twist of fate

9

 梛音が必死に抵抗している間に、外はそれとは違う騒ぎになっていた。
 梛音の叫びが消えた瞬間に、外から大きな人の声が聞こえた。
「クリア!」
「一人確保!」
「車、阻止しました!」
 急に人の大きな足音と共に、大きな騒ぎが急に聞こえてきた。
 絶望の淵にいた梛音であるが、急激な変化にさすがに梛音を襲っていた男も襲う手を止めた。
「……ちっ踏み込まれたのか……」
 男が察したように言い、舌打ちをしてから梛音の上から慌てて離れた。
 梛音はすぐに部屋の端に逃げ、男を見ていると、男は慌てて部屋の奥にあるドアに入っていってしまった。
 それと同時にこの部屋に入った入り口の方で大きな格闘が行われているのか、ドンドンと人が暴れている音が聞こえた。
「くそっ!」
「うわああっ!」
 男たちが抵抗しているらしいが、それを上回る戦力で攻略されているのか、男たちの抵抗する声が消えている。
 ドアの前まで来た騒動がやっと。
「クリア。地下の部屋に誘拐された人質を発見」
 ドアのガラスから覗き込んだであろう、ヘルメットをしている何者かがそう報告をしている。
 そして鍵が開いて、警察の特殊急襲部隊SATのワッペンを付けた男たちが四人ほど入ってきた。
「大丈夫ですか?」
 そう聞かれて、梛音は慌てて言った。
「も、もう一人、大きな体の男が、そっちのドアから逃げましたっ」
 梛音がそう言うと、残りの部隊がそのドアを開けて飛び込んでいった。どうやらそこは地下から地上に出られるらしく、外まで逃げた男はすぐには見つからなかった。
「立てますか?」
 そう言われて、毛布を差し出された。
 それに包まってから梛音は歩いて部隊に連れられて外へと出た。
 周りには部隊を積んできた装甲車のようなものが止まっていて、その先に救急車も止まっていた。そこに案内されて、救急車に乗り込んだ。
 すぐに隊員に見て貰ったけれど、体はあちこち擦り傷だらけだったけれど、大きな怪我はなく、着替えを貰ってそれに着替えた。
「この着替え……誰が?」
 そう隊員に聞くと、隊員は言った。
「お知り合いの弁護士の方が、用意してらっしゃいましたよ?」
 そう言われたので梛音は急いで外へ出た。
 するとそこには小野崎が泣きそうな顔で立っていて、梛音はすぐに小野崎に抱きついた。
「ごめんなさい……ちゃんと小野崎さんの言うこと、聞いていればこんなことには……」
「いや、私が君を囮にしたせいだ……」
 小野崎がそう言うので、梛音は小野崎に連れられて警察の車の中に乗った。
「君を狙って、常名が動いているらしいという情報が入ったんだ」
「あの、喫茶店でですよね?」
「そうだ」
 小野崎はその時に常名が裏で動いている情報を浅井から仕入れた。
 その怪しげな動きを深く探るために、常名が接触しやすいように梛音を一人にする必要があった。
「すまない……こんなことになるとは思いもせず……」
 梛音が殺されそうになる前に、警察の上層部に掛け合い、常名の圧力に屈していると警察の汚点ができると弁護士として説得したところ、梛音が誘拐をされ、それを聞いた上層部は常名を切る選択をした。
「つまり、僕は罠の一つだったってことですか? そうしないと僕の命はどっちにしても危なかったってことですか?」
 梛音がそう聞く。それに小野崎は頷いた。
「そうだ。君から聞いた話で、恐らく抜けている何かがある。君は何気ない何かを見てしまっている。それが君が理解していない普通のことだったかもしれないが、常名にとってそれは、首の皮一枚で繋がっている状態だったんだ」
 そう言われて梛音はふっと視線を外へと向けた。
 外は逮捕された男たちが護送車に乗せられて次々に連れて行かれている。どうやら常名は二十人ほどのヤクザを連れていたらしく、それとSATが衝突したのだ。
 常名は既に逮捕されている。
 梛音を確認した後に山を下ろうとして、そこで部隊と鉢合わせたのだという。
 身柄を拘束して、梛音が服装を覚えているから、常名がここにいた証拠はある。
 そんなことを思いながら、目に入った車を見た。
 それは下で拘束した常名が乗っていた車だという。証拠品であるので、持って行くまではここに置いておくのだろう。
 その車を見ていたら、梛音はふっとあの日の記憶が戻ってきた。
「あの、車。事件の日、凄いスピードで急カーブを曲がってきた車だ……」
「覚えてるのか?」
「はい、とっても珍しい高級車だってことは分かったので……あのマンションの住人かなって思ったのですけど。よくよく考えたら、あそこで凄い車だったら、あのマンションは似合わないですね……」
