immoral things

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「本当に大丈夫かい?」
 高之瀬怜は、二摩理葵にそう言う。
 理葵の自宅を訪ね、被害に遭った理葵の様子が気になってきたのだが、理葵は案外大丈夫そうに元気にしている。
「うん、大丈夫」
「本当?」
「うん、でも少し寂しいから、側にいて」
 理葵は大丈夫に見えても、実は気を張っているだけで心の奥はずっと傷ついている。
 それが高之瀬には見えていて、それが痛々しかった。
 理葵は高之瀬に甘えるようになってきたのはあの教師の事件後で出会った時に、理葵の預かり先になるはずだった児童施設が満員だったことで、高之瀬が預かったのだ。
 恐らく上司たちは面倒ごとを増やしたくなかったのだろうし、高之瀬は警部補に成り立てで、邪魔だったのだと分かる。
 それでも高之瀬が理葵を預かったことで、理葵が心を開き叔父である明仁にも虐待をされていたことを告白したのだ。
 もちろん明仁は子供を置いたまま姿を消していたので、保護責任者遺棄罪で罪に問われることになっていたが新たに児童虐待の罪も犯していたのだ。
 理葵はアメリカからやってきたばかりで日本語はほぼできなかったと言うから、言葉の壁もまた理葵が一年間助けを求められなかった理由だ。
 学校に通えたのは、恐らく客を取らせるのに言葉が壁になっていることに明仁が気付いたのだ。そしてそれを習わせるために通わせた。
 理葵は気付かれなかったらずっと搾取され続ける人生だったのだ。
 同じ養子でありながら、幸せで警察官にまでなれた高之瀬とは違い、養子先の両親が死んだせいで叔父に酷い目に遭わされる人生になっていた理葵が本当に可哀想で、その不幸は二度と訪れないようにと思っていたのだ。
 それなのに、また理葵は信じた人に裏切られ、同じ性的被害に遭ってしまった。
 集団による暴行、それは理葵にとって初めての暴力で、そして三度目の性的被害だった。
「ああいうのに狙われ続ける子って、どこかそういうやつを引きつけるんだよ。それはもう理屈じゃどうしようもないくらいにあいつらが嗅ぎ分ける。だから一生そういう被害に遭うんだ。だから周りはそういう子を、これだけ被害にあっても用心もしない頭の悪い子だって決めつけて、最後はビッチ扱いだ。そして助けを本当に求めていても誰も助けてくれなくなる。悪循環が生まれる。警察官にもそういう思考の奴がいる。何度も被害に遭うなんてお前も悪いってな。本当にこればかりは、私たちの気の持ちようになってくる問題だ。しかし高之瀬ならきっと大丈夫だ、だからお前に預ける。必ずケアしてやってくれ」
 高之瀬の上司である警視は、そうした犯罪ばかり見てきたので詳しかった。
 だからこそ、高之瀬の手腕を買っているのかと思っていたけれど、面倒ごとを押しつけたのは変わりなかった。
「あの新しい警部補、絶対警察官に向いてないな」
「現場に出るのは駄目っぽいな。さっさと手柄立てて上にいけってかんじ。現場を正義感でかき回されちゃたまったもんじゃないよ」
 高之瀬の警察署での評価はそんなものだ。
 正義感で首を突っ込むようなことばかりしてくるので、被害者には頼りになると思われるけれど、同僚の刑事からは疎まれている。
 すぐに警部に昇進して現場には出ないで指揮をしたあと、また昇進試験で警視と簡単に上がっていくエリートなので現場としては邪魔なのだ。
そうした圧力のストレスが高之瀬にたまり続けていた時に理葵に会った。
 理葵の必死に生きてきた姿を見たら、自分の悩みはなんてちっぽけで浅ましいのかとさえ高之瀬は思えた。
 生きるか死ぬか、その中で体を売らないといけなかった人に、上司や同僚が何か厳しいやと毎日暖かい布団で寝て、ご飯もたくさん好きな物を食べられて、両親とも仲が良く、充実した生活をしている人間が何を言えただろうか。
 高之瀬も理葵も同じ孤児だ。
 養子先が違っただけで、二人の運命はあまりにも真逆だった。
 高之瀬は六歳で養子に出された。
 しかしその時の記憶はない。
 幸いなのか分からないけれど、事故のショックで記憶を失い、名前さえも分からないままだったらしい。
