lnvolve

02

 玻琉と男の電話は黙ったまま終わるかと思ったけど、男が玻琉に色々と聞いてきた。
『雨樋を登る猿がいると言われたが、随分と身軽だな』
「猿っていうな、緊急手段だ。普通に荷を取りに来れば素直に渡したのに」
 玻琉はそう言い、綾人にそこまでの義理はないからと思って言うと、男は笑っている。
『そこに付くまでに綾人が喋らなかったからな。やっとお前の名を吐いたところだったんだ』
「やっぱり綾人さん、喋ったんだ。何でそんな怪しいものを人に託すかな……」
 玻琉が呆れたように言うのだが、その理由は男も話してはくれなかった。
 恐らく受け取り先の宋のところにもこの男の手の者は待ち伏せていただろうから、あのまま逃げても追われるだけだったようだ。
『子供に渡しておけばバレないと思ったのか、お前が信用に値すると思われていたかは不明だが……これから荷を任されることもないだろう』
 男がそう言うのでどうやら綾人はこのまま帰ることはないのだろう。
 巻き込まれた玻琉からすれば、綾人には文句を言いたいが、戻ってこないってことは恐らくそういうことなのだろうと思う。
 生きて解放されたらそれは運が良かったという話。
 でもこの街には戻ってこないのだろう。
「そっか。まあ俺は巻き込まれただけだし、もう知らないよ」
『お前のことは調べさせて貰った。ちょうど明日二十歳になるんだったか? 誕生日、おめでとう』
 急に男にそう言われて、玻琉はびっくりした。
「言われたの、生まれて初めてだ。ありがとう、誰だか知らないけど、言われて嬉しいよ」
 玻琉はそう答えた。
 実際に誕生日におめでとうと言われたことはない。
 親は誕生日なんて気にする人達じゃなかったし、養護施設の人も誕生日会は金がかかるからという理由でそもそもしたことはない。
 十七歳から十九歳まで、バイトの誕生日を祝うなんてそもそもしなかったし、周りも玻琉の誕生日は知らない状態だ。
 だから本当に誕生日を祝われたのは、見ず知らずの男に言われたのが初めてだった。
 それは男にも意外だったのか、少し驚いたような息を呑む声が出たみたいで、ちょっと驚かせられたみたいだったのが玻琉には気持ち良かった。
『荷は見つかったそうだ。中身も確認した。これで終わりだ』
 ちょっと面白かった男との会話はそれで終わりだった。
「じゃあ……バイバイ」
 そう言うと電話は切れた。
 あっという間に時間が過ぎていて、玻琉はバス停から歩いて自分の家に向かって歩いた。
 タクシーで進んだ半分ほど戻り、街並みにあるアパートへと向かう。
 密集した住宅地の中にあるアパートで六畳一間の部屋に戻る。
 家には誰も待ち構えていなくてホッとして部屋に入る。
 鍵も開けられた様子はなかったので、中に入るといつも通りの部屋だ。
 六畳一間に二畳くらいのところにキッチンが付いていてトイレと風呂はなくシャワーだけだ。
 それで家賃は五万なのは格安であるが、大家がそういう人を受け入れてくれる人らしく、身元や保証がはっきりしない人が優先的に入れるアパートらしい。
 十七歳でその身の上だと知った大家が受け入れてくれて、もう三年になる。
 ここから出て行くことが恩返しになるのだけど、まだまだ出て行けそうにない。
 ホストになったら出て行けるかはそれこそ稼がないといけないわけだが、今日のことでちょっと考えてしまう気分になった。
「あんなに売れている人でもヤバイことに手を突っ込むんだな」
 店でNo.2の綾人がヤバイことに手を染めていると知ってからは、派手な見た目でも金に困ったらああなってしまうのかという残念な気持ちも玻琉にはあった。
 頑張ってホストになろうと思ったのだけど、ほどほどでいいかと思い始めたのも今日の出来事のせいだ。
 でもその変な出来事のお陰で、生まれて初めて誕生日を祝われたのである。
「人生何があるか分からないもんだな……」
 よく分からない感想が口から漏れて、玻琉は疲れ切った体をシャワーで温めてから布団に潜り込んだ。
 きっと明日には忘れてしまう、些細なことになってしまう事件でも玻琉にとっては少し特別なことになったのだった。


