幽々抄
5
安藤千明(ちあき)はその日は作家の仕事をしていた。
宅配便の男との後、千明は霊と対話をしていた。
「あのさ、急にそういうのは困る。特に仕事が立て込んでいる時は、そういことをされると、食いっぱぐれることになるんだよ、それはさすがに分かるよね?」
今は暇であるけれど、忙しい時期にこれをされると本当に死活問題になる。
そこで霊との取り決めをしているのだ。
コンと返事を貰い、さすがに相談なくなだれ込むのは良くないと思ったのか、それとも協力を得られなくなる可能性を恐れたのかは分からないけれど、彼らとてここで協力的な千明を手放す気はないようだった。
「それで一回の摂取で維持が一週間だってことはないよね?」
コン。
「これまでつまみ食いはしたけれど、三年以上も持ってるわけだし、僕一人でどれくらい持つものなの?」
その純粋な質問に霊は答えた。
【二ヶ月くらい】
ホワイトボードに書かれたのを見て、千明はなるほどと思う。
というのも、つまみ食いとはいえ、一応は人の生気は頂いているけれど、千明を使ったものよりは取れていないはずである。それなのに霊は状態を維持できていたとなれば長期間の存在の維持をし、消費を少なくしているはずである。
「やっぱりそうだよね。悪いけど、君らを飢えさせはしないけれど、成長もさせる気はないよ? 何が起こるのか分からないし、さすがに君らに乗っ取られたままの時間が長ければ、僕の意識も乗っ取られやすくなるだろうしね。そこはやっぱり大事。君たちだって、僕が壊れてここから出て行かざるを得ない状況には持って行きたくはないだろう?」
そう千明が言うと霊は即答した。
コン。
イエスと答えるということは生気の維持は出来るけれど、この三年間の飢えをまた経験はしたくないらしい。
もしかしなくてもそのせいで前住人は病気になり、入院する羽目になったのかもしれない。
その二の舞はしたくないけれど、千明はここを出て行く気はなかった。
というのも、ここに暮らし初めてから創作への意欲が凄くあるのだ。
設定はすぐに出来たし、出来事を創作にしていくのが得意な千明は、もうこの出来事を題材にした幽霊探偵を書き始めていたのだ。
大本の設定はこの間、朝陽たちと話していた内容であるが、具体的な体験談としては自分が経験したことを織り交ぜていく。
引っ越してきた先の女の子が、元探偵の幽霊によって名探偵になっていくストーリーで、幽霊は最初から犯人を見ていたり、普通の人が知れないところに入れたりして、犯人を物理的にあぶり出して証拠をちゃんと挙げて逮捕する流れを作る役割だ。
けれど、言葉は通じるけれど探偵の声は聞こえない設定なので、それを知らせるために怪奇現象が起こったりする。
そういう設定を作ったら、一話目の話がガンガンと書けてきたのだ。
既に導入部分は書いてしまったので担当にこういう話を書こうと思っていると送ったところ、すぐに続きを書くようにと言われた。
だから仕事をしている時に中断される行為をされると、非常に困るというのは本当のことだったのだ。
「その辺は折り合いを付けよう。とにかくここから一ヶ月、僕は仕事に集中する。邪魔は許さないからな」
引っ越しも終わって二週間目である。
そろそろ仕事もしなければならないので遊んでいる場合ではない。
千明が仕事モードに突入すると霊もそれに逆らいはせずに、千明の仕事が終わるまで大人しく待っていた。
どうやら二週続けて生気を吸えたことと、千明からも得られたことで不満はなかったようである。
さらには時々、抜く時には霊が吸ってくれるのでそれに任せていると自然とそうするのが千明にとって楽になっていった。
霊にとってはそれが一日一回の生気を得る方法で、少ない生気であるがないより合った方がマシというように霊は千明の提案には従った。
「あぁ……あぁ……っああっああんっきもちがいいっ……ああんっ」
オナニー代わりに霊によって吸い上げられるペニスは既に勃起している。
