twist of fate

6

 それから警察から望月が捕まったという話は入ってこず、梛音は寝不足のままではいけないと、午前二時には布団に入った。
「寝ていなさい。明日の仕事もあるだろう?」
 スーパーの仕事は休めないため、有休を入れるにしても明日は取りあえず仕事には出ないと迷惑がかかるので梛音は出ることにしていた。
 さすがにスーパーの仕事中に襲われるなんてことがあるわけもなく、梛音はそのまま午後六時までの仕事をしてから、店長の計らいで有休を一週間と六時までの時間短縮になった。
「気をつけてね……仕事の方は大丈夫だから、気にしないで解決しておいで」
「すみません、ありがとうございます……」
 さすがに殺人事件の重要参考人になった上に犯人が近くにいたと聞けば、仕事どころではないし、何より仕事場に犯人が来るかもしれないという危険を避けるためには、梛音に休んで貰った方がいいに決まっている。
 けれど梛音はそんな休みを貰いながらも、小野崎に付き添われて歩きながら言った。
「もう戻ってこられない気がします」
 一週間で事件が解決するかと言われたら、今のところ解決しようがなかった。
 小野崎もその予感はあったようで、有休後にまだ事件の解決がされない場合は、辞職するという梛音の要望は店長に通してある。店長もこればかりは仕方がないと思って、辞表は一応受けてくれている。
 それから事件は進展は徐々にしていたが、森川家の捜索の末、森川蘭子が生きていることが分かった。
 部屋に監禁していた後があり、その部屋から蘭子の指紋や髪の毛が見つかったのだ。殺人事件のあった部屋から押収された中に、蘭子の髪の毛などもあり、それと一致したのだ。これで蘭子は両親によって連れ去られ監禁されていることがわかった。
 更に蘭子は麻薬中毒に陥っていて、常に麻薬が必要な状態だったらしい。
「それで、黒田のところに現れたんですね」
 どうして黒田のところに殺人犯の望月が住み着いていたのかという理由がここで明らかになった。
 蘭子への麻薬提供は黒田の自家製麻薬で行われていたのだ。
 望月はどこかでその情報を仕入れて黒田に脅しをかけてクスリを横流ししてもらっていたが、その隣に住む梛音が殺人事件の目撃者と気付いてから、黒田に弱みを握られそうになって黒田を殺したらしいのだ。
 黒田は梛音に困っているからと言っていたけれど、友人には金蔓が見つかったと言って喜んでいたという。その一日違いの間に黒田は望月が松井将を殺した犯人であることに行き着いたのだろう。
 そして脅し返して殺された。
 部屋にはもっと麻薬があるはずだが、燃えカスからは全く微量しか出てこなかったので、望月がそれらを持ち出したことも分かっている。
 そんな望月が荷物を抱えて東京駅に向かったことだけは分かっている。
犯人が東京を出たなら、もう梛音を殺しても望月の罪は消えないけれど、望月が黒田と一緒にいたのを見たのはどうやら、梛音と小野崎だけで、その中でも梛音が黒田本人から望月のことを追い出そうとしている様子を聞いている。
 つまり黒田の殺人事件と放火に関して、一番の容疑者である望月が一緒にその部屋にいたことを証明出来るのが梛音だけなのだ。
 梛音は殺人事件を目撃しているだけではなく、黒田殺害に関しても望月があの部屋にいたことを知っている唯一の目撃者でもあるのだ。
 望月としては梛音の口を塞いで、一つでも罪を軽くするために梛音の殺害を企てるかもしれない。
「警察に話したけれど、証人が死んでは証言の信憑性が薄れる。下手な弁護士に当たれば、無罪放免もあり得る。警察はそこを分かっていない」
 犯人さえ捕まえればそれでいいと思っている現場主義なのか。裁判を維持するための証人を守らないでいる。
 それには小野崎もさすがに理解ができなかったが、浅井がその辺りの情報を貰ってきた。
