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青柳奈津にとって、大学時代は一夏の恋のような時間だった。
奨学金でやっと大学へ入った奈津は、すぐに留学生と知り合った。
留学生と分かったのは、明らかに顔つきが日本人ではなかったからだ。彫りが深く、イタリア系かなと思うような顔つきだった。
講義の出席名簿を渡したら、それが何か分かってないようだったので奈津は親切に言った。
「えっと日本語でいいかな。出席簿、名前を書いて、えっとサインして隣に回して」
奈津がそう言うと、その人は奈津を見てから納得したように自分の名前を書いていた。ただそれは本当にサインのような英語で、奈津はなるほどと思った。
「私はカイル。カイル・サルバティーニだ」
「俺は、青柳奈津。よろしく」
「ああ、よろしく」
それが出会いだった。
それから講義が同じなものが多かったのか、やたらとカイルには出会った。
そのたびに一緒にいると、いつの間にか入学してから友達を作る人たちの輪には入れず、カイルと一緒にいることが増えた。
カイルの方は顔がとても綺麗だったから女性には人気で、時々女性がカイルを呼び出しては告白して振られていた。
「留学中の人に告白してもなあ……」
カイルの留学期間は一年間だ。
日本の大学というよりは、日本人というものを学ぶのが目標で来ていたらしい。
商売は家族がやっているホテル関連の観光事業で、海外の観光地には大きなホテルを建てて経営をしているらしい。
らしいというのは、奈津はそういうことには興味がなかったので、そうなんだ~と受け流していたから詳しくは知らなかった。
カイルはイタリア系アメリカ人で、祖父の代にアメリカに来て、ホテル業で大成功をした家だった。
だから時々、日本にもあるホテルに行くことがあった。
奈津はそんなカイルに連れられて、ホテルのレストランに行った時だ。
あれは夏になったばかりで、やっと梅雨明けもして晴れ間が見え始めた時だっただろうか。
奈津はカイルから告白をされた。
「奈津と一緒にいたい。君がとても好きだ」
「や、でも、留学が終わったら国に帰るでしょ? さすがにそれはちょっと」
日本にいない恋人と遠距離はそもそも無理であるし、カイルが日本に居残るのもきっと無理だ。そして奈津はアメリカに付いていくのも無理だった。
英語がまずできない。それがネックであり、奈津は断ったのだがそれからカイルは奈津に猛アタックを繰り返し、奈津の家にまで押し寄せてきた。
そして気付いたら甘く口説かれ、カイルと関係を持ってしまったのだ。
奈津はカイルの声に弱く、囁かれるととても逆らえなくなってしまった。
元々奈津自身がゲイの兆候がある方だったのも関係しているのかもしれない。ただ誰かと体の関係になったことはなく、カイルが初めてだった。
それでも奈津は思ったのだ。
もしかしてここまでカイルくらいの人に出会わなかったから、ゲイである事実も受け入れられなかったのかもしれない、そう思った。
体の関係ができると、カイルは更に奈津を甘く愛してくれた。
しかし奈津にとってはきっと留学中の戯れだろうと思えてしまい、とてもじゃないが好きだと返すことはできなかった。
それでもカイルは奈津の心を溶かそうと必死だった。
「留学期間をもっと延ばそうと思う」
カイルがそんなことを言い出したのは、クリスマス前だった。
冬はアメリカに帰ることになるカイルがそう言い出して奈津は驚いた。
「そんなこと、どうして」
そう奈津が聞くと、カイルは言った。
「奈津、お前ともっと一緒にいたい……」
奈津はまだ大学に入ったばかりで残り三年が残っている。
カイルはその間に奈津が心変わりをしてしまうのを恐れていた。
奈津は体を許してくれるけれど、心はなかなかくれないことが不安だったのだろう。
しかし奈津はそれに同意しかねた。
それでもカイルは冬休みをアメリカで過ごした。
家族と毎年、祖父の家に行くのがクリスマスの過ごし方だと言っていたので、カイルはアメリカに帰っていった。
奈津には実家はなかった。
両親は早くに離婚していたから、奈津は母親の祖父母の家で過ごしていた。
そんな祖父母も去年二人とも相次いで亡くなった。
そして母親はそんな状態の時に、再婚をし、奈津には祖父母から遺産として建て直してそんなに経っていない家を相続させた。
もちろん遺産の税金は母親が払ってくれたけれど、母親は奈津を置いて再婚相手の住んでいる地方に引っ越してしまった。
祖父母の保険金は祖父母の意向が強く、母親には遺留分しか渡されないことが遺言で残っていたので、それを恨めしく思っていた母親は奈津を置いていったのだ。
