Spell-bound
5
「……ゆう、ま?」
志鷹峻は目の前にいる三雲裕磨を見て驚いた声を出した。
「……っ」
裕磨は辛うじて峻と呼びたかった声を飲み込んだ。
まさか取引相手が峻だとは気付かなかった。
見落としていたのかとふっと思ったが、確か取引相手は峻の名前ではなかったはずだ。女性の社長だったと記憶していた。
どうしてと思い、そして合点がいく。
峻を仲介している女社長だったのだろう。
「どうした、お互い久しぶりだろ?」
永山がそう峻に笑いかけるけれど、峻はやっとそれでハッと我に返ったようだった。
「おい、永山、人が悪い……」
そう峻が言うけれど永山はニコリと笑って言った。
「別にお前に言うほどのことじゃないだろ? 仕事とは関係ないわけだし?」
永山は裕磨が峻に惚れているのは知っているから、わざと峻には言わないつもりだったのだろう。しかし結局は顔合わせになってしまったのは永山も黙っているわけにはいかないと気を利かせてくれたのだろう。
「……いや、でも、お前のところに……?」
「お互い積もる話もあるだろ。そちらの秘書の方、少しバーに付き合ってくれませんかね。裕磨、そちらの部屋を一時間延長しなさい」
永山はそう言うと峻が何も言えないように峻の秘書を連れて先に行ってしまった。
もちろん永山は裕磨の焦っている顔を見て笑っていたので、何かが面白いらしいのだが、困るのはきっと峻の方だ。
裕磨は堂々とした態度で峻に言った。
「どうぞ、お部屋の方へ。永山はこう言い出すと言うことを聞きませんので、暫くお付き合いお願いします」
そう言い、裕磨は先に部屋に入ってソファに座った。
持っていた荷物を隣の席に置いて峻が入ってくるのを待った。
峻は一分ほどして部屋に入ってきた。
「……裕磨、ちゃんとした会社に就職をしていたんだな」
そう峻が言い出したので、裕磨は何だか苛立った。
峻が今まで裕磨の情報を一切手にしていなかったことが分かったからだ。
「ええ、普通に就職しましたよ。大学を出てまで遊んでいるわけにはいかないので」
裕磨は峻にいなくなった理由は聞かなかった。
今日の取引で使われた不動産。あれの使い道が夜の店であることは明らかだった。そしてそれを即金で買えるくらいに峻は儲けているのだということも分かった。秘書までいるなら峻が社長で、経営も上手くいっているのも分かった。
聞かなくても裕磨には峻の状況が分かってしまったのだ。
「すまない。裕磨が怒っているのは分かってる。急に俺がいなくなって、探してくれてたよな?」
峻にそう言われて裕磨は少し考えた。
「いえ、マンションには行きましたけど、引っ越しされていたのでそういうことかと納得しました。なので探していません」
裕磨は峻がいなくなった時、探しはしなかった。それは本当だ。
探そうと思えば恐らく見つかったはずだ。ホストクラブに所属していたのだから行けばいただろうし、何なら実家の方に行って峻の両親に話をすれば連絡は取れた。
けれど裕磨はそれをしなかった。
だって、何も話してくれなかったではないか。
何処で何をするのか、話す価値もないと思われていたなら、きっと一緒にいることすらできない。
「探さなかったのか……?」
「何も言わずに消えて、携帯の連絡先も消えた。僕に知られるのがいやだったんでしょう? だからお望み通りに僕も貴方のことを忘れることにしたんです。いなかったって思うことにしたんです」
裕磨はそう峻にはっきりと告げた。
けれど峻はその裕磨の強さの正体を知っていた。
「ああ、そっか。裕磨は俺から永山に依存先を変えたのか」
峻がそう言い出して裕磨は何を言われたのか訳が分からなかった。
「は……?」
何でそんなことを言うのか分からずに裕磨はポカンと峻を見た。
峻は裕磨が訳が分かってないことに少しだけ溜め息を吐いていた。
ゆっくりとソファに座ると峻は話し始める。
「裕磨は昔から俺に依存してて、ずっと俺が守ってやらないとすぐ堕落しそうなくらい生きる意味がなさそうだった。そのうち何か決まるかと思っていたけど、結局俺を甘やかすことしか生きがいがなさそうだった。それじゃいけないと思って離れた」
峻がそう言うので裕磨は峻のことを甘やかすことが依存だったと言われたら、否定はできなかった。
「でも、結局僕はあなたから離れた。依存していたら居所は探すよ?」
峻を探さなかったことから完全に依存していた訳ではないと裕磨が言うけれど、峻は続けた。
