モノポリーシリーズ
アイネクライネ
5
「藍音さん、最近志朗さんと一緒にいない?」
大学内の食堂で昼食を食べていた藍音は、水嶋と一緒にいた。
そこに時合壱伽(ときあい いちか)が現れて、藍音を見つけると珍しく近寄ってきた。
普段は藍音の方が壱伽を見つけると寄っていき話をしていたから、壱伽から近づいてくるのは本当に珍しいことだった。
そんな壱伽の第一声はもちろん噂になっていることだった。
大学では講義内容によって全く合わないままでいることがある。
壱伽と藍音は学部が違うので、藍音とは基本食堂やカフェテラスくらいでしか会うことがない。たまに飲みに行ったりもしていたけれど、壱伽に恋人ができてからは、藍音の方が遠慮をして壱伽と飲みにすらいかなくなっていた。
そんな二人が会うのは、実に一ヶ月ぶりだった。
壱伽は友達であり、藍音の親の会社でバイトをしてくれている宮凪立夏(みやなぎ りつか)と一緒にいたが立夏の方はちょっとだけ藍音に会釈をして壱伽の話を聞いている。
「あー……付き合うことになったこと、志朗から聞いてない?」
藍音がそう言うと、壱伽はふうっと大きく溜め息を吐いた。
「本当だったんだ。志朗さんの言うことなんて冗談だと思ってたから、びっくりして確認しに来た。マジかー……」
壱伽はそう呟いて納得できないように唸っている。
「何でそんなに驚いているんだ?」
そう聞くのは水嶋だ。
水嶋は壱伽のことは知っているけれど、藍音経由でしか知らないのと噂程度しか耳に入っていないせいで驚きが謎らしい。
「壱伽は志朗の後輩で、一ヶ月だけ付き合ったんだっけ?」
藍音がそれを言うと水嶋は驚いている。
「へえ、何か藍音と壱伽くんは好みが似てる?」
藍音が三股で男を振った時、壱伽もまた同じ男に振られている。その関係だけは水嶋も知っているので水嶋の感想は仕方ないことだ。
「そうみたいだね……」
「ふうん、何で志朗さんと別れたの?」
水嶋は突っ込んで壱伽に聞く。壱伽はそれを聞かれて嫌な顔をしながらも言った。
「掴み所がなかったから。あのふわふわしてる感じに付いていけなかっただけ。僕には合ってなかったんだと思うよ」
壱伽はそう言い、それ以上の志朗のことは聞かずに藍音と普通にまた飲みに行こうと話しているが、藍音はここ最近の話として会社の手伝いを始めたから飲みに行く時間がないと言う。
「そっか、来年卒業だもんね。そろそろ会社の手伝いもしなきゃなんだ。じゃあ落ち着いたらでいいからまた遊ぼうね」
珍しく壱伽が藍音を誘ってきたので、藍音は嬉しくなって答える。
「色々落ち着いたらまた飲もうね、声かけてくれてありがとう」
「……うん、じゃあね」
壱伽はそんな藍音を見て、少しだけ異変を察知したらしいが、そのまま何も言わずに去っていく。
それを見送った後、水嶋が言う。
「あの壱伽っていう子と藍音が同じ趣味してるなら、多分藍音も志朗とかいうヤツとは別れるんだろうな」
「え……?」
「どうなるかは分からないけど、あの子が合わないって相当じゃない? 誰とでも合わせられそうな子が合わないって、何か隠し事があるとか、裏があるとかじゃないの?」
水嶋が言う通り、裏はある。
藍音はそれにちょっとだけ困りながらも笑って言う。
「やだなー。幾ら趣味が似ていても、四年前と今とで志朗が同じなわけないじゃん。それに壱伽が別れても志朗さんとは飲んでるみたいだし、別に仲が悪くて別れたわけじゃないから、壱伽の心の問題じゃない? どっちかっていうと志朗が振られた感じ?」
藍音はそう言っていてふと気付いた。
壱伽は自分に合わないという理由で志朗とは別れているわけだが、果たして志朗はそれに対して何を思ったのだろうか。藍音は単純にそれを知りたい気分だった。
志朗はセックスをする時に言っていた。どうしても相手から振られるという話だ。
