Outer world

7

 当麻慧琉が消えたことが分かった当麻(たえま)教内部において、事件発覚から一週間、旅行に行っていた教祖集団が教団に戻った。
 そこで慧琉が教団から逃走したことを知らされて、驚いたのは詠芽(えめ)だけだった。
「え……慧琉、出て行ったの?」
 周りが騒々しいからやっと家庭教師である釘本桔平(くぎもと きっぺい)を捕まえて聞き出した。
 釘本は三十歳で、五年前から慧琉や詠芽の教育係をしていた。優秀な人で優しかったけれど、詠芽から見れば少し厄介な人だった。
「マンションからいなくなっていたそうです。携帯も風呂に沈めてSIMカードを抜いて捨ててあって、記憶媒体も持ち出しているから、もし誰かに唆されてやったのだとしても、用意周到過ぎるようです。多分、ちょっとやそっとで見つかる逃亡ではないかも」
 そう釘本が言い、詠芽はフラリとその場に座り込んだ。
「……いつか、そうなるんじゃないかって思ってた」
 そう言いながら詠芽が落ち込んでいるのを釘本が抱き上げて椅子に座らせる。
 釘本は詠芽の前に跪いてから下から顔を覗き込んでから尋ねる。
「喧嘩をしたから?」
「ううん。慧琉はずっと誰か探してた。僕が側に居るのに、ずっと違う誰かを求めてた。だからきっとその人を見つけたらいなくなるって……そんな人いないって、ここで暮らしている方が楽だって言ったら、慧琉、怒って出て行った。それからずっと会ってない。でも分かる。慧琉は……見つけたんだよ」
 詠芽はそう言ってある程度の納得をしている。
「そうか……仕方がないか」
 釘本がそう言って詠芽の手を撫でた。
「それでな。詠芽。一つ情報がある」
「何?」
 綺麗な瞳が釘本を見つめ、その瞳から涙が落ちている。それを釘本は指で優しくぬぐってやってから言った。
「新しい生き神が近々、教団に入る」
「え……?」
 それは詠芽には初耳のことで、かなり驚いている様子に落ち着くように釘本は言う。
「君の立場が変わる。新たな生き神の就任によって、君は生き神の役目から降ろされることになる」
 そう言われて詠芽は少し喜んだ。
「もう、やなことしなくていいってこと?」
 セックスを強要されて、望んでもいない相手に抱かれることはないのかと喜んだのだが、それに釘本が違うと言った。
「いや、その逆だ。君はこれから教団の生き神としてではなく、性接待に使われる。生き神がその役割ができるまでは十二年以上かかる。その間を埋めるために君たちは利用されるんだ」
 その言葉に詠芽は目を見開いた。
 やっと役目から降りられると思ったら、一番嫌なことだけは継続されるという。そして性接待に使われるということは、これまで以上の扱いの酷さになる。
 生き神だからそれなりに大事に扱ってきたけれど、生き神が別にいるならば、多少の無理も利くし、今まで手を出せなかった人たちまでも相手ができるようになる。
 金さえ積めばだ。
「今、慧琉の探索も行われている。けど、君はこれまで慧琉以上に献身で、教祖とも揉めていない。だから今は自由が与えられている。けれど……これから、君には自由はなくなる」
「……え? 今でも自由はないのに?」
 詠芽はそれなりに自由ではないけれど、上手く立ち回ってなけなしの自由を得ていただけに過ぎない。
「君は、君たち、詠芽も慧琉もずっと前からあいつの所有物だ。君たちがセックスドールとして扱われているのも、自由がないのも、あいつのせいだ。君たちは生まれた時からずっとあいつのおもちゃだ」
 そう釘本が言い、詠芽はハッとしたように顔を真っ青にする。
「……僕は、そんな人に懐いてた? 釘本は何を知ってる?」
 声が大きくなっていく詠芽の口の釘本は塞ぐ。
「いいかい、詠芽。君の耳には慧琉の逃走の情報は入らないことになっている。幸い君たちは二年もお互いに繋がりがないままだ。内の連中は仲違いをしていると思ってくれている。この情報を伝えたことで、君の逃走を促す羽目になると恐れている。だから君はこれを知らない振りをしないといけない」
 そう言われて詠芽は頷く。
 これを知っていると言ったらきっと監視は更に厳しくなり、生き神としての立場も失うだろう。
 そして釘本が言うような扱いを受け始める。
「そこで詠芽、君がこのまま教団に残りたいのなら私は何もしない。けれど、少しでも教団を出たい意思があるのなら、私もそれに従う。決められるか?」
 釘本の言葉に詠芽は五年前の出来事を思い出した。
 同じように教育係だった男、立原雅彦が正に同じことを言った。
 助けるからと言われた時、詠芽は無知で教団から逃げるなんてことは思いもしなかった。だからそれをうっかり監視役の高市に喋ってしまった。
 そして立原は、知り合いの人に助けを求めるために出かけて行ったけれど、慧琉がその後、立原が海で死んでいたことを知ってショックを受けているのを見た。
