幽々抄

1

「おーらい、よーし荷物を運んでくれ!」
「おおー!」
 大きな声と共に、トラックに乗せられた荷物がドンドン下ろされていく。
 その日は快晴、しかし午後からにわか雨が降り始めると予想されている。そのため、引っ越し屋はすぐに荷物を下ろしてしまってから、二件目の応援に駆けつけたいらしい。 そういうわけで、引っ越し主である安藤千明(ちあき)は、やっとの思いで見つけた家に引っ越す作業を邪魔にならないように荷物の運び先を指示した。
 安藤千明(ちあき)は作家である。
 最近はやっと売れてきた小説が漫画になり、アニメ化までした。
 大ヒットしたお陰で第二弾もアニメ化が企画されている。
 そういうヒット作家に仲間入りをしたから、さすがに安アパートに住んでいるのは危険だと言われて、しっかりとした一軒家を買った。
 とはいえ、新築が建てられるわけでもないので、中古物件であるが築十年もしないとてもいい家がちょうどのタイミングで内見をでき、そしてスムーズに交渉ができた。
「何だか、家はあなたに来て欲しいみたいですね」
 大家が不思議そうにそういうのは仕方ない。
 一軒家は、平屋である。そして大きな庭付きで駅からはほんのちょっと遠いけれど、バスや自転車を使えばたった五分で駅までいける立地条件は良い方。それなのに買い手が付かずに三年以上も空き家になっていて、内見ももちろん多かったのに誰も住むとは言わなかったのだという。
 正しくは、内見をして買うつもりの人がその後都合が悪いことや、その後別のいい部屋が見つかったなどでキャンセルになるのだという。
 だから不動産屋も必死に売り主を見つけるつもりだったのか、千明が捺印をするまでなかなか売れたことに納得できなかったらしい。
「おっかしいな。いつもこの段階までいかないんだよね。何が良かったのやら」
 不動産屋は大家との間でそう言い合い大家は、先の言う通りに言ったわけだ。
 家に招かれているなんて言い方をされると少し怖いけれど、誰でもそうなるわけでもないのだから、流行ったホラー映画みたいに呼び込まれておかしくなるなんてことはないだろうと思いたい。
 年のために元々の持ち主は大家の旦那さんで、その後に大家の親類に一旦売ったらしい。その売った人物は既に病院で死去しており、入院してからは一度も家に戻っていないのだそうだ。
 その家では三人の子供が過ごしたけれど、どの人も家の相続はしたくないといい、大家に売って欲しいと頼んできたらしい。大家としては元々は自分の家の持ち物なので買い戻し、そしてリフォームをして売りに出したらどういうわけか売れなかったらしい。
 最初は幽霊でも出るのかと思ったけれど、お祓いをしてもらったところ何の変化もなく、ただ家は売れなかった。
 建て直したばかりだったので出来ればそのまま売りたかったが、更地にした方がいいかといざ家を取り壊そうとしたところ、請け負った会社が突然断ってきたりと、取り壊しができない事情が出てしまい、気付いたら二年は過ぎていたそうだ。
 そこで一旦、売るのではなく中で何あるのかと人を一時期住まわせてみたが、何の変化もなかった。
 そこに千明がやってきて家を見せて欲しいと言われて、今回も駄目だろうなと思っていたらあっさりと千明に決まったのだから、もう家が選んだと言うしかなかった。
 しかも売値は大家が買った時の四割まで減っていたらしいから、相当大家が損をした形であるが、それでもそんな怪しい物件は売れるときに売っておきたいのが大家だった。
 千明はそうした説明は受けたけれど、別にそこで何か恐ろしいことが起きた訳ではなく、ただ契約にまで至らなかった理由を聞いただけだ。
 部屋で何かあったわけではないのだからと安易に千明は安さに釣られて買ってしまったわけだ。
 一ヶ月後に引っ越しが決まり、荷物は友人知人が手伝ってくれて箱詰めをして、引っ越し業者に運んで貰った。あっという間に一人暮らしの作家の荷物は家に収まった。
 というのも、家電は買い換えていたからとっくに部屋に配送されていたし、多めの本の運送をして貰っただけだと言えた。
 古いアパートの一室を創作部屋にしてもう一室を借りて本を置くスペースにしていたので、その本の量が問題だったのだ。
 それらを書斎に運んで貰い、残りの衣類なども運んでおいて貰った。
