Agnus Dei2
2
全てが無に
九条紗和は祭りの佳境に入っていることを鳴っている太鼓の音で察した。
祭りに参加している人はほぼ、紗和の近くにいる村人と同じように放心しているのだろう。それが分かり、紗和は燎を担いで村人から逃れるために歩いた。
燎は低く唸り、頭をまだ抱えているけれど、紗和が助けようとしていることは分かっているのか、何とか歩いてくれていた。
町中に戻ると、案の定お祭りに参加している人々は山の方を向いたまま、あの村人と同じように放心して立っている。
けれどどの人も山を向いたまま固まっているから、紗和は絶対に山を見ないようにして燎を担いで自宅の方へと戻った。
人並みを押し開き、やっと出店通りを抜けて自宅の方へと歩いた。
街灯は明るいのに、何故か視界が悪いというような靄の掛かった視界で、紗和はその中を必死に歩き、自分の自宅に戻ってきた。
燎の自宅は更に奥なのでこれ以上は運べない。
紗和が部屋に入ると、両親はいなかった。
お祭り関係のことで確か町内の出店に出ていたのを思い出す。
リビングに入り、ソファに燎を寝転がせると紗和は部屋のカーテンを閉めた。
まだ遠くでは太鼓の音が聞こえるけれど、それでも遠くなった分、燎の頭痛は治まっているようだった。
「紗和……くそ、意識が持っていかれそうだ……多分、俺ら……ずっとこの時のための生贄だったんだ……」
急に燎がそう言い出し、紗和は驚く。
「どういうこと? 燎、何か思い出した? 俺は全然思い出せないんだけど」
紗和が燎に聞き返すと、燎は言った。
「俺、あの時に多分あの神社の大事な神具だった鏡に触れてる……あれ、たぶん神が身を寄せる何かだと思うんだ……太鼓が鳴り始めて急に意識が持って行かれそうになって……そしたら何か黒い物が見えるようになった」
「何それ。どういうことだ?」
「あれが神なんだと思う。俺、その神に呪われてるんだよ……」
燎がそう言った。
けれど一緒に行動していたはずの紗和が呪われていないのはおかしいと紗和は思った。
「幾ら俺が忘れているからって、一緒に呪われないのおかしくないか?」
紗和がそう言うと、燎は言う。
「たぶん、俺が鏡に触れたからだ。あの場所にいたことはそこまで重要じゃないんだ……俺は触れたから」
そう燎が言ったとたん、急に大きな地震が起きた。
「ああっ……こんな時に地震!?」
家の中の食器が音を立てて食器棚から飛び出すほどに揺れ、固定されているテレビすらも音を立てている。
家が軋み音を鳴らし、燎は紗和を抱きしめて必死に二人でその地震に耐えた。
そして轟音がなり、まるで何かが押し寄せるような音が聞こえ、更に地面が揺れた。
何が起こっているのか理解できないほどの轟音と共に、二人はそれが収まるまで抱き合った。
「くっ……あっ」
「くそ……なんだよこれ……」
その揺れは一分も続き、二人はソファにしがみついたままで耐えた。
しかしその轟音が収まった時に、燎がガクリと意識を失ったように倒れた。
「燎っ! 大丈夫か、燎!」
紗和に覆い被さるようにしていた燎の体を押しのけ、紗和が燎の背中に触れると、どうやら照明が落ちてきて当たっているようだった。
「燎っ!」
照明は最近の軽いLEDの照明だったからか、背中を怪我しているようではなかった。
けれど燎は目を覚まさない。
「燎!」
そう叫んだ時にテーブルに置いてあったテレビのリモコンを踏んでしまったようで、テレビのスイッチが入り、テレビが付いた。
「○○県全域に、地震警報です。震度五域が多く、震源地は……」
大きな地震だったようで県内全てが震源地に近い場所から震度五くらいが出ている。さらには震源地はこの村付近で、沢山の建物が破損しているとも言われている。
そしてその地震が過ぎたあとから、あの気持ちが悪い視線も音も消えていることが分かった。
そして喧騒が戻ってきた。
「きゃーっ!」
「逃げろっ!」
「なにこれっいやあっ!」
人の叫び声が聞こえて、家の前の道を人が村から離れていく姿が見えた。
人は多くが怪我をしており、頭を押さえながら走って逃げている。
遠くで救急車や消防の音がし始めたのは五分後のことで、紗和は外が気になったけれど、迂闊に出るのは危険なので家の中から出なかった。
燎は意識を失っているのか起きる様子もなかったし、揺すっても起きなかった。
家族が帰ってくるまで待った方がいいだろうと思い、外の騒動が収まるまで待った。幸い家は無事で家の中は荒れていたけれど、靴を持ってきて燎の足にも靴を履かせた。
それで家の中を周り災害用の懐中電灯を取った。
その時二度目の地震が起きて、ブレーカーも落ちた。
さすがに自然に落ちたブレーカーを点検もなく付けるわけにはいかないのでそのまま静かに待った。
