Outer world

4

 長い時間一緒に過ごした気がしたほど、あっという間に時間は過ぎた。
 慧琉はシャワーを借りて綺麗にしてから北郷に大学まで送り直してもらって裏門から大学に戻った。
 北郷とはまた会話もほぼないままセックスだけに溺れ、まだ気持ちも熱いまま駐車場で別れた。
 結局、北郷が何の講師で大学に通ってきているのかは聞き損ねてしまったが、今まで会った記憶すらないことから、新任講師か部門が違うかのどちらかだ。
 ただすれ違ったりはしていたかもしれない。
 お互いに昨日まで何の接点もなく、顔すら気にしたことはなかった。
 けれど、その顔は今や慧琉の心の中を暖かいモノで満たしてくれる。
 大学に戻った後、慧琉は急いで図書館に行き、借りていたものを返して借りるものを選ぶように棚の奥に向かった。
「……」
 まだ体の中に北郷がいるかのように熱が残っている。
 それを窓側の椅子に座って冷ました。
 適当に掴んできた小説を読んでいるふりをしていると、宮代から連絡が入る。
 門のところでいつものように待っているとメッセージが来た。
 それを見てから適当に掴んだ本を借りるためにカウンターで手続きをしていると、司書の人が少しだけ意外そうに言った。
「今日は、資料ではないんですね。この本、最近人気のライトノベルなんですよ。人気でなかなか借りられないんです。ラッキーですね」
 そう言われてみると、確かにマンガのイラストが表紙になっている小説だ。
 人気だとは気付いてなかったが、返却棚から適当に掴んだ一冊がまさかそんな作品だとは思いもしなかった。
 たぶん読まないのだろうなと思いながらも、これを借りたらきっと感想も聞かれるのかもしれないと思い、一応は目を通そうと思い直す。
「そうですか……こういうのはあまり慣れていないのですが、流行っているなら……」
 慧琉がそう言うと、司書はにっこりとして言う。
「若い人の間では年間の一位の人気ですよ。それではよい週末を」
 手続きが終わると、司書が本を渡してくれて挨拶もしてくれた。
 そこで今日が金曜日だと気付いた。
 週休二日制の大学なので明日から休みだった。
 慧琉は会釈をしてから図書館を出て、門で待っている宮代のところに行った。
「慧琉様……今日も図書館です……か……?」
 そう宮代が聞いてきたが、何かの異変に気付いたように語尾が延びた。
「……あ、うん、そう。最近流行のライトノベルを借りたよ。骨休めも必要だって」
 そう言いながら先を歩き始めると、宮代は少し怪訝な顔のままで聞いてくる。
「昨日、何処まで歩きましたか?」
 そう聞かれてしまい、慧琉は自然とそれを誤魔化す。
「あー……夜でも明るいところまで行ってしまって……そこでお腹が鳴ったら、親切な人がご飯を奢ってくれて……食べた後、また歩いていたら疲れちゃって。それで結局戻るために歩いて戻ってたら、どこか分からないところに出て、朝になってた……戻るならタクシーに乗ったらいいかって思って。そこで携帯の電源切ってること思い出して……」
慧琉は淀みなく嘘が吐けた。
 歩いて繁華街でご飯を奢ってもらったのは事実だったけれど、その相手とセックスをしたことは絶対に言わない方がいいに決まっている。
 そして歩き通しで疲れたというのも事実で、実際タクシーを使った。
 そうした慧琉の嘘に、宮代はちょっとだけ眉を顰めたが、すぐに息を吐いて言った。
