モノポリーシリーズ
ブルー・ラグーン
3
立夏は家を一年後に追い出される羽目になったことで、次に住むところを探すことになった。
幸いなのは、自宅を売ったお金の一部で立夏の次のマンションなり一軒家なりの資金が出ることだろう。
さすがに身一つで追い出すわけにはいかないだろう。
もう何年も会ってすらいない父親にとって、立夏は再婚に邪魔な存在でしかない。
母親のことももう忘れたいからこそ、自宅を売ったわけだから、もう日本に戻ってくる気もないのだろう。
そういうことが一気に分かって、立夏は不動産屋に詳しい人を探さないといけなくなった。
だが、知り合いにそういう人はいなかったから、当然友人である人伝がありそうな壱伽に相談するしかなかった。
「え、家を追い出されることになった?」
壱伽はそれを聞いて驚いた顔をしている。
「まあ、一年後の話なんだけど……今から家を探しておかないと、急にはい引っ越しっていかないよね?」
「そりゃ、新築マンションなら建てる前に予約だろうし、中古でも探しておいた方がいいけど……そうだな……」
当てがあるかと聞かれて、壱伽は考えて唸っている。
さすがに壱伽自身が直接不動産屋と繋がっているわけでもないので、一旦持ち帰ってから調べて貰うしかないと言う。
「あー、僕よりは藍音さん辺りの方が、いいかも。そこのグループって不動産系の扱いもあった気がする……」
確かに比湖グループの一部に建設部門があり、そこが家を建てたりしている。ならば、それを取り扱うために不動産も経営しているはずだ。
それを壱伽が指摘してくれたので、立夏は素直に藍音に聞いてみようと思った。
「バイト、どう?」
壱伽に尋ねられて立夏は笑顔になる。
「今回は裏方だから、大丈夫っぽい」
「そっか、何かあったらすぐに藍音さんに言うんだぞ? 言えないなら僕でもいいからね」
そう壱伽が言ってくれたので頷いた。
壱伽は今、壱伽なりにセフレの宮辻といい関係になっているようで、壱伽の機嫌もいい。きっと二人は本当に付き合うのだろうなと立夏は思っている。
そうしたところに宮辻がやってきて、壱伽と二人でじゃれている。
「今日は、フラッペだけど、イチゴの粒増量版だ」
「マジか……美味しいっ」
さっきまでしょげていた壱伽の尻尾が全力で嬉しいと振っているのが見えた気がして、立夏はなんだか居辛くなって先に講義室に行くと言って抜け出した。
それに宮辻が片手を上げているから、どうやら立夏が気を遣ったのが分かったらしい。
ああいうところが宮辻の良いところで、立夏は壱伽に宮辻は合っていると思えるのだ。
すぐに講義室に入ってから、立夏はメールが届いているのに気付いた。
それは見たことがない番号だと思っていたら、語尾のアドレスが会社のドメインになっていて、その前をよく見るとフルネームになっていた。
それは戸賀明柊と書いてあり、会社用のメールアドレスをそういえば貰ったなと立夏は気付いた。
急いでそれを開くと、仕事の予定日が書いてあった。
週六にしてあるので、月曜が休みになっていた。
土、日曜日は会社が休みであるが、土曜は提出された備品を一斉に月曜に向けて会社中の備品入れに持っていき、日曜日は土曜日に搬入された備品を備品室の置き場に出す作業がある。
大企業の備品ともなれば、一日作業らしくさらにはなくなっている備品を発注するための資料も用意しなきゃいけない。
平日は庶務の職員がやっているが、休み前に入る備品整理はバイトに任せているのだという。その方が日当はバイトを雇う方が安くて済むらしい。
立夏はバイトの日程を頭に入れて、メールを読み、頭の中で予定を考える。
そうしているうちに壱伽がやってきて、講義が始まった。
立夏のバイトは基本、午後六時から九時以内の二~三時間。
これくらいなら備品を配る時間に足りていたし、会議用の書類を準備するのもいい感じにできた。何なら九時まで延長しても立夏には支障がなかった。
それには一緒に仕事をしている戸賀が付いていてくれて、家にも送ってくれるから藍音も九時までなら立夏に用事を頼んだりもしてくれた。
そんな状態で二週間も過ぎると、立夏は仕事にも慣れた。
人と会わないでできる備品配布は一人でも回れたし、何なら効率よく早く配り終えられるルートまで探したほどだ。
立夏の仕事が順調に進むと、戸賀は立夏を褒めた。
「宮凪は、真面目でいいな。配達もサボらないし、むしろ早くて残りの仕事もしてくれる。今までの人は配達中にサボって、全然仕事をしない上に簡単に辞めるから」