さらには奈津には弁護士が用意されていて、祖父母は言いくるめられないように警戒をしてくれていたお陰で母親は財産を諦めるしかなかったという経緯がある。
なので奈津は初めて一人の年末を迎えていた。
そんな中、奈津の自宅に一人の外国人が弁護士を連れて訪ねてきた。
「ギデオンという。カイルの兄だ」
流暢な日本語で説明されたけれど、カイルに似ている顔をしているから、奈津はその人が名乗らなくても分かった。
わざわざ家まで来た理由はすぐに思い至った。
「カイルのことですね……」
奈津はそう切り出していた。
「分かっているなら、話は早い。別れて貰う」
「別れるも何も、まだ付き合っていません」
奈津はそう言い、はっきりと答えた。
するとギデオンは少しだけ驚いた顔をしていた。
「付き合っているとカイルからは聞いている」
「いえ、告白されたのはこの間です。その返事は返していません。ですから正式に付き合っているわけではないのです」
奈津はそう言い、正式な意味ではそうではないのだと告げた。
するとギデオンは少し考えた後に言った。
「カイルはこのままアメリカの大学に戻る。それで話が終わるわけだな?」
ギデオンの言葉に奈津は頷いた。
「留学をしている間だけだと、ずっと思っていました。きっとご両親はお許しにはならないと、だから返事はしませんでした」
断ることはできず、けれど同意はしかねたのには理由があった。
そんな奈津の謙虚な姿勢に、ギデオンも強く言葉を言えなくなったようだった。
初めから奈津はカイルに気に入られてからの結末が見えていたというのだ。きっとこうなると最初から諦めていた。けれどそれでも好きだから体の関係を拒めなかった。
それでも好きだと言ったらきっとカイルは家族を捨ててしまうのだと思ったのだ。
案の定、何かあったのだろう。わざわざ別れろと言いに来たからにはそういうことなのだ。
「カイルは君と暮らすために、日本にずっと住むと言っている」
「では止めてあげてください。カイルは日本にいることはないです。きっと優秀な頭脳でずっともっと素晴らしい世界が広がっているはずです。俺では絶対に後悔させてしまう」
奈津はそう言い、頭を下げた。
「何とおっしゃっても構いませんので、俺のことは忘れて貰ってください……」
奈津は自分のためにカイルの未来がなくなることが怖かった。
奈津は他人の幸せな時期に、いつも誰かの負担になっていた。
もう好きな人の負担にはなりたくなかった。
奈津はそれから一人で泣いた。
カイルとはいつか別れると思っていたけれど、まさか家族にまで迷惑をかけているとは思わなかったのだ。
カイルから家族を奪いたくなくて、奈津は身を引いた。
そのことでギデオンは奈津にお金を用意してくれたけれど、奈津はそれを貰わなかった。
だってそんなつもりでカイルと付き合っていたわけではないのだ。
気持ちまでが嘘だったと思いたくなくて、奈津は送られてきたお金はそのまま弁護士を通じて返した。
「気持ちは嘘ではないので……」
そう言い、決して受け取らなかったら、向こうも諦めてくれた。
きっと受け取った方が色々と後で面倒ではないのだろうが、この恋がお金が絡むことで純粋な気持ちが消えてしまうことが怖かった。
年明け早々にカイルの留学は終わり、奈津は一人で大学に通った。
気持ちが落ち着かないのでバイトを始め忙しくしているうちに大学生活は終わった。
カイルからは連絡は一度もなかったので、きっと兄のギデオンが上手くやってくれたのだろうと奈津は思っていた。
それから暫くして、奈津の元に叔父がやってきた。
奈津の祖父の弟は海外に住んでいて、そこで結婚をしていた。そして一人の息子を産んで貰ったが結局離婚をしていた。
その時の子供であるグラード・ティスティーノが家を訪ねてきた。
「やあ、奈津」
「久しぶりです、小父さん」
「はは、グラードでいいと言っただろ?」
グラードは四十歳の長身の人のいいアメリカ人であるが、元はイタリア人でアメリカに移住をしたので現在はアメリカ国籍だ。
そんな小父は奈津が両親に捨てられて祖父母と暮らすようになった時に知り合った。
たまにアメリカから日本に遊びに来た時にだけ祖父母の家を利用していたので、その時から奈津は懐いていた。
最近は仕事の関係でやってくることが多かったけれど、祖父母が亡くなって葬式に来てくれて以来の訪問で、奈津はグラードを自宅に招いた。
その時にグラードはファウスト・カザールという部下を連れていた。
「こちら、部下のファウストだ。この子は奈津。私の親戚だ」
そう紹介をされて、奈津はファウストに笑顔で挨拶をした。
「どうぞ、一階の部屋を開けているので」
「お世話になります」
