twist of fate

3

 遠田梛音にとって奇妙な日々は、あの弁護士小野崎に会ってからである。
 いつも通りにスーパーに仕事に行き、様々な仕事を手伝っていると、小野崎がやってきたのだ。
「やあ、本当にここで仕事をしていたんだね」
 そう言った声に驚いて振り向いた梛音にとって、再会は驚きでしかない。
「……あ、いらっしゃいませ」
 目の前にイケメンのスーツ姿の男が立っていたらびっくりするし、何より梛音にとって二度は会いたくない人である。
「あれから毎日この辺りを歩いているから、自然と帰る時はここで買い物をしたくなってね。ほら、お野菜も安いからね。他も結構安いものが多いね」
 小野崎はそう言っている通り、野菜を沢山買い込んでいる。
「ご家族、多いんですね?」
 たんまりと野菜を買い込んでいる小野崎のカゴの中を見て梛音が言うと、小野崎は笑った。
「ああ、これね。お遣いなんだよ。うちの事務所の子たちに、そんなに安いなら買ってから帰ってきてくださいって言われてね。主婦の味方だって言うんだよ。お陰で毎日ここの特売を買っているよ」
「そうなんですね」
 どうやら小野崎の弁護士事務所は和気藹々としているようで、それはそれで楽しそうである。
「あの、小野崎さんってその事務所の主ですか?」
 そう梛音が聞くと、小野崎は言った。
「そう。私の事務所だよ。私の他にも何人か所属の弁護士がいるんだ。ちょっと忙しくなったり、顧客から頼まれれば私も動くことはあるんだよ」
「へえ……そうなんですね……」
 ドラマなどでは事務所のボス的な人は余り仕事をしている様子ではなかったので、意外だったのもあるから梛音は驚いた。
「弁護士に興味ある?」
「……え、あ、いえ。その、自分の周りにはいない職種なので……すみません」
 そう梛音が答えると、小野崎はふっと笑った。
「いいんだよ、普通弁護士になんてよほどのことがない限り出会わないものだよ」
「ですよね」
 そう言っていると梛音を店長が呼びに来た。
「すまない、遠田くん。接客が終わってからでいいから、裏にきて」
店長の声に梛音は助かったと思い、返事をする。
「あ、はい、今いきます。それじゃ、仕事があるので」
 店長から向き直って小野崎に言うと小野崎は笑って言った。
「うん、ごめんね、仕事の邪魔をしてしまった」
「それじゃ失礼します」
 梛音はすぐに小野崎から離れて、店長に言われた通りに裏口に向かった。
 裏口に行くと店長が待っていて奥に梛音を呼んでから言った。
「あの人、知ってる人?」
「あ、いえ。知ってるというか、何か事件を調べている弁護士さんらしくて……」
 梛音がそう言うと店長が驚いたように聞き返した。
「え、遠田君、事件と関係があるの?」
「そうではなくて、事件現場がうちの近くで、そこで聞き込みをされていた時にちょっとお話をしたんです。名刺ももらったので確かに弁護士の方だと」
 そう梛音が言うと店長は少しだけ疑った。
「本当に弁護士?」
「さすがに弁護士バッチを付けてあんなに堂々と歩き回って、警察にも顔がバレるような動きをしているみたいですし、身分詐称はしないんじゃないでしょうか?」
 梛音がそう言うと、店長はそれもそうだなと笑う。
「警察が見張っているであろう中で、弁護士の身分詐称したら即逮捕だよね……それもそっか。よかった。それで何をさっき話していたの?」
 店長が先を促してくるので梛音は言った。
「沢山野菜を買ってらしたので、大家族ですかって聞いたんです。そしたら事務所の人に安いなら買ってきてってお遣いを任されているらしいです。それで聞き込みをした後はああやって毎日特売を買ってらっしゃると言ってました」
梛音がよどみなく本当のことを言うと、店長は嬉しそうに笑った。
「そっか、あんな高級なスーツを着ている人のランクでもうちの仕入れた野菜なども受けるってわけか」
「そうみたいです、主婦の味方だそうです」
