Luck out
6
智嗄が北浦との時間を過ごし、北浦が帰っていくと智嗄のスマホにメールが入っていた。
メールを送ってくる人はあまりいなくなったけれど仕事のメールがたまに入る程度だった。
今回もそんな気持ちで開いたけれど、相手は橋本だった。
そのメールには智嗄と北浦が玄関先で話しているところと、北浦がふざけて智嗄の?にキスをしているところだった。
「お前とこいつがこんな関係だったとは思わなかったな。相変わらず近寄ってきた男ばっか食ってんだ? ビッチ、節操なくて笑う」
橋本からはそんな内容のメールだったけれど、智嗄は橋本がこんなところで写真を撮れるほどに暇をしている事実を少し気にした。
あれから橋本はメディアに出ているけれど、どういうわけか智嗄との過去の関係を仄めかせているらしいのだ。
しかし橋本を売り出したい事務所からすればその発言でファン層を狭くしたくはないらしく、智嗄の名前もまだ話題に出せるほどでもないので、マスコミは事実関係がどうであれ、今はやっと智嗄の名前が世界的に売れているため、はっきりしない昔のことで智嗄側を怒らせるのは得策ではないと思ったか、記事にもされていなかった。
けれどそろそろ下世話なところが話題欲しさに何かしそうな気配もあるのか、それと同時に智嗄のところには野瀬から連絡が入ってきた。
会おうと言われて会いに行くと、野瀬の自宅に招かれた。
智嗄の姉で野瀬の妻は旅行に行っているからと言われた。道理で静かだと思いながら智嗄はソファに座って野瀬と話をした。
「仲のいい記者がお前と北浦の噂を持ち込んできた」
そう野瀬が言うのでもうそこまで話が回っているのかと智嗄は驚いた。
しかし橋本にあんな中傷をされていたから、それ以外にも漏れている可能性はあるんだなと智嗄は思った。
「すみません、忠告を無視してしまった形になってしまって……」
二の舞いになることになり、更には元凶にまで脅される羽目になっている現状、智嗄にできることなど一つしかなかった。
野瀬が言いたいのは、きっと北浦と別れろということなのだろう。
「言って止まるような関係じゃないのは、北浦を見ていて分かったよ。あいつはずっとお前に恋をしている。こればっかりは俺にだって止められはしない」
「……」
確かにその通りで北浦の気持ちを変えることはできないのだ。
「だが北浦はやっと軌道に乗ったばかりだ。分かるな?」
そう言われたら精神的に大人である智嗄が何とかするしかないわけだ。
だがここで智嗄はずっと思ってきた違和感がやっと確信となった。
野瀬は別れろと言う割に、相手を説得することはただの一度もないことにだ。
普通、智嗄を説得して智嗄が雲隠れして別れたとしても北浦がそうすんなり別れを納得することはない。
橋本の時だって橋本に魅力ある受け入れ先があったから橋本は智嗄を捨てただけなのだ。
しかし今度は智嗄だけに選択を迫っている。
恐らく北浦に話をしても無駄だったのだ。
「別れろと言われてもきっと納得はしない気がします。俺がちゃんとできても……」
このまま姿を眩ますことはできるが、それで北浦が納得はしないだろう。
あの執着ぶりから、探しに出るはずだ。下手すればワイドショーで話題になるくらいに騒ぎ立てる可能性もある。
「いや、お前がしばらく消えればそれでいいだけだ。幸い仕事は隠れていてもできる。なあ、私が隠れ場所を用意しているから、すぐにでもそこへいこう」
野瀬は身を乗り出して智嗄に言った。
野瀬を見ると、酷く興奮しているようだった。普段の世間一般が知っている野瀬とは思えない顔をしていた。
智嗄はああやっぱり違和感はここからだったのかと気づいた。
しかしその違和感を突き止めることはできなかった。
野瀬と智嗄のスマホが同時に鳴ったのだ。
同時に出てみると二人は同じ内容の出来事を聞いていた。
「え、北浦が橋本を殴って怪我させた!?」
それは突然のことだった。
幸い直ぐ様警察沙汰にはならなかったが、内容が問題だった。北浦と橋本の二人が喧嘩になって一方的に北浦が橋本を殴ったのだという。
北浦は喧嘩の理由を口には出さないけれど、橋本は挨拶をしたらいきなり殴られたと言っているというのだ。
このことで智嗄と野瀬の話し合いは一旦お開きになった。
「たくっ顔が商売道具なのに怪我をさせるなんて、どういう教育をしてるんだ!」
橋本側の事務所は相当怒っていて、北浦のことを警察に訴えるというけれど、何故か警察を呼んでいない。