 あの男が告げた通り、次の日にホストクラブに行くと綾人が店を急に辞めたという話が店中に伝わっていて、玻琉は昨日話した荘野に問われた。
「綾人さん、辞めたって何でだ?」
「え、知らないよ。昨日頼まれたものは渡したし……」
「なんかヤバイもんだったんじゃ?」
「それは知らないよ、受け取った人も中身見ないで持っていってたし、俺も中身見てないんだよね。軽かったくらいしか分からないから、あれが原因とは思わないけど」
 玻琉はそう誤魔化した。
 ホストクラブの店長は凄く困っていたらしいけど、No.2がいなくなったら、No.3以下が張り切るのは当然で、噂を聞いた下位の人達が休みなのに一斉に店に出てきたほどだ。
 そのお陰で綾人の太客たちが綾人から乗り替える先を探して店に訪れたから、その日はびっくりするほど繁盛した。
 忙しさで裏方をしていたら、あっという間に誕生日だった一日は終わってしまった。
 玻琉はいつも通りにその日を過ごし、店が終わってから一時に歩いて家まで帰ると、家の玄関に荷物が置いてあった。
 よくネット通販で頼んだものが届いたりすると大家さんが受け取ってくれて合い鍵で中に入れて置いてくれるのだが、あいにくと頼んだ覚えがないので大家さんの書き残した手紙を見た。
 それによるとギフトが届いたと書いている。
 差出人は高辻瑛嵩と書いてる。
 全然知らない人だと思って、その荷をどうするか迷ったが、ギフトに付いている手紙らしいものを見て見ることにした。
 それを開けると、中には「Happy Birthday」と書かれている。
 玻琉は自分の誕生日が昨日でそれを知っている人は、ホストクラブに出した履歴書で確認できる経営者か店長くらいであるが、それを知っているなら一言あるはずで、こんな見知らぬ名前で送ってくることはない。
 だから思い出すのは、昨日話した男のことだ。
「まさか……そんなことある?」
 不気味ではあるが、もう受け取っているものを返品はできないし、中を開けて確認してみると中身は流行のスマホだった。
 玻琉のスマホは三年前に買った初めてのスマホだったが、そろそろOSが新しくしないといけないものになっていて、買い換えを考えていたところだった。
 そこに最新のスマホが入っていたらそりゃ驚くというものだ。
「あの男の人なのかな……」
 恐らくあの荷物の中身が無事だったことも関係しているのか、あれ以上問題がなかったのか、そのためのお礼だったのか分からないが、あの男からしても玻琉はちょっと可哀想な子だったのかもしれない。
 スマホを取り出してみるとそれは既に初期設定が済んでいて、持っているスマホのSIMを入れ替えるだけでよかった。そしてデータもそこまで入っていなかったので、簡単設定で電話帳だけなのでID同期で入れ替えられた。
 そうしてスマホの電話帳を調べていると、そこに一つ覚えのない番号と名前がある。
 名前は高辻瑛嵩、そして電話番号が載っている。
「どさくさに紛れてどうやって番号を入れたんだか……」
 怪しい男ではあるが、名乗ってまでして番号を残していくのだから、何か目的があるのかもしれない。それでもたった一人、誕生日を祝ってくれた人の名を知れて良かったと玻琉は思った。
 すると、あるアプリが入っていた。
 それはメッセージでやり取りすることができるアプリで、そこに新しいメッセージが入っている。
 いつの間にか向こう側からメッセージが届いてた。
『誕生日おめでとう』
 それに玻琉はスマホを貰ったお礼を送り、相手からは既読はついたがそのまま返事は来なかった。
「うん、お礼は言えた。これでいい」
 一回限りのことなのだと納得して、玻琉は満足したのだった。