それを霊が扱き、そして千明の乳首も指で捏ねるようにしてくる。
「ひゃふっ、ふ、ん、ふっ……はぁあ、あ、あぁっ……あ、ああぁっ……!」
オナニーをする時に乳首を弄られるようになって、千明は乳首で絶頂ができるくらいには敏感になった。
「ひぁああ……っ! あぁあっ! あぁあ……っああ……っ! んああ……っああぁあっ!」
オナニーの時は挿入行為はしない。
歯止めが利かなくなるので、乳首と生気を吸える射精をさせる行為のみだけとした。
千明も霊もお互いに求めるがままになるのは、ちゃんと計画を立ててということにしたので、お互いに自制が働いている。
このあたりの均衡が崩れたら、きっとその時は千明が霊に乗っ取られてしまった後のことだろうと千明は何となく思っていた。
「あっあっあっいいっああっ……っああ、……っああんっ……ああっ」
千明は腰を振り、乳首を弄られながらベッドで悶える。
そんな千明を霊は抱きしめるように体を撫でてくる。
霊は千明を愛でている。
千明がそう思ったのは、霊の中に統制を取っている人格が割と理性的であることに気付いたからだ。
「あぁあっ! いい……っ! あっあぁっ、あっ、ああ……ああっ……っあっあっあっああぁんっ! あっ、あっ、あ、あぁ! あっあぁんっ! んっ、んんぅいくっいく……っ!」
千明が絶頂をすると精液が吐き出され、それを霊たちが啜り、生気としていく。
最期まで丁寧に啜り、一滴も残さないのはさすがである。
この霊の中の一人には自分が生前、柏木翔吾という名前の人間であったことを知っている。
随分はっきりと覚えているのだなと思うと、どうやら近所でなくなった若い人らしい。 死んだ時に霊となり、引き寄せられるままに来た場所はここだったのだ。
気になって調べてみると、五年ほど前にそういう人がアパートでなくなり、事件になっていたらしいと言う話を近所の人が覚えていた。
あまり死人が出るような事件はなかったので印象に残っているという。
どうやら殺されたらしいのだが、犯人は付き合っていた女性と別れ話で揉めたという痴話喧嘩の果ての殺人だったらしい。
しかし柏木翔吾はそれを覚えておらず、もちろん殺された事実を聞いても何も変化はなかった。
その時からある未練は、今解消していると思っているという。
柏木翔吾のことを調べ始めるとすぐに彼の知り合いに行き着いた。
昔の知り合いであることを告げると、言いたくはないがと言いながらももういない人だし、言ったところで何かが変わるわけでもないけれどと前置きされて話された。
「彼ね、恋人に殺されたのは知ってるわよね。でも殺された理由。彼女と別れるためにという話なんだけど、実はね、彼はね彼女と別れて彼氏を作る予定だったのよ」
なんというか、そういうことかと納得できそうなくらいに腑に落ちる理由であった。
恋人とは別に、当時友人だった人から告白されて、付き合うことになってしまい、悩んだ末に友人の方を選んだのだ。
元々実家に戻る気もなかった。彼女と結婚をしたら実家に帰って両親の言う通りに実家の雑貨屋を継ぎ、そしてそこで家族を養うために働いて暮らすという一般的な幸せを考えた時に、とてもじゃないが無理だと思ったのだ。
「ほら、世の中には偽装して何とか家族でやっていける人もいるのだけれど、こっち側の人間ってのはね。結局普通には暮らせないのよ。精神病んで駄目になる。大体は自殺に追い込まれるのよね。ちょうど彼の知り合いがそうなって、死んだことも関係していたかしら」
柏木翔吾は同じ道を選んで同じように自殺する未来しか見えなかったのだ。
そしてそれを正直に彼女に話したところ、彼女は逆上、男に取られるくらいなら殺すと言って彼を刺したのだ。
けれど本気で刺したのに彼女は錯乱してしまい、その場から逃げたものの自殺することも出来ずに自宅で逮捕された。
「結局ね、彼女にはそこまでの覚悟はなかったのよ。その後は自分は悪くないってごねたけれど、彼氏が男と浮気をしていた事実は言わなかったらしいわね。彼の両親には恨まれたけれど、薄々感じていたのかしらね、殺されたと思った方が男に走ったことよりはマシってことみたい」