戸賀が言うには、こんな簡単な仕事をサボった上に高額収入のバイトをあっさり止める人がいるというから、世の中は不思議だ。
「へえ、こんなに分かりやすくてやりやすいバイト、辞める人はいるんですね」
立夏にとっては信じられない出来事で、普通に疑問だった。
「それにはオチもあってね。他のバイトに行ったらキツいし、立ちっぱなしだしでしんどいから戻りたいって言ってくるんだ。こっちとしてはもう別の人を雇っているから、戻る場所はないよってなる」
「はは、居酒屋とかショップとか、立ちっぱなしですしね。お金の良いバイトは引っ越しか工事現場くらいですもんね」
立夏は自分も散々バイトの雑誌は眺めたので知っている。
ここの時給ほどにいいバイトはそれくらいしかない。それ以上だとホストなどの夜の仕事になってしまうのだ。
居酒屋は高額ではあるが、その代わり壮絶に忙しい。六時から十二時まで動きっぱなしである。ゆったりした店ならいいが、学生がメインだと地獄である。
「宮凪は、バイト経験多いから色んな対処を知っていてとてもいいと思う」
戸賀がそう言って褒めてくれて、立夏はそれに照れた。
配達を終えた後は大体戸賀と二人っきりで仕事をすることになるが、小休憩の時は常に戸賀と喋っていた。
他のバイトとは一緒にはならず、戸賀だけと作業をすることが多いのは、立夏のバイト経験からのもめ事が原因だった。それを藍音が考慮して戸賀とだけ仕事をする時間を増やしているのだ。
そして立夏がバイトをして一ヶ月を過ぎても何の問題も起こらなかった。
何より戸賀が普通に接してくれるし、他のバイトとの時間が徹底的にズレていたこともあって、二、三回しか同じバイトの人に会ったことがなかった。
平和でいいバイトだと思っていたが、二ヶ月目に突入した時に突如、同じバイトの人に待ち伏せされた。
その日も戸賀と一緒に帰っていたのだが、同じバイトの森崎という男が二人の前に出てきた。
「森崎、どうした?」
まず戸賀がそう言って立夏を庇うようにすると、森崎が言った。
「何で、そのバイトだけ特別扱いなんですか?」
森崎の不満は戸賀にぶつけられたけれど、戸賀が答える。
「それを森崎が知る必要はない。上の決定だ」
戸賀の冷たい言葉が森崎を傷つけているのは立夏にも分かった。
冷たく知る必要はないと言われた森崎は戸賀を睨んで立夏も睨んだ。
「別にお前たちを冷遇したことはないし、仕事はほぼ同じ内容だ。特別なことはほぼない。ただ森崎たちと同じ空間にいないだけのことだ。それが特別だというのはどういう了見だ?」
戸賀がそう付け加えると、森崎が言う。
「配達なんて簡単な仕事でしょ、あれが一番楽なんですよね! 時間潰しもできるし」
森崎はどうやら配達の仕事を取られたのが気に入らないようだった。
「森崎は配達をしたいと希望しているとは知らなかった。変わりたいというなら、代わりにやって貰うけれど、仕事変更でいいか?」
戸賀は何ともなし森崎に告げた。森崎は、変えて貰えるのかと一瞬喜んだけれど、戸賀はそれに付け足した。
「その代わり、前のバイトのように途中でサボることはできないぞ。宮凪は前の半分の時間で配達を終えている。もちろん、それでできるっていうなら変わって貰うのはありだ。宮凪にも別の仕事を覚えて貰う機会にもなる」
戸賀がそう言うと、森崎はまさかそんなに早く仕事を片付けているとは思わず、驚いた顔で立夏を見ている。
それで立夏はふと思い出す。
そういえば、前のバイトは配達だけでバイト時間を使い切っており、途中でサボっていることは確認されていた。もちろん、配達だけでそこまで掛かるのかと皆はその配達をやりたがらなかったけれど、実態を知っている人は変わりたいもっと楽な仕事だと思っている。
だから森崎は変わりたいと言ったのだが、立夏が配達に時間がかかるわけではないと既に証明してしまっている。つまり立夏の後にそれよりも明らかに倍も掛かるような時間で配達をしてしまったら、それは無能という烙印が押されてしまう。
「君らが嫌がってやらない会議用の資料まとめ、それも追加されるし、それが終わればパソコンで書類の清書などもやるわけだけど、できるなら変わってくれて構わない。藍音にそう報告しておこう」
立夏がしている仕事内容を告げると、森崎はまさかと立夏を見ている。
どうやら立夏の容姿からそんなに仕事ができるとは見られていないようで、ずっと馬鹿にされていたらしい。
