこの神と名乗るものを村から出していいのか、少し迷ったけれど、何と言って誰に止めて貰えば良いのか分からず、結局そのまま村の外にある避難所に二人は移送された。
後から分かったことなのだが、どうもそれはいけないことだったようだった。
それからすぐに村の地域は全国でも尤も被害が大きい震災を受けたとしてテレビ報道が開始された。けれど避難所ではほぼ住民はおらず、紗和と燎、そして旅行に出かけていて戻ってきたばかりと言う家族くらいだ。
他の人は村に駆り出されて出店を手伝っていたし、子供は全員が村の神社に行っていたようで、百人ほどの新興住宅地の家族はほぼ全滅と言ってよかった。
避難所ではとうとう紗和も両親にも友達にも会えなかった。
皆あの村に埋もれてしまい、死んだのだと分かるのはそれから一週間を過ぎてからだった。
紗和と燎の両親は比較的浅いところで見つかったけれど、埋もれた衝撃による即死であることが分かり、それだけは紗和にとって救いだった。
中には苦しんで死んだ人もいたようで、紗和にとっては両親が何も分からないうちにあっという間に亡くなっていた方がよかった。
燎の両親も同じところで見つかったけれど、もちろん神様の依代である燎が何か感じる訳もなく、同じように火葬され、あっという間に小さな骨になった。
幸い隣町に祖父母の墓があったのでそこに追加で遺骨を入れて貰った。
紗和には身内はなく、遠くの親類は面倒は見られないと断った。それは当たり前のことで、仕方ないことだった。祖母が親戚だったというだけの繋がりだったからだ。
燎には親戚がいたらしいが引き取りはしてくれなかった。遺骨だけは一族の墓に入れてくれたが、あくまでそれは無縁仏にしたら後味が悪いからというだけのことだった。
さすがに紗和も今の燎を引き取られたら堪らないと焦ったが、どうやら神の方も引き取られないようにしていたらしい。
それから国の援助を受けて二人は市内のマンションの一部屋に二人で暮らすことになった。
双方が両親の保険金でマンションを選べたのと、保証人がいないことは災害被災者であることを理由に国が選んだ保護人が保証人になってくれて二人は家も学校も転校して通うことができる環境に身を置けた。
避難所生活では迂闊なことを喋ることもできなかったので、普通の会話で燎と過ごし、やっと部屋に落ち着いたら燎が言った。
「しかし私に任せてくれれば、すぐに住むところなど見つけられたというのに」
燎がそう言うのだが、恐らくそれは余裕でできるのだろうが色々と不都合がありそうだった。
「戸籍とか謄本とか動かせないだろ? 今はただでさえ悪目立ちしてるんだ。これ以上興味の目を向けられるわけにはいかないんだから」
「ふん、人と言うのは本当に面倒が過ぎる」
燎はそう言い、ソファに座るもテレビで見ていたニュースを見ると眉間に皺を作っている。
あの村の震災以来なのだが、あの村出身の祭りを主催していた一族が生きているのを知ったのだ。
どうやら村での権力はそのままで町で暮らしていたようで、東京などの都会に引っ越している人も多かったらしい。
もちろんその人たちに非はないけれど、祭りをしていたという理由だけでマスコミが安全策を取ってなかったと追い詰めていた。けれど彼らはそもそも村人が率先してやっていた祭りであり、元々はあの村で祭主としていた一族ではあるが、ここ七十年ほどは村に関わっていないことが分かったのだ。
つまり神喰家と同じく祭主のはずの加賀美一族も村を追い出されていたのである。
「道理で祭りの失策といい、手際が悪いと思っていたが、あやつらも追い出していたとは、愚村民どもめ儲けに目がくらんだか」
やっと事情が分かってきたら、思い当たることがあったようで神は怒りを見せたがその時の一瞬だけだった。
「もう私の関わるところではないな。あの村が沈むのが運命だったと思えば、こうして自由の身になったくらい安い物だ」
それに気になったので紗和が聞いた。
「もし、燎がいなくて依代がいなかったら、お前はどうなっていた?」
もの凄く興味がある質問だったが、神はふと考えてから言った。
「お前が死んでいたよ。それだけだ」
そうニヤリとして言った。