「マズイことになってます。森川家から資金提供を受けている政治家が森川家の事件から手を引くように圧力をかけてきているらしいです」
 浅井は刑事の一人からそれを聞き出し、証人を消せば事件が飛ぶことを訝しんでいる刑事たちにも圧力がかかっていると言っていたという。
「僕を殺せば、それで事件がうやむやになるってことですか?」
「そうなる。元々麻薬絡みの事件と言われている以外、世の中には一切注目されていない事件だ。公開捜査もされていないし、成果を上げても余り意味がないと思われている事件だ。そこに政治家からつまらない事件にかまけていないで、警官を殺した犯人をさっさと捕まえろと言われたら、刑事としてはそちらを優先するしかない」
「そんな……」
 政治家の好き勝手に警察が動かされるのか。
 事件にいいも悪いもないのに、政治家が絡まるだけで自分が見殺しにされるのか。
梛音にとってはそれこそ地獄にいるのと同じだった。
「突いているのが、政治家の常名秀志(じょうな しゅうじ)。汚職を疑われながらも毎回証言者が消えると言われる政治家だ。金に執着が酷いが、週刊誌の記者すら密かに殺すくらいには悪徳だ」
 平然と自分を疑う記者を裏から手を回して殺し、証拠を消し去る。
 記者はだんだんと常名のことを探ると殺されると暗黙の了解で彼を探らなくなったという経緯がある。さらには彼には優秀な弁護士団が付いていて、有罪になったことは一度としてない。
 まさか松場の些細な殺人事件と思われた事件が、とてつもない大物を釣り上げてしまったようだった。
 これで梛音はその政治家からも命を狙われる羽目になった。
「恐らく森川家の逃亡先も常名が用意したところだろう。見つかる可能性はないと思った方がいい。それよりも望月は逃げ切るか分からないが、恐らく森川家のことは喋らないだろうし、麻薬絡みであれば警察も納得する理由になる。最悪は、望月は出頭して殺人を認め、蘭子のことは知らないとシラを切ってしまうことだ」
 小野崎がそう言い、殺人事件はそれで解決してしまい、梛音の証言も所詮麻薬絡みで終わってしまうことだ。
 そして小野崎の仕事は森川家からの依頼であるが、森川家から一言断りがあればそれで小野崎の仕事が終わってしまうことだ。
 残りは梛音の弁護士を無償でする以外にこの事件を関わることができなくなる。
「どうやら、常名は私の性格もよく知っているらしい。ここまで引っ張った森川蘭子の捜索を、森川家から仕事の終わりと振り込みがされている」
 そう小野崎が言うと、スマホに森川家からメッセージが届き、仕事の終わりと多額のお金が振り込まれていた。それは依頼された内容からこれまでの捜査費用、それプラス、急な断りの代金が上乗せされていた。
 振り込みはネットから振り込みされていて、既に支払いが済んでいた。
「素早いですね……」
 浅井もまさか常名がここまで首を突っ込んでくるとは思わず、あまりの行動の速さにどうやら触れられたくない部分がこの事件のどこかにあるのだろうと勘ぐった。
「常名が昔森川家の奥さんに惚れていたのは調べた中ででてきたけれど、まさか蘭子をそのつもりで常名に差し出したとしたら……」
「確か、常名は二年前に奥さんを亡くしている。だから蘭子を欲しがったとしても不思議ではない」
 それを聞きながら、梛音は首を傾げてからまとめて考えた。
「つまり、常名議員が森川蘭子を欲しいと言い出して、それを差し出すために蘭子を連れ戻そうとしたけれど、松山将がそれに気付いて森川家を脅した。それに森川家はヤクザを使って脅し返したけれど、松山将が抵抗したので殺してしまった。蘭子は何とか取り戻したけれど、薬漬けだったから抜くにしてもしばらくはクスリが必要で、売人の黒田のところに望月がきて脅し取っていたってこと?」
「そうなる。そして事件は梛音の証言で、望月が浮上し、その望月が森川家と関わりがあるヤクザであると知れてしまったので、望月は黒田から脅されて結局殺してクスリをありったけ奪ってから放火して逃げた。クスリは森川家に届けただろう。あとは浮いた望月の所在だ」
