lnvolve

03

「玻琉、一緒に帰ろう」
 そう言うのは蘭佩(ランペイ)である。
 中華店で一緒になったことで、帰る時間も一緒になったのだが、帰り道は途中の駅まで一緒なので玻琉はそれに付き合った。
「助かる」
 玻琉はそう言って荷物を持って浩然(ハオラン)の店を出た。
 外は繁華街であるから酔っ払った外国人が沢山いて、日本の繁華街とは思えないくらいに外国語が飛び交っている。
 あちこちの喧噪で喧嘩もあるので、一人で歩いているとよく絡まれるのである。
「そういえば、最初に知り合った時も蘭佩(ランペイ)に助けて貰ったっけ」
「そうだったな」
 蘭佩(ランペイ)と知り合ったのは同じように浩然(ハオラン)の店からの帰りで玻琉が中国人の観光客に絡まれたのである。
 少しは中国語も分かるけれど、早口で捲し立てられて腕を引っ張られたら怖い以外の気持ちは湧かない。
 その時に蘭佩(ランペイ)が颯爽と現れて、酔っ払った中国人を宥めてくれたのだ。
 玻琉のことを女の子だと勘違いしたことが発端だったみたいで、蘭佩(ランペイ)は玻琉を助けてから舌打ちした。
「なんだよ、女じゃないじゃん」
 そう言われたのを玻琉は今でも面白可笑しく話す。
「面白いよね、蘭佩(ランペイ)は」
「だから、あの時は間違えただけで……くそ……」
「大丈夫、面白いだけで、蘭佩(ランペイ)は格好良かったから」
 玻琉がそう言うと蘭佩(ランペイ)は玻琉に向かって真剣に向き合うのだ。
「だったら俺と付き合って欲しい」
「……だから、それは無理だよ。好きな人いるって言ったじゃん」
 蘭佩(ランペイ)は玻琉と知り合ってから最初は女と間違えたことで不機嫌だったが、話しているうちに玻琉の境遇も知ったのか、段々と打ち解けてきた。
 すると半年くらい経った辺りから、こうやって恋人になって欲しいと言い出したのである。
 玻琉はそれを受ける気はなくて、そうして断る理由にあの時の声を聞いただけの優しい男を思い出して、その人に恋をしていると言い張っている。
 別に本気で恋をしているわけではないけど、あの人ほど玻琉の心に入り込んできた人は他には存在しなかったというだけのことだ。
 だからそこを基準にして、自分の心に入ってこられる人でないときっと関係を維持することはできないと信頼すらできないと玻琉は思っている。
「だったら早く告白して振られてこいよ」
 蘭佩(ランペイ)はそう言い、玻琉が失恋をしたら慰めてから落とすというのである。
「そう簡単に切り替えられないよ」
 玻琉はそう言っているが、かなり流されそうになる自分を押しとどめている。
 寂しさに負けて蘭佩(ランペイ)に流されそうになるのはよくないと分かっているからこそ、玻琉は蘭佩(ランペイ)が勉学を終えてカナダに帰ることを知っているからこそ、それまで答えないと決めている。
 どうせ一緒にはいけないし、大学の留学期間だけの恋人では玻琉の方が満足はしなくなる。そうなった時、昔のように両親に捨てられるように嫌われるのは心がきっと耐えられないと思ったのだ。
 だから玻琉は蘭佩(ランペイ)に甘えることはできなかったし、答えるわけにもいかなかった。
 蘭佩(ランペイ)もそれは分かっているのか、答えない玻琉の気持ちも少しは分かってるようで、無理矢理に関係を迫ってくることはなかった。