 その大きな事故は、客船の沈没で高之瀬は救助された時に両親とはぐれたらしい。そしてその名簿が旅行会社の不手際で残っておらず、沈没した船が深いところに沈んだせいで、結局見つかった名簿はインクが塩水で溶けてしまい分からず仕舞いだったという。
 なので高之瀬はそのまま児童施設に預けられるも、両親が結局分からなかったのと高之瀬が記憶障害を起こしていて覚えていないことが分かったために早々に養子団体に出されてすぐに高之瀬の家に引き取られた。
 高之瀬の家は裕福で、子供が欲しかった両親は高之瀬を可愛がってくれて、高之瀬は本当の両親だと思って育ってきた。
 高校で初めて自分が養子である事実を知って、養子にくるまでの経緯は話してもらったけれど、記憶にない家族のことを何とも思えず、ダメージはなかった。
 薄情であるが記憶がないのは仕方ないことだ。
 一方、理葵は生まれた時に既に養子に出されていたらしく、記憶があるなしの問題ではなかった。
 引き取ってくれたのは松浦という夫婦で彼らはアメリカからわざわざ日本人の子供を欲しがって養子縁組をしたのだという。
 理葵は物心ついた時から養子である事実を知っていたという。そういう教育方針で育ったので、親には迷惑をかけるわけにはいかず、グレる暇もなく一生懸命捨てられないようにすべてを完璧にしてきた。
 アメリカ時代の理葵の成績は優秀で、飛び級すらしていた。
 中学生までに高校の三年間の勉強を終え、大学へということになった時に、両親が事故で死んだ。
 車で旅行に行った帰りにトラックに突っ込まれたのだ。
 理葵もその車に乗っていたが、ギリギリのところで擦り傷程度で済んだが、前の席に座っていた両親はトラックの下敷きになっていた。
 呆然としている間に近所の人たちの助けで葬儀を終えて、そして理葵の母親理沙の弟である明仁に連絡が付いたという。
 父親の浩之の親族からは子供を引き取って欲しいという話には困ると言うことで、誰も引き取りには現れなかったという。それもそのはずで、血の繋がりが一切ない養子である。誰が好き好んでというのが言い分だ。
 けれど明仁は理沙から話を聞いていたようで、養子であってもたった一人の子供である。遺産が相当額もらえているのを知っていた。
 事故がトラックの居眠りだったことから、賠償金は相当額で、トラック会社の保険から一億近いお金が入っていた。
 更に両親は宝くじに当たっていて、それが二十億。そしてやっていた会社を宝くじに当たったときに売却していてそれが二億だったのだ。
そして二人の保険金が一億。合計二十四億の資産を持っていることにも弁護士からの説明で知ったとたん、明仁は理葵を連れて日本に行き、弁護士を連れて戻り、やりとりの末にアメリカ弁護士からその資産の管理を奪い取ったのだ。
 理葵の地獄はそこからだった。
 それを知ると、高之瀬は理葵が可哀想で守ってあげなければならないと思えた。
 やっと明仁からも解放され、資産も取り戻し、理葵は資産二十億も持っているけれど、それでも一人にするわけにはいかなかった。
 かなりの記者が理葵に資産があることを掴んでいて、よからぬ情報をばらまいてしまったため、理葵は大学に入るまで妙な勧誘や募金などを頼み込んでくる人に追い回されていた。
警察の高之瀬が常に目を光らせていることが有名になり、さらには二回ほど理葵が引っ越したお陰で今度は高之瀬のマンションの隣という好条件のマンションに引っ越したからか、その手の物に追いかけられることもなくなり、情報を漏らした記者には警告を出したところ、これ以上理葵を追うこともなくなった。
 どうやら理葵の引っ越した住所などを漏らしていたのは記者だったらしく、色んな団体から情報料をもらっていたことが判明し、記者ではなくストーカーと判断された。
 接近禁止命令が出て、記者は東京にはいられなくなり、大阪に引っ越したという。
 色んな問題を何とか片付けて、理葵は大学生になれた。
 元々頭はいいので、日本語の問題文が読めるようになり理解ができれば理葵には楽勝なものだった。
 高校生の時には大学生になる予定だったのだ。
 その分の勉強は暇だった時にしていたのと、どういうわけか勉強をしている時の理葵は静かにしているからと気付いた明仁によって英語の参考書なども与えられていたので、理葵は大学でも苦労していなかった。