「裕磨は俺が裏切ったから怒ってるだけで、探そうと思えば探せるから探さなかっただけだよね……だって実家に行けば俺の居所は分かるし、親にも内緒にして消えていたらうちの親が探しているだろうと安心していたってことだよ」
「安心はしてない。ただそれを切っ掛けにあなたのことを忘れようとしただけだ。依存していたからって何が悪い? 僕が決めたことをいなくなったあなたに否定されるいわれはないよ!?」
結局は置いて逃げたくせに、今更裕磨の生き方を否定して何がしたいのか峻のことが理解出来なかった。
裕磨はそう言うと峻を睨んだ。
これまで峻のことは思い出の中でかなり美化されていたのか、峻の酷さが目に付く。
こんなに酷いことを言うような男だったかと思ったが、よくよく考えたらそもそもそこまで分かっている相手の恋人を誑かしはしないだろう。
確かにあの女性たちは皆、峻に惹かれた。
けれど峻に手が届かないと分かっていた。
でも峻はそれを分かっていて、手に届くところに降りてきたのだ。
手が届くところにいるなら欲しくなるのは当たり前だ。
裕磨だって届くところの人と一緒にいたかった。
その時、裕磨の中には昔の峻への憧れと好きな気持ちはもうないことに気付いた。
「だからって簡単に永山に流れるのは感心しない。あいつだって俺と似たもんだよ? 裕磨は騙されている。今だってあの秘書と……」
「最低だ! 自分がしてるからって永山さんもしてると貶めることを言うなんて」
裕磨はそう言うとソファから立ち上がった。
あまりにも不快なことを言う峻に、もう一緒の空間にいることすら耐えられなかった。
「何がしたいんですか? 俺が一人で右往左往してるのが楽しいんですか? 俺が困ることばかり見せてきて何なんですか?」
それは初めてだったかも知れない。
峻を睨み、不快感のある視線を向けたことは一度としてなかったほどだ。
今の裕磨にとって峻は得体の知れない気持ちが悪い生き物に見えた。
どうしてこの人を好きだったのか、理解すら追いつかないほどに今の裕磨にとって峻はもう憧れでも好きな人でさえもなかった。
裕磨は自分の心があまりにもあっさりと峻のことを嫌っていることに裕磨の思考は混乱を起こした。
「裕磨? どうしたんだ? そんなに怒って。俺がいなくなったことにそんなに怒っているのか?」
峻はいつもの甘い裕磨が馬鹿だなと言ってくれると思っていたのか、ニコニコと笑って近づいてくるけれど、裕磨はそれが怖くて部屋から飛び出した。
必死に逃げた先にいたのは永山だった。
永山はバーには行かず、ホテルのロビーでお茶をしていた。
そこに裕磨が混乱したように走ってきたので永山が駆け寄ってきたのだ。
「裕磨、大丈夫か?」
まさか裕磨が取り乱して部屋から出てくるとは永山も思っていなかったようで、裕磨を助け上げると裕磨は永山に抱きついてから全身を震わせた。
その震えに気付いて永山は更に裕磨をしっかりと抱き留めた。
「どうされたのですか?」
峻の秘書が裕磨の様子の変貌に驚き声を掛けてくれたので
「分からないが……すまないが先に裕磨を運びたい。裕磨の荷物を持ってきて貰えるだろうか?」
「はい!」
秘書の人がいなくなると、ホテルの従業員が駆け寄ってきてくれたのでそのまま泊まる予定だった部屋に付き添って貰った。
そして借りていた部屋の様子を見てきて欲しいと別の従業員に頼み、永山は裕磨をホテルのベッドに直ぐさま寝かせた。
「いやだ……離れないで……」
降ろして寝かせようとすると裕磨は必死に永山にしがみ付いて離れない。
「裕磨、大丈夫だ。部屋には鍵が掛かってる。医師に診て貰うか?」
「いえ、いえ……違うんです……具合は悪くないんです……ただ怖いんです……」
裕磨がそう言うので永山はホテルの人に入り口で待って貰い、秘書に頼んだ荷物はホテルの従業員が受け取って部屋まで持ってきてくれた。
その時に峻の様子などを聞くと、少し異常だったようだ。
「部屋の方は何ともないようですが……お連れの方が少しご様子がおかしいようで。さすがに同じホテルにお泊めすることはできかねないので、別のホテルへと移動して貰いました」
「お気遣いありがとうございます。こちらは大丈夫ですので、通常のお仕事に戻ってください」
「はい、では何かありましたらフロントの方へお願いいたします」
「はい」
従業員はまだ怯えている裕磨を見て可哀想にと言うような視線を向けた後に部屋を出て行った。オートロックなのでドアが閉まれば勝手に鍵が掛かる。