救急車や消防車が通っていったのを見て、紗和は燎を取りあえず置いてから外へと出た。
圧迫感を覚えるものはなくなったので山の方を見たところ、月明かりの中であの祭りの神社があった山がごっそりと崩れてなくなっているのが分かった。
それは山が崩れて土砂がそのまま麓の村を埋めてしまっていた。
「……ひっ……」
あそこには沢山の人がいた。
祭りの本会場である、こちら側は神社の辺りまで土砂で埋まっていて、村から続いていた出店も全部土砂の下だった。
「君! ここは危ないから、早く避難を!」
そう言われてもあの出店のところには親だっていたはずだった。
「……そんな……」
「下がりなさい」
消防署員たちが慌ただしく歩き回り、様子を伺っているが、どう考えても山一個分の土砂の下に人が沢山いたと知っているからか、険しい顔をしていた。
「駄目だ、これは助からない……」
全員を助けるつもりはあっても、この土砂を片付けるのは一年がかりの作業量だっただろう。
「うそ……みんな……うそ」
さっきまで紗和たちがいた用水路の草むらすらも土で埋まっていた。
逃げられたのは町中を歩いて祭りから帰っていた人だけで、祭りに参加していた大多数の人は生き埋めになっている。
紗和が混乱を始めると、急に紗和を抱え上げる腕があった。
紗和を抱え上げているのは、燎だった。
「燎……?」
「……ほら、君、その子を連れていって。避難所はすぐに先にできるから、余震に備えて避難を」
そう言われて燎は無言で紗和を連れて紗和の自宅に戻った。
玄関を入ると、荒れていた部屋が人が通れるくらいには綺麗になっていて、二人は靴のままで部屋に上がり、ソファに腰掛けた。
「ガスは漏れていない、電気も通っているようだ。しかし周りの家がどうか分からないから、明かりは懐中電灯だけにした方が良い」
燎がそう言うのだが、その口調が燎らしくない低音の声で、紗和は思わず言ってしまった。
「お前、本当に燎か?」
何げなしに出た言葉だったが、それに動揺したのは紗和も燎もだった。
「あ、ごめん、何かお前らしくない気がした……」
十年以上一緒に暮らし、いつも一緒だった人の気配を間違えるほど紗和も今混乱しているのかと、紗和は思ったのだが、燎はくっと笑った。
「なるほど。お前は勘が良かったな」
燎がそう言うので紗和は眉を顰めた。
「燎? なに……本当に別人みたいに……」
紗和が警戒をしてしまうと、燎は取り繕うのを辞めてソファに座り、転がっている照明に手を伸ばしてそれを付けた。
部屋は一気に明るくなり、触ってもいない照明が自動で天井に填められていくのが見えた。
「……え……?」
急に目の前で超能力のようなものを見せられて、紗和は呆然と燎を見た。
「八十年ぶりに神喰家の依代が戻ってくるとは思わなかったが、お前たちのお陰でやっと自由になれた。感謝している」
「は? 何言ってるんだ、燎、しっかりしろ!」
そう紗和がいい燎の胸ぐらを掴んだけれど、そのままあっという間にソファに体を押しつけられてしまった。
「しっかりするのはお前だ。お前は私の声を聞き、勾玉を盗んで捨てた。覚えてないらしいが、更にこの男が鏡に触れ、結界を解いた。お前たちは私を封印する結界を壊し、私を解き放ったのだ」
急にそう言われて、紗和は更に混乱する。
「お、俺たちが……って……燎はどうなったんだよっ!」
まずはそこからだ。
明らかに燎の体をして姿も同じなのに、そこから感じる気配は完全に別物だった。
何かに乗り移られたかのように全く違う話し方で違う視線を向けるソレをどう認識すればいいのか分からなかった。
「そうだな、お前には話しておこう。お前だけは助けてやるというのがこの持ち主との契約だからな」
そう言い燎の姿をしたものが自分の体を触っている。
その姿は人の皮を被った悪魔でもいるかのようなどす黒い笑みを浮かべていて、紗和は大人しくソファに座ってしまった。
燎を置いて逃げることなんてできなかったし、今は周りが滅茶苦茶だ。両親だってきっと死んでいると分かっているからこそ、紗和は泣きわめいている訳にはいかなかった。
状況把握をして、どうにかして燎だけは元に戻さないといけないのだ。
「まず、お前たちが破った結界だが。普通の人では越えられないものだ」
燎の姿をした者はそう言った。
「それは、あの神殿に人が入ることができないってこと?」
あそこは入ろうと思えば入ることはできるだろうと普通に思っていたのだが、どうやら人を惑わす結界があるというのだ。
「人が入ると迷って村の入り口に戻される結界だ。私を人と接触させないための結界だが、それには欠点もある」
「欠点?」
「そう、お前たちのように特別な人間には効かないということだ」
燎の姿をした者はそう言った。
「それってどういうこと?」
