twist of fate
5
「これに懲りたら、最初から素直に欲しいと相談しておけばよかったんですよ」
小野崎がそう言い、梛音の親戚の弁護士先生を叱ると、彼はすっかりと項垂れて、欲しかったであろう屋敷の権利を、小野崎が不動産屋と相談して出した相場の約一.五倍の値段で買わせた。
それには今回の犯行を見逃す意味も含まれていて、弁護士先生としては犯罪を見逃して貰い、これから先、梛音に関わらなくていいという約束も含まれていた。
もちろんそれは親族たちが、あの屋敷が売れたことを知り、その代金を狙ってくることを阻止する約束も追加で含んだのだ。
「申し訳ありません……」
親戚内で偉い弁護士先生でも、弁護士の中でも大手の事務所を抱えるような小野崎には適わないのだ。それくらいに力の差があるようだった。
それは小野崎が積み上げてきた実績と実力の差であり、それを目の当たりにして梛音は小野崎を信じることにした。
それくらいに圧倒的な力の差は、今の梛音にとって何よりも力強いものだった。
またあの土地と屋敷は山も含め、億単位の値が付く場所になっていて、親戚の弁護士先生は結局それを山ごと小野崎が紹介した不動産会社に売らないと、とてもじゃないが借金で首を括る羽目になりそうだった。
なのでそのまま横流しで不動産会社に売り、それでやっと七割を取り戻せたはずだ。
親戚の弁護士がやらかしたことで相殺するには彼らの方が負債を背負った形であるが、逮捕され、弁護士資格が剥奪されるよりはよっぽどマシだったのか、彼らは犯罪者になりたくはないようだった。
それで彼らとは縁が切れて、本当に梛音は天涯孤独になった。
「大丈夫、これからは私がちゃんと君を人並みに暮らせるようにするよ」
小野崎がそう言ってくれて、梛音は嬉しく思うけれど、どうして急に小野崎がこんなことをしてくれるのかが分からなかった。
小野崎が良い人なのかと思っていたけれど、良い人は親戚の弁護士を脅して無理矢理不動産取引をさせたりはしないと思う。しかしこれらはすべて梛音のためだから、梛音がこれについて小野崎を責めることはできない。
何より負債になりかかっていた土地を言い値以上で買って貰った。これによって莫大な資産が手に入り、さらにはその資産への税金分も稼いでいる。
それを払ってもかなり残り、正直マンションが買えるほどのお金があることになった。
「よかった、これで安全な場所の家が買える」
小野崎がそう言って笑ったので、梛音はそういうことかとちょっと笑った。
アパートでは危険だと判断した小野崎が、マンションを買うための資金を作ってくれたのだ。それはとてもいい案で、梛音は小さめの一人暮らしのマンションを探すことになった。
「ありがとうございます……これで安全に暮らせます」
スーパーからそこまで離れていない場所にある新築のマンションがちょうど売りに出されていて、それが三千万くらいであったので、梛音は小野崎と一緒にそこを見に行った。
そこはちょうど最上階が空いてて、梛音に融通してくれると言うのですぐに内見をし、一人暮らしにいい広さだったのでそこに決めた。
入金されていたお金で一括払い、その日のうちにマンションは梛音の物になった。
「ありがとうございました。お引っ越しはいつでも構いませんので、予定が決まりましたら管理人に申し出ください」
不動産屋に送られて日が暮れてからホテルに戻ると、梛音はすっかり疲れ切っていた。
食事は小野崎が気を利かせてくれてホテルのルームサービスにしてくれて、二人で楽しく食事を済ませた。
始終、小野崎との時間が楽しくて、梛音はずっと笑って小野崎と接していた。
ずっと父親以外と暮らしたことはなく、父親の病気で病院通いをしていたから、友達もいなかったので、こんなに人と食事をすることが楽しいと思えたのは、もう十年以上ぶりだった。
中学校から一人暮らしになり、近所の人に助けて貰いながら暮らした。