「裕磨、もう誰もいない。少し手を緩めてくれるか? さすがに背中が痛い」
そう永山が言うと、裕磨もやっとパニックが収まってきたので、永山から手を離すことができた。
「す、すみません……と、取り乱して……」
やっと体の力が抜けたのか、裕磨はそのままベッドに倒れてしまった。
まだ荒い息をしているが永山にはパニックが起きたのだろうと予想は付いた。
けれど裕磨が何にパニックを起こしたのかまではさすがに永山も分からなかった。
「何かあったのか?」
そう永山に聞かれて裕磨は息を深く吸い込んでから言った。
「あの人が、怖かったんです」
「峻が? だがお前、まだ峻のことを好きだったろう?」
永山がそう言うので裕磨は少しだけ頷いた。
「そうです……好きだったと思ってたんです。でも違った」
裕磨はそう言うと、自分に起こったことを話した。
峻のことはずっと好きだった。永山と寝るようになってからもずっと好きで居続けた。けれどそれは決して敵わない恋心であり、もう二度と会うこともないものだと思っていた。
けれど再度会ってみて、峻と話してみたら、自分の中の常識が峻の常識とかけ離れていることを思い知ったのだ。
「僕は、きっとあの人のこと、好きじゃなかったのかもしれない。ただ兄みたいに守ってくれる人だったから、その好意を受け入れられていたのかもしれない……でも、さっき話したあの人は、とても僕には理解できるひとではなかった……怖かった、話が通じない人で……僕が話すことを全部否定して、そして……こうだろうと押しつけるようなことを言う人で……」
そう裕磨が峻のことを言うと、永山はそれを聞いて不思議そうにしていた。
「裕磨さ。峻はそういう都合都合で適当なことを言って言い逃れるような、酷い奴だったの分かってなかったのか?」
真顔で永山が返してきたので裕磨はそこでさっきまで怖くて震えていた震えが止まった。
「え……だって……あの人、僕には優しかったから……」
真顔で裕磨がそう言うのだが永山は深く溜め息を吐いて言った。
「優しい人は、わざわざ君の恋人を奪ったりはしないよ?」
「だって、それは皆、僕からあの人に乗り換えるから、悪いって」
「いやいや、そもそも幼なじみの恋人にわざわざちょっかい掛けることはないんだよ。普通はちゃんと言えば裕磨だって分かるだろ? 最後は裕磨も意固地になってて、言い寄ってくる子を彼女にしていたみたいだけど」
永山にそう言われてしまい、裕磨はふと昔を思い出す。
確かにあまりに峻に恋人を奪われるから、言い寄ってきた子を彼女にしていた。
特に最初の子を寝取られた時に、どうせ全員が峻目当てだろうと思いながら告白されたらオッケーを出していた気がする。
「そうですね、普通は友達の彼を奪うことになったら、それこそ険悪になって疎遠になるものですよね……」
言われてみれば確かにそうである。
普通、付き合っている友達の彼女を奪ったら、それでいいよって言える人はいない。裏切り者だとか最低野郎とか言って二度と一緒にいることもなくなるものだ。
だが峻はそこを悪いこととは思っていなかった。
今回のことで峻は裕磨の恋人は全員が峻狙いであると思い込んで奪っていた可能性も出てきたわけだ。
「あいつはさ、基本的にお気に入りができると誰にも触らせたくないやつなんだよ。それがずっと裕磨であって、誰であっても近づけないようにしていたんだと思う。それで俺も距離を取ったからな……」
そう永山が言うので裕磨はどういうことだと聞き返した。
「それは、どういうことですか? 大学でほぼ会えなかったことと関係しているんですか?」
「大ありだ。あいつホストでいい地位の女社長を虜にするもんだから、こっちに敵意むき出しで裕磨に会う時間ができないように俺の仕事に横やり入れて邪魔してきたからな。まあ、その邪魔に腹が立って、今回の不動産を俺が買い取ってあいつの邪魔をしてやってたわけだが」
よもや場外乱闘と言っていい状況に裕磨は訳が分からないと首を傾げる。
「どうして永山さんと僕を会わせないことが、あの人にとってメリットになったんでしょうか?」
真顔で聞く裕磨に永山が言った。
「そりゃ、俺が裕磨に惚れてるってバレてたからだろ?」
永山は当然だと言うようにそう答えたのだった。
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