 本は順番に並べて貰えたので、重労働なところは引っ越し屋に頼んでよかったことだ。
 午前中のたった二時間でそれらを終わらせて引っ越し屋が帰って行った。その後友人たちと軽く引越祝いをするために近くの居酒屋に出かけた。
 ガスと水道が明日通る予定であるから、食事を家で今日するわけにはいかなかったのだ。
「あの家、別に何もなかったっすよね?」
「マジで、普通にいい家だし。庭も整備されてたけど、あれ一人で維持するの面倒そうだよな」
「缶詰になった後にジャングルになってそう」
 友人たちにそう言われてしまい、それはあり得ると思えたので、人を雇うしかないなとふと思う。
 どうやら長く庭園の維持をしていた業者がいるらしいので、そこで頼めば何とかなるだろう。
「あのさ、ただ契約まで至らなかったっていうだけの話じゃん、あの家別に事故物件でもないし」
 あまりに不可思議なことがあるからか、友人たちはあそこには何かあると言い張るのだが、それを千明は信じていなかった。
「お前、本当、そういうの強いよな」
「もう、出てきてもメモを持って一言一句書き記しそうなくらいのインタビューを幽霊にしそうな勢いだし」
 柳下朝陽(あさひ)という友人が、ケラケラと笑いながらそう言うと、千明も笑って言う。
「そうだな、それもありか」
「で、そのネタで一本作品を作るのもありじゃん」
「あ、いいね。幽霊探偵とかさ。何だかんだで~」
「いいね、幽霊の方がやる気満々とかで!」
「いいネタじゃん、熱血探偵が幽霊で、やる気のないニートが事件を解決する羽目になる」
「面白そう。ドラマ向きな原作もありじゃん?」
 酒を飲みながらネタが浮かんできて、それを笑いながらも千明は朝陽が言ったネタをしっかりとスマホにメモをして残した。
 時々面白そうなネタを友人たちに出して貰うことがあるが、もちろん書いたことは言うし、売れれば全員に食事をごちそうしたりして恩返しはしている。
 その関係もあり、書いて欲しい話や読みたいネタをわざわざ話していく友人もいるほどである。
 そうして楽しい時間はあっという間に過ぎて、終電前に全員と駅で別れた。
「じゃあな~」
「うん、またね」
「こっち方面も店開拓したいしな」
 友人たちはそう言いながら電車で去って行った。
 友人たちは五つ先の駅の近くに住んでいる。そのせいでそこが集合場所にもなって遊びに行くときはそこに集まっていたが、そこから千明だけが引っ越しで抜けた形になってしまった。
 できればあの街で家を探したかったが、学生街と言われるだけあり、安いアパートとマンションが建ち並ぶ場所で作家が住まうにはちょっと若すぎるところだった。
 そろそろ皆も結婚をしたり就職先で色々あって転職したり引っ越したりも増えてきていた。千明が抜けたことにより、他の人も引っ越しを考え始めているという。
 三十歳を前に学生街を抜けるのは普通のことで、落ち着いたところへ引っ越したくなるのは仕方ないことだ。
「あ~あ、俺らも変わっていくのかな。遊びも少なくなってきたし……」
 まだ二十七歳である千明であるが、大学を卒業してすぐに作家デビューをし、そこからコンスタントに作品を出せて、ヒットも生んだお陰で友達の中では誰よりも成功をしている。
 けれど、それをよく思わない人もいるようで、集まりに呼ばれないことが増えた。
 この引っ越しも朝陽が声をかけてくれたので渋々来てくれた人もいたけれど、きっとこれを境に縁が切れる人も出てくるだろう。
 実際、彼らはこれから二次会に行くだろうし、そこに千明は誘われていない。
 もう学生気分がとっくに抜けている千明は彼らからしても浮いていたのだろう。
 変わらないのは朝陽くらいで、他はきっとそろそろと思っているに違いない。
 こんなネガティブな思いをするのは、つい先日偶然彼らがキャンプに行くという話を知らされず誘われもしていなかったことを知ったからだ。
 そのお陰で千明は我に返って、ああそういうことかと気付いた。
 最近忙しいと言って連絡を取らなかった間に彼らとの間に溝ができたのだ。
 それが分かってしまい、千明はあの街から抜けていった人たちを思い出した。
 そういえば集まりに来なくなったと思ったら、皆引っ越していっていた。
 そういうことなんだなと理解をしたので、千明の番が来ただけのことだ。
「仕方ないか、いつまでも学生気分を引き摺っているわけにもいかないんだろうし」