これは裏があると事務所社長家崎は思ったらしい。
河合に付き添われて北浦は自宅謹慎となったらしいが、ナーバスになっている北浦は智嗄のことを気にしているという。
「多分、あいつ智嗄さんとの昔のことか何か言って北浦を怒らせたんだと思う」
そういうのは北浦のマネージャーになったばかりの宮尾だった。
「僕は内容は聞き取れなかったんですが、北浦は橋本を最初は無視していたんです。なのに橋本は何度も突っかかってきてそれでぼそっと一言言ったんです。そしたら北浦がキレて……何とか止めたので一発で済みましたが、殺しかねな勢いで……」
一言で北浦を怒らせるのに何を言えばいいのか、智嗄はそれで察してしまった。
橋本は北浦が智嗄に惚れていることは知っている。だから何を言えばいいのかも理解していたのだろう。
智嗄を侮辱すれば、北浦はきっとキレただろう。
それでも北浦は殴った事実は認めるも、橋本に謝る気はさらさらないと言った。
もちろんそれで橋本の事務所が納得するわけもなかった。
翌日のワイドショーでは北浦が橋本を殴ったことが報じられ、橋本が全治二週間の怪我をしたことや、北浦が反省なく謝ってこないことなどを取材で言いまくっていた。
北浦が時の人だったから、最近ごり押しされている橋本を殴ったと聞けば、世間も北浦がそういう人間だったのかとがっかりしたという声が多かった。
しかし殴ったのは悪いが挨拶しただけで殴ったりするのはないから、何か揉め事があったか、橋本が北浦の逆鱗に触れたんじゃないかという擁護も生まれていた。
ワイドショーとしては北浦を叩く流れにした方が視聴率を稼げると思ったらしいのだが、意外に世間はそうでもなかった。
「北浦の悪い噂とか聞かない、むしろごり押しおじさんの方はよく耳にするけどな~」
「あー、それテレビ局に勤めてるおじさんが言ってた。北浦は勉強熱心でいい子だった。橋本って過去の栄光にすがってる人は現場現場で態度悪くて最悪って……だからそんな二人が殴り合いしたっていうなら、橋本が何か余計なこと言ったんだろうなって」
よほど橋本の評判が悪いのか、橋本に関しては結構辛辣な人が多かった。
これまでに北浦が裏側でどういう人間だったのかが語られると、この喧嘩の発端は何であったのかという事実を知りたい人が増えた。
一方的な話しか流れてこないことで世間は一方的な叩きをするワイドショーには批判的だ。
『いい加減いしろよ。お前らのせいで俺が悪く言われているのはおかしいだろうが!』
そういうメールが智嗄のスマホに届き出したのはネットで橋本のごり押しに耐えきれず、アンチになった人たちの書き込みだった。
昔、橋本が久遠寺智嗄と噂になったことがあり、その後急に事務所をやめて渡仏した記事がネットに掲載されたのだ。
雑誌を持っていた人が載せた記事で、橋本の元事務所が現在北浦が所属している事務所であることから、余計に橋本は痛くもない腹を探られることになった。
「とまあ、喧嘩両成敗な世間らしい反応だが」
野瀬は呆れた様子だった。
二度目の話し合いも野瀬に呼び出されて、智嗄は野瀬の自宅に行った。
この時も野瀬の妻は出かけており、家は静かだった。
「橋本が北浦にけしかけたのは、どうせ智嗄、お前のことだ。そのたびに北浦が人を殴っていたら、本当にキリがない」
北浦から離れろと言われているのは分かっているが、智嗄ふっと息を吐いた。
「既に離れていますが……まあこんな感じで」
智嗄はそう言うと野瀬にスマホのアプリを見せた。メッセージを送り合うアプリなのだが、そこには北浦から一方的に送られてくる智嗄を心配する気持ちと、北浦がこれで仕事をやめなければならないなら、それでもいいと思っていること。最後は智嗄のことが好きでもう何も考えられないという一方的な思いだけが送られ続けている。
「おい、何だこれは……」
野瀬が顔を真っ青にする。それくらいに異常ではあった。
「元々はそんなに連絡をし合っていたことはなかったんですが……これを放置して逃げるわけにもいかないと思っていて……」
メッセージは常に入り続け、現在もポンポンと新しいメッセージが届いている。
「狂ってやがる……」
野瀬が若干引いている。それでも智嗄は言った。
「いい意味で、彼は真面目なんです。思い詰めたら酷く固執するというか……俺はそういうところは好きなので」