きっと守る守らない以前に、あの町自体も飲み込まれていたのだろう。被害者はもっと多かったのだと言われたのだ。
恐らくであるが受け入れ先がない神が暴れることになり、山一つ分の雪崩でもっと被害は増えていたかもしれない。隣町まで影響が出るかもしれないほどだったのだろう。
「お前の考えている通り、想像以上だとしか言えない」
神にだって起こらなかった予想は分からないのだ。
けれど村がなくなるということは決まっていたと言えた。
「そもそも、燎の体を手に入れてどうするんだ?」
目的が分からないと言う紗和に燎が言う。
「お前は私に何か目的があると思っているようだが、それがそもそも間違っている」
「どういうことだ?」
目的があって燎の体を手に入れたのではないかと言うと、違うと言うのだ。それが意味するのは何なのか。
「目的は私も生きることだ。神として生かされていたが、私は捕らわれているも同然だった。別にそれでも生きられるなら構わなかった。だが、神として滅びる寸前だと悟ったら、お前は大人しく死ぬのを待つのか?」
そう神に言われたら紗和は分かってしまった。
「待たない……生き延びる方を探す」
「そういうことだ。私にとってあの場所から動くには依代の存在が必須だった。そしてそれはお前たちが犯した罪によってなされた。お前たちがあの神殿に忍び込んだことで、私との繋がりができたのだ」
紗和に記憶がないけれど、燎は自分があそこに行こうと誘ったと言っていた。
中を覗いてみようと弁当を持って山を登った。友達は直前で怖くなって神殿には入らなかったけれど、それは紗和や燎のように耐性がなかったのだろう。
紗和は怖さを感じない稀人で燎はもともと神を降ろす依代の体質。神を怖がるという機能が普通の人より劣っていたせいで二人はあの神殿に入り込みそして神具に触れたのだ。
神は言っていた。
紗和は勾玉を持ち出して崖から落ちた時になくなったようで、村人はそれを探していて紗和に監視をつけていたという。
「それで俺だけ見張られていたのか……」
「そういうことだ。けれどお前は記憶を失い、勾玉の場所を思い出せないでいる。まあ、もっともそれも土の下に埋まってしまっただろうから、私を封じるのはもうできないだろう。鏡も割れただろうしな」
神はそう言うので恐らくその二つが神自体をあの神殿に封じていたものだったのだろう。しかしそれも失われてしまったら、もう神に神殿を用意しても封じることはできないだろう。
加賀美という一族もきっとそれを知ってそれみたことかと思っているだろう。
何のために祭主が存在し、一族が長く村を支えてきたのか。
それが分からなかったのが村人たちだった。
「神の力を存分に使い込んで、そのままで済むわけもないだろう? その代償はその命で償わないといけないくらいにあいつらは使い込んだんだ。何事も無償ではない」
「だったら、何で俺を助けようとしている……」
燎の体を手に入れて、紗和から離れることもできるのにわざわざ紗和の側にいるように付きまとっている理由が分からないと紗和が言った。
「仕方あるまい。この体に入る契約が、お前を全力で守ることだからだ。始めに言っておくが、お前は私のテリトリーに入り、そして私の加護を死ぬまで受ける。それがこの体お持ち主であった燎の願いだ。こんなことは滅多には起きないことだ。神と取引してその命を差し出したからこそ叶えられることなのだ」
そう神は言うが、紗和はそれで納得はできない。
燎が命を差し出してまで守ってくれたのは分かっている。
けれど、あのまま死んでいたとしてもよかったと思えたのだ。
一人で生きていくのは辛すぎる。まだ燎がいれば頑張れたけれど、外側だけなんて悲しすぎる。
「俺は燎と一緒に死にたかったよ……」
そう紗和がいい、泣き始めるとさすがに神が少し苛立つ。
「人間は勝手だ。お前の思いなんてこいつは聞かずに生かした。助けられたお前は死にたかったと嘆く。身勝手過ぎる。結局あいつもお前も私も自分のことしか考えていないのさ。なら私は勝手をするまでだ」
神の言葉に紗和は更に悲しくなった。
確かに同じ状況に紗和が陥ったとして、きっと燎の気持ちなど考える前に燎を助けただろう。それなのに後で助けた相手が死にたかったと言い出したら、自分の犠牲の意味がなくなって悲しくなる。