 玻琉は結局ホストにはなったが、店ではNo.10くらいの立ち位置になって、ちょっとした客が付いたくらいだ。その客もあまり単価のある酒は入れない。
 それに玻琉は同伴などはしない主義だったし、もちろん枕営業もしないからそういうのをしているホストには抜かれていくしかない。
 それでも玻琉はバイト時代よりはずっとお金を稼げたし、一般のサラリーマンよりはずっとお金は貰っていた。
 それにより生活は半年で楽になり始めて、先の収入も見込めるからやっと玻琉はあのアパートを出ることができることになった。
 するとホストとして店にいる二十人中No.7くらいになり、新人たちが大学を卒業して抜けていったりしているうちに一年が過ぎていた。
「玻琉さんも段々人気が上がってますよね」
「まあ、間が抜けたからね……」
 大学生だった人気のホストが抜ければもちろん順位は上がる。
 玻琉の外見のよさもあいまって人気が出て、気付けばNo.4まで上がっていた。
 店を出たら知り合いの食堂にご飯を食べに行くこともあり、近所の中華料理店に入る。
「いらっしゃーい」
 店の従業員のバイトが元気よく声を掛けてくれる。
 そのバイトが水とおしぼりを持って来てくれて、それを受け取って玻琉は食べ物を注文する。
 この店は宋という綾人の知り合いがやっていた中華料理屋であるが、宋がその後辞めて他に移ったのを機に別の中国籍の人が新しく始めた店だ。
 玻琉は何となく通っていたら食事が美味しかったので、よく食べに来るようになった。
「玻琉、今日は餃子がいい具合だ」
 そう玻琉に話しかけてくるのは店の店長だ。名前は林浩然(リン ハオラン)というまだ三十歳くらいの人だ。本人曰く、親が金持ちで悠々自適の生活が送れるので、飲食業を幾つかやっているのだそうだ。
 浩然(ハオラン)本人は椅子に座っているだけで、料理人は別にいるから暇そうにしているが、客に話しかけて世間話をするのが好きらしい。
「じゃあ、餃子定食にしようかな」
 玻琉がそう言うと、ちょうど店に入ってきた男が呆れたように言う。
「玻琉はすぐ流されるよね」
 そう言ってきたのは最近知り合った中国系カナダ人の楊蘭佩(ヤン ランペイ)という人だ。
 店に通い出して浩然(ハオラン)と話しているうちに段々と話すようになった大学生だ。
 でも年齢は三十歳で仕事をしながら日本の大学に通っている凄い人だ。
 身長も百八十センチもあり、大きな体もジムに通っているというように筋肉隆々としていて顔もまた東洋によくいる流行のイケメン顔だ。本人も肌を整えていると言うように美丈夫である。
 少し長い髪を肩辺りで一つに結んで前に垂らしている。
「蘭佩(ランペイ)も久しぶりだね……本当にホストになったらNo.1になれる美しさもあるよな」
 玻琉がそう言って揶揄うと本人はその気がないので鼻で笑ってさっさといつも通りにラーメンと大盛りのご飯を注文している。
「玻琉も久しぶり、餃子定食で足りるの不思議すぎる」
 蘭佩(ランペイ)はそう言い、餃子定食が出てきたのを見て本当に不思議そうにする。
「俺にとってはお前のラーメン定食になってる分量の方が意味が分からないよ」
 玻琉はそう言って蘭佩(ランペイ)の食欲を恐ろしいと言う。
 玻琉も食べる方ではあるが、仕事上がりになると仕事中に食べるフルーツ分、夜食は少なめでよかったりする。
 玻琉は日本人の人達より外国の人達の方が実は上手くコミュニケーションが取れる。
 物をはっきり言ってくれる方が分かりよくて迷わないからというのもあり、日本人の曖昧さに少し迷うことが多いからだ。
 そして繁華街では外国人が多いので自然と知り合いになるのは外国人が多くなってしまったのである。
「そういや、前のここで店やってたヤツと玻琉は知り合いだったっけ?」
 浩然(ハオラン)がそう言い出して、玻琉はキョトンとする。
「知り合いではないかな。店のホストだった人がその人とは知り合いだったけど、俺は二、三回くらいご飯食べに来ていただけだから、話も挨拶くらいだし、それは知り合いとは言わないんじゃない?」
 玻琉がそう言うと浩然(ハオラン)も厳つい顔をニッと笑顔にして言った。
「それは顔見知りくらいだな」
「それで、その店長がどうかした?」
「いや、ここ辞めてから他の街に移って店やってるってきいてな。知り合いなら場所知ってるかと思ってな」
「いやあ、店辞めた理由も知らないから、その情報も初耳。でもご飯は美味しかったし、自分で店はしなくても雇って貰えたら何処かでやってても不思議ではないかな」
 玻琉がそう言うと浩然(ハオラン)が聞いてきた。
「で、どっちが美味いんだ?」
「こっちですよ。だから通ってるんじゃないですか」
 玻琉がそうお世辞でもなくはっきりと告げると、浩然(ハオラン)は破顔して満足したように笑った。
「玻琉はこういうの嘘を吐かないしな」
 蘭佩(ランペイ)がそう言うので浩然(ハオラン)も満足したようだった。
 玻琉はこうしてこの街に更に馴染んでいった。


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