もう智嗄が何か言ったところで北浦が話を聞けるような状態にはないことを野瀬は知る。
この相手から好きな人間を引き離したら、きっともっと大騒ぎになるはずだ。
「申し訳ないのですが、事務所にも迷惑をかけているのですが、北浦を手放す気がないから理解してほしい。別れるも何も俺たちはもう離れられないので……関係がダメだというなら二人とも解雇してください」
智嗄は決して北浦を手放さないと言うと野瀬は驚いたようだった。
「何を言っている! それじゃ北浦のせっかくの人生を智嗄がダメにすることになるんだぞ! 橋本の時はあっちがさっさと諦めてくれたんだから、北浦も好条件な話が舞い込んだらお前のことを捨てるんだぞ!」
そう野瀬が言うので智嗄はそこでやっと過去のことを持ち出せた。
「実は、あなたが橋本にフランスの事務所のことを吹き込んで仲介をしたことは知ってたんです」
智嗄がそういうと野瀬はぎくりと顔を歪ませている。
野瀬がやたら智嗄に構い、智嗄に新しい男ができそうになると先回りをして潰してきたのも智嗄は知っていた。
ずっと違和感だけだったけれど、出来事全部に野瀬が関わっていたなら、説明がついてしまうからだ。
だから智嗄は野瀬には内緒で橋本に会ってきたのだ。事実を確認するために。
「橋本には北浦のこと以外の話もしてきました」
そう智嗄が言うと、野瀬は驚いた顔をしていた。
まさか智嗄がそういう行動に出ているとは思ってなかったらしい。
「俺はあなたにお世話になっているし、姉の夫であるあなたのことは嫌いではありません。けれど二度はごめんです」
野瀬はきっと北浦に橋本と同じことをしようとしたはずだ。けれどそれも北浦はのらりくらりではぐらかせて野瀬の計画には引っかからなかったのだ。
それは北浦がたまたま智嗄の幼馴染みであったし、北浦が事務所の稼ぎ頭なので橋本の時とは状況が違ったせいもある。同じ作戦は通用しなかった。だから智嗄にばかり北浦と別れろと言ってくるのだ。その方が北浦が諦めると思ったのかもしれない。
「い、いや、それは……でも橋本は裏切ったから、結果はよかっただろう!」
野瀬は開き直ったようにそう言った。
橋本のことはもう過去のことだと野瀬は開き直った。
「そもそもフランス行きを提案して、それに乗ったのはあいつだ。私は提案しただけで、結果あんなろくでもない男とは別れて正解だったはずだ」
「そうでしょうか? 確かに今の橋本はろくでもないかもしれませんが、あのままあなたが何もせずにいたら結果は違っていたと思いますよ」
「は、何言って……」
「あのままでもきっと別れることにはなっていたとしても、きちんと誠意ある話し合いで解決できていたと俺は思っている。結局、橋本をあんなにダメな方へと導いたのはあなただ」
橋本にはフランスで仕事を与えられていたのは野瀬の伝で仕事が入っていただけだ。
その仕事もやがて橋本の実力では過分すぎるもので橋本はプレッシャーから逃げて日本に戻ってきただけだ。
橋本の人生に加担しておいて、橋本を駄目にしたのは智嗄とよりを戻したり、横から取られないためにしたのだろう。
野瀬がそういうことをした理由を智嗄はすぐに思い至った。
「あなたは俺の脚本が欲しかった。でも俺には映画会社専属という先約がある。どうかしたくて映画会社、いえ大物俳優に何か吹き込んだでしょう?」
「な、何を根拠に……」
「あの後、大物俳優さん、野瀬さんの作品に主演で出てらっしゃったじゃないですか。それが条件だったのでしょう? 無茶を言わせても俺が応じないことは野瀬さんには分かってた。絶対に断るって確信があったから、大物俳優さんも了承していたから問題にならなかった。でも増永さんは未だにそのネタで俺を脅してきてますから、何なら彼に聞いてもいいですし?」
智嗄がそういうと、野瀬の目が泳いでる。
違うと言いたいのだろうが、そう言ったら智嗄は大物俳優や増永に直接問いただすだろう。
そして大物俳優はもう野瀬との約束は終わっているから暴露してもいいわけだ。未だに暴露をしてないのは些細なことだから忘れているだけだ。
けれど事情を聞かれれば思い出すだろうし、その時は野瀬に脅されていたと言えばいいだけだ。
大物俳優は既に高齢で映画も年に一本出るかどうかになっている。
話題集めにこの裏話でもマスコミに口にすれば再度注目も浴びるだろう。智嗄は脅された同士だからと上手く口を割らせることだってできた。
「……」
