Find the keys

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 カイル・サルヴァティーニにとって日本という場所は本当に苦い思いしかなかった。
 あれは四年前に留学をした時だ。
 生涯を誓い合えると思っていた恋人に出会ったと思った。
 誰より大事で、家族を捨ててもいいと思ったほどだった。
 けれど、恋人の青柳奈津はそこまでは思ってくれていなかった。
 酷いことに、クリスマスに会わないまま別れてしまっていた。
 兄のギデオンに奈津がカイルと別れたいと持ちかけ、挙げ句ギデオンを誘惑してきたというのだ。
 ギデオンはそこでカイルが騙されていると気付いて、金を渡し二度と近づかないように言ってきたと言ったのだ。
 もちろん信じないと奈津に会いに行こうとするも、ギデオンによって大学の留学を勝手に終了させられ、大学費用も打ち切るぞと脅された。
 まだ親の扶養にいるから、どんなにバイトをしても日本までの費用諸々が揃わないから一人で日本にはいけなかった。
 それでも気にかかったので日本に行く友人のダリオに奈津に会ってきて欲しいと頼んだ。
 けれど、その結果、奈津には別の恋人がいることが分かったのだ。
 別れてたった半年で奈津は別の恋人と暮らしていて、カイルのことを伝えたが迷惑しているとはっきり言われたという。
「あいつはやめておけ、碌でもないから。お兄さんの言う通りにしておけって」
 ダリオはそう言い、カイルに男の子がいいならと新しい恋人を紹介してきた。
 カイルはムシャクシャした気持ちでエリオという相手と付き合い出した。
 けれどそれもエリオによって思い違いをしていることを告げられた。
「あんたさ。昔の男を引き摺っていつまでもネチネチしてんの腹立つ」
 そう言われた時に、カイルはエリオを憎い奈津に仕立てて責めていた事実にやっと気付いた。結局エリオからの信頼は得られず別れた。
 それから真面目になり、会社に入ると必死で仕事をしてきた。
 そして日本のホテルの視察を兄に頼まれたのだ。
 兄のギデオンは父親であるジャンカルロから事業を引き継いで後継者として社長になったばかりだった。
 そんなギデオンの大変さを知っているからカイルは右腕として様々な仕事を手伝っている。
 日本のホテルの業績が落ちてきたことと、日本語を喋れる交渉人が必要ということでカイルは日本にやってきた。
 ホテルに泊まり、仕事を見ていくけれど、どこを取っても日本の現場の仕事には問題はなかった。
 料理も部屋の掃除も格式もどれも問題がないのに業績が下がっている理由は、単に値段の問題だった。
 周辺ホテルがある程度の格式を持っていても相場という物がある。それから逸脱したホテル代金を出せないのだ。
 特に海外からの観光客はそこがシビアだった。
 日本人は出してくれるけれど、観光客は民宿や格安ホテルに走ってしまうのだ。
 というのも、日本はお金を掛けなくても安いホテルやカプセルホテル、漫画喫茶等変わった施設が多く、そこには設備も整っていてこだわりがなければそこでも安全が確保される。だから口コミで広がり、それで十分だと思う観光客が多いためだ。
「根本的にか……」
 ホテルを選ぶとき、まず値段でこのホテルは除外される仕組みだ。
 昨今のネットでは、値段でまずホテルグレードを選ぶ。だからカイルたちのサルヴァティーニホテルはまず候補に挙がらない。なので一般の人は高いホテルという認識しかないことになる。
 旅行ブームであるにもかかわらず、ホテルがどんどん建築されているのに平日でも満室が増えていると言われてる時でさえ、このホテルが満室になることがない理由の説明はただ一つだった。
「殿様商売ということか」
 ホテル側が客を選んだ結果、客が見向きもしないのだ。
 そんなホテルでも会議室などを開放し始めたところ、様々な商談などで使われることが増えた。
 使いやすさを求める企業などが使ってくれているのもあり、都心にあり駅近くということで利用が増えているのだ。
 これはカイルが提案したもので、ギデオンが格式がどうとか言って嫌がっていたが、日本の企業が使うのだからと説得した結果、やっと採用されたのだ。
 そしてカイルは宿泊費の見直しをした。
 相場に合わせて値段を少し下げた。
 格式あるホテルの値段に合わせていた部分を見直し、グレードを落としたのだ。