「え、いや、その。戸賀さんが手伝ってるんじゃないんですか?」
「俺だって他の仕事が山積みだ。手伝ってる暇があると思うか?」
配達だって最初から立夏は自分でマップを持って配達をしていたし、戸賀が手伝ったことは一度もない。
むしろ、これよりももっと簡単な仕事を森崎がしているのかと、立夏の方が変わってくれるなら変わってもいいなと思ったくらいだ。
「変わります?」
立夏がそう森崎に変わって欲しいな~という雰囲気で尋ねると、森崎は。
「すみません! 勘違いしてました! ごめんなさい!」
そう叫んで森崎が走り去ってしまった。
駅の方に走っていく姿を見送っていると、その森崎を追いかけて三人ほどのバイト仲間が走って行くのが見えた。
それを見た戸賀が深い溜め息を吐いた。
「すまない。どうやら彼らが勘違いをしているようだ」
「いえ、それは仕方がないと思うんですけど、僕の仕事、結構キツキツですか?」
「だね。君は優秀だから、彼らの零れ仕事を回している感じだ」
「ああ、なるほど。変わってくれるというから変わってもいいかなと思ったのですけど……変わればよかった」
本音をはっきりと言うと、戸賀はクスリと笑う。
「その分、バイト代は彼らよりは高いよ」
そう告げられて立夏も笑う。
「なら、このままで大丈夫です」
「そう言ってくれると有り難い。宮凪のこと重宝しているんだ」
「嬉しいです」
立夏がニコリと笑うと戸賀は初めてちゃんと立夏を見て優しく笑った。
「よかった」
その笑顔が何だか覚えがある気がして、立夏はハッとするも、きっと勘違いだと思い直した。
また駅に向かって歩き出した時に、戸賀が聞いてきた。
「そういえば、藍音がメールを送ったと言っていたが、届いているだろうか?」
「メール? あ、お願いしていたことかな」
そう言って立夏はメールを開く、業務用とは別の個人的なメールに藍音から随分前に頼んだ不動産会社への相談ごとの結果が届いていた。
「あー、やっぱ高いよね」
「何、家でも買うの?」
戸賀は冗談ぽく聞いてくるが立夏は頷く。
「そうなんです。実は実家の方、もう売りに出ていて、買い手が付いてもう取り壊しが決まっているんです」
立夏が残念だなという顔で言うと、戸賀は驚いている。
「ああ、そういうことか。あの家もバラがないと寂しいなと思っていたけれど、随分立て増ししてて窮屈になっていたから」
「まあ、僕のせいで普通の家じゃ駄目になってああなっちゃったんですけど、よくよく考えたら、十年以上僕以外が住んでない家だから、父さんからすればもう要らない家なんだなって……」
「もう買取りが決まっているなら、今更相続って訳にもいかないんだな」
「ええ、あの家維持費も半端なくて、それで売ったお金の一部で、マンションか一軒家を買う方が遙かに省エネというか……」
あの家自体が既に父親にとって負担なのだ。
もうアメリカで家を買ってしまったから、その負債の補填にあの家を売った代金を当てているので、立夏がごねて出て行かないのはそれはそれで問題になるのだ。
「なるほど、仕方がないってことだな。まあ、俺も維持費を考えてあの老朽化していた祖父さんの実家を取り壊したから、まあ、分からなくもない」
戸賀がそう言うので、なるほどと立夏も思った。
もう既に五十年は過ぎている家は耐久性やら老朽化で脆くなっているのだ。昨今の地震のことを考えれば引っ越すことも悪いことばかりではない。
父親も下手に立夏を残してそこで死なれでもすれば目覚めが悪いということなのだろうかと思えてきた。それであんな強行をした。
「一年の余裕があるなら、半年くらいかけて探せばいい。藍音に頼んでいるなら、きっとよいところが見つかると思うが……もし同じ街で良いなら、最近駅の近くに建っているマンションがあるんだが……」
「ああ、新しいマンションができるみたいですね。そこ、いの一番に尋ねたんですけど、もう入居者満員らしくて……」
立夏がそう言うと、戸賀が言う。
「あれ、俺の実家が建てているマンションで、俺も予備に部屋を三つ買っている。その一つ、譲っても良いけど?」
いきなり戸賀がそう言い出して、立夏は驚く。
「え、譲るって言っても……え?」
どういうことだと思っていると戸賀が付け加えた。
「あちこち建てているマンションの良い部屋ってよほどじゃないと埋まらないんだよ。それであまりそうになると買ってくれと言われて、買ったはいいけど、三つも要らないなと思って」