女性には色んな理由で振られているらしいが、壱伽と別れた理由だけは聞いていなかった。壱伽はああ言っていて基本的に合わなかったと言うけれど、詳しいことはあまり言わない。ただ自分に合わなかったと言うだけで、志朗の何が悪かったとは言わないのだ。
志朗はそんな壱伽を仕方がないと言うように笑ってみてるだけで、反論はしないままだ。だから、志朗自体が壱伽のことをまだ好きな可能性もあるんじゃないかと藍音は思えてきた。
「ふーん、藍音ってば、あいつに骨抜きなんだな」
「え、ええ、あ、うん、まあ」
水嶋にいきなりそう言われてしまい、藍音は顔を赤くした。
正に志朗のことを考えて頭を悩ませている段階で、どうして本当の恋人でもないのにここまで志朗のことを気になっているのか、藍音は不思議で仕方がなかった。
「なんだろうね、色々分かってくると嬉しいこととか、もっと分からないこととか増えてくるんだよね」
志朗といる時間はだんだんと増えているけれど、志朗が壱伽が言うほどふわふわしているようには見えなかったし、誰よりも藍音のことに真剣だと思う。
「ラブラブで何より」
水嶋が呆れた顔をしていたが、ふっと真剣な顔をして藍音に耳打ちをする。
「藍音、そのまま振り向かないで。うん、入山と武富がいる」
そう言われて藍音は身体を強ばらせる。
彼らは藍音たちとは仲違いをしていて、藍音だけにはいい感情を持っていない。
あの事件後から会ってもいないし、見かけてもいない。大学では学部が違うのもあって会うこともなかったけれど、今はとにかく会いたくはない。
それに志朗は武富に関しては、依頼で藍音を填めようとした可能性があると言っていた。もしそれがまだ続いていたとしたら、何を言われるのか分からず、安心もできない。
けれど武富がまだ大学に来ていることには驚いた。
「入ってきたばかりだから、このままこっちは食堂を出よう」
「うん」
藍音は水嶋に言われる通りにして、食堂を出た。
「あっちも気付いてなかったみたいだからよかった。あいつら平然としてんだな。面の皮が厚いっていうか」
水嶋がそう言う。
それには藍音も同意した。
「騙した気がないって凄いね。何だか人が怖いよ」
対して親しくなくても、一緒に酒を飲む相手だと思っていた。
なのに、あんな風に人を見下して平然と暴言を吐けるような人もいるのだ。
坪倉という人間も怖いけれど、得体の知れなさではまだ怖さの理解ができる。でも身近にいた人が自分を裏で平然と罵っていたなんて、考えもしなかったから藍音には親しい人ほど口から出ている言葉通りに受け取ってはいけないのだと今回知った。
「大丈夫、あいつらくらいだから。藍音の仲間は皆、藍音の思っている通りだよ」
そう水嶋が言って藍音はハッとする。
「ごめん、疑っているわけじゃないけど……」
「分かるって。仕方ないよ、信用しているヤツに色々とされたら疑いたくなる心くらい生まれるもんだよ。だから気になったらまた言ってくれればいい。そうしたら俺らは大丈夫だって言えるしね」
水嶋はそう言って藍音を励ました。
「うん、ありがとう」
藍音はやっと心を軽くすることができてホッとする。
「寂しかったら彼氏に慰めて貰いなよ」
「もう、茶化すなって」
すると携帯にメッセージが入る。
それは志朗からの連絡で、待ち合わせの予定だった。
「おっと噂をすればってやつ。タイミングがいいね」
「え、何で、分かったの」
「顔に彼氏からだ、やったーって書いてあるからな」
「え!」
藍音はまさか人に分かるほどの喜びを顔に出していたとは思わずに顔を覆う。だんだんと顔が熱くなっているのに気付いて、ちょっと服を引っ張って仰ぐ。
「熱い……ね」
「まあまあ、照れない照れない。いいと思うよ。藍音も変わってきた感じで。まあ、前に壱伽って子と付き合ってたとは言っても、すぐ乗り換えたわけでもないんだし、気にしなくていいんじゃないかな。一人で悶々悩んでないで、彼氏に会うなら聞けばいいじゃん」
水嶋はそう言って藍音を講義室まで送ってくれてから自分の講義に向かっていった。