 それもギデオンは反対をしたが、業績が右下がりになっているのでは売却も考えないといけないと伝えたところ、やっと同意した。
 それは日本のホテル代が観光客を睨んで高めに設定されていることが分かったからだ。だからその高め設定を撤廃したところ、それなりに検索の候補に入っているのか、満室な日が増えてきたのだ。
 もちろんホテルの従業員の質は恐らくサルヴァティーニホテルの中でも一番いいと言って過言ではない質である。
 すぐに出張をしてくる海外の人が使ってくれるようになった。
 やはりホテルの立地がいいため、少し多めに払っても駅近で都心であることは優位に働いたようだった。
 この日もホテルでは出版社による賞パーティーが開かれるようで、日本の作家などが泊まってくれている。
 ホテルの会場を使ってもらえるように各方面に宣伝をしたお陰で、やっと認知されるようになったのだ。その中でも大きな賞レースになる出版界のパーティーは、いつものホテルが改装中だったお陰で引き抜けたのだ。
 それが上手くいけば来年からも選んでもらえるかもしれないとカイルは社長にしっかりとおもてなしをするようにと指導をした。
そのお陰でホテルはニュースに名前が出ることになり、それだけでも効果はあるはずだった。
 そんな日に、カイルはホテル内を視察した。
 ロビーの待合に座り、客がどう思っているのかを知るために客の振りをして座っているだけであるが、それでも日本人は表だっては悪いことは言わないので、こうして潜り込むしかなかった。
「そういや、このホテルってもっと高い値段をしてたよな?」
「ああ、でも最近になってテコ入れしたらしくて、値段がぐーんと下がったよ。ぼったくりしていたけど、ヤバくなったんじゃね?」
「そういうことか。まあ最近業績が云々でデパートも潰れる時代だもんな」
「だよな。ここで意地張ってもっていうやつだろうし、まあ、質は最高にいいんで値段下がってくれてラッキーだって出版社の奴が言ってたよ」
「だよな、有名作家を泊まらせるのにはちょうどいいホテルだしな。格式は悪くないんだよな」
 そう話ながら出て行くのを見ているとカイルはふっと息を吐く。
 記者らしい二人組であるが、大体の人間は同じことを言っていた。
「……」
 勝手なことを言ってくれると思って振り返ると、そこには見たことがある青年が立っていた。
 カイルはその青年を見て目を見開いた。
 細い体に似合ったスーツを身につけ、綺麗な立ち姿でいるのは見間違いようもなくカイルの留学時に付き合っていた青柳奈津だった。
「どうも、こんにちは」
「お久しぶりです、青柳さん」
出迎えた出版社の人が奈津ににこやかに話しかけている。
 まさかの出来事にカイルは奈津に釘付けになった。
「山田先生もお待ちですよ。いつもお世話になっているからと」
「嬉しい、山田先生にはいつも原稿でしか会っていなかったので……」
「いきましょう」
 そう言われてすぐに奈津はエントランスから会場に向かっていった。
 さすがに海外の人も多いホテルであるからか、座っているカイルには気付いていなかったようだ。
 奈津は酷く美しかった。
 昔の儚さが残るその面影も全部残して、美しく少年のような姿から青年に変わっていた。
 声の高さも、そしてその身丈も、少しだけ違っていたけれど、それでもカイルにとって懐かしい人だった。
「……奈津……」
 声に出して名前を呼んだら、憎らしいと思っていたはずなのにどうしてもあの人に触れたいと心が高鳴ってしまった。
 奈津に出会ったのは留学した時だ。
 席が隣だったことから色々と日本について教えて貰った。
 日本語ができたからすぐに意思疎通もできたけれど、それ以上に奈津の儚さに惹かれた。
 奈津は決して家族の話はしなかった。
 きっと良くないことばかりだったのだろうと思ったのでカイルは聞かなかった。
 それ故に儚い部分は、そうしたものからできているだろうと思った。
 そして付き合うまでにはそう時間はかからなかった。
 付き合うと言っても始まったのは体の関係からだった。
 奈津はどこまでも優しかった。
 決して嫌だとは言わなかったし、カイルのために体を開いてくれた。
 大きな愛情で包まれていると思ったほどに、奈津は愛情深かった。
 そんな奈津に恋をし、愛するまでに時間は要らなかった。
ただ笑ってくれるだけで嬉しかった。
 奈津が幸せそうにしているだけで、それだけでよかった。
 けれど、奈津はそうではなかったのだ。