「あれこそ、常名がこの事件に関わっていた証拠だ。君は常名を見たも同然。恐らく森川蘭子を連れて出たところを見たのだろう」
 そう言われて梛音はやっと納得した。
「ああ、森川蘭子を常名は欲しがっていたから、自分で連れに来たんだ……それできっと望月に松山将を殺せって命令を出した」
「恐らくそうだと思う。あとは望月がそれを証言するかにかかっているが、司法取引をすれば喋るはずだ。もう恐れて庇う必要もない」
 事件はこれで一応の解決をしたのだと小野崎に言われて、梛音はゆっくりと小野崎を振り返った。
「これで終わったんですね、全部」
「あとは警察と裁判の方だな。私たちができるのはここまでだ」
 それを聞いて梛音は小野崎の胸に体を預けた。
「僕が役に立ったのなら良かった。怖かったけど、でも有耶無耶にならないで全部終わることができた。小野崎さん、ありがとう」
 梛音が小野崎に礼を言うと、小野崎は涙を浮かべていた。
 恐らく、梛音は早々に救出できると思っていただろうし、殺される前には警察を投入できるはずだったのだ。
 でもあの男に梛音が汚されるようなことが起こるとは思わなかったのだろう。
 だからこの人は、自分の戦略を悔いているのだ。
「大丈夫です……あとで、小野崎さんが綺麗に忘れさせてください……」
 気持ちが悪いものを全部洗い流して、綺麗になりたいと梛音が言うけれど、このまま警察病院で診察を受け、常名の容疑を固めるためには梛音の強姦未遂も必要だった。
 それが常名の命令であることが分かれば、常名の罪名がどんどん増える。
 もちろんそれで梛音は泣き寝入りもしないし、小野崎が付いていると分かったら恐らく他の弁護士も勝ち目のない常名の味方はしない。どんな弁護士を付けても、あの場所で一般人を殺そうとしたことは無罪放免にはならない。
 小野崎はしっかりと梛音を抱きしめ、何度も謝って言った。
「すまない……君を傷つけてしまった」
「僕は大丈夫です。小野崎さんがいるから」
「本当に……謝って済むことじゃないのに、私は君を手放せないんだ……許してくれ」
 梛音はそれを聞いてホッと息を吐いた。
 それはそれだけ小野崎が梛音のことを思ってくれていて、別れることすらしたくないと思ってくれているのを知れた。それが素直に嬉しかった。
「良かった、僕も小野崎さんを離さないですよ……だからそれでいいです。そうしてください……僕は小野崎さんのお陰で生きているんです……」
 梛音は心の底からそう言っていた。
 今日だって、この囮がなかったら常名ほどの議員を現行犯で逮捕はできなかったはずだ。だから役に立てたならそれでよかった。
 きっと小野崎にとって苦渋の選択だったはずだ。
 それでもしなければならないことを優先した。
 そしてそれは結果、梛音を傷つけたけれど、生かすためには必要なことだったのだ。
「大丈夫ですよ、小野崎さん、泣かないで……」
 小野崎はしっかりと梛音を抱きしめ、そして肩に顔を埋めて泣いている。
 警察署に移動する間も小野崎はずっと梛音を抱きしめていて、本当にこの人が優しい人だということが梛音に伝わってきた。
 梛音はそんな小野崎をしっかりと抱きしめていた。


 結局、その次の日のニュースは常名秀志議員による松山将殺害事件が取り沙汰され、実行犯の望月堅司が新しく自供した内容によると、松山将の殺害の指示を出したことが分かった。
 最初こそ常名は抵抗を見せていたが、次第に悪くなる状況と次々に起こる常名がしてきたことへの犯罪が明るみに出てきて、違法献金などが告発された。
 森川家もまた犯行に加わっていたということで、両親が逮捕され、彼らは諦めたのか常名のしてきた犯罪を洗いざらい喋っている。
 渦中の森川蘭子は騒動が起こり始めたとたん、実家の金と常名から貰っていた金などを持って海外に逃亡。東南アジア辺りに逃げてしまった。
 彼女は薬物中毒だったため、事件のことは覚えておらず、さらに入院していたこともあり他の犯罪の計画にも参加していなかったことが明らかになっている。そのため警察は罪名を付けて蘭子を追うことはできなかった。
この事件で何の被害もなかったのが森川蘭子で、彼女が一番、得をした結果になった。口うるさい両親は刑務所に入り、爺さんに嫁がされるところで救い出され、双方から引き出した金だけは手に入れ、薬物中毒に突き落とした元彼氏は殺して貰っている。
 今や悠々自適に暮らしていける身分だ。
「まあ、あの女だけ何も知らなかったわけだけど、元々松山将と別れたかったところに、常名の話が舞い込んでラッキーくらいに思っていたらしい」