「そうですか……何もなかったならいいんです……それでも楽しかったのであれば。ですが……火遊びはほどほどに願います」
「……え?」
 宮代の言葉に慧琉が惚けて見せたけれど、宮代はそれが分かるのか慧琉の髪の毛をすっと撫でるように触ってから言った。
「ドライヤーはちゃんとかけた方がいいです。風邪引きますよ」
 そう言われて慧琉はそこで初めて焦って髪を触った。
 確かに髪の毛は乾かしたけれど、少し芯の方が濡れている。
 宮代以外の誰にも気付くことができないくらいの変化であるが、宮代はその少しの変化を見逃してくれる。けれど釘は刺した。
 きっと宮代には慧琉が教団関係者以外とセックスをしていることは分かっているのだろう。けれど、それは決して慧琉が望まないものではない。
 むしろ、教団内にいて強制されているようなセックスをしたわけではないことだけが、はっきりと分かったのだろう。
 慧琉が望んで誰かに抱かれている。
 それは慧琉の変化としては宮代は認めてあげたい、しかしそれは今はまだ火遊びに過ぎない。
 教団関係者に知られたら、慧琉はまだいい、相手がどうなるか。
 それだけを気にしているようだった。
 真面な教団なら、脅し程度で終わるだろうが、宮代はその実態を知っている。教団は脅し程度で済ませるわけもない。
「……本当に、ごめん……」
 慧琉がしゅんとして謝ると、宮代は苦笑してから言う。
「あなたがここまで楽しそうになさっているのを見るのは初めてです。俺もできれば応援をしたい。けれど、それが許されない。あなたはまだいいです。相手の方がどうなるかは、俺にも予想はできません」
 そう宮代が言うと、慧琉の顔は真っ青になっていく。
 慧琉は思い出す。教団内の人間が自然と消えていることがよくあった。
 大抵は慧琉や詠芽に何かを吹き込んだという理由で人が変わる。その人を慧琉は二度と見たことはない。
 皆は遠くにやったと言うけれど、その家族が探しにきたり、被害者の会がその消えた人を探し回り、やがて海で死んでいるのが見つかり、前に事件になったことがある。
 もちろん教団も疑われるも、とっくに辞めた人間であることはいなくなった時点で伝えていたこともあり、教団を追われたことで自殺と片付いた。
 でもそれを知った慧琉は、そんなわけもないことを知っていた。
 その人は慧琉や詠芽の待遇をあり得ないといい、助けようとして教団を抜け出すために準備をしていた人だ。
 だから教団から拒絶されたからと言って死んだりはしない。
 そう殺されない限りだ。
 その事件は大学内で見られる新聞の閲覧では見つからなかったので市民図書館で探したところで一般的な新聞では小さな事件として扱われ、教団の関与も疑われていた事実も記録に残っている。
 大学にないのは、大学の新聞は当麻(たえま)教の教団新聞が優先順位が高いためでもあるが、他の新聞は教団としては都合が悪いのか閲覧できる人は教授や職員のみになっていた。
「……慧琉様……恋をなさいましたか?」
 慧琉は謝ったけれど、相手のことを気遣っている様子から宮代は察したらしい。
 長い付き合いでもあるから、慧琉の心の変化は読み取れるのか、慧琉の気持ちには敏感だった。
「………………うん」
 慧琉は青ざめた顔のまま頷いた。
そうなのだ。あの時間、さっきまでの時間は夢なのだ。
 ああ、それなのにどうしようもないことを願ってしまった。
慧琉は恋をしたけれど、それが絶対に実ることがない恋だとはっきりと突きつけられた。