 そうしているうちに、何ごとともなく一年が過ぎた。
 二十一歳になっていた玻琉であるが、このままホストを続けているわけにもいかないと将来のことを考えるようになった。
 さすがに二十五歳を過ぎてまでホストクラブのホストをしている人は、将来に目標があってやっていることを知ったからだ。
 玻琉はお金が何とか定期的に稼げているうちに将来を見据えた貯金や貯蓄をしなければならない。でも何になるかによっては貯める金額も変わるわけだ。
 そしてそれによって別の体力をつけないといけなくなり、玻琉はジムに通うのではなく、昼間の空いている時間に武術道場を新しい家の近くで見付け、そこに通うようになっていた。
 昔、通っていた古武術の道場に似た古武術道場で、榧式古武術というとても変わった道場だった。
 そこには師範代の関という師範代がいて、何とその人は昔玻琉が習っていた古武術道場の師範代の関とは兄弟だと言うのだ。
「妙な縁があるな」
 道場に入るための面接でそのことを知った師範代の関は、その縁を大事にしてくれた。
 基本的に色んな武術を嗜んだ経験がある者しか入れないらしいこの道場に、門下生ではないが指導はしてくれるというわけだ。
 そうして体を動かすことで、玻琉は悩んでいたことが全部吹き飛びそうなくらいに充実した日々を送れるようになってきた。
 そのお陰で酒や夜食などで規則正しい生活ができていなかった体が段々と引き締まってきて、それなりに筋力が戻ると顔つきも変わってきた。
「玻琉くん、顔も変わってきて、かっこよくなったね」
 店の客がそう言ってくれて玻琉はニコリと笑って言う。
「最近ジムに通うようになってね……それかな。ちょっと筋力付いたんだよね」
 そう言って腕をまくってみると、それを触りたがる客にちょっと触らせる。
「ほんとだ、筋肉固いね」
 客がそう喜んでいるので入れられたボトルのお酒を客に注いでやってある程度飲ませてから店から帰らせる。
「危ないから気を付けてね」
「大丈夫よ、これから二軒目だもん」
「はは、正直だね。でも気を付けてね」
 玻琉がそう言って見送るけど、その客は多分次は来ない。
「玻琉くんは止めてくれないんだね」
 客がそう言うけれど、玻琉はそれを止める理由がない。
「君が自由に選ぶことだからね」
 玻琉はそう言ってニコリと笑う。
 わざわざ別のホストクラブに通っていると匂わせているのだろうけど、玻琉は去る者は追わない。
 それで落ちていくのも客の自由、束縛されるのが好きならそうすればいい。
 そこまで玻琉が責任を負う必要もないから、玻琉は絶対に止めないし追わない。
 これを止めるということはこの客の手管に下るってことだ。
 この客は玻琉を縛りたいし、物にしたいと本気に思っているということだ。
 こういう客は実は危ない。
 ホストに狂いすぎていつか破滅する未来しか見えない。
 本当のホストならここで止めて、どうにか自分に金を落とさせるように仕向けるのだが、玻琉はそこまで困っていないのでしない。
 結局、女性客は玻琉の頑なな落ちてこない態度に愛想を尽かせて去っていった。
「危ないのにね……」
 この街は誘惑に溢れている。どこで人生が狂うのかは分からない。
 でも玻琉はそれに巻き込まれるわけにはいかない。
 他人の人生まで背負えないからだ。
 どうせその人の人生がどうなろうと玻琉の知ったことではないし、玻琉が背負うものでもない。
 そうしてその客の話はやがてよくない結末となって噂になって聞くことになる。
 玻琉はそうした沢山の落ちていく人生を知っているからこそ、ここから表の世界に這い出る夢を見るのだ。
 いつかはこの繁華街から出て、真っ当な道を歩きたいと思うわけだ。
「できればいいんだけど」
 大抵の人はこの闇に沈んで一生この街から出ることもできないし、更に落ちて違う土地で同じようにやっていくだけになる。
 一度闇に足を付けると早々簡単に抜け出せないことも玻琉は知っている。
 だからこそ慎重に生きるしかないのだ。


