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 志水凌久(しみず りく)には長く憧れている人がいる。
 その人の名は瀬野志道(せの しどう)という高校時代の二つ上の先輩だった。
 最初に瀬野を見たのは入学式の時だ。
 まだ高校二年になったばかりなのに、瀬野は既に生徒会長だった。
 一年の終わりにした選挙で圧倒的な支持率で当選したと聞いた。
 その時から気になり、瀬野と一緒に仕事ができたのは生徒会の執行部に入れた時だった。
 会計として凌久は何とか生徒会入りを果たしたけれど、瀬野とは仕事としてやっている会計のことで話をするだけだった。
 それでも瀬野は優しく凌久に構ってくれた。
 だから好きな気持ちは強く、大学も同じところに行った。
 必死に勉強をして大学生活は大変だったけれど、瀬野とは生徒会で一緒だったというだけの接点しかない凌久は、テニスサークルで大会でも記録を残して目立つ瀬野とは一線を介したところに存在していた。
 けれど、瀬野は凌久を見かければ声を掛けてくれたし、それだけで凌久は嬉しかった。
 しかし、会社までは追いかけられなかった。
 もちろんチャレンジはした。
 それでも大人しい凌久は集団面接の際、目立ったことを言えず、そこで落ちてしまったのだ。
 こればかりはどうしようもないことで、凌久は潔く第二希望にしていた会社に就職をした。
 それからはたまたま瀬野と同じ会社に就職をした友人である矢鳴貴彬(やなり たかあき)から情報を得て、瀬野がエリート街道をまっしぐらであることを知った。
 海外に長期出張に出て、長くそこで働き、完全にエリートコースに乗っていた。
 凌久はそれを聞くだけで、瀬野がずっと憧れて凄い人であり続けていることが本当に嬉しかった。
 もちろん社会に出てから一度も瀬野には会ったことはないけれど、それでも凌久の中ではいつまでも瀬野は憧れのままだった。
 そんなある日、高校の合同同窓会というものがあった。
 色んな社会に出た人たちがここで顔合わせをして、また新しい事業をしたり、色んな仕事に繋げたりする、同窓会と言うなの面接会場みたいなものだ。
 もちろん参加する人もいればしない人もいる。
 その中で凌久は矢鳴から瀬野が参加することを知った。
「僕も行く!」
「そうだろうと思って、ちゃんと幹事には言っておいたよ」
 矢鳴が気を遣って、連絡が来なかった凌久も誘ってくれていた。
 連絡が来ないのは、ただ単に凌久の家の事情で、高校時代に残した名簿の住所にもう住んでいないからだ。
 親が凌久が社会に出たのと同時にリタイヤして田舎に引っ越してしまったのだ。
 今は悠々自適のど田舎生活で、畑を耕して自家栽培を楽しみに暮らしている。
 まだリタイヤするには早かったけれど、早期退職者には定年までにもらえるはずだった給料全額と退職金が二倍という好条件での高齢者切りだったらしい。
 それに父親は真っ先に手を上げて退職をしてしまったのだ。
 だから実家がない凌久には連絡がきていなかった。
 たまたま矢鳴が手紙を貰い、凌久に言ったのでいけることになったのだ。
 そして当日、しっかりとした背広で会場に凌久は向かった。
 大きなホテルの会場に人々が集まり、懐かしい人たちとも会えた。
 そんな中、凌久は瀬野を探したがまだ来ている様子がなかった。
「なあ、瀬野さんは見た?」
 隣にいる矢鳴にそう聞くと、矢鳴は周りを見回してから言う。
「まだ来てないんじゃないか? 見当たらないけれど」
「えー……そんな。でも今日来るんだよね?」
「そう聞いてるよ……皆、瀬野さんが来るか聞いていたらしいからさ、幹事も真っ先に確認したって言っていたし」
「探すしかない……」
「ちょっと待てよ、慌てなくてもまだ始まって一時間しか経ってないから。どうせ挨拶とかあるし、入り口辺りで誰かに掴まってるかしてるだけだって。大丈夫だって」
 矢鳴はそういいながらお酒を楽しんでいる。
 そして壇上では挨拶が始まろうとしていた。
 その時だ、瀬野が入り口から入ってくるのが見えた。
 長身で185センチはあると言っていた瀬野はブランド物らしいスーツを着ている。
 元から綺麗な顔で彫りが深いイケメンであったが、男らしさが更に加わっていてとてつもない美しさに見えた。
 凌久はそんな瀬野を見て興奮した。
「やばい、瀬野さん、かっこいい」
