モノポリーシリーズ ブルー・ラグーン

4

 戸賀に進められた通り、立夏は父親にそのままを伝えたところ、父親の方が乗り気になって戸賀との取引を決めてしまった。
「君のお父さんは即断即決だね。一括で購入してくれるそうだよ」
 立夏に連絡が来る前に、戸賀からその連絡がきてしまったので立夏は呆れる。
「こっちには連絡がなかったのに……もう決まってるんですね」
「宮凪には連絡が行ってないのか。そうか。まあでも決まったから契約書を交わしておくよ。こっちから契約するための社員もアメリカに飛ばしたから、今週中には完了するよ」
 戸賀はそう言うので、立夏は戸賀に礼を言った。
「ありがとうございます。お陰で家の方はどうにかなりそうで……」
「いやいや、こっちこそ持て余してた物件だから、買い取って貰えて有り難かったし、お父さんもこっちの値引きには申し訳がないからと、販売価格で買い取ってくれたから、有り難かったよ」
 と戸賀に言われてしまった。
 どうやら、良い会社の社長である立夏の父親は、値引き価格で買うことを恥だとして見栄の方が勝ってしまったようだった。
 それは戸賀の方にもそういう計算があったようで、立夏との取引ではなく父親との直接の取引を望んだようだった。
 それはそれで戸賀がやり手であり、父親が見栄を張っただけに過ぎない。
 あとは大会社である戸賀の建設会社の不動産会社とも繋がりができたことは、父親としても今後いいメリットがあるようでもある。
 だからそれについてもはや顧客の息子でしかない立夏が大人の世界に突っ込んでいくわけにもいかないし、何よりお金を出してくれる父親が納得して出してくれるなら、それはそれで良かった。
 駅前の大きな建物は、このマンションくらいで他はそこまで大きな建物はない。売りである海が遠くに見えることや、天気が良いと遠くの山が綺麗に見えると謳っているマンションで景色が圧倒的によさそうだから、立夏は最初に家を探すときにこのマンションを視野に入れたのだ。
 けれど建物は建設が決まった時から人気になってしまい、販売は外見ができる前から完売していたから諦めたけれど、まさかそれが思い描いた二十五階、最上階の一個下の階であるが、建物作りのお陰で十畳ほどの大きなバルコニーが角部屋に付いている部屋を譲って貰えることになるとは夢にも思わなかったのだ。
「君のためになったようでよかった」
「ありがとうございます……よかった、この街は離れたくなかったので……」
 立夏がそう言うと、戸賀はふっと笑った。
「それはよかった」
 結果、藍音に頼んだことは無駄になってしまったけれど、藍音は今忙しいらしく、付き添いができないから戸賀のところでも立夏が満足しているなら、それでよかったとホッとしているようだった。
 それからバイトには藍音はほぼ姿を見せなかったけれど、立夏は順調にバイトに励んだ。
 何故か立夏はバイト中にもかかわらず、森崎の仕事への不満くらいしか問題も起きずに、三ヶ月もバイトが続いた。
 引っ越すはずのマンションは内装もほぼできあがり、冬には立夏も引っ越すことが決まった。
 けれど、三ヶ月目にバイト先で立夏は一人の社員に付き纏(まとい)をされる羽目になった。
 始終、戸賀が送り迎えをしてくれるから、ずっと気付かなかったけれど、どうやら朝、大学へ行く時にも付けられていて、会社にバイトに行く時も付けられていた。
 それに気付いたのは、戸賀の様子からだった。
 大学が違うけれど、朝は戸賀と鉢合わせていたし、大学からバイトに行くと必ずと言っていいほど駅近くで鉢合わせた。
 行動時間が同じなので出会うのは普通だと思っていたが、偶然入ったコンビニで毎日買っている飲み物を買う時に、戸賀以外に毎日絶対に会うサラリーマンに気付いたのだ。