酷い話であるが商売柄、恋人に殺されたなら同情されるけれど、彼女を振って男を取ったから殺されたでは印象が違うのだという。
千明は世の中っていうのはそういうものだよなと頷いて、どっちの理由も分かるからどっちも責められはしないかもしれないと思った。
そして彼を失った友人は、彼が自分を選んでくれたという事実だけを抱えて引っ越していったという。
「きっと一生一人なんだろうね彼はね。選ばれたことを知ってしまったからね。でもそれは良いことなんだろうけど、知らなくてもよかったことでもあるわね。だってこれから彼は六十年、孤独で生きるのよ。それなら誰かいい人が見つかって落ち着く未来の方がいいに決まってる」
教えてくれた人は柏木翔吾の友人には真実は言わなかったらしいが、誰かがその事実を知って可哀想だと教えてしまったのだという。
結果、彼は一人で生きていく羽目になった。
今はどこにいるのか分からないけれど、死んだりはしないだろうという。
「だって愛されていた事実を知ってるのに、自殺しちゃったら同じところに行けないじゃない?」
どうやら友人はそういう思考回路だったらしく、柏木翔吾の覚悟を話した人はとにかく友人に自殺をさせないために喋ってしまったのだろうと言う。
「結果がどう響くのか分からないけれど、未だにそれを知ってよかったのか、自殺を留めてまで孤独を選ばせるのか、その選択肢は正直、私たちにはどうしようもないってことなのかもね」
良いことをしてもその先の未来もいいこととは限らない。
それはその人にならないと分からないことである。
千明はそうした誰かを愛した記憶がないので、柏木翔吾の覚悟も友人の覚悟も正直言って理解しようがなかった。
「お前って意外にちゃんと生きていたんだな。僕には愛だの恋だの結局分からないよ」
千明がそう言うけれど、柏木翔吾はそれに対して。
【俺も死ぬまで分からなかった。死ぬ時にあいつを置いていくのが悲しかった】
彼女に対しての怒りなんて湧きもせず、死ぬ瞬間まで友人のことを思って死んでいったらしい。
けれどこのままここに居続けるということは、柏木翔吾は友人とは同じ場所にいけないのではないだろうか。
もし解放されても同じところにいけるかどうかそれも色々と怪しい。
本当の意味で何かを思うのは、案外死ぬ時だけなのかもしれない。
生きている間に感じてもいるけれど、それが正解か間違いかなんて死ぬ時まで分からないのだ。
「それで、お前はその友人に会いたくはないのか?」
【こんな状態で会えるわけもない。きっと俺が天国へ行っていると思っているのだから、夢を壊すこともないだろう】
柏木翔吾にとって友人が希望なのは変わりないらしい。
こんな状態の自分を見たら友人はきっと悲しむし、ここから救おうとするだろう。けれど結合してしまった魂は分断できないのか、きっと長時間をかけて滅びるまで柏木翔吾は解放されないのを知っているようだった。
友人は残りの人生を寂しい思いで過ごしているかもしれないが、それでも柏木翔吾が天国にいるという希望をもって生きているはずだ。その友人の夢を壊して更に悲しい思いをさせるのは違うと柏木翔吾は思ったのだろう。
霊の中でもいいやつで表だって交渉をしてくれるのも柏木翔吾であるが、そこで千明はふと考えた。
たしかに柏木翔吾は交渉役ではあるだろうが、その深いところにある根本的な霊の目的はどういうものなのかは聞き出せてはいなかった。
生気を欲しがっていることから、安易な想像では復活や人に成り切ることや、あわよくば千明の意識を乗っ取り霊の親玉が復活するという目的もありそうではあるが、それには今の彼らの力では足りないのだろう。
生気を蓄えて世界征服なんて考えている可能性もないわけではない。
目的が何にしろ、千明に対して相当譲歩はしてくれているので、千明はそれでいいかと思っている。