「いやでも駅前はさすがに高いんじゃ?」
「だから、俺が買ってから中古販売にして宮凪に売る。そうしたら俺の言い値でいいわけだ。五千万くらいするけど、値引きして三千万くらいにするから、それなら出せるんじゃない?」
「待ってください、それは幾ら何でも……」
幾ら何でも無茶だと思っていると、戸賀が言う。
「あの土地込みの家なら、一億五千万はするよ? それを売ったってことはそれ以上で売れたってことで、二億はいかないにしても、それくらいで売れているはずだ。で、取り壊しまで待ってくれて、挙げ句取り壊しはあっち持ちなら、一億八千くらいは出していると思って良い。取り壊しに二千万なら、二億。あの土地なら安いんだよ」
戸賀が意外な不動産の資産を計算してきて、立夏は驚く。まさか自分が住んでいる土地がそんな高額な立地だとは思わなかったのだ。
「あの辺り、土地の価格が最高に値上がっていて、俺が相続した去年ですらかなりの額になっていたから、売っても良かったなと思ったくらい」
「え、え、」
「だから、お父さんに話してごらん。もしかしたら五千万くらい出してくれるかもしれない」
そう戸賀があまりに自信たっぷりに言うので、立夏は戸賀を伺いながら言う。
「後で無しって言うのは無しですよ?」
「ああ、何ならお金を払うのはお父さんだよね? 君名義して支払いはお父さんなら、俺を通して貰っていいよ。はい、連絡先」
戸賀が簡単に言って、名刺を出してきた。
それを慌てて受け取りながら、立夏はマジマジとそれを見る。
「うちの不動産管理をしている不動産会社、俺、そこの取締役になってる」
「え!?」
はっきり言って意味が分からず、立夏が疑いの眼差しで戸賀を見た。
何でその身分で、大学生で、更にバイトをしているんだという問いはもちろん、言わなくても戸賀には届いていたに違いない。
「実家が、修行だって言って他の会社で仕事をしてこいと。で藍音とは知らない仲じゃないし、頼んだらバイトに入れてくれた。それでバイトをしている。まあ、不動産会社同士、知らない業界じゃないし、うちは比湖グループからも協力依頼をされるくらいには大手なんで」
そう戸賀が言ってくるから、立夏はふと思った疑問を口にした。
「あの、藍音さんとどういう関係ですか? 大学は違うし、高校が一緒とか?」
そう言うと、当たっていたようで戸賀は頷く。
「そう、高校が同じ。それと藍音とは高校時代に付き合っていた。大学が変わって環境が変わったらお互いに自然と関係が終わった」
「……あ、そ、そうなんですか……」
どうやら聞いてはいけないことを聞いたんじゃないかと思い、立夏が焦っているとそれを見た戸賀は少し笑う。
「気にすることはない。お互いにもう終わっていることだと認識をしている」
戸賀は藍音に対してバイト先の上司という関係と、ただ昔は友達だったという気持ちで接していると言う。
その辺は割り切って行動をしていると言われて、何故か立夏がホッとする。
戸賀みたいな真面目な人が、男と付き合える人とは思わなかったのもある。
そして藍音とは終わっていると言われて、何故か立夏の心は少し軽くなっていくのが分かった。
「戸賀さんは、恋人とかいないんですか?」
何となく尋ねた一言に戸賀はふっと息を吐いて言った。
「このバイトをしていて、そんな暇があると思う?」
「あ、ないですね……」
ほぼ六時から九時までをバイトで使い、立夏を送り届けたら十時近い時間だ。頑張れば彼女に会えるし、彼女と同棲しているなら違うだろうが、それでも戸賀はいないと言うからそうなのだろう。
更に大学では論文に時間が掛かっているようで追い込みもしているらしい。
「大変ですけど、目標もあるみたいですし、頑張ってください」
立夏がそう言って戸賀を励ますと、戸賀は一瞬驚いた顔をしたけれど、ふっと優しく笑って言った。
「ありがとう、卒業はできるように頑張るよ」
そう言ったところで立夏の自宅に着いた。
「お休み、宮凪」
「おやすみなさい。また明日」
立夏の言葉に戸賀はニコリと微笑んで門ドアを閉めた。
ドアを閉めたあと、鍵をしっかりかけないと戸賀が去って行かないことを立夏は知っている。
だからしっかりと鍵をかけて、戸賀が去って行く音を聞いた。
送り狼にならなかった、たった一人の人。
それが立夏にとって、心に残るほどの印象的なことだった。
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