 そうしていると、次の日になり松山将殺害事件の犯人が出頭したというニュースが流れた。
「やられた……これで望月は普通の殺人犯としてせいぜい懲役五年もなく出てくる」
 黒田を殺したことは恐らく証明はできない。
 一緒の部屋にいたからといって、殺したとは限らないのだ。
 更に黒田は麻薬製造から売人までやっていた。誰に恨まれていてもおかしくなかったし、追求はされないだろう。
「で、でもこれで僕の役割は終わったってことですか……?」
 梛音はそう言っていた。
 元々望月が犯人であるという証明をするために梛音の証言が必要だったはずだ。
 そして望月は出頭して、犯行を認めているという。つまり、自供しているので目撃証言もほぼ必要はなく、裁判に呼ばれても一言三言だけの確認で終わる。
 もう梛音は犯人に怯える必要はなく、隠れる必要もない。
「……確かにそうなのだが……」
 小野崎は何かそれが引っかかると言い始めた。
「梛音くんの証言がなくても望月は自供で罪は確定する。けれど、黒田殺害は認めていないらしい。松山将の殺害も認めているが、森川蘭子に関しては、いなかったと言っていた。それに松山将を殺したのは、麻薬の売人の松山と取り分で揉めたという理由になっている」
挙げ句に消えた森川の人々は、常名に守られて別の地域に引っ越しており、蘭子はあの事件後に戻ってきたが、薬付けだったために病院に入院していたようで最近になって退院をしたという。
 そして自力で実家に戻り、一昨日再会をしたという。
 それによって蘭子を探していた小野崎に頼んだ仕事は完了し、小野崎は金を受け取って終わった。
 確かにこれで気に入らなくても、事件自体は終わったはずだ。
 だが小野崎にはどうしてもこれで終わるわけがないという気持ちがわき上がっていた。
 だがそれで梛音の貴重な時間を無駄に過ごさせるわけにもいかなかった。
 常名がこれ以上を望んでいるという確かな証拠がないのだ。
 何か見落としているのだろうかと、小野崎は不安になっていた。


 殺人事件は終結され、梛音の証言から望月は逮捕され、自白をして送検まではあっという間だった。
 検察からは特に梛音の証言は必要はなく、犯人側の弁護士も意見を求めたりはしなかった。
 つまり、梛音はこれで事件から解放されたわけだ。
 これから本腰を入れると思ってからたった二日で事件は解決してしまったので、梛音は残りの有休を引っ越しの時間に充てることにした。
 幸い、燃え残った荷物を引き取ることができ、さらにはその燃えた荷物をゴミに出す仕事が残っていて、それらを小野崎が付けてくれた浅井とその部下である真鍋という事務員とで部屋を片付けた。
「うわあ、火災後って地獄ですね。何より消化に使われた薬品と、水。最悪過ぎる。どうせなら全部燃えてしまった方がって思われるの分かる」
 燃え残りの家電や、水がしみこんで二度と使えない布団。服類も煙や煤で駄目になっていて、とてもじゃないが洗って使うなんてできないくらいに痛んでいた。
「すみません、本当に助かります。一人だったらどうしていいか一日くらい途方に暮れていたかも……」
「分かります、それ。本当どうしていいやらですよね。浅井さんが知り合いにトラックを貸して貰ったからゴミ出しも楽になってるけど、俺でも途方に暮れますよ」
 真鍋は梛音と年が違いので意気投合してしまった。
 三人で大きな荷物を掻き出し、燃えていない小さな物のゴミ袋に分けて入れ、それをまたトラックでゴミ収集所に運んで貰うという作業は二日もかかった。
 捨てるだけという案外簡単なはずの作業は、思った以上にかかってしまった。
 幸い、外の自作倉庫に入れていた冬服などの今使わなかったものが無事だったので、梛音はそれらを新しい家に運んで貰った。