というのも、千明は作家としてそれなりに活動させて貰っているけれど、その先の未来が見えないままである。
もし乗っ取られていたとして、個人的には飲み込まれて終わるならそれはそれでいいかもしれないと思っているのだ。
希望がないというのが千明の悪いところで、それなりに人よりはいい身分らしいけれど、その未来もあまり明るくはないはずだ。
作家としてはこれからもそれなりにやれるのだろうが、大作家になろうとか、大物になろうとか、そういう夢がない気がした。
生きている実感、それが全部なかった。
けれどここにきて、千明はセックスを通じて自分の望んでいる世界が広がっていると思えた。
このままこの快楽に飲まれてしまえば、きっと楽しいだろうし、生きている意味も見える気がした。
柏木翔吾のことを調べたのも、霊について興味が湧いてしまったからだ。
他人に対しての興味は引っ越しを境になくなっていたけれど、湧いてきたのに何か意味があるなら、それは知りたいと思えた。
この場所は新たな世界に足を踏み入れられ、そして未知の体験が出来る素敵な場所だ。そう千明は思い、このままここで暮らしていくことにした。
周りから幽霊屋敷と言われるような場所だと判明するのは、それから一ヶ月後であるが、その通りで敏感な子供は怖くて近付かない場所になっていて、人も来ないので千明には心地よい場所に落ち着いたのだった。
それから三ヶ月後。
柏木翔吾を題材にした小説、幽霊探偵は一作目が発売されてヒットしているという。
イラストを描いてくれた人が有名なイラストレーターだったのも相乗効果になっていたらしく、初めて小説部門で一位を取れた作品になった。
「いやあ、先生、もう重版ですよ。凄いですよ、これもアニメ化できそうですね」
編集者は予想よりも売れていることに喜び、アニメの計画もすでに立てているらしい。
「ありがとうございます……」
よく分からないけれど売れているならそれでいいかと千明は思う。
前は売れれば嬉しいと思っていたのだけれど、最近はそんなことは二の次で霊との関わりの方が楽しさを感じるほどであった。
今は一人一人の霊の昔話を聞き出すという作業をしていて、その合間に小説を書いている。
聞き出しているのは別に彼らを成仏させようとかそういうことではなく、小説を書くネタが欲しかったからだ。
それに彼らは今の状態が心地良いのか、成仏したいという気持ちがない。
無理に引き剥がすとそれはそれで魂の分断に繋がる可能性もあるだろうと考慮して、浄霊屋や霊能者には頼っていない。
もちろん家から追い出したいのであれば、そういうのを頼むのもありであるが、千明はそれよりも彼らからもたらされる快楽を手放したくはなかったのだ。
それは双方にとって良いことで、生気を与えられる彼らは少しずつであるが、自分を取り戻している気がした。
全員が柏木翔吾くらいに記憶を取り戻した時、彼らは自然と消えるのか、それとももっと悪化してしまうのか、それはさすがに千明も予想はできない。
もし彼らを引き寄せた何者かが黒幕として残った場合、下手すれば千明も巻き込まれて捕らわれるかもしれない。
その危険性は理解しているけれど、それでも千明の好奇心の方が勝ってしまったのだ。こればかりは何があっても自業自得の世界だろう。
だからその過程の話も全部書き残し、もし狂ったとしても誰かがそれを読んでくれることを願って、全ての状況を日記に記している。
けれどその心配は杞憂に終わりそうだ。
何よりこの生活を千明が誰よりも楽しんでいるからだ。
このままずっとこうは行かないけれど、それはそれ、人生というのはそういうものだと分かっているので千明は気楽に今日も霊たちと交わった。
それが千明の日常になり、千明は一線だけは越えないように気をつけた。
この快楽に完全に堕ったら千明の平穏が終わってしまうからだった。
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