一人で暮らすのは慣れているから、寂しさもすぐに消えたけれど、やはり人と暮らすのはそれなりに楽しかった。
何より小野崎がきちんとした人で決して梛音の時間を邪魔しないのだ。こんなに気を使って貰っているのに、それを負担に思わせないところが大人だと思えた。
その日は疲れていたのもあり、話すことなく終わったが、翌日仕事をしてから帰宅しようとすると、小野崎が迎えに来てくれた。
「時間ちょうどだったようだね」
「あ、小野崎さん。皆、それじゃお先に」
店の人と一緒に駅前まで行く予定だったが、小野崎が迎えに来てくれたので梛音は小野崎と一緒に車に乗った。
「迎えに来てくれて嬉しかったです」
梛音がそう答えると、小野崎はそれに嬉しそうに笑った。
やっと梛音が嬉しくて笑っている顔を見せたからだ。
その笑顔が、誰にでも笑顔を振りまく子ではない梛音の本心からの安堵した笑顔であることが、小野崎には嬉しかったのかもしれない。
「それはよかった。今日はついでに外で食べよう」
「わあ、嬉しい」
梛音はだんだんと素直に小野崎の好意を受けることができるようになっていた。
ここまで世話になっていて悪いことなど起こるわけもなかったからだ。
食事は小野崎の行きつけだという小さな居酒屋だった。
余り人に知られていない上に値段も高めで、一般層とは被らない居酒屋だからか、個室風になっていて人の声もそこまで聞こえない作りだった。
「もともとカラオケがあったとこらしい。それで防音もそれなりにある個室ができているわけだ」
「へえ、カラオケもいったことはないんですけど、こういうふうに個室もあるんですね」
「ヒトカラとか、一人でカラオケを練習したり、時には取引とか会議にも使ったりするようなところだったらしい。けど、オーナーが変わって居酒屋に変わってから通っているところだ。ここは小料理屋みたいにとても焼き魚や煮物などが美味しいんだ」
「この間の、定食屋も美味しかったので、小野崎さんのお勧めはどこも期待してしまいます」
梛音はそう言ってわくわくしながら、小野崎のお勧めの定食を頼んだ。
出てきた定食は、美味しかったし、お腹もいっぱいになった。
そして少しお酒を入れて、小野崎は梛音に質問をした。
「君は、あの殺人事件の犯人を見たんじゃないかい?」
その質問に梛音はとうとう聞かれたとふっと息を吐いた。
「……見間違いじゃなければ、見たと思います」
梛音はそう答えた。
「その人は、左目の下にホクロがあって、分厚い唇に角刈りの髪でした。厳つい顔をしていて、いわゆる悪い人の顔っていうのが当てはまっていて……身長は僕より十五センチは高い、百八十はあったと思います」
梛音の答えに小野崎は確信したように言った。
「犯人にその後に会ったんだね?」
どうやら小野崎は梛音が犯人にまた会ってしまったことまで分かっていた。けれどこれは知らないだろうと梛音は続けた。
「はい。小野崎さんも会ってます」
「え……? いつ?」
さすがにそれを言われたら思い出すのに少し時間がかかったがそれでもさすが弁護士、すぐに思い出したようだった。
「あ、アパートの隣人か」
「正確には隣人の友人らしいのです。でも隣人は困った人だと思っていて早く出て行って欲しいから、迷惑なことがあればすぐに大家に言ってくれと言われていました」
「なるほど……それで君が隣人に会った時に動揺したんだね……そうかあいつか」
小野崎はそれに気付いてすぐに隣人と一緒にいる犯人を捕らえて貰うために、知り合いの刑事に連絡を入れた。
刑事はすぐに梛音と小野崎に警視庁に来るようにと言った。
最寄りの警察署では犯人の仲間が見張っている可能性があるので、危険かもしれないという判断で警視庁になった。
梛音は警視庁の取調べで、小野崎に付き添って貰い、見たことを刑事に話した。
何故見たことを言わなかったのかと言われたが、梛音は犯人に顔を見られていたとしたら、警察に行っても絶対に守って貰えないと答えた。