 引っ越しも同時に行って、大家さんも見舞った。
 アパートが燃えて人まで死んでいる事件だったけれど、大家は一時期寝込んだが、すぐにアパートの土地をマンションに建て替える計画を立てていた。
「もう自宅もマンションの敷地にしてね。それでちょっと大きめのマンションをね建てるの。幸い、その隣も似たマンションを建てるらしくて、アパートが更地になるからちょうどいいわって思って」
 大家はたくましいものである。
「黒田さんは残念だったけれど、麻薬を作ってたんでしょ。どこで誰に恨まれていたやら分からないから、犯人も捕まらないでしょうね。それに全部燃えてしまったから証拠もないでしょうし」
「そう、ですね」
 梛音が見たという望月と黒田の繋がり以外、望月が黒田のところで一時期住んでいたという証拠がないのだ。全部燃えてしまったから。
 望月は黒田殺害のことは無関係ということで、刑事は梛音から聞いた話を改ざんし、望月と黒田の関係は削除されているらしい。
これ以上、梛音もこの事件を複雑にしてもきっと無意味なのだと諦めた。
 黒田には申し訳ないが、望月が本当に殺害したのかまではさすがに梛音でも分からないのだ。そこを見たわけではないからだ。
 だからこれ以上踏み込んで、常名議員という世界のドンらしい人を敵に回すこともないだろうと、浅井は早々に諦めたようだった。
 小野崎は少し納得はしてなかったけれど、常名議員に対抗する手段はないようだった。
「あいつがあそこまで悔しがっているところ、初めて見たかもしれない」
 浅井がそう言い出して、梛音は昼食を食べながら浅井に聞いた。
「小野崎さんは、どういう人なんですか?」
 そんな梛音の期待の目に浅井は少し笑ってから答えた。
「そうだな、昔は熱血漢だった。必死に犯人から被害者を守って人権をしっかりと尊重してた。けど、ある男によって小野崎は壊されたな」
「え……?」
 浅井は思い出しながら、それを話してくれた。
「ある政治家が絡んだ事件だ。犯人だった政治家を逮捕寸前まで追い詰めて、結局無罪放免だ。証言者が消されたんだ」
「そんな……」
「酷いよな。それで刑事事件からは手を引いて、民事で企業相手に訴訟合戦を始めた。専門弁護士事務所になって弁護士増やして、大手になった。でもその頃には小野崎も金のためなら何でもやる弁護士になってた。別に悪いことじゃない。法律通りにすれば、良いことだけじゃない。悪いことも無罪に出来てしまうんだ。そうしているうちに、小野崎も人生が楽しくなかったんだろうね。で、今回の事件も余り興味はなくて、金になればいい程度だった。けど、君に会ってしまった」
「僕ですか?」
「そう、必死に秘密を抱え、一人で耐えている目撃者。それは、死なせてしまった過去の目撃者と同じに見えたんだろうな。だから次こそはと必死になってる。でも今回も政治家によってもみ消されていく。小野崎はきっと苦悩しているだろうな」
 浅井の言葉に梛音は何てことだと顔を覆った。
 小野崎にとって二度目の圧力による挫折。
 しかも今度もまた目撃者の命がかかっているときている。
 今回は梛音はこのまま黙っていれば殺されずに済むということだ。
 正義を辛い抜いた結果、証言者を殺されてしまった小野崎は、また梛音が殺されるかもしれないことに首を突っ込めないのだ。
 けれど彼の中の正義に火が付いた状態で、また政治家によってもみ消される炎の痛みはきっと梛音では理解しきれないであろう。
 梛音は小野崎を思って、涙が出た。
「ありがとうな、小野崎のことで泣いてくれて。あいつはきっとまだ泣けないでいると思うから」
 浅井がそう言い、泣いている梛音を慰めてくれた。
 昼食時間中に何とか梛音は泣き止んで、燃えた部屋の片付けを必死にした。
 帰ったら小野崎をどうしても慰めたかった。

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