ちょうどあの騒動依頼の教授の講義だったが、あの学生四人は何処にもいなかった。
講義が終わった後、教授が藍音に情報をくれた。
「あの四人なら、停学になった後、四人とも退学届を出したよ。地方のいいところの坊ちゃんだから、地元に戻れば好き放題できる立場らしいから、気にするだけ損だよ」
教授はそう言ってから去って行った。
どうやらあの四人は、地元に帰ったら帰ったで地元の大学にも入り直せるくらに余裕があるらしい。ただ東京に出たかっただけで大学を東京にしたくらいで勉学には一切力を入れてなかったという。
親御としても東京で好き勝手をされるよりも地元で手元に置いて管理をしたかったらしく、すぐに大学を辞めさせたという。悪い仲間とはさっさと手を切るのが一番というわけらしい。
あっけない四人の退場に藍音はホッとして携帯を操作した。
志朗との待ち合わせは大学の門にしてある。
そこまで隣の講義室にいた脇山が送ってくれると言う約束になっていた。
四人の事件があって藍音はなるべく一人にならないようにしていて、それを仲間がサポートをしてくれている。本当に有り難かった。
そうして携帯を眺めていると、携帯がメールを着信した。
普段は届くメールは親くらいしか鳴らないのだが、どういうわけか知らないアドレスからのものだった。
「なんだ? これ?」
そのメールの件名は「お知らせします」とだけだった。
何かの販売サイトからの配信メールか何かかと思って開いてみると、それは文字だけのメールだった。
『お前の恋人、水偉志朗は時合壱伽とまだこっそりと会っている。場所は東都ホテル』
そう書かれている。
東都ホテルは都内の大きなホテルで、様々な施設が揃っているところでもある。
親がよくそこに泊まり、朝食が美味しいレストランがあることは藍音でも知っている。
そこに志朗と壱伽が通っていると言われたら、信じない。
けれど明らかに嘘だと分かる内容を藍音に送ってきても藍音が動揺すると思うのだろうか。
そう思っていると、そのメールには一枚の写真が付いていた。
それは確かに志朗と壱伽の二人の写真で、東都ホテルに入るところ、一緒にエレベーターに乗っていくところが写っていた。
つまり二人が昼間とはいえ、ホテルに入っていったのは本当というわけだ。
藍音がそれをじっと見ていると、そこに脇山がやってくる。
元々ラグビーをやっていたこともあって大きな身体であるが、骨折をしてから足に力が入らない後遺症が出始めてからラグビーをやめてはいるが、筋力だけはしっかりと付けた身体を揺らしながら講義室に入ってきた。
「おお、遅くなった」
「ううん、ちょうど良かったよ。ありがとうね」
「いいって、それは。俺らがまいた種のようなもんだし……それで志朗からの連絡は付いたか?」
「先にメール貰ってる。いつも通りに表門で待ち合わせ」
「よしゃいこう」
脇山に付いて藍音はすぐに歩き出す。
メールのことは後回しにして、後で考えればいいと思った。
「そういやちょっと顔色が悪いが、ちゃんと飯は食ってるか?」
脇山が急にそう言い出して藍音は驚く。
「あ、うん。お昼は水嶋と食べたよ」
「そうか、ちゃんと栄養のあるモノを食べるんだぞ」
「はーい」
脇山はそう言って気を遣ってくれ、さらには栄養のある食事のある場所も教えてくれる。
藍音とは生活環境が少し違うので、藍音が行ったこともない店まで教えてくれた。
大学生がよく通っている有名な店らしいが、藍音は行ったことはないところだった。そんな場所の話をしながら門まで行くと志朗が待っていてくれた。
「じゃ、後は頼んだよ」
脇山は志朗に声をかけてから大学に戻っていく。
本人は同好会の部室に用事があるらしく、足取りも軽そうだ。
「何だか悪いな。本人も忙しいのにね」
藍音が申し訳ないと脇山のことを気にすると。
「気にするなら、後で沢山美味しいモノを奢ってやればいい。そういうのを喜ぶ人だろ、あの人は」