 凌久がそう叫んでも周りには聞こえないほど瀬野は友人たちや先輩たちに囲まれて挨拶で盛り上がっている。
「あ、ほんとだ。イケメン度が上がってるな~」
 そう矢鳴が言う。同じ会社に勤めていても同じ部署でない限り遭うこともない大会社なので、事務にいる矢鳴と凌久と同じくらい瀬野の姿は見ていなかったのだ。
「あがってるよね、絶対!」
 凌久はそんな瀬野を見て嬉しそうに微笑む。
 するとこっちに瀬野が歩いてきて、凌久を見て微笑んだ。
「あー、志水だろ。久しぶり」
「あ、はい、瀬野先輩、お久しぶりです!」
「相変わらずみたいだな」
「あの、先輩、後でお話できませんか?」
 そう凌久が言うと、瀬野は少し考えた。
 どうやらここで話したくはないことなのだと思ってくれたようだった。
「いいよ、後で控え室においで。幹事には言っておくから」
「ありがとうございます」
「じゃ、あとで」
 瀬野はそう言うと凌久の側を離れて先へと歩いて行く。
 そしてやっと会場の上に幹事が挨拶に来て、瀬野も挨拶をしている。
 ウェルカムドリンクはあったけれど、ここで改めて乾杯の音頭を瀬野が取った。
「それじゃ皆のこれからの健康と栄光に、乾杯!」
 その声に合わせて全員がグラスを掲げた。
 大きな声で乾杯と叫ばれて、グラスをぶつけ合っている人もいた。
 凌久も矢鳴と乾杯をした。
「そういや、後で話って何話すんだ?」
「え、あ、まあ」
「……お前、マジで存在が薄いのに望みなんてないぞ?」
 矢嶋は凌久が何をするのか察したようでそう言う。
「……うん知ってるよ。でもここらで気持ちの切り替えというか……そうした方がいいかと思って……」
 いつまでも瀬野を追いかける自分でいるのはよくないと思ったのだ。
 振られる事なんて想定済みで、むしろ振られるために告白をするのだ。
 
 
それから瀬野が挨拶をした後下がっていったので控え室に行ったからと凌久は瀬野の後を追った。
 廊下を歩いていると開いているドアがあった。
 そこに辿り着いた時に、中から人の話し声が聞こえてきた。
「なあ、あの子の話、わざわざ聞くわけ?」
「え、何処の子のこと?」
「控え室まで来るとか言った子」
「ああ、志水のことか……いいんだよ。あの子はちゃんとわきまえているから」
 そう言う瀬野の声が聞こえた。
「だって明らかにお前狙いのミーハーな子じゃん。馬鹿っぽいし、前からストーカーじみてたし、会社も一緒のところ受けようとしたんだろ? こええよ」
 どうやら瀬野にそう言っているのは幹事の高丘浩喜(たかおか ひろき)だ。
 瀬野の友人という人で、この人に無理を通してこの同窓会にも参加したのだが、どうやら最初から凌久のことを呼ぶつもりはなかったようだった。
「呼んでないのに話を嗅ぎつけてくるし、空気も読まないじゃん」
 そこまで言われてしまい、凌久は高丘にそこまで嫌われているとは思ってもみなかったのでショックを受けた。
「高丘、言い過ぎだって。まあ、どうせ当たって砕ける程度なんだろうけど。本音を言うと、この作業みたいな展開、面倒臭いんだよね」
 瀬野がそう言いだして、凌久は目の前が真っ黒になってその場を離れた。
 幸い人の行き来が多かったので誰にも怪しまれはしなかったので会場まで戻れたけれど、凌久は矢鳴にだけは連絡をした。
「ごめん、矢鳴、僕もう帰るね……玉砕する前に、面倒臭いって言われてるの聞いちゃったから、告白しないことにした。そこまで迷惑かけたくなくて」
 そう凌久が言うと矢鳴がすぐに会場から出てきてくれた。
「志水、大丈夫か?」
「……うん、ショックだけど、仕方ないよね。自分が割り切れないからって振られるの分かってて僕は先輩に迷惑かけるところだったんだから……」
 そう言い、さっき聞いてしまった内容を矢鳴に話した。
 それを聞いた矢鳴はそれ以上何も言わずに一緒に会場を出てくれた。
 その時に凌久は受付に瀬野を訪ねる予定だったけれど気分が悪くて先に帰るので訪ねられないことの伝言を頼んだ。
「しかし、誰にでも聞こえるところで平気に人の悪口言える人だったんだな、あの人たち。平気で人を見下してそうだとは思ってたけど、何か見る目もっと変わるな」
 矢鳴は元々そこまで瀬野に興味があるわけでもないので、凌久の熱の入れようから自然とみるようになった程度である。それでも凄い人であるのは変わりはなかったが、裏で平然とそういうことをする人たちであるとは思わなかったようだ。
