Escape sequence

4

 次の日、律が学校へ行くと律の教室で騒ぎが起こっていた。
「あ、西園寺、見ない方がいい」
 急にクラスメイトの仲村高広に止められた。彼は最近留学から戻ってきたばかりの人でクラスの委員長をしている。
 その人が止めるけれど、律は中を見た。
 すると律の机に真っ赤なペンキがぶちまけられていた。
「……あ……何て酷い」
 机には何も置いてなかったけれど、律の周りの机も巻き込まれている。
「くっそ、本当に底意地悪いな、何考えてやがる」
「ちょ、何だよこれ。教師はどうした?」
一緒にやってきた小槙もあまりのことに真っ青な顔をしている。
「もう見てるよ、それで教室が使えないから職員会議中」
「ああ、そうか。片付けるっていってもペンキじゃなあ……」
「そうなんだよな。他にも被害が出ているし、もう西園寺だけの問題じゃないよ。学校に対する宣戦布告だもんな」
 そうなのだ。
 完全に学校側から律に何かすれば退学だという話が通っているのにだ。こんな問題を起こすような生徒がまだいるとマスコミに知られたら、来年の生徒募集にも大影響をするだろう。
 陰湿ないじめがまだ続いていること自体、大問題なのにだ。
「ほら、二年六組の生徒は視聴覚室に移動してくださーい。ほらここは締め切るぞ」
 教師がそう言うけれど、荷物を持ち出したい生徒と揉めている。
「今から順番に入ってもらって荷物を持ってでてくださーい」
 やっと話し合いで荷物を持ち出していいと言われて、生徒が入っていく。
 そのうち誰かが文句を言い始める。
「厄介なの受け入れるから、こうなんだよ」
 そんなことを言われ、律はそう言われるのは当然だと思った。
 けれどそれに小槙が噛みついた。
「じゃあお前がここまでいじめられていて誰も助けてくれなかったらどう思うか、聞いてみたいよ」
 小槙の言葉に律は慌てた。
「小槙くん、いいから……」
「駄目だ。是非聞きたい、お前はこのいじめの首謀者側に付くのかって言ってんの。見過ごすことや関わらないようにするだけならまだ自衛だと思うよ。でも今のは被害者攻撃でしょ? それってやってる奴らの仲間と同じじゃん。追い詰めて何が楽しいの?」
 小槙が切れてそう言ってしまうと、さすがにそうなるとは思わなかったのか、愚痴を口にした生徒が謝った。
「ごめん、イライラしてて八つ当たりした……」
「僕こそごめんね。面倒ごとが増えているのは本当だから……」
 律がそう言うと、その生徒は慌てた。
「いや、本当にごめん。あんなことをするやつらと同じにはなりたくないから、本当にごめん」
 そう言うので律はすぐに許した。
 小槙にも言い過ぎだと言うと、小槙もその生徒に謝ったけれど、更に言ってくれて助かったと言われていた。
 気持ち一つでいじめに繋がると言われたクラスメイトは、こうやって律が孤立していったのかと気付いたらしい。
 そしてクラスメイトたちは、そんな律が孤立した時に常に一緒にいたはずの、坂本という生徒のことを口に出し始めた。
「なあ、あれだけ西園寺がいじめられてるときに庇ってた坂本っての。何であいついじめられる側に回ってないわけ?」
「あーそれ思った。普通、仲裁とかしてると一緒にいじめられるし、脅されて仲裁とかできなくなるじゃん」
「だよな。あやしくね?」
「案外、そういうのが裏で画策してるんだよ」
「ああ、分かる。側にいるのが一番の敵ってやつ」
 周りのクラスメイトも律の敵が誰なのか見えてきたようだった。
「やっぱり分かるもんだよな。冷静に考えたら、あいつおかしいもんな。でもクラスに一人も味方がいなくて、あいつが支配しているなら、ああなるよ」
 小槙がそう言い、それに律は頷いた。
しかし坂本が主犯格とははっきりとしたわけではない。
 みんながそう思ったというだけの感想になる。
 それから視聴覚室での授業が続いたけれど、動揺を隠せない生徒のためにいつも通りとはいかなかった。そのためその日はほぼ自習という有様で、教師たちも忙しそうだった。
 それから三日ほどペンキを落とすために教室ではなく視聴覚室で授業が続いていた。その間に噂が噂を呼んで、律の元クラスメイトである坂本の裏の顔が段々と明らかになり始めたのだ。
 裏の顔というより、みんなが違和感を覚えた部分を口に出していた結果、裏で坂本がクラスメイトを操ったり、一言悪く言ったりしていたことが原因だったことが分かってきたのだ。