「燎の中身はほぼ私であるが、私が燎の思考をトレースしている。こちらの世界の知識や言葉、行動するに至るまでの常識もだ。大体のことはこれまでの生活で私にも理解ができたことが多いが、一つ分からないことがある」
神はそう言い、泣いている紗和の方を向いた。
紗和は涙を流しながらも神を見てから聞く。
「何?」
神がこちらの生活をトレースしているのは大体予想通りだ。
世界から隔離されていたはずの神が、こちらで困ったことになってないのはきっと燎の行動や紗和の行動を見ながらトレースし、避難所生活で更に人らしい行動ができるようになったのだろう。
その理解力が誰よりも高い神が理解できないことは何だろうかと興味は湧いた。
「燎はお前のことを抱きたいと思っていた」
「……は?」
唐突な神の言葉に紗和はキョトンとする。
「抱くって何?」
理解が追い付かずに紗和が更に尋ねるも神はそれに対して笑った。
「ははは、なるほど。それでこれだけは理解が追い付かないのか。お前に聞くのはそもそも違うということだな……分かった。これは他の人間に聞くことにする」
神はそう言い、クククッと笑った。
その言い方によると恐らくわざと紗和を困らせようとして言った言葉だったらしいが、紗和が理解できず別の意味で困るのを見て、神は自分でも理解できない部分は紗和に聞いても解決しないと判断したらしい。
「何だよ、何で俺には理解できないって思うんだよ」
紗和がムッとして言うと、神は言う。
「それよりも、これから高校というものに行って学を積むとして、更に大学というところに行くわけだが、私としては目的も何もないわけだ」
神がそう紗和に言い出して、紗和もそれはそうだろうなと思えた。
神にとっては生きているという感覚よりも生きている目的は消滅するのが嫌だったという感覚であるから、生きる目標というものはないのだ。
「当面はお前を守るけれど……」
「神に融合した燎は、いったいどれくらい生きられるわけ?」
紗和がそう聞くと、神は少し考えた。
「私の力で修復を繰り返しても、二百年ほどが限界だろうな。人間の体は脆い。息をしているだけで老いていく。それらを修復してもなお、二百年で人間の体は朽ちる。そういう生き物なのだろう」
人に降ろされる理由も返される理由も神は人にちゃんと入ってみて気付いたことだったのだろう。
「あんたにとっては燎の中に入ったことは失敗だった?」
「いや、これはこれで面白いと思っている。まあ人の体が朽ちてなくなったとして、私がそのまま消えるか何か更に進化するのかは正直なってみないことには分からないものだとは思っている。それはそれで一緒に朽ちるならそこまでの命だったってことだろう」
神として足掻いたのは、消えゆく時に生きたいと願う人と変わらない。
ただそこに生き延びられる道があったら誰でも縋るだろう。
そして普通なら燎が断っていれば神はあそこで消滅していただろう。けれど燎は見てしまったのだ。山が崩れそして紗和が死ぬところが見えたのだ。
だから神との取引に応じた。
そんな燎が誰よりも助けたかったという紗和は、これから燎の入れ物に入った神と一緒に暮らしていくしかない。
「私にこの世でやることはない。お前の隣でいろいろとこの世を楽しむことにするよ」
神はそう言い、本当に紗和の側をあまり離れずに行動するようになった。
最初こそあの惨劇から助かった二人であることから周りからは奇異な目で見られていたけれど、次第に燎のかっこよさに周りの女子たちが声をかけ始め、次第に紗和との距離はできた。
紗和は燎との距離を少しだけ離していたけれど、住んでいるところは同じであるから二人は学校内の距離だけが少し遠かった。
というのも紗和は元々根暗に近い部分があり、村人に抑圧されてきたからか大人しい学生たちと一緒にいることが多かった。けれど神はこの世界を知りたいという思いからか、女子学生とも付き合うようになっていた。
その結果、少しの事件が起きてしまうのだった。
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