 そこで慧琉は教団が人を殺しているのだと気付いてしまい、詠芽とは一線を介した世界に引きこもってしまった。
 引き金は詠芽が引いたのだ。
慧琉は立原に懐いていたし、立原がそう言うならきっとそうなのだろうと信じていた。
 けれど詠芽は、立原を信じなかった。
 やがて詠芽は自分の境遇を振り返る羽目になり、世間一般の子供とは特別だと思っていた事実が、実は違うことを知る。
 大学に通い出すと、世間の子供は好きな人とだけセックスをしている。そしてそれ以外とすることは不純とされた。さらには幼少期からの教団内で行われたきたことが全て幼児虐待であり、犯罪であることも知った。
 それら全てを理解した時には詠芽も成人をしていた。
 それから自暴自棄になって、言われるがまま他人と寝たけれど、それらを全て知りながらも釘本だけが詠芽を気遣ってくれた。
 慧琉と同等でもなく、他の誰もない詠芽だけを大事にしてくれた。
 それが慧琉と立原の関係と同じだと、詠芽は初めてここで気付いた。
「……それは、僕が決めることだから? 釘本はどっちでも僕と一緒に居てくれる?」
 詠芽がそう言うと、釘本はニコリとして言うのだ。
「私はあなたがいるところにいるつもりです。どちらでも私にとって詠芽がいるところが正義なのです」
 釘本はそう言って詠芽の手の甲にキスをした。
 触れられたのは初めてで、詠芽はそれだけで動揺する。
「あ、え……」
「あなたに、ずっと触れたかった……」
 釘本がそう言うので詠芽は更に顔を真っ赤にさせた。
 耳まで熱くなり、詠芽は肩をすくめるも釘本は返答を待つ。
「僕は……釘本が良い方に行きたい。きっと教団では釘本は一生僕には触れられないままだ。僕は釘本に自由に触れられる方に行きたい」
 そう詠芽が言うと釘本はニコリと笑う。
「では、これから私が言う通りに行動をしてください。今はまだ怪しまれていません。今まで通りの我が儘を通してください。突拍子もないのもあなたです」
 そう言って釘本は詠芽に耳打ちをして計画を伝えた。
 詠芽はそれに頷き、その通りに行動をした。


 その夜は普通に寝て過ごし、翌日は大学に行く日だったから普通に街にある大学に向かう。
 監視である夏目昌磨が常に付きまとってきたので、詠芽はうっとうしがっていたけれど、夏目はいつでも詠芽のために動いていることは知っていた。
 今日だってきっと教団から監視の目を緩めるなと言われて行動しているに違いない。
 それをどうやって撒くかを考えていたが、夏目はこそりと詠芽に耳打ちをした。
「これからあなたは具合が悪くて保健室に行きます。いいですね?」
 そう言われてハッとすると、夏目はスッと指を口に当てた。
「俺以外の監視がいます。俺を撒いてもきっと駄目です。だから別の方法でいきましょう」
 そう言うと、夏目は詠芽を支えるようにして保健室に連れて行った。もちろん監視はそこで中に入ることはできない。
 保健室の主はおらず、裏口が開いている。それは搬入用のドアでそこには釘本が待っていた。
「詠芽、おいで」
 そう言い、釘本が手を伸ばすと詠芽はその手を取って走った。
 だが一瞬夏目を振り返った。
「どうして?」
 監視役なのに、なぜ味方をしてくれるのかと尋ねると、夏目は言った。
「ずっとあなたの幸せだけを願ってきました。それだけです」
 そう言って夏目は笑うも釘本に言った。
「お願いします」
「ああ、分かった」
 二人はお互いに通じ合っているように頷き合い、詠芽はそのまま釘本と一緒に裏口から抜け出した。
 保健室は救急搬送がしやすいように車が入ることができる門と駐車場の近くにあり、逃走がしやすい。
 夏目は詠芽の乗った車が消え去るのを見てから保健室の監視カメラの映像を抜き取り、事前に用意した加工した映像を監視カメラにセットし直した。
 夏目は釘本とは同じ目的で繋がっており、詠芽を教団から逃がすためにあらゆる準備をしてきた。
 夏目と釘本は腹を割って話したことはないが、同じ目的を持っていることをお互いに察していた。それから五年以上、慧琉が行動を起こしたことで詠芽も逃走をさせることにした。
 そのために一回お互いに確認だけをした。
 たったそれだけのことであるが、夏目は釘本を信頼していた。
 詠芽が気に入って懐いている人だ。詠芽のことを知っているのに触れようともせず、ただ大事に扱って大事に育てていた人。そんな人を詠芽が邪険にできるわけもなかった。
 きっと詠芽の運命の人がいるなら、釘本がそうなのだろうと夏目は思った。
 夏目はしばらく保健室にいたが、それから保健室の主を探して食堂に行き、食べ終わったくらいの時間で保健医を呼んだ。
 そして詠芽がいなくなっているという事実に気付いたとばかりに慌てて教団に連絡を入れる。