さすがの野瀬も大物俳優が喋らないといえなかったようだった。
そして智嗄は更なる違和感の正体はまだあった。
「あの映画の脚本を書いていて気づいたんですが、あの主人公は野瀬さんですよね。そして相手の子は俺なんでしょう?」
智嗄は野瀬との二つ目の映画になる話が同性愛の話であることからやっと野瀬の自分への視線ややたらと構うのには理由があると思った。
「……!」
野瀬は違うとは言えなかったのか黙っていたので、智嗄はずっと感じてきた違和感の正体を話し始めた。
「姉に始めて野瀬さんを紹介されたときからの違和感。きっとこれなんだって気づいた。あなたにとってきっと届かないはずの願望だった。でも俺が橋本と同性愛に走ったから誤算だと気づいてしまった、姉と結婚しなくても、俺が手に入ったんじゃないかって」
智嗄はずっと思っていた違和感の正体はそれだった。
姉は自由にさせ自分は弟になった智嗄には過剰に構うのを姉には、智嗄に頼られていると言って構うことで、必然的に智嗄のプライベートをコントロールしようとしていた。
それでも智嗄は自由だった。
「俺が自分の物にならないなら他の人に渡さないって思ったのか?」
智嗄の行動を見張り、何でも口に出しているからこそ、北浦に惚れられるのは困ったはずだ。
「智嗄……違う、私は他の奴らと違う」
「違うと思いますよ。少なくともこんなことは誰もしていない。あなただけが俺をコントロールできると思ってた。勘違いも甚だしい思いを押しつけた」
智嗄に近づくものを排除するために権力を使う野瀬である。
智嗄はもう野瀬に何の感情も湧かなかった。もともと姉の夫であるという気持ちと、助けてくれたことは感謝していたけれど、その根本も結局は野瀬のせいだったのだ。
ならば智嗄が野瀬に何の感情も持つことはない。
「俺は事務所を辞めます」
「智嗄、そんなことをしたら、お前の脚本はもうどの映画にも使われなくなるぞ!!」
野瀬がそう言った時だった。十分な脅しだったがそれを遮る声がした。
「それはないよ、野瀬」
野瀬が驚いて振り返るとリビングの入り口には事務所社長の家崎と智嗄の姉が立っていた。
「な、何で……二人が……」
野瀬が驚いていると家崎が説明をした。
「智嗄に隠れて聞いててほしいと言われた時は驚いたけど、野瀬がそんなことをしていたんだな。信用していたのに」
家崎がそう言いガッカリとした表情をした。
「あなた、智嗄の言っていることは本当よね。貴方が智嗄の写真ばかり私のアルバムから抜いたのも分かってるわ」
その妻の言葉に野瀬は全部が妻にバレていることに気付いたらしく言葉を失っていた。
すると、その妻の後ろから北浦がやってきた。
「智嗄さん! よかった無事で」
北浦はそう言って智嗄に抱きついたがそれを見た野瀬が叫んだ。
「私の智嗄に触れるな! どいつもこいつも私の智嗄を汚してばかりだ!」
野瀬はそういうと豹変した。
すぐに北浦に飛び掛かったけれど北浦と野瀬は体格が違い過ぎ、一回り小さい野瀬は北浦に押さえつけられた。
「最初からおかしいと思ってたんだ。野瀬監督」
北浦がそう言い、力強く野瀬を床に押しつけた。
「あんただろう? 俺をフランスの事務所に引き抜きさせようとしたの。事件後に急に接触してきた奴らに話を聞いたよ。どこから俺のことを聞いたのかって聞いたら野瀬から頼まれたって言ってたよ」
その言葉に野瀬は暴れることなく、何かを察したように大人しくなった。
嘘を吐いてもフランスの事務所関係者が野瀬から受けたと証言している以上、野瀬が嘘を吐いているのは明らかだったからだ。
野瀬による智嗄への一連の出来事はここだけの秘密となった。野瀬はそのまま呆然としたまま何か魂が抜けたようになっていた。
そんな野瀬を見ていると智嗄は自分のせいなのかと一瞬だけ罪悪感が湧く。
「智嗄さん、大丈夫ですか?」
北浦がそう聞いてきて、智嗄は頷いた。
「大丈夫だよ。後はお前の問題だけど……橋本とは話をしたけど、お前のことは許さないって言ってて……」
橋本は昔のことは今更なので話してくれたが、北浦には恥をかかされたと思っているからそれは示談にはならなかった。
どうやって収めようかと智嗄が言うと北浦はにこりとしている。
「それも多分すぐに解決するよ」
北浦はそう言った。
そしてそれは本当のことだった。
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