 北郷蒔人(まきと)は慧琉を送った後、車で自宅に戻り部屋を掃除してから四階の自宅に戻った。
 そして部屋に入ってから疲れた身体を引き摺ってリビングの隣にある寝室に入る。そしてその部屋のテーブルにあるパソコンを開いた。
 そこには沢山の資料がある。
 北郷はそのパソコンの資料の検索に「える」と打ち込んで検索にかけた。
「……やはり……そうか」
 えると検索してヒットするのは、当麻慧琉(とうま える)の名前だ。
 当麻(たえま)教を信仰している当麻(たえま)大学において、慧琉という名前を持っているものがそうそういるはずもない。しかも年齢までぴったりと合っているのはこの慧琉しかいない。
 さっきまで熱かった思いがだんだんと北郷の中で何かに変化しようとしていたのに、冷や水を浴びせられて固まった鉄のようになっていく。
「運命だと思ったら、そうではないと言われた気がした」
エルという不思議な青年に出会い、気に入った。また会えればいいと思っていたら講師をして潜り込んでいる当麻(たえま)教の大学で出会った。
 ただの学生だと思っていたのに、寄りにも寄って一番問題の部分に近づいた。
 一番潜り込みたかった部分、当麻(たえま)教の生き神である当麻慧琉だったのは皮肉なのか。
 スマホを見ると北郷の友人である平井大河から連絡が沢山入っていた。
 やっとその電話に出た。
「どうした?」
 そう北郷が言うと、平井は向こうで怒鳴っている。
『くそっどうなってやがる。お前、今から家に行くぞ。電話じゃ埒があかない』
「ああ、飯も持ってきてくれ」
 そう言い電話を切ってから北郷は慧琉についての資料を探った。
 当麻(たえま)教の生き神である当麻慧琉は、現在二十歳。
 父親である当麻優は新当麻(たえま)教の教祖であり、当麻家は代々当麻(たえま)教の教祖一族として栄えている。しかし直系のみが教祖となっていたため、他の親族は乗っ取りを企てたりと一族内は血で血を洗うような抗争をしている。
 そのせいで親戚関係はほぼなく、直系の子供も最近になるまで一人を大事に育てる方法で増やさないようにしていた。
 基本的に教祖は生き神として扱われるのだが、先代からは優の双子の姉たちが生き神扱いになっていて、その二人が病床で引退したと同時に優の子供が双子だったためにその双子が生き神として育てられた。
 それが慧琉と詠芽である。
 ただ生き神としての慧琉たちの行動はほぼ屋敷内に引き込まれていて、彼らは義務教育すら特殊環境であるという理由で在宅によって教育を受ける特別な手法で行われていた。
 高校までは地元の当麻(たえま)教が経営している学園で過ごし、大学になって初めて当麻慧琉だけが都内にある当麻(たえま)教大学に通うために上京した。
 もちろん地元にも大学はあるのだが、何故上京を許したのかは内部によると今まで我が儘を言わなかった慧琉の我が儘が通ったらしい。
 そこに教団の思惑がどうあるのか分からないが、それに伴って慧琉は大体の自由が得られているようだった。
 教団内で大事に育てられた慧琉。
 その違和感の謎ははっきりした。
 あんな教団内で囲われるように育っていれば、雰囲気だって普通ではない。
 そしてその生き神に関しては、役割がある。
 生き神は所謂人身御供である。その生き神を使い、当麻(たえま)教は政界や業界に強いコネを作ってきた。
 生き神はセックスドールとして扱われ、慧琉たちは小さいときから大人たちの性的虐待を受けて育っている。
 それは前生き神だった双子の姉妹も同じで、そこから教団は急成長を遂げて大学や高校と私立学校を作り始め信者は増えた。外部学生も増え、信者は更に増える一方である。
 政界や業界には卒業生も沢山おり、かなりの力を付けているとみられる。
 しかし被害者の会や殺人事件など問題も外部に広がり、教団から抜け出すものも増えている。
 そうした事件に北郷は関わりがあった。
 資料を眺めていると、平井がやってきた。
「おい、北郷、どうなってる。何故お前が当麻慧琉と親しくなっている」
 そう平井が言い、どうやら何処かで二人が一緒のところを見たようだった。
「親しいわけじゃない……ただ、二回セックスをした間柄だ」
 北郷がとんでもないことを言うので、平井はその場にあったソファに座り込んだ。
「まさか計画が漏れて……」
「それはない。あの子は何も知らない、まっさらだ。だから余計に混乱している」
 北郷に平井は慧琉の印象を話した。
「まっさらって……」
「そうさ、大人に言いように利用されて虐待を受けて育ってきた子。裏にあることなんて、今まで知らなかったって顔をしていたよ。外に出て初めて今までのことに意味があることを知ったって感じさ。そりゃ、教団内で育っていたら知らないことの方が多いだろうな」
 そう北郷が言うので平井は息を吐いた。
「それで生き神に復讐するっていう、お前の考えは変わったのか?」
 平井の言葉に北郷は仕方がないというように言う。
「あの子がしたことは何もないよ。ただセックスドールにされてただけだ。そこから義理の兄が救おうとした。救われることさえ、その時の慧琉には分かってなかっただろうな。ただ教団内に収まっているだけではいけないと慧琉は考えているようだった」
 北郷が何となくの感想を言うので平井はもう一度聞いた。
「どうやって知り合った」
「知り合ったのは昨日だ。ふらふら繁華街まで出てきて腹を空かせていたら飯を食わせてやって代償にセックスをした。今日大学で会ったからそのまままたセックスをした。エルとは名乗っていたけど、偽名だと思っていた」
 さっきまでエルが当麻慧琉とは気付いてなかった。
 写真は小さい頃のモノが出回っているだけで、今の青年の姿は一切出ていない。
 だから冷静になった時にやっと気付いた。
「同じ名前の子が大学にいるわけもないってさっき気付いた。今の写真は資料には載ってなかったからな……」
 北郷がやっと気付いた時には、北郷は慧琉のことをただの生き神としては見られなくなっていた。
 たしかにセックスは普通の年代の子よりは上手かったし、抵抗感もないようだった。けれどそれはそれ以上に酷い目に遭ってきたからで、北郷の行いはまだマシなレベルだったと言える。
「それで、考えた。慧琉にその気があるのなら、俺は平井たちの計画に乗ろうかと思う」
「はっ、セックスをしたから情が移ったとか?」
 平井がそう言い放つと、北郷はそれに正直に頷いた。
「慧琉が嫌なやつで同情にすら値しないやつなら、情なんて沸かないさ。けど、そうじゃなかった。どこまでも慧琉は純粋だ。歪んでいないのが不思議なくらいに」
 北郷は言ってから、やっと義理の兄がどうして慧琉たちを教団から救おうとしたのかをやっと理解した。
 歪みきった場所で見た純粋無垢な存在、それを救おうとしただけなのだ。

感想



選択式


メッセージは文字まで、同一IPアドレスからの送信は一日回まで