 梛音が聞いたままを言うと、店長は喜んで裏口から店内に戻っていった。
 どうやら自分が仕入れたものがちゃんとした人に受けていることが嬉しかったらしい。
 梛音はよく分からないけれど、これで小野崎は店長にとっての上客になったんだろうなと思った。
 梛音はそのまま他の仕事を始め、店内と倉庫を行ったり来たりを繰り返して仕事をした。


 その日も遅くに店を出て、歩いて帰る。
 毎日、犯人に出くわさないかと不安になりながらの帰宅であったが、段々とその心配も緊張も薄らいできていた。
 犯人は見られたことは知っているだろうが、何処の誰かも分かっていないだろうし、何より警察からは犯人の顔を見たという目撃情報もなく、事件は進展していないのだ。
 ただのヤクザが手下を殺害した事件に見えたからか、警察もやる気は出ないし、殺されて清々したという部分もあるのだろう。ただ行方不明になっている女性の親が騒ぎ立てているから、その捜索はしているようだった。
 女性があの部屋で殺害された事実はないらしいので、殺された松山という男と同じ扱いは受けていないだろうと思われる。もし邪魔であれば一緒に殺して海に沈めていただろう。しかし遺体は同じ場所では見つからなかった。
 寧ろ警察は女もグルの可能性があると睨んで事件を追っているみたいだった。
梛音が家の前に帰ってくると玄関近くで隣の住人が部屋から出てくるのに出くわす。
「あ、どうも」
「こんばんは」
 適当に挨拶をしていくと、隣の人と一緒に歩いて部屋から出てきた男がいた。どうやら友人らしいが、その人の顔をちらっとだけ見て会釈してから遠田はハッとし、心臓が止まりそうなくらいに驚いた。
 遠田が郵便受けを開いて中の荷物を取れたのは奇跡に近い行動で、そして鍵を開けようとした手が震えている。
 それでもやっとの思いで鍵を開けて、すぐに部屋に飛び込み内側から鍵を閉め、チェーンをかけた。
 そのまま靴を脱いで部屋の中央に行ってから、部屋の明かりをつけた瞬間、あまりの恐怖にその場に座り込んでしまった。
「……うそ……何で……」
 汗があり得ないほど頭から沸いているように吹き出てきて、体中が汗を掻いているほど熱くなった。
 自分の目が信じられず、口から悲鳴がでそうなほどであるが、それを何とか飲み込んで遠田は持って帰ってきたばかりの、店の商品破損で売り物にならない備品の缶コーヒーを貰っていたのを思い出してそれを一気に飲んでいた。
「は……は……ん……ど、どうしよう……」
 梛音が見たものは、隣の人ではなく、その隣の人の友人らしい人だ。
 あの顔は、薄闇で見たあの顔は間違いなく、あの時、マンションで人を殺している犯人の顔だったのだ。
 改めて認識するだけで悲鳴が出そうであるが、それを押さえて玄関の鍵が閉まっていること、そして窓側のドアが閉まっていることも確認を三度もした。
 更に隣の人が出かけたのを思い出して息を荒く吐いた。
「そんな……どうしたら、警察に……でも」
 警察に行くべきなのは分かっている。
 けれど見間違いであったら? 似た人を見ただけなのか。それともそもそもが梛音の勘違いかもしれない。
 隣の人は気付いてないだろうし、まさかこんな警察も弁護士もうろついているところに平然と戻ってきているはずもない。
 しかし犯人は現場に戻るという。
 警察の動きが見えないから不安で、見えるとこにきたのかもしれない。
 いや、誰にも見られていないと確信して、わざとこの辺りに戻ってきたのかもしれない。
 あの時に誰かに見られたけれど、その見た人間が犯人の情報を一切喋っていないことは、犯人であるあの男にも伝わっているだろう。
 喋る気がないのは、犯人の顔を見ていないからだと思っただろう。
 それはある意味、梛音の危険が去った証しであるが、まさか犯人が隣の住人と知り合いであることまでは、梛音には予想だにしない事態だ。
「このまま、気付かれないように……しなきゃ」