 それから気にして気をつけていると、やっぱり見えるところにいることが分かった。
 戸賀はそれに気付いていないようで、普通に立夏に話しかけてきてさりげなく間に入ってくれていた。
 その戸賀のお陰で、相手がいつものストーカーよりも距離を取り、近づいてこないことに気付いた。
「宮凪、買うもの決まった?」
 ちょっと離れても自然と戸賀が近づいてくるので、ストーカーの男も立夏との距離を測りかねているようだった。
「……あ、はい、レジ行きます」
「じゃ、これも一緒に払って。明日は俺が払うから」
 二人でレジに並ぶと時間が掛かるので、お互いに百円くらいは奢り合いになっている。そうした親しさがだんだんと出てきて、立夏と戸賀の間はだんだんと距離が縮まっていた。
「じゃあ、払ってきます」
レジに並んで払ってから店を出ると、戸賀が先に入り口に立っていて、さっきのサラリーマンは消えていた。
 それにホッとしてから立夏は戸賀に着いて一緒に会社に行く。
仕事中は全社員が退社した後に行動しているので、中で何かあれば記録が残るので誰にも遭遇はしなかったから、バイト中はある意味安全だった。
 それでもそれ以外は立夏は戸賀の側を離れなかったし、決して一人にならないように気をつけた。
 戸賀がいない日は、視界にサラリーマンを捕らえながらも離れたところに座り、なるべく人気が多いところを選んで歩いた。
 もちろんバイトも休みの日は、外に出ないで自宅で過ごしていたが、それで何とかサラリーマンのストーカーが酷くなることはなかった。
 あのサラリーマンのストーカーが何をしたいのか分からないけれど、これまでのストーカーのように自分の願望だけを突きつけてくるなら、きっと二の舞どころかまた同じことを繰り返すだけだ。
 それでも立夏はバイトには出かけ、これまでの経験を生かして何とか接触だけは避けるように気をつけた。
 幸い、戸賀のお陰で一人行動はせずに済んでいたことで、立夏は気味が悪い視線を避けながら生活ができていた。
「最近、機嫌がいいね、立夏」
 長い休みになる前に、大学で壱伽とカフェでお茶をしていると、壱伽が立夏の様子を見て、そう言った。
「え、まあ、うん」
「ストーカーは?」
「……いるけど」
 壱伽は立夏の酷いストーカー事件を知っているだけに、バイトでトラブルになっていない今が不思議で仕方がない様子だったが、案の定である。
「いるけど、機嫌がいい」
「前ほどの接触はないから、まだいるなーって言う程度で済んでいるからかもしれない。うちは完全に進入不可になってるし、バイト先はいつも人がいて、それで帰りも同じ方向に帰る上司の人に送って貰ってる」
 そう立夏が言うと、壱伽はその上司に興味が湧いたらしい。
「へえ、立夏といておかしくなんない男って、せいぜいネコくらいだと思ってたけど、丈夫な精神のやつがいたもんだ」
 壱伽はそう戸賀のことを評価するも、それは立夏も否定できなかった。
「……まあ、すごく貴重っていうか、信頼できるくらいに真面目で、仕事熱心」
「藍音さんの同級生だっけ? 戸賀……とか言ったかな?」
「壱伽、戸賀さんのこと知ってるの?」
 壱伽は会ったことはないはずである。
 なので不思議そうに立夏が聞くと、壱伽は思い出して言う。
「前に藍音さんと飲んでるの見た。元彼だって聞いたけど、元彼と酒飲めるとか信じられないと思ってたけど……まあ、あるわな」
 壱伽は元彼と酒を飲めるくらいの関係になれるわけがないと言いたかったらしいが、その壱伽はちょっと前に元彼である志朗と飲んだばかりである。
「壱伽は調子良さそうだね」
「うん、ばっちり」
「今日も宮辻君とデート?」