「そうだな。お前はさっき私を降ろしている途中で術には掛からなかった。お前は私の術に対して少しの耐性がある人間だ。世間では稀人(まれびと)と呼ばれる体質で、普通の人ではあるが、神や悪魔と言った者には魅力的な存在だ。これは生まれ持った素質であり、継続される血筋から生まれるものでもない」
どうやら燎の姿をした者にとっては、紗和の存在は正に光って見える美味しそうなものなのだという。
「そして、この男。これは私の依代だ。あの村の人間が私との話合いに使う依代としての大事なものだ。しかしあやつら、八十年前に私を降ろしての契約はなくとも、降ろした時の効力は変わらないと思い込んでしまった」
そう言うのでやっと紗和は燎の中にいるのが、あの神社の中に封印されていた何かであることを信じる気になった。
「お前は何?」
実質的に何か問えるとは思わないけれど、何であるのか聞かないと燎を取り戻すヒントが得られないと思ったのだ。
「私は名のない神と呼ばれていたものだ。私も自分が神かどうかは分からないが、お前たちが神と呼んで崇めていた存在であることは間違いない」
そう神と呼ばれるものは答えた。
「神、様? じゃ何で燎に取り憑いてるんだ?」
燎が依代であろうとも、一瞬のことで済んでいたはずだ。
呪いとは明確になんだというのか、そして紗和には記憶がないことがある。本当に忍び込んだ時に、こいつの声を聞いたのかなど謎のことは沢山ある。
そして紗和は自分が稀人である事実もはっきり言ってそうなのかどうかすら分からないことである。
けれど神と呼ばれたものの言い分もあるだろうとは思った。
そしてどうしてこの地震が起きたのか、そして村はどうして沈んでしまったのか。それを聞くしかなかった。
「取り憑いているわけではないが、依代というのは神を降ろす者のこと。この燎という男は、その血筋だったんだ。神喰というのは神を喰うという名のように、神をその身に降ろしても神を凌駕する力で押さえつけることができたものだ。しかしこいつは私の呪いに先に触れていた。私の呪いを返す方法はただ一つ、私をその身に降ろせばいい」
つまり神自身が掛けた呪いは神が入ることで無効化されるのだ。
「だが降ろしたが最後、自我はなくなるだろうと言ったが、お前を守るならそれでもいいと言った。だからお前をあの土砂から守った。本来ならお前はあの用水路の側でこいつと一緒に土砂に埋まって死んでいたところだ」
神にそう言われて紗和はきつく目を閉じてしまった。
「燎……俺はお前に助けられたんだな……なのに、俺はお前を助ける方法が分からない……っ」
この神に出て行ってくれと言っても、きっとこの神は勝手に消えることはできないのだろう。降ろした後に戻る場所。それが今まではあの神社だったけれど、そこは山崩れで社ごとなくなっている。
戻る場所がない以上、よほどのことがない限り神は出て行かないだろう。
そして出ていかない神と呼ばれるほどの力を持つ者を人間の中から取り除く方法を紗和は知らない。
無知や無学とか言う問題ではない。恐らくこの世界に神を自分の意思で受け入れて降ろした依代を無事に取り返す方法なんて知っている人はいないだろう。
このまま燎を放っておくことも紗和にはできない。
怖いけれど離れてしまっては、きっとこの神は何かしでかすに決まっている。
そうならないように見張っていないといけないけれど、それはどうすればいいのかさえ分からない。
「あの社はもう耐久年数が足りなかった。あやつらは私にかけるべき金を掛けず、管理を怠ったのだ。あの土砂崩れはそうして起きた。山は人の手を入れなければ廃れて山崩れを起こす。それもせずに繁栄だけを受け入れた結果だ。戦後はまだ不可抗力だろうからと甘く見ていたら、いつの間にやら神喰家を追い出し、のうのうと甘い汁を吸うだけの輩に巣くわれていたからな。村の終わりはそうした輩へのしっぺ返しだ」
神が言うには、そういうことらしいが、別に神がどうこうしたわけではないらしい。聞いたことがあるけれど山は手入れをしないと、水が出て木が倒れ、それによって地盤が緩み、山崩れに至る。
そうした自然に起こることなのに、村人は手入れを怠ったせいで社も巻き込んでしまったのだという。
「じゃ何で形だけの祭りなんて……」
意味がないものが続いたのか。
「それも人が呼べるからな。今では観光の一種だったようだし? 幸い新しい社はあるから、私の分身も早々に避難できていて被害はないのだけれど」
そういう神様の側には、蛇のような物がうようよとしている。
それは人の知ってる化け物と呼んでいいものであるのを紗和はやっと実感できる出来事だった。
燎は戻ってこない。
そう言われたのだ。
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