ファウストはまだ社会人に成り立てで、奈津とは年齢も二歳ほど年上であること以外は変わらなかった。
「暫く世話になるが、本当に助かるな~」
二人は二ヶ月ほど日本での研修があり、そのためにホテルに入る予定だったらしいが、せっかく日本にいるのだからとグラードはホテルではなく、奈津の家に世話になることにした。そしてファウストは日本家屋に興味があり、暮らしてみたいと言うので受け入れたわけだ。
「いいですよ、俺は家でできる仕事ですし、二人くらい増えても気にしません」
奈津の仕事は今はリモートでできる書類の清書の仕事だ。
奈津はなるべく人に会わないような生活を好んでいたので、雑誌社などで小説の清書が終わったものを打ち直すという仕事をしている。
最近はパソコンで打ち込んでいる作家も多いが、中には手書きの人もいる。それらの原稿を見ながら文章を起こすことを生業としている。
出版社に専属で雇われているので、奈津はバイト時代と合わせてもかなり長く出版社で仕事をしていて、認められている。
就職活動は結局しなかった。
いいところに就職するよりも自宅で何とかできる仕事を選びたくて、それで出版社から誘われたのだ。だからそのままバイト繋がりで就職となった。
なので自宅に常にいるからとグラートの世話をすることになった。
その日はすき焼きなどをしてもてなし、グラートはそれに喜んだし、初めてのすき焼きを食べてファウストも喜んでいた。
「ほんと、美味しいです……!」
「良かった、お口に合うようで……」
「うちで手軽にできるんですね……料亭とかそういうところでしか食べられないのかと思ってました」
あまりに感動されてしまうので奈津は少し笑う。
するとファウストは少し顔を赤らめた。
「どうぞ、たくさん食べてくださいね。資金はグラードが持ってくれるので」
「おお、そうだぞ。どんどん食べろよ」
グラードがそう言い、ファウストにどんどん食事を勧める。
ファウストはそれでたくさん食べてくれ、どれも美味しいと言ってもらえた。
食事を誰かと一緒に取るのは数年ぶりで、奈津は楽しく食事ができた。
誰かが家に帰ってくるということが楽しかった。
それでもその楽しさは家族のものであり、決してあの時の熱い感情を処理できるほどのものではなかった。
奈津は今でもカイルを思い、そして他の誰とも付き合えなかった。
体は結局誰でもいいわけでもなく、いざ割り切ってと考えたけれど、それでも最高の時を知っているからこそ、駄目だったのだ。
幸い相手は良い人だったから、事情を話したら無理強いはしなかったけれど、もし誰か恐ろしい人だったら許してはもらえなかっただろう。
それから奈津は自重して行動をするようになり、決してそういう界隈には行こうとしなかった。
「奈津は、結婚はしないのか?」
グラードが何気なく聞いてきたのは、リビングで片付けをしているときだった。
「え? しないよ。グラードも知ってるよね、うちの両親のゴタゴタ」
「ああ、智子さんは再婚したんだっけ? 冬吾も再婚していたよな? どっちとも連絡も取ってないのか」
グラードも奈津が祖父母に育てられたことは知っている。
その葬式でさえ、父親は関係ないと言って来なかったし、母親に至っては財産が欲しいがために参加はしたが、喪主は奈津だったという有様だ。
「連絡なんて葬式以来取ってませんよ。向こうがこっちに関心がないから、こっちも関心を持つことはないですし、父とは離婚して以来会ってませんし、面会もしてません。養育費だけは渋々払っていたようですけど、葬式以降ぱったりです」
「困った人だな冬吾さんも……」
「母は再婚相手に何か吹き込まれたのか、やたら遺産を欲しがってあれこれしてきましたけど、祖父ちゃんたちが弁護士を付けてくれていたので何とかなったくらいです。面倒も見ていない親の遺産目当てにあそこまで無様に足掻くのを見ちゃったら、関わり合いになってたら殺されかねないほどですよ」
奈津の言葉にグラードはそこまで酷いのかと渋い顔をしていた。
「そうか、そこまでだったとは……そりゃ結婚生活に夢見ろとは言えないな」
「でしょ。グラードだって結婚せずに遊んでばかりじゃないですか? そろそろ大人しくならないと誰も構ってくれなくなりますよ?」
奈津の言葉にグラードが痛い腹を突かれてしまい、直ぐさま退散した。
そんなグラードを見て苦笑する奈津は、カーテンを閉めて明かりを消した。
結婚だけは絶対にあり得なかった。
だって心がまだカイルに惹かれている。
この熱い思いが消えない限り、次なんて進めるはずもなかった。
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