 数学や法律はその時に勉強をしてしまったので、今はもっと日本語が理解できるようにと文系の大学に通っている。
 英語はもちろん堪能で、フランス語も慣れていた。
 理解力もあり、吸収する能力も高いから高之瀬が勉強を見てやるだけでみるみる理解していった。
 そうしているうちに完全に懐かれ、高之瀬は理葵に弟のような感覚以上のものを抱くようになっていた。
 何より、一緒にいて苦痛ではないことが一番大きかった。
 昔、彼女が何人かいたけれど、どの人とも結局合わなかったのだ。
 一緒にいることが苦痛で、同棲しても駄目なところが見えると次第に相手に幻滅をしたのだ。
 けれど理葵といてもそのどれも感じないのだ。
 高之瀬の仕事以外の時間すべてを理葵に使っているというのにだ。
 疲れて帰ったら理葵が笑顔で出迎えてくれて、そして食事を一緒にしてくれる。疲れていても話をして、お互いに今日の出来事を言い合う。
 過干渉と言われるくらいに生活に口出しをしても理葵は嫌がるどころかありがとうと言ってくれる。
 お金を使いすぎないようにと忠告をしたら、理葵はその通りに質素に暮らした。
 元々ないものだと思えば、そうできると笑って言う。
 何でも高之瀬の思いのままに育つ理葵を、高之瀬は愛おしくなってしまっていたのだ。
 もちろん相手はやっと二十歳の子供である。警察である自分が手出しをするのは駄目であるが、理葵がやっと社会的にも問題がない自分で責任を持つ年齢になるまで高之瀬は必死に耐えた。
 理葵も甘えてくる様子から、恐らく二人は両思いだと高之瀬には分かっていた。
 そこまで相手の思いに疎いわけでもない。
 周りからも理葵が相当懐いていることはバレているし、高之瀬がまんざらではないこともバレているだろう。
 けれど、昨今の同性愛の偏見は大分減っているからか、特にそれで差別されるわけでもなかった。
 一つは高之瀬が将来的に警視正まではいける実力があること。
 そういうエリートであるが、同性愛が問題で差別をされれば、警察組織がそれを行ったとして大問題になる可能性もあるので、上層部はいい顔はしたくないが、高之瀬に対して何もできない。
 そして理葵が散々な被害に遭ってきた子であることから、その子だから問題だと一言でも口にしようものなら言った物から粛正される可能性があるのだ。
 同僚はそういう意味で高之瀬のことに口出しをできない。
 そして高之瀬は法律の許す限りの二十歳まで何もせずに理葵を助けてきた。
 これ以上誰が何を言えるだろうか。
「理葵、大丈夫だって言ってもな。心はそう思ってないこともあるんだから」
 理葵の大丈夫はかなり苦痛なことでも大丈夫だと言えるくらいに鈍感だ。
 けれど心の闇は深くなると、理葵本人すら分からなくなるくらいに病む。
 高校時代の教師の事件時もそうだった。
 理葵は勉強はできたけれど、心のケアには相当時間がかかったのだ。
 夜はうなされ、飛び起きて泣く、その意味が分からなくて理葵は混乱してパニックに陥った。
 それを高之瀬が宥め、一緒に寝てやった。それでだんだんと理葵は落ち着いたが一時は幼児逆行のように高之瀬に甘え、そしてその甘えを許してもらうことで高之瀬を信用した。
 そうした経緯があるから、理葵は完全にすり込みのように高之瀬に好意を抱いてしまっている。
「大丈夫、また一緒に寝てくれたらきっと大丈夫」
 理葵はそう言って高之瀬に抱きついた。
 そんな理葵を抱きしめてやると、理葵が言った。
「僕、二十歳になったよ」
「知っているよ、プレゼントは何がいい?」
 高之瀬がそう聞くと、理葵は言った。
「怜さんが欲しい。僕を抱いて」
 理葵ははっきりと言葉にした。
 そうして欲しいのだと言う理葵の言葉に、高之瀬は喉を鳴らした。
「いいのか?」
「いいよ、怜さんならいいよ。僕、綺麗じゃないけど……」
「そんなことはないよ。それで理葵が喜ぶならもらうよ」
 高之瀬の言葉に理葵は喜び、二人はその夜、知り合ってから三年目にして抱き合う関係へと変わった。


 

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