 また違う日も客を店の外まで見送って、まだ終電のある時間だったので近くの地下入り口まで見送ってから店まで戻る。
「今日は、これで終わりかな」
 来てくれる常連の太客は見送ったばかりで、今日は平日の中日である。
 早々客は忙しいので来ない日で、玻琉は今日はこのまま上がるかと思って店に戻った。
 すると店の入り口で、別の客が店長と話し込んでいるのである。
 何か女性客の知り合いか何かがホストに怒ってやってきて揉めているのかと思って玻琉は横をすっと通り過ぎようとした。
 スーツを着た男が三人ほど、それを見た店長が冷やかしだと思ったのか客に話をしているところだったが、傍を通った玻琉はその一人に腕を掴まれてしまった。
「これがいい、これに頼む」
 急にそう言われて玻琉は驚き、男の顔を見た。
 その声に玻琉はゾクリと体が震えるのを覚えた。
 似ていたのだ、あの電話の男に。
 玻琉の腕を引っ張る男は、酷くいい男だった。
 深い彫りのある顔で、彫刻像みたいに整っていて、明らかに日本以外の血が入っている男だ。
 髪の毛こそ黒いし、瞳も灰色に近いけれど、外見はまさにイタリア系のモデルのような男である。
 なんだってこんな男達がここにいるのか分からなかったし、玻琉を捕まえてこれでいいと言って店に入ろうとしているのかは不明だった。
「冷やかしではない。この男を席に付けてくれればいい」
 そう男が強引に言うので玻琉は。
「店長、店先で揉めるのも何ですし、俺で良ければ相手しましょうか?」
 そう玻琉が店長を宥めると、その後ろに女性客がやってきていたから店長も慌てて三人の男を店に入れた。
「とにかく、奥で静かに。騒がないようにやってくれ」
 店長がそう言うので玻琉は男の人たちを奥の隠れ席に連れて行った。
 他の客に見えないように席を隔離して、店長は玻琉に任せた。
「頼むよ、本当に静かにね」
 念を押されたので玻琉は他の客にバレないようにコソッと話した。
「それで、酒は何を飲みますか?」
 玻琉は仕方ないと思って酒の写真付きのメニューを見せた。
「どういうつもりで店に来たのかは聞かないけど、一応来店したからには酒は頼んで貰わないと困るんだ。食べ物も頼んでね」
 店に入った以上、何かを頼んでくれなければ意味がないと玻琉が言う。
 すると男は不思議そうにメニューを見ていたが、全てを見た後に玻琉に言った。
「この店で一番高い飲物と食べ物を出してくれればいい」
 そう言われて思わず玻琉はメニューを見ると、一番高いのはドン・ペリニヨン、通称ドンペリ。その中でも店長が見栄を張って買ってまだ誰も入れていなかったドンペリ・プラチナである。
 ホストクラブで頼めば八十万くらいするものだ。
「ドンペリで大丈夫です?」
 玻琉がそう気を使って聞くと、男は言った。
「ドンペリはあまり好きではないな。リシャールがあるだろう?」
 そう言われて見て見ると、確かにある。
 店長に問い合わせてみると今日は置いてあると言うので飲物はリシャールになった。リシャールはバカラ製のクリスタルグラスが使用されているからボトルだけでも高級品である。
 ちなみにホストクラブでは百万円を超える。その分くらいなので頼んだ男も分かっているはずだ。
 そしてフルーツの盛り合わせが十万くらいだ。
 とはいえ、それは相当の太客がお気に入りのホストの誕生日などに頼んでくれるようなもので、一見の客が一回目の段階で頼むようなものではない。
「え……本当にそれでいいの?」
 さすがに玻琉も再度確認をしたが。
「ああ、それでいい」
 そう男に言われてしまい、玻琉は男の言う通りに注文を受けた。
 大きな声で注文を入れようとしたが、そんな玻琉を男が止める。
「派手に騒がれると困る。コールは要らない」
 と言われてしまったのでそっと注文を取り、そっと運ぶことになったが、迷惑な客と思っていた男達が既に店のその日の売り上げを底上げしているから店長が喜んでしまった。
 そして男客がこそっと注文をいれたはずなのに、いつの間にか他のテーブルでも値段の高いシャンパンコールが始まって大盛り上がりになってしまった。
 玻琉はそんな騒ぎの中、男達に静かに酒を飲ませて、そして周りの騒ぎを聞きながら接客をしなければならなかった。
 これはこれで結構な問題でもある。

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