 犯人が隣に住んでいるという意識を持って、知られないように生活をしなければならない。
 梛音はゆっくりと起き上がり、また部屋の鍵を確認してから風呂に入っていつも通りにしてからテレビを付けたまま眠りについた。
 あまりの緊張のままだったが、疲れと緊張で梛音を気絶するように眠っていた。


 次の日から、梛音は隣の気配から犯人が当分ここで過ごすことを知った。
 朝、仕事に行くために部屋から出ると、ちょうど隣人の黒田文隆と出会った。
 少し驚いてから、珍しいなと思ったが挨拶はした。
「あ、こんにちは」
「ああ、こんにちは。あのさ、昨日うるさくなかった?」
黒田がそう聞いてきたので梛音は答えた。
「いえ、全然大丈夫でしたよ?」
「そっか、よかった。あの暫く友人を泊めるんで、ちょっと盛り上がってうるさいことがあるかもしれない。その時は、あんまりだったら大家と通して注意して」
 そう黒田が奇妙なことを言い出したので、梛音は首を傾げた。
「大家さんを通してですか?」
「うん。君、ほら若いじゃん。友達がさ、そういう人を下に見る癖があって、注意とかされるとすぐ切れるんだ。でも年上の大家さんみたいな女性で、年配者には弱くてね。だから注意されるなら大家っていう立場なら、俺からもあいつを注意できるから、だからちょっとでもうるさかったら、よろしくね」
黒田はそう言って手を合わせてきた。
 どうやら泊めたくはないけれど、断り切れなかったので泊めているという雰囲気が察せられた。
 話の内容からして、迷惑している様子が見て取れる。
 そこまで仲がいいわけでもないのかもしれない。
 そりゃそうだろう。殺人犯である男と親しそうには見えないくらいに、黒田は静かな人で迷惑を周りにかける人ではなかったからだ。
「わ、分かりました」
 少しでもうるさかったらという言葉から、早く出て行って欲しがっているのは読み取れた。
 梛音はそれを了承して、少しでも早く犯人に別の理由でここから離れて貰うことを思いついた。
 仕事に行って仕事をして、日常を過ごして後、自宅に帰るのが憂鬱になる時間になってしまった。
 重い足取りを引き摺って歩いていると、目の前で酔っ払いが喧嘩をしている。
 それを避けて通ろうとした時、喧嘩に巻き込まれてしまった。
「おいこら、何関係ない振りして通ってんだよっ」
「……え? あっいたっ」
 梛音は急に胸ぐらを掴まれて壁に叩き付けられた。
 酔っ払いの男はどうやら関係のない通行人に絡んで喧嘩をしていたようで、さっきまで絡まれていた人は標的が自分ではなくなったのを知って、走って逃げていくのが分かった。
「おら、俺に文句があるんだろうっ」
「いえ、ないです」
 はっきりと答えても酔っ払いは妄想が入っているのか、更に梛音にいちゃもんを付けて殴ろうとしてくる。
 そうした時だった。
 梛音と酔っ払いの間に別の人が入り込んできた。
 そしてあっという間に酔っ払いと梛音を引き剥がし、酔っ払いを撃沈した男がいた。
「がばっ……」
 酔っ払いはすぐに気を失い、その場に倒れ込んでしまった。
「あ…え?…小野崎さん……」
 助けてくれた男を見ると、上等のスーツを少しも汚しもしないで小野崎が平然とした表情で立っている。
「治安はよくないとは思っていたけれど、酔っ払いとはいえ、面倒なことに巻き込まれたね。今、警察を呼ぶから少し待っていて」
 小野崎はそう言うと、すぐに警察に連絡を入れた。
 警察はあっという間にやってきて酔っ払いを回収し、絡まれた梛音にも警察は事情を聞いてきた。
 正直に先に誰かが絡まれていて、その横を通っただけで自分の絡まれたことを告げると、無差別に絡んでいた酔っ払いの喧嘩として、酔っ払いはそのまま病院に運ばれた。気を失っていて、朝まで起きそうもないからだ。
 小野崎は梛音を助けるための正当防衛として認められたので梛音と一緒に警察署にいかなくてもよかった。
「何かあれば、弁護士先生のところに連絡を入れるので」