「そう、めちゃくちゃ美味しいイチゴショートケーキがある人気の店に行く。予約やっと取れたってさ」
「相変わらず、宮辻君、甘いね……」
 壱伽にはとことん甘い宮辻は、壱伽に美味しい物を食べさせたり、見せたりするために色んな提案をしてくるという。
 恋人関係でもこれは相当な努力が必要なことらしいが、宮辻は壱伽の好きな物をドンピシャでヒットさせてくるので、壱伽ががっかりしたことが一回もないという。
「いいんだよ。僕が満足してると滉毅も喜ぶんだよ? 僕はびっくり箱開けたみたいに驚くことばかりで、楽しくって仕方ないからいいの」
 宮辻が甘いことは壱伽が楽しいことばかりなので、それはそれでありだと言う。
「一緒にいると楽しいって、何か分かる……」
 壱伽の言葉を受けて立夏がそう言うと、壱伽が驚いた顔をしている。
「何か、立夏が一歩世界を飛び出したみたいな表現した。戸賀ってやつのこと気に入っているんじゃん、それもめちゃくちゃ」
 壱伽は立夏がそう言い出したのを初めて聞いてはしゃいでいる。
「そりゃ……まあ、戸賀さんは……とてもいい人だし……」
確かに戸賀のことをいい人だと思っているし、信頼できる人で今は勝手に頼りにしている。
「じゃあ、それってアレじゃん……」
「アレって言われても、何のことか……」
「アレよアレ、いいよ、そのままそのまま。立夏はそのまま色々考えずに行動して」
 壱伽はこれ以上余計なことを言って立夏の気持ちを乱したくないといい、戸賀との付き合いを続けるように言った。
 立夏は戸賀を利用しているような気がしたけれど、戸賀といるのが楽しいのは事実で、壱伽の言っていたことは、そのうちに忘れてしまった。


 そのまま夏休みになると、立夏は戸賀と同じ時間に駅からバイトに通うようになり、帰る時も一緒に行動をした。
 時々戸賀の誘いでこぢんまりとした店に案内されてご飯を食べたり、お酒を飲んだりもした。バイトに行く前に待ち合わせて映画に行くこともあったり、二人で喫茶店に入って昼食も一緒にするほどになった。
 そしてその日は海にも行った。泳ぎはしないけれど海辺を歩くだけでも楽しかった。
「毎年の夏は、いつも海外に行って、でも家からでないで過ごしてた」
 日本にいると碌な目に遭わないから、父親が用意してくれる避難場所を短い期間で移動をして過ごして帰ってくる。
 長居をするとどうしても親しい人ができて、その人が急に変貌する。
 そうしたことを経験した上での処置だったけれど、今年は変なストーカーのようなサラリーマンがいることに気付いたけれど、それも夏の間に消えた。
 ある日急にサラリーマンは消え、その覚えた顔も見なくなった。
 一週間ほどは不安だったが、夏休みの最初の一ヶ月でその影はついぞ見なくなった。「トラブルを抱えているから?」
「そうです……長居するだけ余計に。だから日本から出たらリセットされるというか、そういうのが一応リセットされてしまうんで」
 珍しく日本の海に遠出をしたから立夏には五年ぶりの日本の海だった。
 そう立夏が打ち明けると、戸賀は少しだけ息を吐いてから言った。
「じゃあ、あの男に気付いていた?」
 率直に言われたことで立夏は苦笑する。
「やっぱり戸賀さん、そのために僕の側にいてくれたんですね」
 立夏はやっと戸賀がいつもいてくれる理由に辿り着く。
「まあ、あの男を見つけた時に、君に自然と近づいて警告を出し続けるのが、俺の役割だった」
「なるほど。そういえば最初に戸賀さんが言っていましたね。トラブルは戸賀さんが何とかするって」
 立夏がそれを思い出して言うと、戸賀は頷いた。
「君の側にいて守るのが俺の仕事だ。まあ、バイトの総括は言った通り、修行の一環だったけれど。君を守りたかったのは俺の意思だよ」