 そうして一週間ほどすると教師の間にも坂本のことが知られ、坂本は教師に呼び出されることになった。
 もちろん、坂本が認めるわけもなく、ただ自分は庇っていた方だと言ったらしい。
 そしてその後だった。
 急に坂本のクラスメイトたち十名ほどが職員室にやってきて言ったのだ。
「西園寺律をいじめていたのは俺等です」
「すみませんでした」
 そう言ったのだという。
 それにより職員室は大混乱し、十名のクラスメイトは他の生徒指導室に行き、監視されながら事情聴取され、その誰もが「坂本は主犯ではない。彼をいじめなかったのは、彼の父親が自分の親の勤め先の上司だから、それでいじめなかった」と言ったという。
 実際その通りだったらしく、坂本は結局無罪放免になり、他の生徒は律にしたいじめを洗い浚い喋ったせいで、退学になると決まった。
「うえええ、まさか庇ったのかよ」
 小槙にはそう見えたし、周りの生徒もそう見えたという。
 疑われた坂本は失意のうちに、学校を一週間休んだ後に家庭の事情で転校していった。
 無罪放免でお咎めなし、結局どうして坂本が律をいじめていたのかという理由も分からないままだった。
「どうしてだったのか、分からないままなんだね」
 律がそう言うと小槙も唸っていた。
「それよ、それ。理由が何なのかわかんないじゃん。だって庇ったやつらは面白かったからやったとしか言ってないし、律をターゲットにするほどそもそも律とあいつらは接点がないじゃん」
 そうなのだ。
 そもそも十名との接点はクラスメイトというだけだ。
 律は坂本とは親しくしていたけれど、他のクラスメイトとはそこまで親しくもなかった。話はしたこともなかったし、精々プリントを配った時に挨拶したくらいで、彼らに何か苛つくことを言ったこともしたことも覚えがない。
 ターゲットにする理由がそもそもないのだ。
 いじめというのは基本的に、繋がりがあり接点があって初めてそこに何かしらの感情が生まれる。ムカつくやずるいとか、そういう負の感情が生まれて、その人に何か仕返しのようなことをしたくなるのだ。
 ただいじめたかったという理由でそうしたというなら、その人は精神的な病気を抱えているとしか思えない。
 そして十人は同じことを言っているらしいが、それが整列された模範解答であり、一ミリも狂っていないのがおかしいと千石が教師から録音した音声を聞いて思ったらしい。
「まず、自分の言葉で喋っていない。一言一句同じことを言っている。ここの「何だか楽しかったのでいじめようってなりました」とか「むしゃくしゃしてやろうとみんなで話しました」あたりは特にそう。他の質問も予め想定していた答えを答えているせいで、同じ言い回しを別の質問で答えている。こいつらは結託して坂本を庇っているのは明らかだ」
 千石の突っ込みに対して、学校側の国語の教師である律の担任である武田も同じ感想を述べた。
「そうなんです。僕は全員の調書に立ち会っていたわけですけど、三人目あたりから同じ言葉でしか答えていない、ここまで言葉が綺麗にそろうことなんてまずないです。国語の応用の回答で一言一句同じ言葉が書いてあったら私ならカンニングを疑います。それくらい同じなんですよ」
 千石の言葉をしっかりと補強するように言った武田の言葉で、生徒たちは再度調書されることになった。
 十人中、三人は強固に同じ言葉を繰り返したけれど、他の七人には千石が学校側と交渉して、本当のことと謝罪がきちんとあれば、他の学校へ転校する際の内申書にいじめのことは書かないと付け加えた。
 それを言わなかった三人は律が坂本ともっとも仲が良かった三人で、他の七人はそれほどではなかったと思い出したからだ。
「どうだ? 君らは悪くないんだからな。大丈夫だ、先生が守るよ」
「そうだよ、何で他人のために君が泥を被る必要があるんだい? 律君も君が悪くないと思ってるって言ってるよ?」
 と、とにかく貴方は悪くない、悪いのはそれを強要した人であり、律は許すと言っている、大学への内申書もこれで安泰だと告げると、七人が早々に口を割ったのだ。
「坂本に、こう言えばみんなそれを信じると言われた。十人もいたらさすがに全員退学にはならないし、俺は直接やったのは無視だけで……でも、大学に行きたいし、坂本だけ逃げって聞いたから、話が違うって」
 一人はそう言い、他からも。
「坂本が逃げるための時間稼ぎっていわれて協力したけど、よく考えたら俺らに罪をなすりつけて自分だけ無傷で逃げたってことだよね? 昨日それを聞いて、あれ、俺等捨て駒じゃね?って思ってて」