 梛音のことを気遣った警察官によって、この事件のことで連絡事項があれば小野崎を通してくれると言われた。
「よろしくお願いします」
 小野崎もそのことを了承して、梛音は小野崎と一緒に交番での調書で終わった。
 恐らく酔っ払いも厳重注意で終わるだろうとのことだった。
「怪我もしていないし、それでいいだろう。無闇に訴えて変な恨みを買うこともないだろう」
 小野崎の言う通りで、梛音はそれで承諾した。
 酔っ払いが正常に戻った時に、良い人ならば謝罪で済むが、悪い人だったらこんなことくらいでと恨まれてしまうこともあるらしい。
「分かりました、ありがとうございます……」
「たまたま通り掛かってよかった。君を助けられた」
 小野崎にそう言って貰って、梛音はホッとした。
 その通りで、あの時小野崎が偶然にもあの辺りにいなかったら、どうなっていたのか分からないのだ。
 そういう治安の悪さもあるので、梛音は十分に注意していたのだが、今回は相手が悪かったと言える。
「せっかくだし、途中で晩ご飯でもどうだい? 災難だったから慰めてあげよう」
 そう言うと小野崎は交番から戻る途中にある店に、強引に梛音を連れて入っていく。
「あの、でも」
「私の奢りだから気にしないで。今日はとても気分がいいんだ」
 そう小野崎は言うと問答無用で梛音を店の奥の席に座らせて、さっさと店員を呼ぶとその日の定食を選んでしまった。注文をした以上、このまま帰るとは言えず、梛音はお金は払えばいいかと諦めた。
「それにしても、あの町は危険なことが多いね。もうちょっと右の町なら、治安も段違いにいいのだけど。どうしてあそこに住むことになったんだい?」
 小野崎にそう言われてしまい、梛音は自分の身の上を話すことになった。
 とはいえ、親が亡くなったことや親戚の弁護士にあの場所にあるアパートを紹介して貰ったと話すと、小野崎が言った。
「おかしいな、弁護士ならあの町はちょっとと知っているはずだ。あと同じ値段でもうちょっと安全な右側、そうスーパーのある町の方がもっと安全なアパートがあるのは知ってそうなんだけどな……」
 そう言われてしまい、梛音は少しだけ親戚を疑うことになってしまった。
 見つけてきたのが危険な地域のアパート。そしてそこのオーナーと知り合いだとしてもわざわざそこを選ぶのはおかしいのだ。
 だから大家は可哀想だと梛音を気にしてくれて、何かないように時々訪ねてきてくれる。そこまで気にするのは、梛音がここに住むのには余りに人が良すぎるということを大家が気にしていたからだ。
「僕は、騙されたのでしょうか? それとも早く縁を切りたくて適当な場所を選ばれたのでしょうか?」
 思わず梛音が悲しくなってそう言うと、小野崎が言った。
「良ければ、治安のいい方のアパートを紹介するよ。もちろん、保証人も私がなってあげるし、アパートも今のところと同じ値段帯でいいんだよね?」
 そう小野崎が言い、スマートフォンでその方面にある不動産屋の情報を見せてくれた。
「ほら、この値段で同じような部屋あるでしょ?」
 その情報を見ると確かに同じ値段で同じ広さのアパートが幾つかある。
「もし良ければ、明日時間があれば内見していく?」
「あ、はい。明日、仕事休みなので……よければ」
「そう良かった。じゃあ、明日九時頃、駅まで出られる?」
「はい、お願いします」
 二人はそう言い合って、明日不動産の内見に行くことにした。
 梛音としては、あの殺人犯が隣にいる環境にいるくらいなら、安全な地域に引っ越す方がいいと思えたのだ。
 殺人事件に犯人に、毎日鳴り響くパトカーと、すぐに事件ばかりの近所に、帰り道で襲われたことも重なって、とてもじゃないが長くここに住むのは無理だと思えたのだ。
 もう半年くらいこの町に住んでいることになるが、その半年で色々と起こりすぎていた。

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