志朗が笑ってそう言う。正にその通りだったので藍音は頷いた。
世話になったなら後で沢山お礼をすればいい。それで許される関係なのだと言われたわけだ。
「うん、そうだね」
藍音はそれで納得して、気遣いに感謝した。
ニコリと笑い返したけれど、その時ふとさっきのメールを思い出す。
壱伽と一緒にホテルに行っていた理由だ。
あれは格好からして最近だ。
夏が始まった今の時期の格好で去年の写真ということはないはずだ。
「どうした?」
駐車場まで歩きながら藍音が考え込んでいると志朗が気にして聞いてくる。
「あ、その、最近壱伽に会った?」
藍音が志朗にそう聞くと志朗は首を傾げてから言った。
「いや、最近は会ってないが。壱伽に会ったのは五月くらいだったかな? それが?」
志朗がそう答えたので藍音はドキリとする。
「あー、僕が壱伽にあったからなんだけど……そういえば、壱伽とは一ヶ月で別れたって聞いたんだけど、それってなんでかなって」
そう藍音が聞くと志朗はなるほどと頷いてから答えた。
「壱伽も子供だったしな。俺はセックスがしたい男で、壱伽はまだ興味もなくただ恋人ごっこがしたかっただけ。それで上手くいくわけもない。俺が迫って壱伽が拒否をした、それで終わりだよ」
志朗は壱伽をホテルに誘ったのだが、それを知って壱伽が志朗に愛想を尽かせた。
それが真相で、壱伽はその時の同意もなしにデート先がホテルだったことにショックを受けてその場で別れを告げて去って行ったという。
「そんなことで?」
「まあ、壱伽のことは珍しかったし、可愛かったからな。一緒にいるのは面白かったけれど、十六くらいの二歳上ってのは思った以上に年上扱いなわけ。壱伽が話していることが俺にはちんぷんかんぷんで合わなかったのもある。今なら大学生という立場で話も合わせられるようにはなるが、高校時代は違った。それは壱伽も感じていたらしくて、とにかく話が合わなかった」
「ああ……それは分かる……」
一年違うだけで数年も離れているかのように話が合わなくなるのが中学高校くらいだ。大学生になると急に距離が縮まるから人というのはよく分からないものだ。
「けれど、そのせいで壱伽は無理に大人になろうとして、つまらない男に引っかかった。壱伽が中塔や友景にちょっかいかけられて遊ばれたのは、俺のせいだと思っている」
志朗がそう言い出してしまい、藍音は言葉を失った。
志朗は壱伽に対して負い目がある。
だから壱伽の前にはなるべく姿を見せなかったし、壱伽がやっと恋人ができたくらいになってやっと会話ができたのだと言う。
「話したのは一年ぶりってやつ。いつもは見かけた壱伽に声をかけても怒るんだけど、あの日はちょっと違ったな。やっぱりあいつは可愛いよ。揶揄いたいくらいにはな」
そう言って志朗は笑っている。
その笑顔は壱伽と良い関係に落ち着いたことにホッとしている顔で、それは藍音にとっては衝撃の台詞だった。
「そうなんだ……そっか」
壱伽を今でも可愛いと思っているということは、それから壱伽と会っていることは藍音に隠したいのかもしれない。
壱伽が何を考えて志朗とホテルに行ったのか分からないが、志朗はそれを藍音に隠した。
つまりそれは、藍音が壱伽よりも好かれているわけではないという確かなことだった。
元々そういう関係であることを忘れ、志朗に依存している自分に気付いた藍音は、その事実に衝撃を受ける。
けれど、今はそうしないと本当に人が怖くて仕方がなかった。
志朗は最初から藍音を好きなわけではない。ただセックスができるくらいには少しくらいは思われている程度だ。
そしてこれは一年後に終わる関係であることを藍音はしっかりと覚え直した。
写真のことはこのまま藍音の胸一つに収めて、藍音は志朗に深入りするのを止めた。
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