「申し訳ありません、詠芽様が、いなくなりました……具合が悪いと言って保健室にいったのですが、保険医を探している間に……申し訳ありません」
 そう言いながらも声は焦っているのに顔は笑っていたと思う。
 もちろん逃走を手助けしたのがバレたとしても夏目は構わなかった。
 だが夏目の失態は、夏目の偽装と釘本の準備万端の逃走劇によって、それどころではない事態になっていき、夏目の処罰は謹慎くらいですんだ。
 他の監視がいたことや夏目がいつも通りに動いていた事実。さらには慧琉の逃走を夏目には報告されていなかったことで、夏目の失態よりも他の事実を知って監視していた人間の方が問題視された。
 しかし教団は詠芽が逃走した日に、新しい生き神が降臨したとして、大々的な通達をした。
双子の姉妹の新たな生き神の降臨は、信者を喜ばせて狂乱させ、もはや誰も古い生き神の二人のことは気にもとめなかった。
 教団内ではそうした扱いだったけれど、上層部は違っていた。
 生き神二人が教団を逃走したなど、信者に知られるわけにはいかなかったし、あの二人にはこれからの役割があった。
 これからの生き神のために、裏方の仕事をこれから十二年引き受ける仕事が残っていたからだ。
 元生き神であろうとも価値がある。
 あの二人は、揃っているからこそ価値がある。
来週末に予定されていた大々的なパーティーの中止がどれだけの打撃になるか分からないくらいであるが、教祖である当麻優は双子の相次いでの脱走に関心がなかった。
「別に他の女でも男でも好きなだけ要してやればよいだろう?」
 平然とそう言ってのけるも、それを許さないものがいた。
「それでは約束が違うだろう? お前が教祖でいられるのは、あの双子を私に寄越すという約束から成り立っていたことを忘れてくれては困る」
 一人の男がそうぴしゃりと言い放つと、優はそれを思い出して青い顔をする。
「いや、確かにそうだが……あなたはどうして一つで満足をしないのか……」
 そう言うのだが、男は言う。
「お前は私を理解しなくていい。言われた通りにあの二人を探すことだ。あれは揃っていてこその価値があるものだ。それを昨今の慧琉の動向から全て私に知らせるべきだった。お勤めをしているから大丈夫だと外に出したのがいけない」
 男の意見を聞かないままに、慧琉くらい外の大学でもいいだろうと優は思い、慧琉の我が儘を通してやった。慧琉は月末ごとに戻ってきてはお勤めもしていたし、拒絶はしなかったから監視もどんどん緩んでいった。
 詠芽に関しては手元にいるからと、大した監視もしていなかったのが余計に裏目に出た。
 慧琉は外の人間と何処かで接触を取ったことは明らかだったが、詠芽は明らかに内部の人間との繋がりだ。
「教育係の離反は二度目。これは偶然ではない。内部にそうした離反した工作員がいる。信者を適当に増やしすぎだ。増やせばそれだけ厄介事も増える。人数は制御し、業界との繋がりを優先すべきところを、なおざりにした。教祖の資質が問われる」
優の失態が大きく、男がそれを問い詰めると優は更に顔を青くして口をパクパクとしている。反論もできず、かといって教祖の地位からは降りたくはない。
「少し自由にさせすぎた。これからは私に全ての知らせること。お前の判断で採決はしてはいけない。いいね?」
男の言葉に教祖を首になったわけではないと分かったのか、優は何度も頷いた。
 教団はこの男によって運営されている。
 基本的なところの決定権は教祖にあるが、それ以外の金銭面はこの男の采配による。
 それによって教団は地位を高め、私立大や高校まで抱えた街そのものを手に入れたばかりだ。
 やっと地盤が固まってきたところでの生き神の脱退は都合が悪かった。
 ただでさえ、マスメディアがだんだんと当麻(たえま)教の悪事に気付き始めている。
それが記事になったりして、警察も神経をとがらせている。
 その中で大々的な動きができないでいるところに、二人を失いかけている。
「可愛い可愛い、私の子らよ。今は自由を満喫するといい。君らがそうすればするだけ絶望も深いモノになる」
男はそう言い、ラップトップを開いて慧琉や詠芽の写真を撫でる。
 そこには慧琉や詠芽の沢山の写真と動画があり、二人が他の男たちに抱かれているものが何百とファイルになって残っている。
 男はそれらに全て目を通し、全てを管理してきた。
「一から私が育ててきたのだ。そう簡単に手放せるわけもないだろう?」
 男はそう言って笑っている。
 そんな男の後ろには、ガラスで仕切られた部屋がある。
 ベッドは二つ。女性が二人寝ている。
 その二人は人工呼吸器が付けられていて、生かされていることが分かる。
異質な空間から男は慧琉や詠芽が戻ってきた時のため、様々な準備をした。

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