 奈津はカイルがアメリカにクリスマスで戻っている間にさっさと兄ギデオンに別れることを告げ、手切れ金を貰って去ってしまったのだ。
 それを思い出してカイルは心の中に芽生えた憎しみが蘇る。
 ギデオンに言われた言葉が胸に突き刺さる。
「お金を渡したらあっさりとお前と別れると納得したよ。びっくりしたね、日本人だと聞いていたからもっと奥ゆかしいと思っていたけれど、金を目の前にしたら恋人も裏切れるんだな」
 その言葉はカイルが奈津を憎むのに十分な言葉だった。
 カイルはゆっくりと立ち上がり、ホテルの警備室に行った。
 警備に休憩をさせ、その間に奈津の姿をカメラで探していた。
 奈津は出版社のパーティー会場で老年の人と話していた。
 もちろん音声はこっちには届いていないので、笑顔で話す奈津の顔しか見えない。
 楽しそうにしている奈津を見ると、苦しい思いをしているのは自分だけだったのかとカイルは思った。
 奈津は何の苦労もなさそうに柔らかな笑顔でいたけれど、それでも儚げな顔は変わりはない。
 色んな人と話をし終わった奈津はマネージャーのような人に案内されて受付で鍵を受け取っている。
 エレベーターで六階に上がり、三号室に入っているのを見た。
 もちろん監視カメラはそこまでしか終えない。
 カイルはそれを確認すると、警備室を出て警備員が戻ってきてから受付に行った。
 書き込まれている宿泊記録を確認した
「六百三号室は空室ではなかったか?」
 そうカイルが受付で尋ねると、受付が答えた。
「ああ、出版社パーティーの関係者です。青柳様は具合が少し悪いとのことでしたが、なんでもお酒に酔ったらしく、ご休憩だそうなので、五時まで使われるそうです。宿泊はされないそうなので、六時には清掃をして空き部屋にしておきます」
 そう言われて思い出した。
 奈津はお酒の匂いだけでも酔うことがあり、カイルも酒類は奈津の前に持ち出さなかったくらいだった。
「そうか。ではこのクスリを持って行ってやりなさい。あと部屋を移動して貰って。五時までなら、私の部屋の予備室を使った方がいい」
「え、あ、はい。お知り合いでしたか……」
「そうだ。ただ本人にはあれこれ詮索しないように」
「はい、畏まりました」
 何も疑いもしない社員にクスリを持って行かせ、スイートのカイルの自室に移動をしてもらって、入り口付近にある部屋に案内をさせた。
 よほど具合が悪かったのか、考えるほどの気力もなかったのか、奈津は言われるがままに部屋を移動したらしい。
「ありがとう、それじゃ後は任せていいだろうか?」
「はい」
「じゃあ、私はそろそろ部屋に戻るよ。いつものようによろしく」
 時計を見ると既に午後四時になっている。
 これから受付は宿泊客が帰ってきて忙しくなるから、カイルは邪魔をしないように部屋に引き上げる。
 引き上げてももちろん部屋で別の仕事をしているので、休んでいるわけではない。それが分かっているからその邪魔になるような要件でなければ呼ばれはしない。
 すぐにカイルはスイートに軽い軽食を二人分運んで貰った。
 片付けは明日にしてもらい、従業員を部屋から出してロックを掛けた。
 カイルはスーツの上着を脱ぐと椅子に掛け、そして奈津が寝ている部屋に入った。
 ベッドに近づくと奈津が寝ている。
 もう物音さえ聞こえないほど深い眠りに付いていることだけは分かった。
 さっき渡したクスリは睡眠薬だ。
 カイルが常時使っているもので、一度荷物に入れていた時に盗まれたことがあり、それ以降はワンシートだけは持ち歩くようにしてある。
 まさかそんなものを使うことになるとは思わなかったが、それでも眠っている奈津を見たら、そうやってでも奈津を手元に置きたかった気持ちが強かった。
「何をやっているのか……本当に。でも奈津、お前を……許せない」
 カイルの心を玩び、そして金で捨てた。
 それを思い出すだけで腸が煮え繰り返るのに、奈津の寝顔を見ているだけでどうしようもなく心が乱れるのだ。
 カイルはそんな奈津を見ながら上布団を払いのけた。
「次は絶対にお前を私から離れられないようにしなくてはならない……」
 カイルはそう言うと、奈津のワイシャツを脱がした。
 肌に触れそしてそこに口づけをした。
 そこから先はカイルも覚えていないほどに、奈津を犯したのだった。

 

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