 千明はそう言いながら、少し酔ったままで自宅まで歩いた。
 十二分くらいかかるから、歩くと結構辛かったけれど、途中にコンビニがあったのでそこで朝食とこの後の摘まみを買い込んで家に戻った。
 門のところで郵便受けをみると、メモが入っていた。
「大家さん? ああ、水道、もう通ったんだ? 風呂は入れるラッキー」
 どうやら出かけている間に水道局から使用許可が出たらしく、手続きが終わったので使っても良いという連絡だったらしい。それで水道が使えるようにしてくれたようだ。
 この時期は夏だったので、水さえ使えればシャワーは浴びられるからよかったし、大家が気を利かせて温水器のスイッチも入れてくれていたので風呂はいつでも入れる状態になっていた。
 千明がいない間に大家に頼んでいたことが予想外に進んでいたので、大家は千明に出て行って欲しくないと思っているらしい。
 周りに隣接した家はなく、少し離れているのはこの家が小さな山の麓にあり、家の前には元々川があり、それを整備して綺麗にしてるがその川の向こう側に家々がある形である。
 山側はほぼ大家が持っている土地らしいが、この川のせいでマンショが立てられないし、他の家も土地が低いせいで大雨が降ると沈むらしい。だからこの土地は売ってしまいたいのだが、山は別の人の持ち物なのでその山が売れないことにはこの土地も活用されないという連鎖のせいで結局、千明が買った家をギリギリ建てられたことでそこだけ売ったというから、面倒な飛び地である。
 けれど、それが一番気に入ったところだった。
 都会において、周辺に家が密集していないというのは強い。
 その川の橋を通り、自宅にしか続いていない道を歩く。
 街灯は有り難いことに付いていて、自宅の玄関先にもある。
 門を入ってしまうと街側からはこの家の中は見えないように壁が上手い高さになっていて、見えるのはビル街のみとなる。
 その景色がよかったので気に入って買ってしまったわけだ。
 安かったのも完全に買う気になれた要因ではあるが、それで不都合が出るのは困ると思い、リフォームはしっかりとしてもらったし、特に問題もないことは分かっている。
 けれど、少しだけ不安はある。
 何があってこの家は売れなかったのか。
 作家として千明は純粋に興味があった。
「さて、今日からよろしくな。お手柔らかに頼むよ」
 千明はそう言い玄関を入った。
 すると家の庭先にあるトタンが風で揺れて大きな音を立てた。
「……びっくりするな。あそこには、道具が入っているんだっけ?」
 前に庭掃除をしていた持ち主がその道具を入れたままにしてあるらしいが、千明はその中を見て、まだ綺麗で錆びていなかった道具は引き継いで貰った。
「ま、いいや、とにかく風呂に入るか」
 すぐに家に入った。
 玄関から伸びる廊下を歩くと、まず左側に水回りがある。風呂トイレ洗濯。
 左側は縁側に繋がっていてそこは客間にしてある。手前の部屋には応接室のようにして、奥の部屋は寝室にしてベッドを二つ置いてある。
 更に廊下を奥に行くと、キッチンダイニングに繋がっている。
 ダイニングには二つのドアがあり、一つは仕事部屋を作り、更に奥に書斎だ。
 もう一つのドアが寝室とクローゼットになっている。その寝室にもトイレと風呂が付いていて、恐らく一人で暮らしていくならこっちを使うだろうなと思えた。
 恐らく玄関先の水回りは客用に作ってあるらしいのだ。
 前の持ち主は子供が家を出てから建て直したらしく、一人暮らしと時々泊まりに来る子供たちのために部屋を客間として残したようだった。奥の書斎などは前の持ち主が大学教授だったらしく、千明と同じ本好きだったらしい。
 そんな感じに一人で暮らすけれど、時々客を招きやすい家というコンセプトのお陰で、家族で住むにはリフォームが前提だったせいで余計に売れ筋でもなかったらしい。
「まあ、しばらくはここにいるしかないから、仕方ないんだけどね。ビビってる場合じゃないし」
 そう呟いてシャワーを浴びてさっさと寝てしまおうと、思ったよりも疲れている体を引き摺ってベッドに潜り込んだ。
 もちろんそれまでこの家がおかしいなんてことはなかったけれど、そのおかしさが現れるのはこれからだったのである。


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