 浅井がそんな報告を持ってきて、それはテレビが繰り返し流している内容とは違う。「普通に別れていたら、あんな事件起きなかったのにね」
 さすがに身勝手な女性に呆れた梛音がそう言うと、それには浅井も賛同した。
「そこよ。さっさと松山を放っておいて田舎に帰ってりゃ、常名がもっと上手くやってくれただろうに。馬鹿正直に別れ話切り出して、薬漬けにされるとか、本当、お嬢様の性質が抜け切れてないのがこの事件の発端だからな」
 結局蘭子がさっさと松山から逃げ出していれば、それで終わった話だった。
 事件も起きなかったし、ヤクの売人とはいえ黒田も死ぬことはなかった。
「でも、そうなっちゃうと、僕、小野崎さんと知り合ってない世界線になってしまって……ちょっと困ります」
 蘭子のことがなければ、小野崎があの町に来なかったし、出会うこともなかった。
 それだけは本当のことだった。だからifなんてあってもらっては困る。
 人が死んでいるから、余り人前で言えないけれど、浅井ならそれを知っているから言えることだった。
「まあ、ifはないってことだよな。つーか、いつの間にかくっついているし」
 浅井は小野崎の変化を見て、すぐに梛音と小野崎が付き合い始めたことを察した。
 いつかは付き合うかもしれないと思っていたらしいが、それでも事件前にくっついているとは思わなかったようである。
「そういう、雰囲気というか。そういう気分になったからで……」
「いいと思うよ。思う者通しがくっついてくれて。それに小野崎もやる気が出たみたいで、以前より精力的だしな。今まで腐っていたのが嘘みたいに溌剌としてる。恋って強いんだなと思ったよ」
 浅井にそう言われて梛音はふっと笑った。
 梛音は現在、仕事は一旦辞めた。
 店側と話し合って、結局騒動になると迷惑がかかるという梛音の意見から、店長もどこまで騒動が大きくなるのか予想もできなかったので、取りあえず一旦辞職を受け入れた。
 収まってもまた働く気があったら面接にきてと言われたけれど、梛音はこれっきりなのだろうなと思えた。
 暫く働かなくてもいいくらいに蓄えがあったし、報道の大きさから梛音は身元を隠した方がいいということでマンションに引きこもっている。
 そこに毎日小野崎がやってきて朝まで過ごし、それから浅井と交代して日中は浅井が梛音の側にいてくれる。
 そのお陰で騒動に巻き込まれないで何とか日常を送れている。
 梛音の証言は微々たるものであったけれど、あのまま常名が何もしないでいれば、一生あの車の件は梛音は思い出しもしなかっただろうなと思ったほどだ。
 乱暴な運転なんて、そこら中で見ていたからただ珍しい高級車という印象しかなかった車の話だ。
 けれど、この珍しい高級車。特注で作ったもので、日本では常名しか乗っていないという特殊車両だったらしい。それで常名は見られたことに焦ったのだ。
 あの時、大通りに出るまでに道ですれ違ったのは梛音だけだったらしい。
 そういうわけで、梛音の証言は間違いなく常名の車の話で、常名が殺しに関わっていたどころか、現場にいたことまでの証明になってしまったのだ。
 常名はあふれ出る罪状に、これ以上もっとマズイ件が出てきて困ると思ったのか、松山将の殺害指示については認め、黒田の件は知らないこと、蘭子のことは森川家からの話合いで引き取っただけという話をしているらしい。
 そして梛音のことも、殺人未遂で立件されるし、常名も殺す指示を出したことは認めた。 
常名秀志は指示犯として再逮捕され、あっという間に送検された。
 二週間も過ぎると事件の報道は収まり始め、常名が認めた辺りでトーンダウンした。
 あとは裁判となると、報道することがなくなるから報道が止まった。
 やがて一ヶ月後に裁判が始まると、常名の弁護士はほぼ反省している風な態度で罪を認めて、何とか減刑を狙っているらしい。
 浅井の話だと、常名は実行犯ではないから、この事件では恐らく五年くらいの実刑、そしてプラス誘拐と殺人未遂の監禁で、十年いくかいかないかくらいらしい。
 望月は殺人の再犯であることから、放火も追加されるため、恐らく無期懲役であろう。
 森川家は在宅起訴されているけれど、書類送検され、恐らく執行猶予で終わりそうである。
常名に言われた通りに行動していたのもあり、支配下にあった森川家が常名に逆らえるわけもないことも考慮されているらしい。
 しかし虚偽の証言と現場を掻き回した罪はそれなりにあるようである。
裁判には梛音は参加しなくてもよさそうだった。
 落ち着いた日々が訪れたのは、全てのことが終わった三ヶ月後だった。

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