「……きっと僕は憧れ過ぎて、そういうところは見逃してきたのかもって思って、ショックだったけれど……急に気持ちが冷めていくのが分かって、先輩は庇ってくれていたけど……でも結局面倒臭いって言っていたから、迷惑だって思われてた。向こうは僕がストーカーみたいに思ってるって分かったし……もう追いかけるのやめる」
 憧れだけできて、冷や水を浴びせられたら誰でも冷静な気持ちになる。
 そして凌久の気持ちも冷めてしまったのだ。
「ほんと、冷や水過ぎたな。でも幹事の高丘さん、そこまで意地悪だったんだな。あんなの側に置いている時点で、瀬野さんもその程度ってことかもな。ほら類は友をよぶっていうし。がっかりなのは仕方ないよ。人間誰も完璧じゃないってことだからな」
「そういう意味では僕は高望みしすぎていたんだろうし、先輩に重荷になるような態度を取っていたんだって思うから、きっとこれでよかったんだよ」
 何も言わないで目の前から消えてやることしか凌久にはできなかった。
「矢鳴もごめんな、僕のせいで来たくなかったのに来させちゃって」
「ああ、別にいいよ。元は取ったし、食えるだけ食って飲めるだけ飲んだよ。あとはお前が駅前の居酒屋で定食を傲ってくれればそれでチャラだ」
 矢鳴がそう言い出したので凌久は少し笑った。
「うん、いいよ。定食を奢るよ」
 ニコリとして凌久が言うと矢鳴も微笑んだ。
「ラッキー、じゃさっさと居酒屋にいこうぜ」
 凌久は矢鳴に連れられて駅前の居酒屋に行った。
 そこで窓側の席に案内をされて、二人はアジの開き定食を頼んでただ夢中に食べた。
 お腹が減っていると碌なことを考えないと言われるから、お腹をいっぱいにして失恋から立ち直るためにただ無心で食べた。
 酒は悪酔いするので絶対に飲むなと言われたのでただ食べた。
「意外に落ち込んで無くてよかった」
 矢鳴にそう言われたので確かにさっきまで凄くショックだったけれど、よくよく考えたら憧れであっただけで、本当に恋人同士になりたいほどだったのかという疑問が凌久の中に生まれてしまったのだ。
「告白するとは言ったけど、玉砕するつもりだったから、恋人同士になりたかったのかって思ったら、そうでもないんだなって今気付いてさ……」
 凌久がそう言うので矢鳴はくくくっと笑った。
「ああ、先はないって思ってたってことか。まあ、憧れの人と付き合う学生気分っていうのか。それがずっと続いていただけだもんな」
「そう考えたらさ、ショック受けてる僕、なんか間抜けだなあって思えてきた」
 凌久の言葉に矢鳴はホッとしたようで一緒に笑った。
「まあ、これで志水の初恋が終わったって事で、これから周りに目を向けられるな」
「あー、まあ、そうなるな……でも矢鳴のお陰で引き摺らないで済んだみたい。飯、誘ってくれてありがとう」
「いえいえ、奢りですし? 俺は何もしてないよ」
そう言って二人で瓶ビールを一本頼んでそれを二人で飲んだ。
 これなら悪い酔いはしないだろうと矢鳴も判断してのことだったので、コップ二杯分だけ飲んだだけである。
 暫くすると同窓会のパーティー会場から移ってきたであろう同級生たちを見かけたけれど、その人たちが席に着いたところで二人は店を出た。
「しっかし、寒いな」
「そうだね、居酒屋が暖かかったからね」
 駅に向かいながら二人で気温について話して、明日は晴れるといいなと世間話をする。
 そして電車に乗って三つ目の駅で矢鳴が降り、その次の駅で凌久は電車を降りた。
 少し酔っていたけれど、凌久は振られたはずなのに気分は悪くなかった。
 どうせ駄目だろうと思っていたのもあったが、瀬野がああいう人たちと一緒にいるのだと思ったら憧れていたせいで見えてなかっただけなのかもしれない。
 生徒会ではあの瀬野だけではなく、高丘も副会長でいた。恐らく当時から嫌われていたのだろうと思ったらこの数年間が無駄な気もした。
 あそこまで高丘が言うのだから瀬野もそう思っていただろうし、空回りしている凌久はそれは滑稽だっただろう。
 それを考えたら二度と瀬野関係に近づこうとは思えなかった。
 凌久はそう割り切り、気持ちをその日のうちに切り替えた。
 悲しい失恋ではなく、憧れが終わったのだと思ったら納得できたできごとだった。
 けれどそれで恋することが終わるのではなかったのである。
 

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