警察が事情を調べている間に、自分が死んでも警察は困らないでしょと言うと、刑事は言い淀んだ。警備を付けるような事件でもなかったし、何より犯人が誰か大体分かる状況だったから、恐らく梛音の言う通り、梛音を守る誰かを付けることはなかったのだろう。
「事件が麻薬絡みで、その仲間割れと思われている事件と報道されている。警察の見解が分かっていて名乗り出ることはできない。彼は家族がいない、天涯孤独なんだ。誰が彼を守ってくれた? 誰もだ。幸い今は私が同じ事件を追っている関係でこうして付き添っているけれど、警察が遠田くんを責めるのはお門違いじゃないですか」
強く梛音が責められ始めると小野崎が刑事にそう言って責める流れを止める。
それで刑事は梛音に特徴を聞いてモンタージュを作った。それには小野崎も参加して、顔をしっかりと二人で確認してそっくりに作れた。
刑事はそれを持って内定をし、やっと犯人が麻薬絡みではないことが分かった。
男の名前は望月堅司(けんじ)というヤクザで、地方の小さな暴力団に所属していることが分かった。
そしてその地方は、殺された松山将と暮らしていた恋人で、マンションの借り主である森川蘭子の地元と同じだった。
それが刑事から知らされると、小野崎は事件の一部始終が見えたように呟いた。
「そうか、これは元々森川蘭子と松山将を別れさせるために仕組まれたことだったんだ」
小野崎がそう言うと、梛音もそれに驚く。
「どういうことですか? 誰がこんなヤクザを雇ったのですか?」
「森川蘭子の親だろう。なかなか二人が別れないから、業を煮やしてヤクザが出向けば、さすがに松山といえど、他県のヤクザに睨まれるのは売人としては困る。けれど、松山は森川蘭子の都合のいい立場を失うのが嫌で抵抗をした。そして殺されたのだが、その時に森川蘭子は連れ出されているはずだ」
そう言われて森川蘭子は連れ出されたとして、連れて行かれるのはきっと森川家であるはずだ。
「それじゃ、森川家は蘭子の行方を捜している依頼をしたのは、娘を心配する振りをしてカムフラージュをするためですか?」
梛音がそう聞き返すと、小野崎は頷いた。
「上手く使われたわけだ……」
小野崎がそう言うので、梛音は小野崎に謝った。
「僕が、あの時正直に話していれば……」
「いいや、それでも君はあの時はまだ確信はしていなかったはずだ。犯人が目の前に戻ってくることも分かっていない。喋らないのが利口な選択なんだ」
小野崎の仕事には確かに梛音が正直に話すことが前提だったが、それでもそのヤクザが何処にいるのかまでは分からなかっただろう。警察がそれを指名手配するかと言えば、恐らくなかなかしないまま内定を続けていただろう。
「だから、犯人がしっかりと私にも認識が出来るくらいに、君が見せてくれたから、こうやってはっきりとこの男だと言えるんだ。もし君だけなら、さっきの刑事にいろいろをあしらわれて取り合ってくれたかどうかも分からない」
刑事の態度にはさすがの小野崎も苛立ちがあるようだった。さすがに犯人の人相まで分かると言われたら担当が少し上の人に変わり、さっきまでの信用を余りしていない態度も刑事はすぐに担当を外れてくれた。
そう言い合っていたけれど、内定を詰める前に警察が梛音のアパートの隣に踏み込んでみると、隣人が殺された後アパートに火が付けられていた。
「部屋はガソリンを撒かれて焼かれていました。どうやら勘付かれたようです」
案の定犯人に逃げられてしまっていた。
どうやら犯人に梛音があの時の目撃者であるということがバレたのだ。梛音の挙動不審な態度などが原因かもしれないが、そこから梛音が監視されていて警察に駆け込んだことまで見られていたとしか思えない手際の良さだった。
隣人は悪い人ではなかったと梛音が落ち込みかけるも、隣人も実はクスリの売人で焼け残りから麻薬が発見されたという。
結局犯人が誰か分かったのに、殺人犯を取り逃がした結果になり、奇しくも梛音の言う通り、梛音の護衛は付かず、警察は梛音を帰宅させるしかなかった。