 あっさりと戸賀が言うと、立夏はそれに微笑んだ。
「戸賀さんのお陰で、バイトも長続きしているし、色んな所に行けているから、僕はそれが嬉しいんだ」
 今までできなかったことができている。それが嬉しくて、たとえ戸賀が藍音に頼まれてやっていたとしても立夏は嬉しかった。
「戸賀さんといるの楽しい。出かけるのも楽しいし……でも、負担だったら無理しなくていいですよ」
 立夏がそう言うと、戸賀はそれには首を横に振った。
「負担が大きかったらそもそもここまで自分ではしない。探偵も警察も使おうと思えば使えるんだ。そこに任せてしまうよ。俺はそこまでお人好しじゃないから」
 戸賀の言葉に立夏は首を傾げた。
「どうしてですか? 戸賀さん、凄くいい人なのに」
 立夏が真剣にそう言うと、戸賀は少し笑う。
「これを君に言っていいのか、正直迷っている」
 戸賀の優しい顔がほんの少し緊張しているのが分かった。
 立夏は何を言われるのか、それを察した。
 ああそうか、そういうことなのかと、突然壱伽の言っていた意味深な言葉を思い出した。それに当てはまる言葉は、一つしかない。
 けれど立夏は嫌悪しなかったから、戸賀の言葉を急かした。
「どうして?」
 そう聞き返した立夏の顔は真っ赤になっていたと思う。
 海から吹く冷たい風が、?を撫でるのが気持ちいいくらいに感じた。
 視線を下げるとゆっくりと戸賀が歩いて近づいてくるのが見えた。
 立夏の近くで止まると、立夏をゆっくりと抱きしめてから言った。
「君を好きだから、一生懸命、君を守りたいと思った」
 戸賀の低い声が降ってきて、更に戸賀の胸の鼓動が想像以上に速いことを知った。
「……心臓、凄い」
「そりゃね、緊張が凄いんだよ。息が止まりそうだ」
 そう戸賀が笑ったけれど緊張しているのがよく分かるくらいに震えている。
 心臓の鼓動は強く、速く響いていて、その様子から戸賀が一切嘘を言ってないことが分かった。
「僕は……分からない」
 立夏はそう言っていた。
 好きって何? 好きって言って貰ってもただの一度も心地よかったことがなかった。
 他人の好きは、押しつけの好きで、その気持ちがただの一度も立夏のためになったことはなかった。
 けれど、今はいつも感じる不快感は一切なかった。
 ただ恥ずかしいことと照れることと、そして自分の心が戸賀の心臓と同じように速く高鳴っていることだけが分かる。
「僕は、分からないけれど、戸賀さんと同じくらい胸の鼓動が速くて、どうしていいのか分からない」
 立夏は正直にそう戸賀に告げると戸賀がホッとしたように身体の緊張を解いたのが分かった。
「よかった。不快感がないのなら、このまま続けてみないか?」
 戸賀はこのまま戸賀と色んな所に出かける仲でいようと言ってくれる。
 立夏の心がはっきりとしない理由は戸賀も知ってくれている。だから急がなくていいのだと言ってくれた。
「……はい、それで大丈夫なら、僕は戸賀さんといるの楽しいから」
「そうか、それは嬉しいな」
「戸賀さん」
「何?」
 戸賀の心臓の音を聞きながら、立夏はゆっくりと思いを言葉にした。
「ありがとう。気持ち、嬉しいです」
 初めて誰かに告白されて、初めて相手の気持ちを嬉しいと感じて、それに感謝したいと思えた。
 戸賀はゆっくりと立夏の心を解しながら、危険からも救ってくれていた。
 それがどれだけ立夏にとって嬉しいことか、きっと誰にも分からない。
 ずっと誰にも守って貰えず、助けて貰えず、押しつけられるだけで何も得られなかった立夏にとって、戸賀は誰とも違う、とても貴重な人だった。

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