七人はさっさと解放し、転校するための内申書にはいじめの事実は書かなかった。家庭の事情で転校する七人と、退学になる三人。
 するとその三人はまさか七人が無傷で転校ができることになった話を聞きつけて、廊下で鉢合わせた生徒を裏切り者と罵ってきた。
「ばっかじゃねえの、捨て駒でしかねえのに、律儀に奴隷お疲れ!」
 一人がそう叫ぶと、一人だけ怒りで殴りかかったけれど、二人の生徒は奴隷という言葉に反応をした。
「……てか、俺等本当に捨て駒じゃん。坂本に言われて西園寺をいじめていただけなのに、全部俺等が計画してやったことにされてんじゃん。内申書これじゃ、どこの高校も再入学できないし、大学だってやばいじゃん」
 やっと自分の立場に気付いたらしい二人がそう言うと、一人が言った。
「そうなっても庇うのが俺らの役割だろ!」
「はああ? お前だけやってろよ、金魚の糞が! 教科書を破ったのも、ペンキをぶっかけてたのも全部お前が一人でやってたじゃねーか! 俺等は見てただけだ! 手を下したのはお前だよ!」
 急に生徒指導室の前で始まった喧嘩は他の生徒が野次馬をする中で行われてしまったせいで、西園寺律へのいじめの内容が暴露され、生徒全員にバレた。
「じゃあ、そいつだけが実行犯ってことじゃん」
「あ、そうか……他の人がやってないなら、実質坂本に利用されていい気になって実行したあいつだけが首謀者の一人ってことだよな?」
 周りの生徒にそう言われて、とうとう首謀者の一人になった小幡という生徒は、自分だけが悪い人間だとバラされて相当焦ったのか、暴れ出したので教師に押さえつけられ、そのパニックは収まることがなく、救急車で運ばれたようだった。
 律はそれを離れたところで見ていた。
「小幡くんが実行犯だったんだ」
「みたいだね、仲間割れ作戦が上手くいって、坂本の悪事はバレたけど。本人逃亡済みなんだよな」
 小槙がそう言うので、律はため息を吐いた。
「確か、お金を積んだら問題児でも受けいれてくれる学校だっけ?」
「そう、そこに寄付金ぶっ込んだ親に放り込まれたらしい。親すら嫌悪するレベルだったってことだろ? こえーわ」
 坂本の父親は思うところがあったらしく、自分の息子のいじめ事件を察知した時に息子が関わっている可能性を疑い、準備していたらしい。案の定学校側から息子について調書をするのでと言われた時に、転校させる手続きを取っていたという。
その騒動で学校が一日休校になった。
 律は二階堂に迎えに来てもらって二階堂の自宅に戻った。
 律は主犯である坂本がある程度の制裁をされないと一人暮らしには戻れなかった。
 というのも坂本が学校から自由になった以上、あっちには律に対して何かする時間が増えたことになったからだ。
 学校であったことを律は二階堂に話した。
「坂本本人としてはここでまだ粘っていたかったってところだったと思う」
 それを言ったのは二階堂だった。
「身代わりが十人も出たのは、クラスを崩壊させるためだろうな。これで関係ない他の生徒を他のクラスに振り割って人数調整をするのを狙ったんだろう」
 律が抜け、磯野の不良四人も抜け、更にクラスメイトが十人も減ったお陰で、クラスは十四人になっていた。
 ここまで減った生徒をそのまま持ち上がりでクラスをそのままにするよりは、残りの六クラスに人数を割って生徒を分けた方が収まりがいいことになる。
 実際そうしようという話にはなっていたらしい。
「それをされていたら、各クラスに二人から三人の元クラスメイトが配置され、そこから坂本の指示が飛んで、学年を支配なんてことになっていたかもな」
 二階堂がそう言うものだから、律はあまりの怖さに震えた。
「怖いです、二階堂さん」
「悪い。けれど、坂本が何を考えているかが分からないと、この事件の根本的なものは解決しない気がする」
 二階堂は震える律を抱きしめて宥めてくれたけれど、律はだだその胸の温かさに涙が出そうなくらいに嬉しさも感じた。
 二階堂がどういうつもりで律をここまで甘やかして助けてくれるのか分からないけれど、それでも律は今はこの件について早く終わってくれることを祈るしかなかった。
 けれど解決してしまえば、二階堂と会う理由もなくなると少しだけそれは嫌だなと思えたのだった。

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