「申し訳ないです……ここまでバレてしまったら、遠田くんの命云々という問題で済むことではないので、恐らく危険はないと思います」
というのが警察の見解である。
確かにその通りであるが目撃者を消してしまえば、裁判で証言者として証言をひっくり返される可能性もあると小野崎が言った。
「証人を消されたら、あのモンタージュも証拠にはならなくなる、彼らは楽観的すぎて気付いていない」
しかし小野崎がそう言っても、もう犯人まで逮捕寸前だからか、相手にして貰えなかった。
仕方なくホテルに戻るしかなかったが、さすがに警察はホテルまでは送ってくれた。
ホテルに戻ってからは部屋から出ることなく、警察の捜査の行方を明け方まで待っていたけれど、早々簡単に捕まる相手ではなかった。
森川家もいつの間にか家も空になっていて、何処へ引っ越したのかさえ分からないという有様で、唯一繋がっていた小野崎のスマホからの番号も電源が入ってないと言われ、繋がらなくなっていた。
「君を消し損ねたから、彼らはどこまで逃げるつもりなのだろうか……それとも」
小野崎がそう言いながら心配をしていると、浅井がやってきて梛音と初めて顔を合わせた。
「やあ、俺は浅井和人。君は梛音くんだよね、話は聞いている」
「こんばんは、初めまして梛音です……」
そう梛音が挨拶をすると、浅井そんな梛音の肩を撫でて言った。
「君は気にする必要はない。犯人は絶対に捕まる。ただうちの社長がヘマしただけだ」
「……いえ、僕が」
「違うよ。依頼を受けるときに身辺調査をしていれば、異変に気づけたはずなんだ。けれど、それを怠ったのは俺たち。けど、君の助けにはなれているようだから、それでチャラになるけどね」
浅井がそう言うと小野崎もさすがにバツが悪そうにしている。
「次は気をつける」
小野崎はそう言い浅井に謝って、浅井もそれも受けた。
「お願いします。それで警察から仕入れてきました」
そう言って森川家のことを調べてきてくれたらしい。
「どうやら蘭子の素行は昔から悪く、地元では有名で受けられる大学もなかったので、東京の私立にお金を積んで裏口入学で入ったみたいです。周りでは学力が足りてないから入れるわけがないと有名だったそうで。それで蘭子は東京で早速松山将とバーで出会い、クスリを覚えてしまい、堕落の一途。それで森川家は蘭子を取り戻すためにヤクザに松山を脅して貰うつもりが、殺してしまったという流れですかね」
「森川家としては、殺しまでは願っていなかったのだろう。松山がさっさと引いてくれれば話はそれで済んでいた。けれど松山は蘭子を利用できると踏んだ。既に生活費を振り込ませて、それ以上のものを要求していた状態だ。もっと引っ張れると思ったのだろうが、相手はヤクザだ。舐めた結果、殺された」
内輪揉めであるが、それを梛音は偶然に見てしまった。
それは望月も分かっていただろう、だから梛音に似た人を探して黒田の家に居座ったのだ。けれど、まさかその隣に住んでいる梛音がその目撃者だと気付くまでには、望月も自分の目で見た姿と重ならなかったようだった。
梛音だと気付いたのは恐らく、梛音の家に空き巣が入り、事件になった後だろう。
そして梛音を見張っていたが、ホテルには小野崎が常にいて殺しにいけない。
さらには警察に駆け込んだため、顔をしっかりと見られていることにも気付いたのだ。
そして聞き込みをしていた小野崎は黒田とも面会をしていたため、弁護士であることは筒抜けだった。挙げ句探しているのは蘭子である。
梛音と小野崎が繋がった今、自分の身がバレ、森川家のこともバレるのは時間の問題と思い黒田の口を封じて殺し、火を付けた。
わずかな自分の痕跡も残しておくわけにはいかなかった。
殺人現場に残した何かが関係しているのかもしれない。
けれどそのまま事件は進展せずに一夜が明けた。
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